小説木幡記:東北関東大震災の記録(7)原子炉事故の長期戦
今のところ関西の京都や宇治に住んでいるので、穏やかな生活である。しかしTV・新聞はほぼ毎日眺めているので大震災のことや福島第一原子力発電所事故は、ずっと気持ちの中に浮き沈みしている。
浮き沈みしている程度でいろいろネットにblogを書かない方がよいという考えもあるが、人生は短い、書ける間に書いておこうと思う。書けなくなったらそれは、それも人生なり。
福島原発の事故は今後、半年一年と、燃料棒からの放射線が熱を貯めるので冷やさないとどうにもならない。これには水が最適。しかし、その水がもともとある冷却方式とは異なり、雨のように降らせるわけだから、地上に流れていく。あるいはパイプなどに穴が開いていて漏れ出している可能性がある。そこに放射能が含まれて悪さをする。直近の海に高い放射能が溶け込むと、今まで以上に問題が大きくなる。
推測だが、今更廃炉と言ってはいるが、当然そんなことが公表される前から、もうコンクリートで塗り固める、昔のチェルノブイリ原発のように石棺で覆う準備は始まっていると思う。当時よりも放射線に有効なコンクリート方式が開発されているかもしれない。計算も上等になってきているはずだ。しかし熱を出している最中の原子炉をそのままコンクリート漬けにするのは、無理なんだろう。
どうすれば良いのか。今夜のニュースでは、せめて上空に放射能の塵をまき散らさないために、壊れた建屋の天井にテントのような布をかぶせる方法や、あるいは特殊合成樹脂を付近にまいて、地上の放射能埃が舞い上がらない工夫をするようだ。もちろん、それで冷えるわけではないが。
核物質は扱いがこれまでの火以上に難しい。火は酸素を遮断すると消える。あるいは燃える物が短期間に燃え尽きて終わりになる。しかし大昔、技術の無かった時代には、人類にとって火は扱い難いものだった。それで暖がとれて、料理ができて、武器が造れても、家や山に火がまわったら、なすすべもなかったことだろう。
そして20~21世紀。核は、完全に制御出来ないものだと今回の事故が万人に知らしめてしまった。
原子力潜水艦が一年間以上燃料補給なしで航行できるということは(食事は、たぶん補給するのだろう、魚釣りなんかして(笑))、壊れたときも一年間以上熱を出し放射線を出し続けると言うことだ。水や砂をかけて消えるものではない。
教訓
核は人類史に、それと似たものは無い種類の、ものすごいエネルギーを提供し、そのかわりに、制御しようがない危険がある。だから、制御が外れた時のことを、原子炉を設計開発したのと同値の技術思考で作るのは、無駄なのだと思う。いくら精緻なポンプや配管システムを作っても、そういうシステムとは異なる自然界の津波システムの前では無力だった。だから、PC制御、電気制御とはまったく別のシステム体系を導入するべきだ。
余は極めて原始的な、電気もコンピュータも複雑な絡繰りも使わない、単純素朴な冷却方法を提唱した。一応、地球に重力があると想定してのことだ。水は高きより低きへ流れる。あるいは、重い原子炉はかんぬきを外せば水底に墜ちる~そういう仕組みだ。名付けて周壕。
身近には前方後円墳を想像すればよい。
いくら海の近くに作っても、海に原子炉を沈めるわけにはいかない。人工の巨大周壕なら可能だ。仁徳天皇陵周壕の規模なら蒸発するのに時間がかかるだろう。その隙をついて、ロボット・ポンプ車で周壕へ水を追加すれば良かろう。
そうだ。
今からでも原子炉の隣に穴を掘って中を当座の合成樹脂で目張りして、水を一杯注いで、原子炉ごとそこに沈めるくらいの大仕掛けを作ってはどうだろう。もちろんそういうことは無線ロボット仕様の機器を使うべきだ。
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