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2011年3月19日 (土)

小説木幡記:ヒトのこれから&知の遺伝情報

Mupasinac62 人間の「進化」に関することを考えながら科学読み物を眺めていた。以前から、明確には20代の中頃に「DNAの二重螺旋」を読んでからだが、遺伝子や進化、変化に興味を持ってきた。

 近頃手にした図書では、ウィルスがなんらかの必然性をもって人間のDNAを変えてきた、つまり人間は進化したのではなく進化させられた可能性について読んでいる。これは進化というよりも変化させられてきたと言い換えた方がよいかもしれない。それに伴ってウィルスも変化してきた痕跡があるから、これは人間とウィルスとがこの世界では共生していたと考えられる、とものすごく斬新な考えだった。

 ウィルスは人間の体内で共生しているときは生命体だが、そこを離れるとただの「化学式」という箇所で、あたまをガツンと殴られたショックだった。ここ数十年、余の頭の中では植物と動物の区別や関係が曖昧で、この十年では生命体と非生命体との区別が曖昧だった。しかし共生しているときは生命体と考えるとわかりやすい。そこで、共生していない時の形態は考えないことにした。余は少年時より「化学式」は苦手だった、から。

 そこで話は遺伝子療法とか癌とか生命の誕生と死とかより詳しくなっていくのだが、つい自分の考えに引き寄せられてしまい、巻をとりあえず措き、余の瞑想というか随想というか妄想にひたった。

 一般に芸術性の高い詩歌、小説以外の図書は知識の体系が含まれている。この知識とか「体系」とかいうのは、突然この世に生まれたわけではなく、それ以前のいろいいろな知識体系を取り込みながら、斬新な組み合わせの展開によって論理の帰結をえたものである。で、余はそこに知識の「遺伝情報」のようなものを想定した。

 遺伝情報を含むDNAを何になぞらえたかは、図書のタイトルや目次や前書きや後書きとした。擬人化するなら、本文が人間の身体や固有の存在で、書名や目次や前書き・後書きは、それまでの膨大な知識体系から引き継いだ遺伝情報の取捨選択されたDNA情報と考えたわけだ。
 いや、これはDNAの話ではなく、知識とは孤立して存在せず、それまでの親知や祖父祖母知の色濃い影響を受けているという考えを、DNAの存在になぞらえて考えたわけだ。

 そこで話としては、熱心に取り組んでいれば20年前のそのころの発想は今頃花開いておるだろうが、やんぬるかないつのまにか、それを組み立てる熱意が失せてしまった。
 まあよかろう。
 ヒトとウィルスとの関係を考えている内に、知識(図書)の遺伝情報的・系譜について、かつての取り組みを思い出したというわけである。
 また、いつか、後の思いに。

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