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2011年4月24日 (日)

NHK江(15)猿の正体:それ仁か、誠か

承前:NHK江(14)離縁せよ:小牧・長久手の戦い

 江が姉の茶々や初に語った秀吉調査についての結論は、「大嘘つきだけど、誠がある。それに人は動かされる」という言葉でした。江は秀吉の一存で嫁に出されてすぐ離縁されたことで、怒り心頭。秀吉の弱点をしらべまわったのです。

 確かに。
 客観的に言って、秀吉は類の無い人物でした。
 いや。
 あの時代は、今でも小説やドラマや映画にたびたびなるくらいですから、特殊な時代で、特殊な群像が頻出した時代だったのでしょう。上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、秀忠、家光。そしてあまり話題にはなりませんが、秀吉の死去と前後して生まれた後の後水尾天皇など、一筋縄ではいかない人達が歴史舞台で次々と輝いていました。

 秀吉が後に関白、太閤秀吉とまで上り詰めたのは、彼自身のたぐいまれな才能、努力、体力、そして運としかいいようのないオーラがあったのだと思います。どんな場合にも政治は党を組む物です、つまり後についてくる者がない限り成り立ちません。ドラマ、物語で知る秀吉が太閤になるまでにどれほどの危機があって、それをどうやって乗り越えたかは、これからも画面に出てくるはずですが、戦(イクサ)も政治も一人でするわけではないので、おりおりに秀吉についてきた人達がいました。なぜ人は秀吉についてきたのか?
 単純に「人たらし」という才能だけだったのでしょうか?
 江の解釈では、この者達を秀吉が「誠心」で突き動かしてきた、という結論だったのです。

 とりまとめると、秀吉は江に向かって「江が怖かったから遠ざけた」と答えました。気性や感性や理屈の動きが信長と似ていると。秀吉は江と信長を重ねあわせているのです。ですから何事につけても、特に長姉の茶々に対する恋慕も、そばに江の目がある限り秀吉は金縛りにかかるわけです。
 ところが。
 「じゃ、邪魔な私を嫁にだし、すぐに、なぜ私を離縁させてまで、呼び戻し、養女にしたのだ」と問い詰めると、秀吉は「寂しかった」というのです。これはいささかわかりにくい話です。
 その秀吉の答えはこうでした、
 つまり、長い間、素性のわからない秀吉を取り立てて、城持ちにまでし、中国方面総指揮者にしてくれた信長を、秀吉は厳しいお屋形さまと怖れていました。しかし同時に、信長が居て一つの世界があって、その中で秀吉は成長したのですから、信長が明智光秀に討たれたことで、世界に穴が開いてしまった、ということなのでしょう。
 簡単に言うと。
 信長に指揮され、命令され、それに成功したことを復命することが秀吉の人生だったのです。自分の功績を一番理解してくれる他人が、信長だったわけです。
 要するに、秀吉の最大の「話し相手」が信長だったのです。
 その信長の喪失を埋めることを、気質も似た江に秀吉は求めたのでしょう。
 その複雑な秀吉を、江は「大嘘つきだが、誠意があって、それで人はついてきた」と、結論づけたわけです。

参考
 大坂城天守閣


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