NHK江(16)関白秀吉:足利義昭の気持ち
室町幕府最後の将軍、十五代足利義昭は昔から不思議な人に思えていました。六十過ぎまで元気で、長生きでした。豊臣秀吉と年齢が同じで、死は義昭が一年早かったわけです。将軍さまと不世出のドン百姓とが同じ時代に生きて同じ世界を渡り歩いて、最後に義昭は秀吉から一万石の待遇を受けて、四方山話の相手をしていたのです。それに秀吉の後の悲惨な豊家運命も見なくて済んだのですから、幸せな将軍さまだったと思います。
義昭が鞆の浦で逼塞していたころに、秀吉が足利氏の猶子(ゆうし)にして欲しい、つまり足利将軍職を引き継ぎたいと言ったのかどうか、その史実は知りませんが、内々あってもおかしくはないです。ただし、今夜のドラマは上手に扱っていましたが、征夷大将軍と関白職とは、どう考えてもつながりが見えず、秀吉が勤王だったことを併せて考えると、征夷大将軍という武官職を望んだのかどうかは、当時の秀吉に直にうかがわないと、わかりません。武官は昔から日本でも中国でも低位に見られてきましたから、武張った印象が薄い秀吉なら、最初から藤原家、つまりは近衛家に接近していたのでしょうか。そういえば、篤姫も、最初は島津から近衛家の猶子になりました。猶子は家督相続を前提としない名義貸しのような制度です。特にあらゆる面で窮乏きわまっていた公家社会では、伝家の宝刀的収入源だったかもしれません。
足利家は鎌倉幕府が滅びる頃、都から見ると最果ての足利という地方に住んでいた武家だったわけです。名門源氏の流とは言いますが、日本人のほとんどは元をたどれば藤原家や名のある人達につながっていきますから、北条に乗っ取られて尾羽うちからした源家がどうのといっても、笑止なことだったわけです。それは私が、◎◎皇子七世の孫というようなもので、~。しかし当時義昭さんが将軍職であったのは事実ですから、親・先祖の遺産を手にした特殊な人だったわけで、たとえドラマの中でも憎々しげに「触れるでない」と秀吉の弟に怒鳴ったのも、しかたないです。当時は、ドン百姓は人間扱いされていなかったようで、そういうカーストの秀吉が位人臣を極めかけているのですから、義昭さんの世界観は壊れかけだったのでしょう。
ただ。足利義昭のことで不思議だったのは、信長や秀吉に反抗的、いや叛乱(義昭からすれば、信長や秀吉が叛乱者だったようで)し続けたにもかかわらず、ついに生きながらえて、秀吉の話し相手として生涯を閉じたという人生です。なにかしら人徳か、独特のキャラがあったのかもしれません。
忘れ書きしそうになりましたが、今夜の三姉妹、京極さん、たまさん。それに秀吉親族、おねさん。女性陣は相変わらず強靱です。女優冥利というのでしょうか、茶々さんは匂い立つような色気が出てきましたし、初さんと江さんはそれぞれが実に面白い性格をきっちり出してきています。
うむ。たしかに、どこと指摘はしにくいのですが、面白いドラマだと思っております。
あっと、石田三成はなかなかよいです。もちろん、本多忠勝、さらによろしいな。
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(鞆の浦)
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