小説木幡記:さようなら四月、こんにちは五月
ああ気がつけば四月の終わりとなっていた。四月は余の生まれ月なので、死と再生の時期なのだ。それがすぎて本格的な復活時期にはいる。
と暗い部屋で終日気持ち良くぼんやりしていて夕刻になって葉書が一枚届いていた。定年退職の挨拶状だった。外からの連絡が滅多にこない生活を送ってきたが、それなりにぽつぽつと便りをいただく。葉書・書状が届くのはまれなので、暗い中でじっくり眺めていた。
~
いくつもの大学を回って今に至ったことが分かった。そういえば数年前に長崎から葉書が来たので、「ああ、よいところに赴任なすった」と、思っていたが、最終任地は別だった。今は自宅のある関西にもどり、第二の人生を歩まれることがよく分かった。
なにもかもが昨日のようだ。
と、近頃ますます過去シーンの網膜投影が重なってきた(笑)。
ますます加齢、そして実は大切なことだが、記憶の中で若々しかった旧知達もますます加齢。そのうち毎年四季折々に訃報も届くだろう。
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などと薄明の中で薄命のセリフを吐きながらも、電子書籍の本を買ったり、DCCの洋物マニュアルをiPadに容れてカラー図に眺め入ったり、日曜作家のアイデアをメモしたり、一つのレイアウトを直流と交流とで切り分けて運転する技法を考えたり、やはり望遠ズーム撮影は面白い、……。とにたにた笑っている余がずっと見え隠れする。けっさくなのは、プリンセス・トヨトミ/万城目学(まきめ・まなぶ)をこっそり買ってこっそり読もうとしていることだ(若々しいと自笑)。この世界は、一つは鴨川ホルモン焼き屋台とか、妖怪鹿せんべいと鹿の糞とか、随分おもしろそうな世界があるらしいから、興味がわいたこと。もう一つは、大阪と言えば、小松左京さんの日本アパッチ族という小説に青年期ものすごく影響を受けたことと、最近海堂さんの作品で大阪が話題になって、なにかしら足腰が動く間にもう一度大坂城に上ってみたいという気持ちになっていたから、ハイブリッド・プリウス城と、あいなった。ふむふむ。人が文学に影響をうけるのも、実に遠大な過去からの経緯があってのことだな。
さて。
そろそろ四月も終わり、日が暮れてきた。夕寝して英気を養おう。
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