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2011年4月 9日 (土)

小説木幡記:人災には反近代の対処

Mumuimg_4145 少し散歩する余力が蘇ってきた。寝起きが気持ちよかったのだ。しかし窓を見ると小雨だった。軽く失望したが、雨の中をしずしずと傘さして歩くのも、気分返しによいと思った。濡れるからとか、靴やズボンが汚れるからとか、風邪をひくかもしれないと、あれこれ否定的に考えると散歩が空しくなる。人は海から這い上がってきたのだ、と思えば多少の雨は肌に潤いをもたらし、よいことだ。

 今朝も新聞で「東日本大震災」のまとめがあった。一ヶ月経過したわけだが、震災も、人災の福島原発問題も、解決しないことが山積している。北は青森~南は茨城・千葉までの津波は、天災だったが、長年の地元の人達の見識や津波教育の成果から、子ども達が素早く高台に登って助かった事例もある。今後の復興・都市計画で、海岸付近を立入禁止にするわけにも行かないから、難しい。せめて津波砦のような、籠城できる山城をまじめに考えて行かざるを得ぬだろう。古代史では、津波ではなくて別の観点から、様式上「朝鮮式山城」というものが西日本に多数あった。ふと思ったが、敵が侵攻することと津波とが相似なら、自然の要害を応用した山城が多数あったことも肯ける。あざとい絡繰りで対応するのではなくて、根治療法的に築城したのだろう。

 ここで「あざとい絡繰り」と言ったのは、つまりは原発の冷却方法に関してのことだ。
 新聞のまとめでは、冷却や汚染水処理がうまくないらしい。
 福井県にある関西電力系の原子力発電所では、さっそく多数の外部電源車やディーゼル自家発電装置建物の耐水目張りや、ポンプ車の導入が図られ出したようだ。応急措置としては頼もしい。関西電力系の原発が止まると、大阪も京都も宇治市(笑)も暗黒になる。
 ~しかし。
 あくまで応急措置にすぎない。根本的に、自然災害に対して現代絡繰り(自家発電など、電気とコンピュータ装置)で全て対応するのは「間違いだ」と余は重ねて言っているのだ。たとえば、福島では既存の動かない精妙な冷却水環流装置を直そうとしているらしいが、そんなもの根本的に壊れている可能性が高い。精緻なものほど復元が難しい。技術者であることをすてた官僚とか、政治家は、そこに電気さえ通れば、あそこの隙間さえ止まれば、グワーンと発電機が回り、制御板が機能し、数百のセンサーが動き、ディジタルかアナログメータで全体が一目瞭然にわかるようになる、……。あとちょっと直せば、訓練の時のようにうまくいく!
 と、思うものだ。

 そんなもの、うまく行くわけがない。(と、うまく行けば幸運)
 飛んでなんぼのヘリコプターや飛行機、今は空気が根こそぎない状態なのだ。この理屈、わかるか? ようするに近現代の精妙な絡繰りが根こそぎからひっくり返された状態なのだ。
 根治療法が必要なのだ。
 乱暴だが、大気が無いのだから、ヘリコプターを飛ばすことの思考をすてないと駄目だ。

 で、どうすれば良いのか。
 そんなこと、余が知るわけがない。この世に知者は沢山おるから、その者どもに聞けばよかろう。
 ただ想念はある。
 応急措置としては、既存のシステムを忘れて、別途臨時のものを作るしかなかろう。すでに一ヶ月過ぎたのだから、作るのに数ヶ月かかっても仕方ない。よくわからないが、人工透析のような巨大なシステムを作って壊れた原子炉の冷却水を冷やしてやるしかない。ついでに放射能除染までできれば上々だが、それは無理だ。

 将来措置としては廃炉だが。
 別の原子炉に対しては、根治療法として、周壕冷却装置を山城をつくる思考で考える必要がある。できるだけ、反近代の思考を導入することで、こういう大災害に立ち向かえるだろう。
 教訓は、物事に対処する方法は、精緻さが積み重なり、やがてその精緻なシステムが災いの素になる。そんなこと、当然のことだ。根治療法は、精緻な仕組みを必要としない、あらっぽい考え方を最初から潜ませておくべきだな。

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