小説木幡記:スマホが欲しい病気と買わない理由
このごろ近辺の倶楽部員達や、巡回の受講生達が、熱心にスマホと戯れておる。女性は一般に機械物、マシンものが好きではなさそうなのに、スマホは別扱いだ。というよりも、コンテンツ(通信や記事内容)重視かな?
余の知り合いのmorio君もこういう世界が好きなようだ。実は余も好きなのだが、スマホはまだ身につけていない。その理由をいろいろ考えてみた。まだスマホにしない理由だ、な。
1.長い人生の疲れ
遅れた余でも、その時代時代の先端ものに飛びついた経験は、一度や二度ではない。しかしそのたびに新たな学習や修練が必要となり、そういうことの積み重ねがしんどくなってきた。これはここずっと新規友人というか知り合いを作らなかった(作れなかった)のと同じで、マシンも人も新規扱いはしんどい脳。それに比べて、古びた漬け物的時代遅れのシステムとか、あるいは古い人達とかとの付き合いは温泉気分だよ。
2.ちゃかちゃかと指先藝
自ら顧みまするに、それほど不器用ではないと思っておるが、どうにも、あの例のケータイあやつる指先藝だけは見ていられないし、吐き気嘔吐感に襲われてしまう。人間がああいうちゃかちゃかした指先技に専念しすぎると、脳が萎縮して、第三の脳が指先に分散配置され、キーの配置だけを覚え、知能指化するのじゃなかろうか。それは良いのだが当然、大脳部分は欠損していくのがバランスだから、恐ろしい指先芸人世界になってしまう。ましてスマホにすると、ますますちゃかちゃか藝達者になるは必定。
3.電池が心配
余の携帯は四年満期となったが、いまだに充電は10日に一回で済んでおる。忘れた頃に、電池表示が2/3なので、電池切れは一度しか経験していない。大昔、充電器無しで江戸東京博物館に行ったとき、2日目の博物館で写真や動画をガンガン撮っていたら、画面が薄くなってきた、そのくらいかな。しかし現代スマホは、満充電で家を出て、夕方頃には要充電と耳にする。昔のタバコじゃあるまいし、外に出るたびに「充電充電(灰皿灰皿」とキョロキョロするようで、嫌だなぁ。西部劇映画のように、電池帯(自動拳銃などの弾帯)をたすき掛けにして出歩くのは、あはは、変じゃ。
*.スマホにまだしない理由
こんな記事書いて、明日からスマホにしたらお笑いだが~。
要するに現代の携帯がまだ動いておるから、取り替えるのに心理的圧迫があるのじゃ。若い者らはケータイとスマホの二重生活者も見かけるが、お笑い人生に見えてしまう。余もその世界に突入する気合いを入れても良いのだが、まだまだ矜恃が邪魔をする、うふふ。落ちぶれ果てても、Muは旧人じゃ。旧人の生き方だけは知っており申す。古い男とお笑いでしょうがぁ~しばらく、ガラパゴス諸島に戯れましょうか。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
スマホはほしくありませんが、iPad 2 はいいですよぉ。
投稿: Wind Calm | 2011年5月27日 (金) 00時09分
WindCalmさん
カタカナじゃなくて、ご尊名が原綴なので、良いでしょう。
さて。
その、iPad2とはなんでんね? 2があるということはiPad1もあったわけでんな?
君からは大昔、「卵焼きが明石焼きで、たこ焼きとは異なる」と論争をふっかけられて弱ったことがあります。今回も、イパッド2とかいうけったいな固有名詞らしきものを示されて、なんとなくケンカをうられたようで、困りましたなぁ。
イパッド2は、スマホよりも安くて軽くて持ちやすいものでっか? もしそうなら欲しく成り末世。
一体どこのメーカもんなんかな(made in chinaで、工場が火事になったとは耳にしました)
投稿: Mu→某WindCalmさん | 2011年5月27日 (金) 03時56分