小説木幡記:ああ、四月も下旬
日々が怒濤のように押し寄せ過ぎ去っていくので花も紅葉も亡かりけり的毎日を過ごしておる。目が回るとはこのことか。忙しいわけではなく、不慣れな仕事が川上から次々とどんぶらこっこと流れてくるので、どれもこれもじっくり味わう余力がないだけのこと。余は物事をパラレル(というか、並行)にすることが苦手で、あくまでシリアル(というか、直列)に順番にこなしていくので、ああ、つまりSATAだよ(笑)、ここずっとの葛野では疲労が滲む脳。
と言いながらも昨夜は夜間の8時半頃に山田風太郎先生の妖説太閤記の下を読み終えた。と思ったとたんに朝だった。読了してすぐに眠ると、記憶が飛ぶな。最後がどんなだったか思い出せない。秀吉がひからびたミイラみたいなサルの干物になって、伏見城の豪華なベッドで狂声を上げながら死んでいった、なあ。その前の節で関白秀次の縁者(おめかけさんじゃ)を30数名も、鴨川で3時間以上かけて斬殺していく様子を読んでいて、なんとなく封神演義を思い出していた~。
検死奉行が石田三成だったような。
山田先生を読む時間と気力があるのだから、まだまだ元気なのだが。ジオラマを触る気力が薄まってきた。物を作ると言うのは一定以上の気力・体力が無いとむりなのだ。
というわけで、今夜も眠ろう。
明日水曜は、めぐりめぐって、一日に4つも授業がある。地獄の黙示録的葛野生活じゃなぁ。葛野のことは葛野で、とおもってきたが、これだけ目がまわると、そうも言っておれん。
いや、もうすぐGWじゃ。一休みしようぞ。皆の衆。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント