小説木幡記:東北関東大震災の記録(2)
◎ 現状
南北500km、東西200km範囲の海底で地震が起きたので、津波が青森、岩手、宮城、福島、茨城の太平洋沿岸を上から下までずっと面で襲ってきた。ほとんど1~4kmの陸地奥まで海水が押し寄せ、そして所によっては鉄筋コンクリートの5階まで水やがらくたが押し寄せた。時速は50km前後だったとのこと。多くの海岸に、各々100~200の遺体が打ち上げられてきた。宮城県警察本部長の談話では、宮城県だけでも亡くなったひとは1万人を越えるだろうとのこと。
◎ 被災者に必要なこと
TVでの被災者の言葉として、ライフラインは当然のこととして、なにが必要かを具体的に語っているのを見た。
●情報: 電気の関係でTVを見られない。特に避難所によってはそういう設備がないところもある。
携帯電話、電話などが使えない。外へ安否を伝えられない。外の状態が分からない。
●暖房: 画面には小雪が見える。3月の中頃であっても東北は夜間に零度を切る。
電気や灯油がないので、暖房は毛布かたき火。毛布も足りない。
●薬品・医療: 持病のある人、糖尿病、高血圧。人工透析。妊娠中、……。
●水や食料: 当然。
◎ 原子力発電所
福島第2原発は、各原子炉が冷却停止をした、とのこと。
福島第1原発は、一昨日(12日)に一基が爆発し(水素と酸素の反応)、14日今朝11時にさらに別の一基が同様爆発し、それぞれ放射能が漏れた。現在は夜間だが、さらに別の原子炉が冷却で問題が生じた(一応海水での冷却が再開された)。
以上に付き、まだ問題は残っているのだが、中間結論として、同じ似たようなトラブルが一つの大地震で起こったというのは、防御システムを根本的に考え直す必要があるだろう、と想像。
いずれも冷却装置が停電で動かなかったり、自家発電のディーゼル機関が故障をしたり、……。しかし3基とも何重もの防御システム≒冷却装置を突き抜けてトラブルを起こしたのだから、もう、そのシステムは破綻したと考えた方がよい。ポンプで真水や海水(海水につかると廃炉になるらしい)を送る考えが破綻したのだから、最初から水の中に原子炉施設全体を造らざるを得なくなる。それとも、手動でシステム全体が海中や水中にドボンと墜ちるシステムを作るべきだろうか。
◎ 救援
ノアの箱船を想像するような大災厄だった。一番の問題は南北500kmにある町という町、都市が根こそぎ破壊された。海岸に100のご遺体と言葉では表せるが、想像を絶した惨状である。自警団、消防、警察、自衛隊、外国からの救援隊、ボランティア。そして医療チームや赤十字。この人達がどういうふうに分散し、どうやってそれぞれの救援能力を発揮させればよいのか。南北500kmの戦線なのだ。その分担・配置は至難の作戦である。
TVでは、自衛隊の陸海空は統合参謀(?)本部のようなものが出来た。
~
道がない。孤立者たちへの救援者の搬送。水や食料の搬送。ヘリコプターと重機の力を使うことになる。
◎ 家が無い
海岸沿いでは青森から茨城まで、家がない。戻る家が跡形もない。ばらばらになって沖合にながされたり、陸の奥地に散らばっている。
いま各地の救護所にいる人達を、全国の公的空き家に引っ越すようにせざるを得ない。地元の会社も学校もすべて消えた市町村が多いのだから、しばらくは地元に居てもなにもできない。一旦、家族だけでも引っ越して、壮健の人達とプロとで、時間をかけて町を再建することになる。もちろん、子ども手当や高速道路無料の予算は、すべて被災者と、地域の再建につぎ込まねばならぬだろう。
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