小説木幡記:禁煙一年
最近MuBlog投稿が少なくなった。3月下旬から4月上旬は息を詰めるほどにいろいろあって、葛野から木幡にもどると大体夜の9時前に眠って、翌朝5時前に起床してまた葛野に出かけるという毎日なのだ。
そしてまた最近禁煙記事がなくなった。これは疲れているというよりも、タバコを吸うとか吸いたいという気持ちが無くなっているから、気にならないから、書きようがない。
こうして思い返すと禁煙して本当に良かった、未来が明るく輝いている、そういう気分だな。このまま吸っていたら、一年間で30万円以上を煙にして十年で300万円も棄てることになる。300万円あると、新車が買える(笑)。1ルームマンションを4年ほど借りて部屋中ジオラマもできる。
禁煙しないと数年で肺癌兆候が出てきて何度も入退院を繰り返し、莫大な医療費を使う。さらに数年で何度も心筋梗塞、心臓発作を起こし、わが父・69歳時のように救急車で運ばれて心臓外科に放りこまれて、ついには「心肺停止」「電気ショック無効」となるだろう。いやはや脳梗塞で半身不随になる可能性も高い。これは自分よりも関係者にしんどい思いをさせる。
禁煙すればおそらく暗澹としたこの先10年間の未来が、一挙に燦然と輝く一室「巨大ジオラマ」世界になる。だから禁煙してよかった~。
禁煙がなぜ出来たのか?
意志の力なのか?
そうではない。
ばかばかしさを知ったのと恐怖からだった。
繰り返しになるがまた書いておこう。
1.タバコを吸うと気持ちが落ち着く
嘘、大嘘、これほど馬鹿げた話はない。
タバコを吸うから30分後にニコチンが切れて、いらいらが生じストレスを味わう。
吸わなければそういうストレスは発生しない。
顕著な事実→ 起き抜けの一服は、ニコチン切れストレスの解消に過ぎない。
2.タバコで間を持たせる
あははは。
いつも間抜けのクセして、なにをほざく、このニコチン猿めぇ~。(京極堂風の決めセリフ)
3.タバコ依存から抜けられない
その自覚があれば禁煙は眼前にある。
簡単に考えない方がよい。阿片中毒とかわりないことを自覚すること。
余の生きている間に、ニコチンは麻薬扱いになると思う。
世界のタバコ会社やタバコ生産者は、別の嗜好品を模索する必要がある。
嗜好品や悪食好みが悪いとはおもわない。ただし、ニコチンを阿片と考えるなら、これは駄目だ!
実情は、吸うと数秒で血圧が10~20上がり、血中の酸素が減り、血管がぼろぼろになっていくぞ。脳もそうなるから、さらに困ったことになる。
4.タバコが大好き
余はこの種類だった。
うむ。
そうじゃね。
軽いタバコを日に数本吸うだけだから大丈夫~のような人を見かけると「あほか、吸うなら日に40~60本吸えよ。それほど好きじゃないなら、速攻止めろ!」と言いたくなる。
で、好きとか嫌いとかは気の迷い。
脳内快楽物質を嫌いな生物がいるわけない。
だから、ニコチン由来ドーパミンのような快楽物質ではなくて、それに代わる楽しみを早く見つけることだな。
男も女もいまどきは、「のむうつかう」の三拍子をすぐ手に入れられる。
珈琲飲んで、肩に針打って、ブランド買えばストレス解消!(?)
じぶんにあったものを選べばよい(笑)。
余は、「本読む、ジオラマ作る、桜撮る、RS走る、ラーメン食べる~」と、人の10倍くらい楽しみがあるのう。
うははは。
5.その後
おそらく今後、禁煙記事は少ないと思う。日頃は忘れておるから。ただ、3月末とか4月はじめには、昨年2010年3月末に救急車で病院に運ばれたことを思い出し、それ以降禁煙したことをうっすらと回想するかもしれない脳。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント