小説木幡記:ケータイ・カンニングって~
ニュースでは携帯電話を使ったカンニングのことで、いろいろ他所へ波及したことがわかった。別の京都の芸術大学では電源を切ったケータイを袋に入れて封印し、カバンに戻させた。便利なのは、ジャマーという商品があって、ケータイの電波を遮断する。そういえば、貴志さんの怖い小説『悪の教典』では、授業試験でそういうものが使われていたな(笑)。京都府の採用試験(6月)および教員採用試験(7月)では対策として、試験監督を増やす。いやはや。来年までこの熱気が続くと、センター試験なんか数が多いから、試験監督者と受験生が1:1になるかもしれんのう。
ところが。
余のように偏屈者で、若い頃に試験制度によって手ひどい打撃をうけておると、このケータイ・カンニングに対しても別の考えが湧く。禁止するから裏をかく者がいたり、ひとりだけ良い手を見つけて狡(ずる)するのだから、いっそのことカンニング解禁にすればよいと、真顔、本気で考えることがある。
そうなるとみんな平等で、ありとあらゆる手段を考え見つけてカンニングに励む~いや、大学内の試験では「なんでも持ち込み可」とか「辞書持ち込みOK」とか、いろいろバリエーションがあって、むしろ素手で受験させるのは、珍しいかもしれない。
覚えていたら出来る問題とか、2時間くらい考えたら受験生の数割が解ける問題で、学力をためそうとするのが、ぼけた方法なんじゃなぁ。全員入学させて、なかなか単位をださない、かなり苦労しないと4年間では卒業できない~、そういう方式にすると、カンニングという概念がこの世から無くなる脳。
実は~。
余は、ありとあらゆる方法をつかって、なんとかかんとか適性な解、あるいは解解(解の複数形)をだすような問題が最良と思っておる。あるいは、問題を造らせる課題が最善と考えておる。
ふむ、カンニング対策な?
カンニングしようにも、どこにも書いていない、誰も考えたことのない問題をつくるとか~。あるいは、全受験生で同じ解解が1%を越えた解解者は、不合格とか。
おお。
久しぶりに、いろいろ物事の本質を考えた。
ところで、そのケータイ・カンニングをした者が割れたら、どうするのか。余がその大学の関係者なら教授会での発言内容は決まっておる。「とんでもないことをして、ぬけぬけとネット公開するなんてぇ、そういうやつは、本学には絶対入学させない。」と、単純なことしかいわない(笑)。
そういうものなんだ、世の中とは。
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