NHK江(19)初の縁談:信長の姪というブランド
承前:NHK江(18)恋しくて:九州薩摩の島津・近江高島の京極
茶々、初、江の三姉妹は確かに美貌姉妹だったのでしょうが、当時の社会通念からすると「美貌」だけでは良い縁組みを得られないのだと思います。そこに、近江の名将・浅井長政の娘であったことにあわせて、母のお市をとおして織田信長の姪であったことが、三姉妹に幻想的なまでのブランド力を持たせたのでしょう。尾張の小大名が上洛を果たし、ほぼ全国制覇を成し遂げ、精神的には新時代を呼び起こした信長とは、実に歴史上燦然と輝く名将でありました。茶々や初や江は、その織田信長と濃い血縁を持った三姉妹だったわけです。
さて、京極家は室町時代を通して、名門近江源氏の出だったわけです。足利尊氏時代には婆娑羅・佐々木道誉(京極高氏)という超有名人がおりました。北方謙三さんの小説で『道誉なり』があって、痛快でした。~今夜、初が恋い焦がれた京極高次はその子孫にあたります。
さて。
超絶ブランド三姉妹は、歴史的には、長姉の茶々が秀吉の子を産み、次姉の初は名門京極家に嫁入りし、そして三の姫「江」は徳川秀忠、つまり跡取りの嫁になるわけです。豊臣家はその後徳川によって滅ぼされましたから、子孫係累は無いようです(一説では、プリンセス・トヨトミが今も大坂城近辺に住んでいるという考証もありますが、不明→万城目説。小説や映画で話題になりました)。京極家も徳川家も明治、現代に続いています。名門の条件は、ある一定時間、その係累が公的に明瞭なのだと思います。もとをたどれば皆同じ原始人ですが、数百年もきっちり系図があって、公的に認知される「家」は、名門なのです。
今夜のドラマは、初の嫁入りと、茶々・秀吉の関係が話題でした。
茶々が、若い側室と戯れる秀吉の頬をひっぱたいたのは、実によき演出でしたなぁ(笑)。
しかし、このあたり数回は、どうにもMuBlogでは書きようがないです。MuBlogはイクサになると筆がさえてくるのですが、~。しばらくは休眠ですなぁ。(事例:川中島などのドラマは、よく描き込んでおりまする)
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