小説木幡記:やや専門的(おたく世界的)な話
1.BackmannのOn30-DCCやHO-DCCのアドレス変更
これまで図書館列車用に収集したDCC動力車はデコーダ(車両搭載中央制御装置)がすべて米国digitrax社製のものだったので、アドレス(車両番号)などを手持ちのコントローラで自在に変更できた。つまり、KATOのDCC基本セットでうまく処理できた。
しかしBackmann社のDCC搭載済み廉価モデルは、それがうまく行かないと事前にネットで調査してわかった。だが、Backmann社のモデルは形といいい価格といい、非常に手頃なモデルだったので、一晩考えた。
結論がでた。
以前入手した、永末システムのDP1(赤い箱)ならどうだろう、と推測したのだ。というのも、Backmann社搭載のデコーダはドイツ・レンツ社の廉価版で、これが2進方式でしか調整できないもので、あいにくKATOの制御セットでのアドレス指示は10進方式なのだ。なれど、赤い箱・DP1は優れたDCC制御装置なので、出来るはずだと想定した。
届いたBackmannの車両をDP1でアドレス変更をしたら、一瞬でできた。
余は、痛切に、我が国の優れた技術を再認識し、感動を覚えた。
2.ubuntuでのLazarusはFPC(Free Pascla Compiler)ソースを別にインストールする必要がある
Pascal系の統合開発環境として無料のLazarusがある。これを以前のDelphiのように軽快に扱いたくおもっていろいろ経験してきたが、そこで気付いたことをメモしておく。
これまでLinux(ubuntu)と、Windows7に導入したのだが、特にubuntu上ではFPCのソースファイルを別途ubuntuソフトウェアセンターから無料ダウンロードした方がよい。
というか、それで警告が消える。
実にあっけないことで、ubuntuソフトセンタにはいったら、「FPC」というキーワードでダウンロードファイルを検索し、数点出てきた中から、「ソースファイル」を指定するわけだ。
これですっきりした(笑)
3.「戴冠詩人の御一人者/保田與重郎」の分析は一巻として見る
現代評論(といっても昭和)や現代小説短編集は、一定期間、一定趣旨で書かれた小作品を集めて、総合的タイトルないし、代表作品のタイトルをつけて、一本・一巻として扱う。この夏にテキスト解析する評論は、余がこれまで扱ってきた長編評論に比べると、作品の範囲が広い。これを、どう解釈しながら、接していくのかという立場を定めておく必要がある。
その世界(笑:最近身近に、ファンがまだまだ居ると知った)では著名な「緒言」を含めて11編の評論から成立している。代表作品は日本武尊を描いた「戴冠詩人の御一人者」だが、他に「大津皇子」があり、「雲中供養佛」「更級日記」「建部綾足」と、それぞれが独立世界を構築する大テーマである。中でも3つの小編からなる「明治の精神」が難物なのだ~。
一時期は、緒言と、余の志向がもっとも強い倭建命(日本武尊)に集中する考えも持った。なぜかというと、余の保田アクセスで一番強いルートがこの薄命の青年皇子の生涯・物語だったからだ。これは小学校ないし中学校の国語で学んだ、やまとはくにのまほろば以来のことだ。
しかし。
現在は、あくまで一本として扱うことに決めた。事情は実に単純で、すでに『後鳥羽院』でも幾分体験したことだが、保田が一本として上梓したことは、これを読んだ当時の人や、余にとって、『戴冠詩人の御一人者』とは、緒言以下10編の珠玉のような評論集なのである。人々は一巻として味わい、そこに作者の想いを越えた世界がすでに成立しているからなのだ。
分析と総合とは往還するものだ。
評論集を分断し、ひとつひとつを見ていても、そこにとどまるならば、それは萬葉集の一歌にこだわりすぎて集を見失うのと同じ危うさがある。
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