小説木幡記:電子読書機は10年間モデルチェンジせぬがよい!
iPad2が発売されるらしい。となると昨年の梅雨時、手にしたiPad は「昔の読書機」になるわけだ。アップル社のうたい文句をみていると、iPad2 を買わないと、昔の読書人のまま捨て置かれそうな気分になる。
良くないな。
余はケータイも自動車も5年単位で買い換えておる。ケータイはいささか古びてくるが(昔のある時点、余のケータイを見た知人が、「何、これ? お弁当箱ですか?」と言っていた)、自動車は10年、20年と乗り継ぐ人から見ると、5年では気が早いと思えるかもしれない。PCは、葛野で2007年の夏に自製したものがまだ動いておるから、おそらく5年くらいもたせるのじゃろう。
~
iPadとか電子読書機がころころと変更されると、気持ちの中で紙の図書に戻ってしまう気分だ。そんなせわしない状態で読書してもおもしろくないからな。一旦だしたら10年くらいモデルチェンジ無しの安定性がないと、読書にはむかない。紙の図書でも、20年前の文庫本はフォントが小さくて読む気にならないが、最近の文庫は随分読みやすい。だから10年単位くらいのモデルチェンジはよろしかろう。
さて、一年更新の読書機。
余は、更新が無料でも、昨年梅雨時の初代iPadマシンを触っておるだろうな。まだ、死ぬほど、あびるほど、のめり込むほどiPadを使いこなしておらぬ。性分からすると、大抵のものは使いこなして手垢がついて、「もう、そろそろ潮時じゃね」と思えるまでは、新規ものに手を出さない方だ。だから20代のころから邪馬台国とばかり言っているし、10代末期から保田與重郎とばかり書いているし、20代中頃からコンピュータのことばかり考えているし~。
世間の人はどうなんだろう。
そうそうころころと変わられると、対応に苦慮するな。
と、幻のiPad2になりそうだ。余が次に手を出すのは4年後だろうな。そのころiPad が存在するかどうかはよく分からぬ。アップル社の大将の考えが変われば、iPad 自体が消えるかもしれぬのう。(頭蓋骨埋め込みタイプがブームになるぞ、きっと)
ということで。
読書機もケータイみたいになるのかのう~。字が小さいから、街角でみかけた、やや大型のケータイ電話機が読書機になればよかろう。時々、10インチ近くのiPad賢者板を左耳にあてて、「もしもし」と言っている自分を想像し、笑ってしまう。
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