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2011年3月30日 (水)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(7)原子炉事故の長期戦

 今のところ関西の京都や宇治に住んでいるので、穏やかな生活である。しかしTV・新聞はほぼ毎日眺めているので大震災のことや福島第一原子力発電所事故は、ずっと気持ちの中に浮き沈みしている。
 浮き沈みしている程度でいろいろネットにblogを書かない方がよいという考えもあるが、人生は短い、書ける間に書いておこうと思う。書けなくなったらそれは、それも人生なり。

 福島原発の事故は今後、半年一年と、燃料棒からの放射線が熱を貯めるので冷やさないとどうにもならない。これには水が最適。しかし、その水がもともとある冷却方式とは異なり、雨のように降らせるわけだから、地上に流れていく。あるいはパイプなどに穴が開いていて漏れ出している可能性がある。そこに放射能が含まれて悪さをする。直近の海に高い放射能が溶け込むと、今まで以上に問題が大きくなる。

 推測だが、今更廃炉と言ってはいるが、当然そんなことが公表される前から、もうコンクリートで塗り固める、昔のチェルノブイリ原発のように石棺で覆う準備は始まっていると思う。当時よりも放射線に有効なコンクリート方式が開発されているかもしれない。計算も上等になってきているはずだ。しかし熱を出している最中の原子炉をそのままコンクリート漬けにするのは、無理なんだろう。

 どうすれば良いのか。今夜のニュースでは、せめて上空に放射能の塵をまき散らさないために、壊れた建屋の天井にテントのような布をかぶせる方法や、あるいは特殊合成樹脂を付近にまいて、地上の放射能埃が舞い上がらない工夫をするようだ。もちろん、それで冷えるわけではないが。

 核物質は扱いがこれまでの火以上に難しい。火は酸素を遮断すると消える。あるいは燃える物が短期間に燃え尽きて終わりになる。しかし大昔、技術の無かった時代には、人類にとって火は扱い難いものだった。それで暖がとれて、料理ができて、武器が造れても、家や山に火がまわったら、なすすべもなかったことだろう。

 そして20~21世紀。核は、完全に制御出来ないものだと今回の事故が万人に知らしめてしまった。
 原子力潜水艦が一年間以上燃料補給なしで航行できるということは(食事は、たぶん補給するのだろう、魚釣りなんかして(笑))、壊れたときも一年間以上熱を出し放射線を出し続けると言うことだ。水や砂をかけて消えるものではない。

教訓
 核は人類史に、それと似たものは無い種類の、ものすごいエネルギーを提供し、そのかわりに、制御しようがない危険がある。だから、制御が外れた時のことを、原子炉を設計開発したのと同値の技術思考で作るのは、無駄なのだと思う。いくら精緻なポンプや配管システムを作っても、そういうシステムとは異なる自然界の津波システムの前では無力だった。だから、PC制御、電気制御とはまったく別のシステム体系を導入するべきだ。

 余は極めて原始的な、電気もコンピュータも複雑な絡繰りも使わない、単純素朴な冷却方法を提唱した。一応、地球に重力があると想定してのことだ。水は高きより低きへ流れる。あるいは、重い原子炉はかんぬきを外せば水底に墜ちる~そういう仕組みだ。名付けて周壕。
 身近には前方後円墳を想像すればよい。

 いくら海の近くに作っても、海に原子炉を沈めるわけにはいかない。人工の巨大周壕なら可能だ。仁徳天皇陵周壕の規模なら蒸発するのに時間がかかるだろう。その隙をついて、ロボット・ポンプ車で周壕へ水を追加すれば良かろう。
 そうだ。
 今からでも原子炉の隣に穴を掘って中を当座の合成樹脂で目張りして、水を一杯注いで、原子炉ごとそこに沈めるくらいの大仕掛けを作ってはどうだろう。もちろんそういうことは無線ロボット仕様の機器を使うべきだ。

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2011年3月27日 (日)

NHK江(11)猿の人質:三姉妹の涙

承前:NHK江(10)わかれ:戦国女たちの死生観

 タイトル「猿の人質」の意味が分からなくなりました。猿(おそらく、羽柴秀吉)の動きを封じるために、猿が大切にする肉親や子どもを預かり、猿が反逆したとき、その人質に危害を加える。あるいは、猿が何者かの動きを封じるために、三姉妹を自分の手元に置き、その何者かが猿に刃向かったとき、三姉妹を害する。「人質」という意味にはこの二つがあると思うのですが、さて、大河ドラマ「江」はどちらの「人質」を意味しているのでしょうか。あるいは私の考えからすっぽりと抜け落ちている第三の人質があるのでしょうか?

 ということで、今夜は「人質」の意味が分からなかったので、すこしもやもやが残りました。ただし、今夜も面白く観たのは事実です。

1.思いの外の苦労
 頭では分かっていても、心の底まで理解していないことはいろいろあるものですね。私はこれまで後世の淀君(茶々:つまり豊臣秀吉第一の側室で、豊臣秀頼の実母)を軽く理解してきました。要するに気位が高く美しく相当にわがままで、秀吉を振り回し、秀吉の正妻と対立した信長の縁者~、とステロタイプの「いやな女」と思ってきたわけです。もちろん、これは一般的な講談(時代小説です(笑))の影響を受けているわけです。
 しかし今夜のドラマで茶々(宮沢りえ)の涙を観ている間に、相当に考えが変わってきました。

 まず、茶々は世間の庶民も有名人も含めて、比較もしようがないほど想像を絶する苦しみを青少年期に味わっているということです。江とは違って物心ついたころに実父を秀吉に殺され、万福丸という兄弟(お市の実子かどうかは不明)も秀吉の手で磔(はりつけ)にされています。長浜でのことは、すべては信長の命令と考えることもできますが、手を汚したのは秀吉ですから、茶々の憎しみは強いと想像できます。さらに長じては、実母が秀吉に責(攻)められて自害したわけですから、恨みは骨髄。
 その中で三姉妹は、絶対的権力者秀吉に養われていくわけです。

2.涙のつきぬ境遇
 事情は1で書きましたが、三姉妹が肩寄せ合って泣きじゃくるのが、自然に思えました。
 この涙の中で堪え忍び、やがて茶々は豊臣の看板になり、そして江は徳川二代将軍秀忠の正妻・三代将軍家光の母となったわけです。真ん中の初は名門京極家に嫁ぎ、後日、大阪の姉・淀の方と、江戸の妹・江との間で右往左往というか関係修復の周旋をするわけです。

 目に見えない舞台裏で、織田信長の姪3人が、豊臣と京極と徳川の三家の女性代表となり、それぞれ子孫を残したことになります。信長・お市の兄妹のDNAは、徳川と京極家に後々まで残ったわけです。豊臣は大坂城落城で、消えたことになりますが。

3.女優のこと
 そんな中でも、3人の女優さんについて、今の段階(3月末期)で私の好みを記しておきましょう。洒落のつもりです(笑)。

 初:水川あさみ> 茶々:宮沢りえ> 江:上野樹里

 なぜこうなるのかは、男心の難しさですが、キーは「涙」「泣き方」でしょうね。水川あさみさんという方は初めて観る女優さんですが、幼女のようにべそかいて泣く姿がなかなかよいです。りえさんは彼女が10代のころからTVで観ています。泣き方は一番リアルで、もらい泣きしてしまいます。樹里さんはノダメで一度観ただけですが、ものすごい飛びようです。泣き方は怒濤のごとく~怖いです(笑)

 適材適所。三姉妹はすでに私の中で明瞭な歴史的人物になっています。
 お市さんは、これからもナレーションのようです。実は鈴木保奈美さんは、大昔、隠れファンでした(爆)。
 というわけで、男優のことはまた後日。

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2011年3月26日 (土)

Robo Xero (ロボゼロ) 01-05

0.はじめに
 2011年の2月頃だったか、ネット上で週間ロボゼロの記事をみかけた。70週間作り続けるとロボットが出来上がるという趣旨だった。こういう長期の工作については、すでに「昭和の鉄道模型をつくる」で50週無事受け取って作って、生まれて初めてのジオラマ製作に関与した。それ以降、その経験が「未来の図書館」に結びついたのは、MuBlogの読者には周知のことと思う。(昭和の鉄道模型をつくる(01) 車両 モ1031)

 一般に、長期の分割によって得られるものは、経済的な負担感の軽減が主に思われる。しかし私はそういうことよりも、長期にわたってある間隔で、あるリズムにしたがって、未経験のこと、難解なことを手にするのは、特に日常の中で些末(笑)なしかし重要な責務をいくつも抱えている社会人にとっては、分割履修が王道である。短期間に集中してなにか未知のことを学ぶのは、たとえばプログラミング言語などでは有効だという実感も得ているが、年齢とともに時間も取りにくく、なによりも「短期・集中」は脳の容量を超えてしまうことがある。

 故・原田勝教授(筑波大学)は、往年よく「昔は、牧歌的な時代もあって、2月とか3月は日頃できないことを集中して学ぶ長期の時間がありましたが、今は会議会議でねぇ」と話されていた。その一ヶ月くらいの集中で、韓国語やプロログ言語を、完全にマスターされていたのを懐かしく思い出す。先生は多言語を操っておられたが、そのいくつかは短期集中で核を得られたのであろう。

 しかし今の私には、一ヶ月も集中するのは夏季論文以外には、物理的に不可能で、その上精神的に能力的に無理があるので、このロボゼロ記事を読んで、すぐに入手することに決めた。70週もあるので、やがてロボット工学を習得するであろう。
 毎回製作記事を記すのは、きついので、5号分とか10号分で、切りのよいところで短期連載を始めるつもりだ。

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Muimg_7015Muimg_7016Muimg_7013Muimg_7014

1.工作
 工作については、たったドライバー1本で、3ミリ長のネジを中心として、これまで40本前後、ネジ止めしている。まことにねじねじしてよい感じだ。至福と言える。

 衝撃を考慮しての補強材などもデザイン的に溶け込んでいて、5号までの工作に不審な点はなかった。慣れてくるとネジ留め部分に接着剤をつけてゆるみを防ぐ算段も必要になるかもしれない。今のところは毎号の解説通り、着々と形が出来上がってくる。

 強いて難しさを記すと、3ミリネジは小さくて、ピンセットで強く挟むと飛んでしまう。これは鉄道工作でよくやった。そっとつまむ程度にしてネジ穴に締めこんでいくコツは~慣れるよりしようがない。私がよく使う方法は、メンタムなどを穴や指先に付けて、最初は指で押し込む方法である。もちろん、磁気化したドライバーが本道かもしれないが、これもネジが穂先で揺れてふらふらするのが老眼にはこたえる。

2.ロボットに興味を持った理由
 いくつかある。感性的に最先端の科学に属し、日本はロボット工学にすぐれており、私もそういう新技術に馴染んでおきたい、これが根底にある。そして難解なことを理解するには、手を動かすのが一番よいと、経験的な結論がある。たとえば、昔、初めて出くわす難しい事務処理、いわゆる仕事に関して、それを修得するのにシステムとしてプログラミングをしていくことで、手から脳に対象の全体構造が入っていった。私は手を動かさないと理解できないたちなのだ。

 実益としては?
 これまで学生達に未来の図書館を設計してもらうと、毎年必ずロボット司書がでてくる。このイメージをきちんと本当のロボットで現実化しておきたい。そのための予行演習。そういう司書ロボットの共通属性としては、「可愛らしく利用者の前にでてくる」「データベースとか通信機能があって、検索代行をする」「利用者の介護をする」これらが学生の共通のイメージとしてある。このためには、ビデオ機能や様々なセンサー機能と、さらに書架に移動して、図書を選んで抜き取り、運ぶだけの力がロボットに必要となってくる。

 もう一つは、未来の鉄道図書館世界をモデル化するとき、自動運転が必要になるが、ここで様々なロボット技術を応用すると、これまでにない可能性が出てくるのではないか、という期待。主にセンサーによる反応、そしてビデオ内容(視覚入力)の識別、衝突の回避をレールのセクションではなくて、人間がするように実際に動く車両を見て制御する~。すべて難しいことだが、ロボットを少しでも修得すれば、適用の可能性が高まってくる。

3.ロボゼロの魅力
 いまのところ精査するほどではないが、過去の経験と宣伝文句とを比較して、十分な魅力を感じた。
 ◎サーボモーターが24軸とあったので、分かりやすくいうと、関節が24個あることになり、これは動きが精密になる。たとえば、付録のDVDでは、ロボゼロが字を書いていた。これは腕の動きや物のつかみができるだけの精度を持っていることにほかならない。
 ◎SDカードによるプログラム内蔵方式なので扱いやすい。いくつもプログラムを内蔵しておいて、外部からは赤外線で選択することができるようだ。
 ◎WindowsXP以降の上で、簡単なロボットBASIC言語を用いてプログラミンができる。
 ◎身長が30cmで体重が0.9Kgと、なにかしら可愛らしい大きさだ(笑)。

 以上、今回はこれくらいにしておく。また10号くらいになったら記事を書くつもりだ。

参考
 週間ロボゼロ:ディアゴスティ
 少年司書ロボ0号(01) プチロボXの概略 (MuBlog)
 少年司書ロボ1号(1) タンサーボーグの組立 (MuBlog)

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2011年3月24日 (木)

小説木幡記:インセプション・心の旅路

Muimg_5184 日本公開されて一年にもなろうか、やっと映画「インセプション」を木幡で観た。感想は、上出来だ、ということになる。数日経った今朝は、映画のあらすじやキモを縷々記すことはせぬが、さわりくらいは忘れぬ間に、~。

 小道具として、夢幻(無限)に続く合わせ鏡があって、これはらっきょの皮むきと同じで最後は空虚になる。あるいはエッシャーの無限階段のような~。入れ子になったマトリョーシカ人形をおもいだしたり、再帰的なサブルーチン・コールが無限ループに陥って戻れなくなり、荘子の蝶蝶の夢世界を思い出したり、全てが余の好みの世界だった。そういう世界を渡辺謙やディカプリオが演じるのだから楽しめる映画として余の中では最上位にはいる。

 アクションやSF的華麗さに目を奪われたが、つまりは「心の旅路」がテーマになっていて、ものすごい悲しみの圧力感にうちひしがれた。そういうシナリオ、全体構想からハリウッド映画の実力を堪能できた。あっという間に終わったが、実際は二時間半の長尺ものだった。
 心の旅路といったが、行きは睡眠で、旅路からの帰路は音楽やショックや死があって、音楽やショックは残念ながら夢を仕込んだ人が設定するものだから、セットされた本人には分からない。夢の中の行路者自身が主体的に夢から覚める方法は自殺や他殺を問わず「死」以外はない。そこに悲劇がある。
 小道具として「トーテム」がある。なにがトーテムかは映画を観てのお楽しみ。要するに夢か現かを判定する道具なのだが、これが映画の最後で上手に使われていた。

 人生の悲しみを味わった。今生きていることは夢なのか現実なのか、よく分からなくなった。しかし「現実」というものも、高度に自己存在を認識する人間だからこそ現実が主体の中にあるのであって、人間以外の生命体の意識には「現実」と「夢」の区別は無いのかもしれない。生命体として存在しているか(活性)、生命体としての仕組みや絡繰りが油切れを起こしてばらばらになったか、それだけの違いとも言える。で、そういうことが本当かどうかと考えていくと、この映画「インセプション」のおもしろさとか凄さがあらためて切実に分かってくる。

 思い出せば他にいろいろ気持ちは高ぶるが、今朝はこのくらいにしておく。

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2011年3月23日 (水)

小説木幡記:吉野ヶ里の記憶 (NHKクリエティブ・ライブラリー)

Zmuimg_1775 昔、とは言っても20年程前のことだが、余は佐賀医科大学(注)の課長から招かれてその図書館へ行った。若い司書の人達に内輪の講演(電子図書館だったはず)をした。翌日の土曜日だったか、招いてくれた課長が吉野ヶ里遺跡に案内してくれた。そのことの記憶があまりに鮮明だったので、昨日のことのように遺蹟が蘇る。

(注)佐賀医科大学は平成15年に、佐賀大学の医学部となったらしい。

 不思議なことにその頃は古代遺跡に興味を持っていなかった。邪馬台国関係の図書に耽溺したのは、それよりさらに20年ほど昔の事だったから、今から20年前には忘れていた。だから吉野ヶ里の意味もなにも考えずに、課長が案内してくれる望楼に登ったり、甕棺の中の白骨を眺めたりして、「おー」とか「うわ」とか叫んでいたことを思い出す。

 帰りしなに課長が吉野ヶ里に関する新書本を余に差し出した。「読み終えたので、帰りの車中でどうぞ」とのことだった。その新書は今でも木幡にあるが、二度ほど読んだ覚えがある。中身は思い出せない。だから吉野ヶ里遺蹟の意味はいまだに理解していない。ただものすごく広くて大きな公園になっていて、散歩するのに快適だろう、とそういう記憶は鮮明なのだ。回りに家が無かったと記憶していたが、NHKの↓ビデオを見るとそうでもなかった(笑)。

 NHKでは以前から番組の一部をパーツ化して、利用者に比較的自由な利用が出来るようにしてきた。この正月と最近、纒向遺蹟の新しい「NHKスペシャル」を見過ごしてがっくりしていたので、もしやと思って探してみたら、最近とれとれのパーツは無かったが、2001年頃の吉野ヶ里関係動画が見つかった。遺蹟や古代史嫌いの人も、一度ごらんになってはどうだろう。九州にはものすごい所があったんだぁ(笑)。

 ところで、このNHKのクリエティブ・ライブラリーはなかなか面白そうだ。授業でも使ってみよう。ただ、なんとなくちょっと古いデータが多いなぁ(笑)。陸ののりものなんか、まだ新幹線は出てこないようだ。


↑吉野ヶ里歴史公園 空撮


↑吉野ヶ里歴史公園 地上

参考
 NHK:吉野ヶ里(よしのがり)歴史公園 空撮
 NHK:吉野ヶ里(よしのがり)歴史公園 田んぼごしにズームイン

地図:吉野ヶ里遺跡

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2011年3月22日 (火)

小説木幡記:雑務に暮れた春の日

Mumuimg_4148 ようやく三月も下旬になった。春分の日は終日木幡で読書していたが、今日は早朝から葛野であれこれと雑務をすませていた。しかし雑務が何をさすかは差し障りもあるので、記さずにおこう。たとえば重要会議や重要面談を「雑務」とかけば、書かれた関係者は激怒どころか余を憎悪するにちがいないaries。うむ、世間付き合いはかくして難しいものである。

 雑務の一つに、先ほどまで4階の工作室で(これも問題発言である。清浄な部屋をだれが小汚い工作室にしたぁ~!とな)島図書館ジオラマの最終段階に手を尽くしていた。島図書館は、2002年頃、あしかけ10年前に、ある学生達が作った未来の図書館「島図書館」をモデルにしている。これを数年前からジオラマに形成しているわけだ。

 そこを走るレールは、数学的に延ばしてしまえば、一本のレールに少し離して二つのポイント切り替え装置があって、それぞれに分岐が出ている。これを複雑怪奇な3層構造を持つ溶岩島にくるくると曲げて設営しているから、余以外の者が見れば実に複雑な3次元立体構造を示す。3つの分岐終点から1つの終点に向かって、3種類の車両が交互に往復運転する仕組みを、TOMIXの自動運転システムで、すでに数年前に実験完了しておる。

Cocolog_oekaki_2011_03_22_17_27 さて、3つのポイント側終端には、3つの図書館を仮想設定している。島中央図書館、島駅図書館、本土連絡図書館駅。そして反対側には、港図書館を設定している。本土連絡図書館駅は、この線路が仮想的に海底トンネルとか大橋を通って四国か中国地方のどこかに通じている設定である(ああ、島図書館は瀬戸内海にある)。

 問題はもうあまりない。数年もかかっているから、あらかた解決している。ただし細かな細工はあって、それが今日の雑務となろうか。結線の量が半端ではない。60x60センチの基盤に、ポイントが5つあって、センサー(列車通過確認)が4つで、電源供給部分(DCフィーダー)が3箇所ある。いままでは、きっちり機能するかどうかに重きがあって、そのワイヤーはやまもりスパゲッティ状態でレールの下や山の中を走っていた。しかしそれではあまりに見苦しいので、結線を隠す工作が必要となったというわけだ。

 ワイヤーの引き回しは、PCでもロボットでも、そして鉄道ジオラマでも大問題である。もちろんアルコールや石炭を使う超本格的蒸気機関車世界では、ワイヤーがゼロでもよいが、電気で走らせたり検知するには、どっさり線が丸まってくる。(そうそう別口話だがDCCという方式は一本のワイヤーで何十両の車両もポイントも制御できるといううたい文句だが、それは調べれば調べるほど嘘嘘しい)そこで、レールの下や山や海や川に、大胆に電動ドリルをぶちこんで穴をあけ、そこにいくつものワイヤーを通した。

 と、それが今日の最後の最大の雑務であった。
 他の、超早朝から午後中頃までの雑務は、上述したように、差し障りがあるので記すことあたわず。
 おお忙しい日々であることよ。

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2011年3月21日 (月)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(6)黙祷やPTSDの深層

Muimg_52471.立場の違い
 このたびの大震災は2011年3月11(金)の午後、14:46分に発生した。それから10日経った。TV画面にも棺が見られるようになった。
 余が一年前に、自分の疾病に呆然自失・臨死体験を味わったのと、少し似た気分をこの10日間味わってきた。日常のTV画面の中に巨大な真っ黒な津波が被さって、再び目覚めぬままに棺に横たわる風景は、この後一生忘れることはできない。

●黙祷やPTSDへの違った思い
 7日目の被災地TV実況中継では、黙祷が行われた。しかしまだ肉親や友や知人を捜している人にとっては、黙祷が難しく感じられたようだ。実は、余はこのことが直前まで分からなかった。黙祷は全ての人が自然にできて、また悉皆するものだとずっと思ってきた。しかし、いまだに黙祷を出来ない人がたくさんいて、その気持ちを癒すには時間がかかることを知った。

 またこういう大災害では多くの人が罹患する「PTSD:PostTraumaticStressDisorder心的外傷後ストレス障害」について、人間の心は外からの打撃で傷を負い、時間をかけて何度も苦しみを再現するという、当然の状態を回りも理解する必要がある。そしてまた通常の鬱状態と同じく、場合によっては回りからの励ましが続くと余計に本人が暗澹とし、苦しみを増すことも知っておいた方が良い。
 そこまでは余も以前から理解し、教師としていろいろな場面で心がけてきた。

 しかし今朝の産経新聞のコラムで意外な事実を知り、目から鱗がおちた。阪神淡路大震災のあと、PTSDの専門家と新聞記者が現地で被災者にインタビューして、記者が教えられたことは、PTSDに隠れてしまい、あるいは紛れたことを一緒くたにすると、余計におかしな事になるという記事だった。一番わかりやすくて、単純なことをメモしておくと、
事例:被災者が、「心配で、辛くて、眠れなくなり、心身が壊れそうだ」と言った場合、その考えられる原因として、
 1.PTSD
 2.家が壊れて住むところがなくなり、仕事が出来なくなり、先のことを考えて不眠症になる
 
 この二つ以上の原因があることを予測する必要がある。心のケアをする専門家は1についてはプロとして十分対応していけるが、2については、その被災者が不安なく新居を入手し、あらたに職をえられるように措置することが急務であり、それは心の医師に出来ることではないという、考え方の転換が必要だという事例である。ところで、

b 被災者生活再建支援対策
~一定規模以上の自然災害により住宅が全壊するなどの被害を受けた世帯に対して被災者生活再建支援金(最大300万円)が支給される。平成21年度における被災者生活再建支援法の適用災害は表2-2-4のとおりである。
 この支援法では300万円が支給されるが、これだけでは不安はなくならない。子ども手当とか高校無償とか、いろいろな新しい予算は合計で4兆円規模らしいが、予算の有効利用から考えると、復興支援のための増税の前に、これまでの予算案の見直しが必要だろう。

2.気付いた事
 TVや新聞や、そして自分自身のこの10日間の考えから、いくつか課題を見いだした。今は当たり前に思えているが、後の思いにこれを記しておく。

●破壊された湾口防波堤: 想像の限界まで対処しておかないと、全て無駄になる。
 東北の太平洋側の港湾にあったすべての湾港防波堤が破壊されていた。世界一と言われた、海底60mの深さから波の上にまで築かれた防波堤が完膚無きまでに壊れていた。これはマグニチュード8.5対応で作られた。だから、9.0の地震と津波が襲えば、世界一の機能がゼロになってしまう。
 ただし、これまでの中規模の津波には十分役に立ってきたのだろう。

●ビルの上に載る船舶: 津波の高さは想定を大幅に超える。
 余の記憶では実際の津波はせいぜい数メートルの高さで大津波だと思ってきた。今回は、平均して10mとなり、場合によっては20mを越えたようだ。
 水はこのとき暴力そのものだ。電車が数両横転し逆さまになりくの字に横たわっていた。自動車が逆立ちし、これも民家の屋根に載っていた。
 昔話や過去のニュース映画で見た津波は去った痕のものだった。このたびは、TVの中継で川をさかのぼり平野を襲う津波を10分以上、繰り返し見た。

 アメリカの竜巻には各家庭で地下待避壕があった。津波の待避壕のようなものを今後のために考案する必要がある。防波堤は景観、自然環境を壊す可能性があるから、視界を遮るほどの巨大なものは建造が難しいだろう。海辺や海河川の市町村は、役場を必ず高層にし、ところどころに海面より10m以上の高さになる丘陵公園を設ける必要がある。いわば避難人工丘陵の設置だが、土木建築的にどのくらいの予算がかかるのかは調べないとわからない。

●原子力依存、電力依存: 天井周壕や水力発電
 まだ福島では原子炉周辺への放水や冷却が続いている。この事故が無ければ、政府も関係者ももう少し地震・津波の復興に力を注げた事だろう。明確なのは、地震・津波の災害は天災だったが、原子炉冷却失敗問題は明々白々な人災だったと言える。
 防護システムの致命的決定的設計ミスという人災につきる。
 耐震や封じ込めについては言及しない。冷却についてだけメモすると、冷却を電力モーターとポンプという実に現代的な精緻なシステムにしたことが問題なのだ。

 たとえば自衛隊あるいは一般的な軍は、師団レベルか連隊レベルかまでは知らないが、10000人規模で「独立した、他の世界にたよらない」仕組みになっている。これを成り立たせるのが一つは兵站(へいたん)という物資人資源のたゆまぬ外世界からの補給だが、兵站が途切れても、長期間籠城するだけの仕組みがあるわけだ。
 今回の冷却システムは電気に頼るから自分の所の原子炉か他の電力会社に頼るわけで、その間バッテリがあっても、配線が切れたり、送電が止まれば一日程度しか冷却できなかったと想像する。

 実情について、ぐちゃぐちゃ記すのは止める。
 根治療法が必要なのだ。
 津波や地震に対して、コンピュータや電気やガスや精密な絡繰りに依存しない単純明快な冷却防御装置をメモしておく。
 原子炉のある区域に巨大な周壕を設けるわけだ。
 前方後円墳のように回りを水に取り囲ませる。(放射能を海や川に拡散させない閉じた周壕)
 周壕は耐震性のもので地面より高い。つまり周壕の回りは万里の長城のように囲ってある。
 冷却事故があったときは、そこに水を注ぎ込むか、中央にある原子炉システムが沈むようにするか(防波堤をを決壊させるような方法)、単純な方を採用する。

 今回は自衛隊や消防庁、機動隊から放水機能を持った大型機器が運べたが、輸送や準備に時間がかかった。周辺道路がもっと破壊されていたなら、空輸せざるを得ないが、それだけ大型機器を放射能の中で迅速に運べるヘリコプターがあるのかどうか、こころもとない。

 それで。
 原子力依存の妥当性はまだ考えがまとまらない。安くて力強い原子力だが、広域的に危ないことに変わりはない。
 ダムによる水力発電の復帰を考えて見る。

3.被災者移転、戦車やロボットの活用
●被災地への救援物資や援助と同じく、被災地から他の都道府県に移転する方法が数日前からニュースになりだした。被災者のコミュニティー温存と、心理的な剥奪感の減少とが課題となるだろう。

 前者は、仲良しグループを温存するだけでなく、被災者は医療風呂食事冷暖房が整っても被災者であることを速攻では免れない。他の地域のホテルに移っても、最大限の支援が必要で、それには「まとまり」がないと支援が有効に動かない。
 後者は、故郷を捨てたり、まだ発見されない行方不明者をのこしたまま、被災地を離れることの困難さだ。これは説得と、心的保証が必要だ。心を支えるには、故郷を離れても直通連絡の整備や再建計画の広報を必要に応じて入手できるようにするシステム。

●戦車やロボット。
 TVや新聞をみていると日本にも戦車はあるし、災害ロボットも実用的なものがある。前者は鉄板での放射能防御と力持ちを見込まれて、昨日あたりから動き出した。使えるのは自衛隊という匠集団がいるからだ。
 しかし後者の災害ロボットは、分かっていても使いこなせないようだ。被災地が混乱しすぎて、新しい概念やスキルを必要とする道具を、地元で有効に使えない。もったいない話である。

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2011年3月20日 (日)

NHK江(10)わかれ:戦国女たちの死生観

承前:NHK江(09)義父の涙:柴田勝家からみた世界

 一週間をおいて「江」の世界に戻りました。ドラマが始まる前にBS-Hiで見たのですが、4月から司馬遼太郎「新選組 血風録」が始まると知って驚きました。間に300年間ほど挟んで、江戸時代の始まる前が「江」で、終わる頃が「新選組」です。ともに血なまぐさい世相ですが、今夜の「江」の場合はお市さんという女性の死を描いています。戦国時代は、武将の家族(女性や子ども)が一緒に死んでいく場面が多いですが、幕末の場合にはどうだったのでしょうか? ドラマの世界で、後者はあまり思いつきません。

 脚本の性格からか、今夜の秀吉は後家さん「お市」を側室に迎えるということで下心丸出しの猿猿した雰囲気を見せていました。脚本や演出がどうのと考える前に、このときの秀吉の気持ちやお市さんや、柴田勝家さんや、三人娘の気持ちはどうだったのでしょうか。
 
 明瞭な事実(らしい)はこのとき、福井市の北庄城で柴田勝家と奥さんのお市(織田信長の妹)が城とともに亡くなった(自刃した)ことと、お市さんの連れ子、茶々、初、江の三人が落城前に秀吉のもとに届けられたということでしょう。そこまでは一応事実として考えてみましょう(笑:昔の事はよく分かりませんからね)

 お市さんはドラマで、最初は娘達と一緒に城から出る雰囲気でしたが、実はその裏で娘達がそれぞれ好む帯を選び、小刀で切り裂き、匂袋をその布で作っていました。ドラマとしては秀吉がお市さんを側室にする条件を突きつけたことになっています。お市さんの死生観がどういう宗教、無宗教からでたかは分かりませんが、すでに小谷城で前夫の浅井長政との別れを経験していますから、著名な戦国武将の妻という立場を二度まで経験した上で、生きるのを放棄したようにも思えました。柴田に殉じるという気持ちもあったわけです。

 このとき三人娘がどうだったのでしょうか。
 容易に想像できるのは、眼前で実母と養父とが死に逝く場に直面したわけですから、その後の彼女らの死生観は通常のものとは異なっていったと思います。また、茶々と初という江の姉2人は物心ついてから、この経験が二度目ですから、強靱になったか、あるいは心の奥に「死」を閉じこめたかもしれません。


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2011年3月19日 (土)

小説木幡記:ヒトのこれから&知の遺伝情報

Mupasinac62 人間の「進化」に関することを考えながら科学読み物を眺めていた。以前から、明確には20代の中頃に「DNAの二重螺旋」を読んでからだが、遺伝子や進化、変化に興味を持ってきた。

 近頃手にした図書では、ウィルスがなんらかの必然性をもって人間のDNAを変えてきた、つまり人間は進化したのではなく進化させられた可能性について読んでいる。これは進化というよりも変化させられてきたと言い換えた方がよいかもしれない。それに伴ってウィルスも変化してきた痕跡があるから、これは人間とウィルスとがこの世界では共生していたと考えられる、とものすごく斬新な考えだった。

 ウィルスは人間の体内で共生しているときは生命体だが、そこを離れるとただの「化学式」という箇所で、あたまをガツンと殴られたショックだった。ここ数十年、余の頭の中では植物と動物の区別や関係が曖昧で、この十年では生命体と非生命体との区別が曖昧だった。しかし共生しているときは生命体と考えるとわかりやすい。そこで、共生していない時の形態は考えないことにした。余は少年時より「化学式」は苦手だった、から。

 そこで話は遺伝子療法とか癌とか生命の誕生と死とかより詳しくなっていくのだが、つい自分の考えに引き寄せられてしまい、巻をとりあえず措き、余の瞑想というか随想というか妄想にひたった。

 一般に芸術性の高い詩歌、小説以外の図書は知識の体系が含まれている。この知識とか「体系」とかいうのは、突然この世に生まれたわけではなく、それ以前のいろいいろな知識体系を取り込みながら、斬新な組み合わせの展開によって論理の帰結をえたものである。で、余はそこに知識の「遺伝情報」のようなものを想定した。

 遺伝情報を含むDNAを何になぞらえたかは、図書のタイトルや目次や前書きや後書きとした。擬人化するなら、本文が人間の身体や固有の存在で、書名や目次や前書き・後書きは、それまでの膨大な知識体系から引き継いだ遺伝情報の取捨選択されたDNA情報と考えたわけだ。
 いや、これはDNAの話ではなく、知識とは孤立して存在せず、それまでの親知や祖父祖母知の色濃い影響を受けているという考えを、DNAの存在になぞらえて考えたわけだ。

 そこで話としては、熱心に取り組んでいれば20年前のそのころの発想は今頃花開いておるだろうが、やんぬるかないつのまにか、それを組み立てる熱意が失せてしまった。
 まあよかろう。
 ヒトとウィルスとの関係を考えている内に、知識(図書)の遺伝情報的・系譜について、かつての取り組みを思い出したというわけである。
 また、いつか、後の思いに。

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2011年3月17日 (木)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(5)ラジコンで空から海から陸地から

Muimg_57470.原子炉と水
 水は放射能を遮り、放射性物質の放散を止め、そして燃料棒の発熱を抑える良薬だ。そういう点で日本の原子炉が海辺にあるのはよくわかる。安全確保の最後は廃炉覚悟で海水を使って冷却する設計なのだろう。今回は不幸にして、その海水を使うシステムが停電になり、強烈な地震によっていくつもの防御システムが壊れた。
 使用済み燃料棒を冷ますためのプールも、深さが10m以上あって、学校などで見る水泳プールの数十倍の規模で、貯水量も1500トンとか2000トンある。だから、8トン単位で水を入れるなら、200回ほど繰り返さねばならない。

1.空から→ ラジコン・ヘリコプターを使っては!
 プロペラが前後にある巨大な自衛隊のヘリコプター(CH-47)で、一度に7~8トンの海水を海からそのままくみ上げ、原子炉3号機の上(後注:大体90~100上空だったらしい)から散布していた。しかし4回程度(30トン程度)試して、17日午前で取りやめになった。画面でみていると、水が霧状になり、冷却にはむかなかった。理由は放射能が強いので、上空でのへり停止、ホバリングが出来ず、水が風にながれ、有効にプールに入らなかったからだ。
 しかし。
 佳い点は、無尽蔵の海水を何度でも7トン(放水車は4トン)単位で放水が可能である。
 この改良点を半日考えていた。

 YAMAHAが無人運転の産業用ヘリコプターを持っている。これはNHKの番組で見た。ものすごい能力があって、武器になることから難しい問題も昔生じた。
 しかし、この無人ヘリで水を運ぶのではない。

 無人へりは250ccのエンジンで15.4kWというから、中型バイク程度なので非力だ。数台使っても7トン水バケツの運搬は絶対に無理だ。
 だから、~
 このヘリを使って巨大自衛隊ヘリがぶら下げるバケツをガイドするわけだ。バケツのロープを継ぎ足して数百メートル上空までヘリを上げ、ホバリングさせて、バケツの先には赤か黄色のリボンとおもりをつけて視認性を高め、そのバケツの上あたりに10m程の軽くて強いガイドロープをつけて、それを無人ヘリで操作して、目的プール上空へ、巨大水バケツをガイドするわけだ。直接ぶら下げではないから可能だと思う。
 (ガイドできないほど非力なら、数台リンクさせる方法もあるが、~操縦が難しい)
 数百メートル上空でも自衛隊員が被爆を免れないなら、この方法は無理だ。
 
 潜水艦に巨大ポンプを乗せて、ホースを数台のYAMAHA無人へりで3号機の上空まで引き上げて、セットして、海中から直に放水する。この場合も力仕事は自衛隊ヘリに遠くからしてもらって、無人ヘリは細いホースガイドワイヤー程度を設置する。
 問題は、潜水艦で水ポンプを使うのが可能かどうかだ。潜水艦は被爆が少ないから圧倒的に有利なのだが、こんなことはだれもやっていないから、数日の準備で施行するのは無理かもしれない。

2.陸から→ 放射能防御を施した戦車の出番
 鉛を積んで防御した(現代はタングステンが主流とのこと)戦車数台で、数台の無人の放水車(機動隊や自衛隊の)を数百メートル近くまで曳航して、放水ノズルは固定のまま、放水車の車体ごと戦車で左右に動かして的を定める。このとき、各放水車には長いホースを引きずらせて、先端にはポンプサーバーを置いて、海水を常時くみ上げ、放水しながら戦車が引っ張る。
 コントロールは戦車の外に出ず、数分で可能かもしれない。
 現代戦車は、放射能に対する基本防御(対・核戦争)をどこまで施しているのだろうか。

 (さきほど、機動隊は放水を止めたとNHKが報じた。届かず、放射能が強すぎて機動隊員が危険になったからとのこと)

3.大停電
 本日夕方東京では、大規模な停電を発表した。それを制御するために、東電や政府は鉄道の本数を減らすことを要請したが、分単位で走っている列車の間引きは大変なことだと想像。
 とくにJR東は困っているようだ。
 富士通の川崎工場とか、他の大企業も、数日間店じまいする体勢に入ったようだ。そういえば、余のへそくり預金・みずほ銀行口座は、断続的に停止し支払い拒否。困ったことだが、間歇停電でシステムが発狂しだしたのかもしれない。他の企業も相似だと思う。

 明日は少し平静に戻って欲しい。
 ただし。
 雪の降る東北の、暖房のない冷えた講堂に何日も横たわる姿を想像すると、この世のあらゆる贅沢は我慢すべきだと、思った。

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2011年3月16日 (水)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(4)

Muimg_69240.移動:人か物資か
 被災地の小学校体育館のような避難場所へ、物資を運ぶのが完全ではないようだ。配給先が2500カ所もあるのだから数が多すぎる。それと道路が寸断されていることで、自動車・トラックがうまく動けないのだろう。

 考えてみると不思議な気分になった。
 なぜ被災者を地獄のような所に置いたままにして、物資を地獄に運ぶのが主流の救済方法なのか?
 地獄から被災者を運び出して、全国のホテルや旅館や、少なくとも冷暖房食料のある関東や中部・関西の体育館に運ばないのだろうか? あるいは各地の広場にプレハブ住宅を並べても良い。

 昨日は被災者が45万人と聞いていたが、今日は34万人になっていた。いずれにしても、宇治市や金沢市の人口を受け容れる余地が、北海道や関東や中部、関西には無いのだろうか?
 もちろん輸送やホテル・旅館代は政府が税金を使わざるを得ないだろう。しかし永遠にホテル住まいなのではない。
 日本沈没の第二部は、日本人が世界に散らばっていく物語だった。惨いことが多い。しかし日本が永遠に沈没する前提の物語だったから、世界に移住せざるをえない。今回の現実の大震災は、一時的に東北が沈没したと考えれば、もう少し根治療法をとれるのではないかと、考えた。

1.貨物列車
 やっと大阪から秋田に向かって、16両のJRF貨物列車が動き出した。石油なども含めて往時の大量輸送の底力を発揮できる。おそらくEH500の金太郎・電気機関車などが牽引しているのだろう。もちろん日本海側を北上しても、どこかで太平洋側に物資をトラック輸送せざるを得ないが、そこへ行くまでの大量輸送・機動力は高い。

2.ガソリン・石油と情報、東電の人の現地入り
 ガソリン、燃料(灯油など)の不足が切実とのこと。自動車を有効に使えない。そして東北は夜になると厳冬状態だから、暖は生死の分かれ目を意味する。
 物流だけではなく、福島原発付近の人の話では、「東電の社員がもっと現地に来て詳細に情報交換をしてほしい」との要望を語っていた。NHKのTV解説では、東京の東電が得ている情報と、福島原発での現場情報とが、大きくずれているとのこと。詳細情報は現場で得られるものだから、当事者・現場の耳や目が活用されないと、脳(東京)は上手に判断できなくなる。

3.諸外国の救援があまり知らされていない
 今日の夕刊には、イギリス(二名の救助隊員が岩手県大船渡市で捜索の写真)、アメリカ(船上で物資を引っ張り上げるヘリコプター)、ドイツ(日本に出発する救援隊と救助犬)、韓国(被災地の地図を眺める隊員)、中国(捜索活動するレスキュー隊)、スイス(日本に出発前に待機する救助犬)、オーストラリア(到着した救援隊)の写真があった。
 TVはNHKとABCをよく見ているが、諸外国の救援活動自体の映像はまだ見ていなかった。しかし、今夜NHKで初めて見た。パキスタンの人が日本語を流ちょうにつかいカレーライスを作っていた。
 国内の警察消防自衛隊・特定ボランティアによる救助活動は、もう少し後で詳しく報道してもよいが、諸外国の活動は、日本の感謝の意を各本国へ正確に伝えるためにも、詳細に報道した方が良いと思った。

4.ヘリの爆音
 今はもう大丈夫と思うが、救援初期には報道ヘリコプターの爆音によって、がれきの下の被害者の応答を聞き取れない状況があったようだ。報道は今後、望遠レンズなどを有効に利用し、地上接近は避けた方がよいと思った。さすがに、原発事故の映像は放射能影響を怖れてか30キロも遠隔地から撮していた。勿論場合によっては、空中から被害者を発見する事例もあると思うが、それはまた別の話だと思う。

5.JRバスが新宿~仙台
 上記0で記したが、被災地から東京への移転が少し始まった。今は私費だと思う。今日は仙台市から新宿に向けてJRバスが3台出発した。明日からは新宿から仙台に向かうようだ。高速道路ではないと聞いた。

6.福島第1原発4号機の冷却
 使用済み燃料を冷やしていたプールに、ヘリコプターで海水を上空から補充する試みは、上空の放射能濃度が高いので中止した。
 使用済み燃料とは燃え尽きた燃料棒ではなくて、定期点検のために原子炉から抜き出した燃料棒をプールで冷やしていたものだ。
 水での冷却がなければ、蓄熱していき燃料棒が溶ける。
 もう少し早めに水を補給しておけば大丈夫だったかもしれない。1~3号機がほぼ同時に異常を来したので、手が回らなくなったと想像できる。あるいは一説に、海水で冷却をするかぎり廃炉になり、後日の損失が膨大なものとなるから、海水注入の躊躇をした、との説がある。
 この廃炉決定の躊躇(経済的損失を避ける)が、時を逸し、その数百倍の災厄をもたらしたと考えるなら、もって後世の教訓とすべきであろう。
 冷却について。
 もともと水中原子炉説を数日前から考えていたが、今この現実の前では水の空中散布や消防の放水車利用を考えざるを得ない。
 しかし空中散布は自衛隊ヘリコプター要員の被曝量からして無理らしい。
 簡単なロボットは全国・世界にないのだろうか。無人で、遠隔マニュピュレーター(手の代わり)を操作して、放水ポンプを放射能の中で操ったりできるロボットは無いのだろうか。あるいはベルトコンベアを長く接続して水を延々と運びばらまく、……。
 今度原子炉を作るときは、放射能の中でも操作できるロボットか防護車両を、どれだけ経費がかかってもそなえつけること。そして、原子炉は、水中に作り緊急冷却は水没させる方法をとる。勿論、人工池でないと地下水に放射能が滲んだりするから、経費はかかるが、事故の大災厄に比べると安いものだ。

以上、いろいろ考えたことをメモ記録しておく、後の思いに。

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2011年3月15日 (火)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(3)

Muimg_5302◎ 被災地のこと
 東北で避難箇所が2500あまり、そこにいる被災者が45万人とNHKのニュースで聞いた。死者や行方不明は日々刻々と変化するのでよく分からないが、合わせて2万人近くになった。
 45万人といえば、木幡のある京都府宇治市が20万人弱だから、その倍以上になる。金沢市や長崎市が大体45万人である。要するに、金沢市の全部の人が、今夜東北では寒さに震え、腹を空かせ、板の間の体育館や公民館に横たわっていることになる。それが最低数週間続く~。

 45万人が住む家を無くしたり、あるいは住むことが難しくなった状態というのは、一家族四名としても、10万軒の住家が使えなくなったという単純計算が成り立つ。その10万の家を取り戻さねばならない。新たに、どこにどう定めるかが、今後の復興に関わってくる。当然だが、だれか代表やトップが全部まとめて考えて、その要件の一つ一つをさらに別の人が考えていかねばならない。
 10万軒の家が津波や地震で無くなるのは一瞬だが、それらをどこかに設営し、誰に入ってもらうのかを考え、そこまでバスや電車で案内し、……。と段取りをくみ上げるのは大変なことだ。
 しかし被災者にそういう労苦を上乗せするのは絶対にできない。

◎ 東京電力のこと
 福島第1原発の1~4号機、その全部が爆発や火災を起こし、放射能が拡散し始め、すでに半径20km以上の圏外への避難が始まった。このことで今、復旧に多くの人が命をかけている状態なので、いい加減な一家言は厳に戒めねばならないが、それにしても記録せねばならぬ、と思った。

 まず、数日間TVをみているかぎり、東京電力の発表が最初は「楽観的」で、あとでこっそり「事実」が公開される。それが次々と重なるから、情報公開制限をしていることが、明々白々となってしまっている。情報公開の制限は必要なこともあるが、日本社会の場合は大抵「情報隠蔽」そのものと同義である。要するに、姑息なのである。すぐに底の割れる嘘をつく、と言い切った方がわかりやすい。

 それと。当番というか輪番停電、「計画停電」の施行が関東でなされだした。一番の失敗は、茨城県の被災地もあっけなく巻き込んだことだ。さすがに2日目からはそれを外したが。決定が二転三転し、優柔不断というか、ばっさりとどめを刺すことが出来ない停電を繰り返した。
 ところで物流や人の移動に大切な電車まで止めて、被災地まで直線引くように停電グループにいれて~、そして真の情報公開が遅れに遅れた。これは、なにかしら頭はよいが根性のないキャラクターを露骨に示している。小役人タイプの人が東京電力の中枢を固めているような印象を受けた。

 小役人でも秀才でも侍でも、企業にどんな人がいようが、それはあずかり知らないことだ。しかしながら、その中枢に居る人達の総意によって、会社や組織の動きも、決定的に定まってくる。そして決定的な失敗をしてしまう。今回の東電の動きをみていると、そのような印象を受けた。
 願わくは、気持ちを入れ替えて、覚悟性をもって、奮起していただきたい。

◎ 原子炉設計のこと
 原子力工学の先賢には申し訳ないが、聞けば聞くほど馬鹿げた防御・制御システムだと感じている。原子炉を止める工夫と閉じこめる工夫は今回分からなかったが、原子炉を冷やすことについては、どうしてもひと言記録しておきたい。

 結果が致命的な対象ほど、複雑怪奇なシステムを持ち込むのは良くないと、分かっているはずだ。冷やすためになぜ電気を必要とする電力モータでポンプを稼働させたり、燃料を必要とするディーゼル自家発電システム、要するに現代技術を使うのだろうか。おそらくコンピュータで制御しているのだと思うが、原子炉のような危険なシステムを冷やすのに、地震で壊れるような複雑な防御(冷却)システムは、無駄だと思った。

 実情はしらないが、ポンプを使って水や海水で冷やすなんてシステムは、どうにも信じられない悪手だ。こういう先端システムを考える人達は秀才だからこそ、複雑な現代利器を使って構築するのだろう。単純に、人口湖や池を造って、原子炉をその水面下に造って、最悪の場合は手で蓋を開けて水漬けにするようなシステム、あるいは昔の宮殿噴水のように、落差を使ってモーターなしで水漬けにする方法をとらなかったのだろうか?

 上記の考えが素人考えと誹謗されてもよいが、これは人災だと思った。最初はマグニチュード9なら仕方ないと思っていたが、4つの原子炉が次々と似たような事情で壊れていくのを見ると、欠陥システム設計という点で人災と言わざるを得ない。世界中の原子炉が電気ポンプで水を巡回させる方法をとっていたとしても、なにも日本のシステムがその通りする必要はないだろう。(通常はモーター水冷システムでもよいが、危機的対応時の話)。

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2011年3月14日 (月)

小説木幡記:東北関東大震災の記録(2)

Muimg_5065◎ 現状
 南北500km、東西200km範囲の海底で地震が起きたので、津波が青森、岩手、宮城、福島、茨城の太平洋沿岸を上から下までずっと面で襲ってきた。ほとんど1~4kmの陸地奥まで海水が押し寄せ、そして所によっては鉄筋コンクリートの5階まで水やがらくたが押し寄せた。時速は50km前後だったとのこと。多くの海岸に、各々100~200の遺体が打ち上げられてきた。宮城県警察本部長の談話では、宮城県だけでも亡くなったひとは1万人を越えるだろうとのこと。

◎ 被災者に必要なこと
 TVでの被災者の言葉として、ライフラインは当然のこととして、なにが必要かを具体的に語っているのを見た。
 ●情報: 電気の関係でTVを見られない。特に避難所によってはそういう設備がないところもある。
   携帯電話、電話などが使えない。外へ安否を伝えられない。外の状態が分からない。
 ●暖房: 画面には小雪が見える。3月の中頃であっても東北は夜間に零度を切る。
   電気や灯油がないので、暖房は毛布かたき火。毛布も足りない。
 ●薬品・医療: 持病のある人、糖尿病、高血圧。人工透析。妊娠中、……。 
 ●水や食料: 当然。

◎ 原子力発電所
 福島第2原発は、各原子炉が冷却停止をした、とのこと。
 福島第1原発は、一昨日(12日)に一基が爆発し(水素と酸素の反応)、14日今朝11時にさらに別の一基が同様爆発し、それぞれ放射能が漏れた。現在は夜間だが、さらに別の原子炉が冷却で問題が生じた(一応海水での冷却が再開された)。
 以上に付き、まだ問題は残っているのだが、中間結論として、同じ似たようなトラブルが一つの大地震で起こったというのは、防御システムを根本的に考え直す必要があるだろう、と想像。

 いずれも冷却装置が停電で動かなかったり、自家発電のディーゼル機関が故障をしたり、……。しかし3基とも何重もの防御システム≒冷却装置を突き抜けてトラブルを起こしたのだから、もう、そのシステムは破綻したと考えた方がよい。ポンプで真水や海水(海水につかると廃炉になるらしい)を送る考えが破綻したのだから、最初から水の中に原子炉施設全体を造らざるを得なくなる。それとも、手動でシステム全体が海中や水中にドボンと墜ちるシステムを作るべきだろうか。


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◎ 救援
 ノアの箱船を想像するような大災厄だった。一番の問題は南北500kmにある町という町、都市が根こそぎ破壊された。海岸に100のご遺体と言葉では表せるが、想像を絶した惨状である。自警団、消防、警察、自衛隊、外国からの救援隊、ボランティア。そして医療チームや赤十字。この人達がどういうふうに分散し、どうやってそれぞれの救援能力を発揮させればよいのか。南北500kmの戦線なのだ。その分担・配置は至難の作戦である。
 TVでは、自衛隊の陸海空は統合参謀(?)本部のようなものが出来た。
 ~
 道がない。孤立者たちへの救援者の搬送。水や食料の搬送。ヘリコプターと重機の力を使うことになる。

◎ 家が無い
 海岸沿いでは青森から茨城まで、家がない。戻る家が跡形もない。ばらばらになって沖合にながされたり、陸の奥地に散らばっている。
 いま各地の救護所にいる人達を、全国の公的空き家に引っ越すようにせざるを得ない。地元の会社も学校もすべて消えた市町村が多いのだから、しばらくは地元に居てもなにもできない。一旦、家族だけでも引っ越して、壮健の人達とプロとで、時間をかけて町を再建することになる。もちろん、子ども手当や高速道路無料の予算は、すべて被災者と、地域の再建につぎ込まねばならぬだろう。

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2011年3月13日 (日)

小説木幡記:東北関東大震災

Muimg_4166◎ 震災の実情
 2011年03月11(金曜)の14:45頃に東北地方の太平洋側でマグニチュード9.0(日本では1000年に1回)の大地震が発生し、津波が10分程度で青森、岩手、宮城、福島、茨城の海岸沿いの町を襲った。また新潟県でも震度6の地震があった。
 津波の高さはメーターを振り切ったり、津波検針器を根こそぎ海に持って行ったせいか、7.6mまでしか検出出来なかったようだが、おそらく10mを越える波が海岸に押し寄せ、多くの町や村を壊滅させた。現状ではいろいろな情報条件から、死者や行方不明が2000人前後とTV画面にでているが、おそらくその十倍近くになるような予感がした。十六年前の淡路阪神大震災(1995)で亡くなった方は5千数百人だった。その地震の180~200倍のエネルギーが一挙に襲ってきたとのこと。

 津波が町や村単位で壊滅させ、これは様子を実況で見ていた。たしか金曜日の午後、NHKだったと記憶する。ヘリコプターからの宮城県名取市名取り川上流での実況だった。他の映像では、宮城県石巻、宮城県気仙沼、岩手県陸前高田、同・大船渡、同・宮古などが壊滅的だった。宮城県・南三陸町では1万7千人のうち、1万人の住民との連絡が付かない。

 そしてもう一種は、福島の第一原子力発電所と10km南の第二原発とがともに冷却能力を失い、爆発し、付近の人達は10km圏外に避難したが、軽微な被爆があったとのこと。ただし結果がまだ不明瞭なので、安易に軽微と言うのは誤情報になるかもしれない。原発は最大8.4マグニチュードを想定して安全対策を施していたようなので、8.8→9.0となると、事故が起こっても仕方ないとも思った。
 (追加:正確には、第一原発の方が、13~14日にかけて二つの水素爆発をし、軽微の放射能を出してしまった。第二原発は、少なくとも14日には、二つの原発が冷却停止した、とのこと)

 政府は金曜時点では自衛隊派遣を2000人くらいだったが、昨日土曜日には5万人、そして本日13(日曜)には10万人の派遣を決定した。アメリカは150人のレスキューを派遣した。韓国、中国、イギリス、フランス、ドイツ、スイスなどがすでに本国を出国した様子がTVでわかる。国連からはこの諸外国援助を調整するために7名の係官を派遣したようだ。世界の沢山の善意をうけても、言葉や風習や、日本の救助体勢と上手に調整を図るには、国連の専門家派遣は意味があると思った。

 アメリカは三陸沖に米軍の空母や上陸用舟艇の用意をしだし、日本海上自衛隊も艦船を動かしているとのこと。TVでの実況中継を見る限り、津波痕の都市痕跡は戦争と同じだと思った。すさまじいの一言に尽きる。しかも、局地的ではなく、東北の東海岸全部という広域である。激甚震災指定が行われ政治上、経済上の対策は施されたがその効果がでるのは後日のことであり、現状は生命、水、暖房、食料、通信、電気の対処が緊急に必要である。そのためにこそ、海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊、米海軍・海兵隊の救援活動が望まれる。

 道路が通じない。戦車でないと乗り越えられない障害物だらけである。道がない。地盤沈下で町全体が沈んでいる。文明が消えた震災地に、今のところ陸に強い警察や消防の殉職がある。だからこそ、この一両日はヘリコプター、輸送機、そして海上の航空母艦が相当に重い意味を持つのだろう。……

◎ 卒業生関係、図書館
 葛野図書倶楽部2001をともにがんばった卒業生達の実家や働き場所が関東から東北にかけて数名いる。秋田、岩手、宮城、千葉、関東一円、そして新潟県。最近では宮城県石巻の出身者もいる。
 本人達も、縁者達も、無事を祈る。

 そして身内のエドルン君も江戸にいる。
 ネットや電話を関西から使うのはひかえているが、江戸からの連絡では、揺れが異常に長時間続き、これまで経験したものとは異なるとのことだった。畏友達のblogを眺めても、東京ですら「だめだ」と思わせるほどの強烈さだったのだから、津波とマグニチュード9.0付近がどんなふうだったかは、想像できる。

 各市町村には図書館が大抵ある。午後の3時前後だったから、アルバイト司書も沢山いたことだろう。無事に逃げられたかどうか、ふと思い描いた。待遇や保証の薄いアルバイト司書が事故に遭うのを想像するのが辛い。まず、利用者を先に逃す、これは当然だ。しかし同時に、アルバイト関係者達も先に逃れたことを期待する。
 ただし。
 名取り川流域を上流に向かって家や船や自動車を飲み込んだ黒いアメーバーが登る姿を実況で見た限り、津波からの逃亡はコンクリート造りの3階以上しか逃げ場がないと思った。市町村の図書館は2階建てか、役場との共同施設かもしれない、~。無事を祈る。

◎ 日本沈没
 小松左京の日本沈没を思い出した。MuBlogには記事もあった。復興支援が重要になってくる。


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2011年3月10日 (木)

小説木幡記:葛野のことは葛野で

Zmuimg_1748 ときどき失敗したと思うのは、自宅木幡からメールを中心にして葛野の仕事をしてしまったときだ。
 それと電車にしろ自動車にしろ、葛野へ出かける前に、その日一日、何をするかをいちいち考えることがあるが、それは無駄だし、考えすぎてホームから落ちたり、ぶつかったりと危険だ。本当に、木幡で葛野の仕事をするのは、精神衛生上よくないとますます思った。

 なんであれ近代都市生活者が組織に関連して仕事をするのは、いろいろな意味で自分自身の疎外を伴い、働くことの充実感と等分に喪失感、疎外感の沼に落ち込んでいく。仕事は尊い面が多々あるが、気がつくと奴隷働き(他人の指示に従って、永遠のむだむだしい作業。プールの水を穴のあいたバケツでくみ出して、完了したとたん、それをまた元にもどすような~)をしてしまい、余の姿は点になってしまっておる。

 だからこそ。
 仕事は仕事、葛野のことは葛野で完結。
 これが理想だ。
 といいながら、つい仕事メールをのぞき込んでしまい、つい返信をしてしまう。

 昔は、新幹線も電信電報電話もケータイもインターネットも、一太郎もワードもエクセルも無かった頃は、どんな仕事をしていたのだろう。江戸時代なら飛脚とか、お庭番が走り回っていたはずだ。
 余が社会にでたころには、電話とペンとソロバンだけが仕事のツールだった。字の下手な余は書類一通を造るのに1日かかった。先輩から、定規をあてて字を書くことを教わった。ホッチキスで書類を留めて、先輩に怒られ「こより」の使い方を仕込まれた。ソロバンが出来ない余は計算間違いはすべて上司にチェックを任せていた(つまり、怒られるのと引き替えに、1回計算したらそのまま提出する。すると、毎回間違いを指摘されて戻される!)。電話嫌いの余は、かかりそうな予感がすると窓を開けたり、手洗いにでた。この「かかりそうな予感」とは実際にあった。なにかしら、ちりちりと身体がするのだ、呼び出しベルが鳴る前に。

 こんな調子でよくぞまあ、何十年も社会生活を送れたものよと、時々自戒しながらもひそかにほくそ笑むのであった。余はとろくさいように見えて、苦手対策の工夫はしておったような~(笑)。
 さて、まだ朝も早い、どんな苦手対策を打つべきか、~いろいろ考えよう。(しまった、まだ木幡じゃ!)

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2011年3月 8日 (火)

小説木幡記:電子読書機は10年間モデルチェンジせぬがよい!

Muimg_5701 iPad2が発売されるらしい。となると昨年の梅雨時、手にしたiPad は「昔の読書機」になるわけだ。アップル社のうたい文句をみていると、iPad2 を買わないと、昔の読書人のまま捨て置かれそうな気分になる。
 良くないな。
 余はケータイも自動車も5年単位で買い換えておる。ケータイはいささか古びてくるが(昔のある時点、余のケータイを見た知人が、「何、これ? お弁当箱ですか?」と言っていた)、自動車は10年、20年と乗り継ぐ人から見ると、5年では気が早いと思えるかもしれない。PCは、葛野で2007年の夏に自製したものがまだ動いておるから、おそらく5年くらいもたせるのじゃろう。
 ~
 iPadとか電子読書機がころころと変更されると、気持ちの中で紙の図書に戻ってしまう気分だ。そんなせわしない状態で読書してもおもしろくないからな。一旦だしたら10年くらいモデルチェンジ無しの安定性がないと、読書にはむかない。紙の図書でも、20年前の文庫本はフォントが小さくて読む気にならないが、最近の文庫は随分読みやすい。だから10年単位くらいのモデルチェンジはよろしかろう。

 さて、一年更新の読書機。
 余は、更新が無料でも、昨年梅雨時の初代iPadマシンを触っておるだろうな。まだ、死ぬほど、あびるほど、のめり込むほどiPadを使いこなしておらぬ。性分からすると、大抵のものは使いこなして手垢がついて、「もう、そろそろ潮時じゃね」と思えるまでは、新規ものに手を出さない方だ。だから20代のころから邪馬台国とばかり言っているし、10代末期から保田與重郎とばかり書いているし、20代中頃からコンピュータのことばかり考えているし~。
 世間の人はどうなんだろう。
 そうそうころころと変わられると、対応に苦慮するな。

 と、幻のiPad2になりそうだ。余が次に手を出すのは4年後だろうな。そのころiPad が存在するかどうかはよく分からぬ。アップル社の大将の考えが変われば、iPad 自体が消えるかもしれぬのう。(頭蓋骨埋め込みタイプがブームになるぞ、きっと)
 ということで。
 読書機もケータイみたいになるのかのう~。字が小さいから、街角でみかけた、やや大型のケータイ電話機が読書機になればよかろう。時々、10インチ近くのiPad賢者板を左耳にあてて、「もしもし」と言っている自分を想像し、笑ってしまう。

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2011年3月 7日 (月)

小説木幡記:記すこともない今日だった(笑)

Zmuimg_1770 閑散とした葛野に日々朝のはよから出てきて、延々といくつもいくつも小さな宿題をしている自分を、夕方になってふと振り返り、なにやら自虐的になってきた、とそれがタイトルの(笑)の意味である。さりながら、この世でなすことがあるというのは幸いで、それを足蹴にしてなにかもっと違った大きな意味のある仕事をすべきだ、と現実をなめたとたんに、てひどいしっぺ返しをうける。だから、年齢と共に日々ありがたく合掌し、生きている、活かされている自分を反省し、世界に感謝するという仕組みになっておる。
 余はだんだん、聖徳太子様に惹かれてきているようだ。こまった、こまった。
 ところで、今日もいろいろあった。すこしくメモしておこう。

1.ファイルをいろいろ充填する仕事が三つもあった。どれもこれも難しい仕事ではないが、数が多いので、結局終日ほとんどこれに時間を費やし、午後早くには先を見越して秘書さんにエクセルファイルの一部をお願いしたら、その分は小一時間で回答があった。ありがたい、~と、余は相当に手が遅いとまたしても自覚。

2.今日も500円貯金した。それができたのは、370円の学食・ちゃんぽん麺をいただいたからだ。学外にでると、すぐに1000円昼食になるが、葛野キャンパスでじっとり仕事をして食事をすると、お金が貯まる脳。しかし、ちゃんぽん麺とは言っても、余の場合は豚肉が小指の先くらいで2片。あとはちょっとがりがりするキャベツで一杯じゃった。家でも外でも余のおかずには、いつも動物性タンパク質(肉片など)が極めて少ない。不思議である。酢豚とかカレーライスなど、芋ばかりのこともあるぞ(憫笑)。

3.そうそう、早朝7時過ぎに4Fの「島図書館ジオラマ」の電気系統を再度試験した。先週から何度もやっているのだが、結線を間違えているのか、自動運転がうまくいかなかった。石膏や色塗りのために膨大な線路やワイヤーを外して作業して、復帰させようとしたが、複雑すぎて動かなかったのだ。しかし早朝30分で再起動した。要するに、Y字ポイントの正逆を逆転させるリバースワイヤーを一本かませることで、システムが順調に動き出した。まったく、電気系・機械系はおもしろいが、ちょっとしたことで動かなくなる(いや、人間の方がもっと難しい!)

4.そうそう、1Fへ油を売りに出かけたとき、ひとつ仕事(メルを書くこと)を忘れていたことを秘書さんの一人に指摘された。「ところで先生、あそこへ事前見学にいくことで、他の先生や連れて行くSAさん(サービスエリアじゃなくて、学生授業支援者)に連絡は?」と。おお、忘れておった。それで慌てて日程調整に入ったが、これも数日かかる脳。

*・ということで、一杯あるのだが、書くと疲れるのでもう止めておこう。今週は一回だけ北の京都ファミリーにでかけて、書店と散歩と讃岐うどんでも食べよう。これは外食にしては500円程度でごっつい美味しい。ところで、そこら中のスーパーが最近軒並み「イオン」になったので、混乱するなぁ。

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2011年3月 6日 (日)

NHK江(09)義父の涙:柴田勝家からみた世界

承前:NHK江(08)初めての父:柴田勝家の後継者?

 これまでずっと、北ノ庄の柴田勝家やお市さんやその三人娘を秀吉の目からみていました。小説や映画を探せばそうでもない作品があったかもしれませんが、よく考えてみると日本史の授業も、信長亡き後、秀吉がどのように天下をまとめていったかという視点でした。

 このたびの「江」では、後日に負けた側の勝家の目から秀吉のやり口をみているわけです。千宗易(利休)が言ったように、秀吉は「えげつないやりかた」を取り続けました。
 まず、三法師という信長の直系の幼い孫をたてて、秀吉はこの後見人として勢威を振るいます。そのとき懐柔策として長浜城を柴田勝家に譲ります。次に京都の大徳寺で華々しい信長追悼(つまり葬式)を秀吉が葬儀委員長になって行います。このとき、勝家とお市さんを呼ばなかったようです。そして次に長浜城を秀吉のもとに取り戻します。これはどう考えても、秀吉がケンカをうっているとしか言いようがないです。

 北ノ庄ではわずかな時間、つかの間の平和がありました。
 江達は父の勝家から刺繍を学びます。
 娘達は、新しい父が戦をすることを反対し止めますが、よくよく考えたお市さんが娘さん達を説得し、勝家が自由に活躍することを支えます。

 今夜は、勝家が刺繍をすることや、みんなが毛皮の防寒具を付けている場面が面白かったです。実は私も昔、父の遺品として毛皮のちゃんちゃんこをずっと使っていたのです。父は福井県南条郡今庄町大桐出身で、福井市三之丸町に家を建てました。

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2011年3月 5日 (土)

ジオラマ・京都・JAPAN:嵯峨野観光鉄道

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↑ジオラマ・京都・JAPANの「蒸気機関車・扇形車庫あたり」(HOゲージ 1/80縮尺)

 嵯峨野観光鉄道が20周年記念として、今のところ(笑)日本最大のジオラマを、噂では2億円程度かけて、造ったというので、まずはぶらりと訪ねてみた。

 ↓以下は改良されていた。
 結論は、これから何度か訪れたいが専用駐車場が1500円もかかるので「こんなにぼらなくてもよいのに。かえって評判落とすよ」と思った。ジオラマ会場は500円なので、妥当と思った。今後はトロッコ鉄道博物館としての成熟を切に期待しているが、1500円の駐車料金は、観光地特有のいちげんさん相手の商売、取れるところから取ろうというさもしささえ感じた。
 ↑2011年夏には、駐車料金が1000円になっていた。これは付近状況からして妥当と思えた。

 さて、写真は数十枚撮ったので詳細は後日に、少しずつまとめていく。
 初見では、ギミックがいろいろあって実に愉しい。特に、バスや消防車模型が実際に広い範囲を走り回るのには驚いた。鉄道ジオラマだからといって、新幹線や特急だけが走るのではリアリティが無くなる。しかしギミックの詳細はネタバレになりそうなので、少し悩む。後日じっくり考えて記録しようと思った。
 今のところ解説文章も無いので、どんなギミックが潜んでいるのか、何回か訪れて観察する必要がある(笑)。ジオラマの中に図書館がないかと探したが、このときは見つけられなかった。
 1/80縮尺だとフィギュア、人形が大きいので、いろいろなポーズをはっきり見せてくれていた。
 本当に広い空間なので、見どころというかポイントを見つけて眺めていると、一種の夢幻を味わった。

 ただし。
 まだ未整備部分が多かったので、時間をかけて作り込んでいくのだと想像した。特に建物は、ぽんぽんとおいたままが幾つかあった。大型の高架線路はダイナミックに通っていたが、平地の退屈さもあった。たとえば京都なら山で囲まれているのだから、山や川で起伏を持たせて欲しい。


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↑従来からあるジオラマを走る「嵯峨野・トロッコ列車」(Nゲージ 1/150縮尺)

 上記大型ジオラマの入り口に、小振りのものがあった。以前からあるようだが、2008年に訪れたときは無かった。縮尺は1/150なので随分小型に見えた。しかし密度、完成度は非常に高く思えた。接近撮影をしてもたじろぐところがないできばえだと思った。私は、開設まなしの「ジオラマ・京都・JAPAN」よりもNゲージの小型ジオラマの方が、いまのところは気に入った。みっしりと丁寧に作り込まれていた。
 中でも、嵯峨野トロッコ列車は、よい。
 知る限り、このトロッコ列車は市販されていないので、強烈に欲しく思った(笑)。Nゲージの小型トロッコ列車にちゃんと乗客の姿まであった。随分上等な全体景観であり、精密模型だと思った。
 また訪ねてみたい。


地図

大きな地図で見る

参考
 二階建て図書館列車考(5-1)列車篇:嵯峨野トロッコ列車
 二階建て図書館列車考(5-2)乗車篇:嵯峨野トロッコ列車

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2011年3月 4日 (金)

小説木幡記:ご質問させていただきます

Muimg_5070 言葉は難しいと、毎日MuBlogをしるしながら長嘆息する。さらに言葉使いの好き嫌いもあるので、文法も敬語もそれこそ言葉の綾~気持ちの上では言葉を発するときには自分の気持ちと相手の気持ちのバランスが取れた中で言葉がこだましあうのがよいと考えている。

 本当に尊敬もしていないのに相手をもちあげすぎたり、自分がへりくだりすぎたり、あるいは愚劣なほどに(どうでもよいような)丁寧さの重ね言葉を聞いたり見たりすると、気持ちが悪くなる。総じて慇懃無礼、空虚な傲慢さ、ひいてはばかばかしさにつながり、そういう言葉を使う人の人格に不信感を抱き、つぎにはそういう人を忘却し、総削除することになる。

 タイトルの「ご質問させていただきます」は、実に嫌みに感じることばなのだ。だから余の前では使用不可と、首から提げておこうか、カードを作ってポケットにいれておこうか、と考える。インターネットでいろいろ探ると、まんざら文法的にも、社会通念的にも、間違った言葉ではないようだ。だから気持ちが悪いと言いたいのだ。「ご質問」とへりくだった物言いが始まったとたんに余は「自分で考えよ!」という顔になり、つぎに「させていただきます」ときたら、「勝手にするな」と、機嫌がわるいときは口にだすかもしれないし、そうでなくても不愉快になる。

 さて、余は何を言いたいのか。
 つまり、自覚して欲しいのだな。というのは、余が「ご質問させていただきます」などと人に言ったり、会議上で言うときは、徹底的な嫌みであり、戦闘的であるという自覚だ。それを勝手というなかれ。そう思って言うときは、言挙げをしているのだから、戦闘状態に入っておる。だからこそ会社などで若い内は、そういう言葉は自覚して注意深く使った方がよいという、指導的人生訓なのだ。こころにもない尊敬や謙譲や丁寧さを、人に押しつけるものではない。

追録
 正しい言葉使いとは~。接客程度ならマニュアル本をよめばよかろう。その程度のことだ(と、悪意に満ちた言い方(笑))。本当に人に対して丁寧に接するには、言葉を発する源をまず磨き上げていく。次に、大正時代や昭和の40年代頃までの世相を描いた小説を沢山読み、そのころの映画を見る。言葉は保守的な中で磨かれ「美」を発揮するから、とれとれの現代言葉にはなじまぬ方がよい。才がないまま現代語を使うと軽薄な猿に見られてしまう。単純な物差しは、当面、カタカナ言葉や和製英語を使用禁止にすれば、それだけで上等になってくる。
 忘れていた、一番たいせつなこと。
 いつも頭の中で丁寧に、まじめに考える練習だな。そうすると脳内に言葉が生じ、それが自然に使われるようになる。

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2011年3月 3日 (木)

小説木幡記:ケータイ・カンニングって~

Muimg_6904 ニュースでは携帯電話を使ったカンニングのことで、いろいろ他所へ波及したことがわかった。別の京都の芸術大学では電源を切ったケータイを袋に入れて封印し、カバンに戻させた。便利なのは、ジャマーという商品があって、ケータイの電波を遮断する。そういえば、貴志さんの怖い小説『悪の教典』では、授業試験でそういうものが使われていたな(笑)。京都府の採用試験(6月)および教員採用試験(7月)では対策として、試験監督を増やす。いやはや。来年までこの熱気が続くと、センター試験なんか数が多いから、試験監督者と受験生が1:1になるかもしれんのう。

 ところが。
 余のように偏屈者で、若い頃に試験制度によって手ひどい打撃をうけておると、このケータイ・カンニングに対しても別の考えが湧く。禁止するから裏をかく者がいたり、ひとりだけ良い手を見つけて狡(ずる)するのだから、いっそのことカンニング解禁にすればよいと、真顔、本気で考えることがある。
 そうなるとみんな平等で、ありとあらゆる手段を考え見つけてカンニングに励む~いや、大学内の試験では「なんでも持ち込み可」とか「辞書持ち込みOK」とか、いろいろバリエーションがあって、むしろ素手で受験させるのは、珍しいかもしれないsnow
 覚えていたら出来る問題とか、2時間くらい考えたら受験生の数割が解ける問題で、学力をためそうとするのが、ぼけた方法なんじゃなぁ。全員入学させて、なかなか単位をださない、かなり苦労しないと4年間では卒業できない~、そういう方式にすると、カンニングという概念がこの世から無くなる脳。

 実は~。
 余は、ありとあらゆる方法をつかって、なんとかかんとか適性な解、あるいは解解(解の複数形)をだすような問題が最良と思っておる。あるいは、問題を造らせる課題が最善と考えておる。
 ふむ、カンニング対策な?
 カンニングしようにも、どこにも書いていない、誰も考えたことのない問題をつくるとか~。あるいは、全受験生で同じ解解が1%を越えた解解者は、不合格とか。

 おお。
 久しぶりに、いろいろ物事の本質を考えた。
 ところで、そのケータイ・カンニングをした者が割れたら、どうするのか。余がその大学の関係者なら教授会での発言内容は決まっておる。「とんでもないことをして、ぬけぬけとネット公開するなんてぇ、そういうやつは、本学には絶対入学させない。」と、単純なことしかいわない(笑)。
 そういうものなんだ、世の中とは。

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2011年3月 2日 (水)

小説木幡記:日々これ断片:ふらぐめんと

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1.水の処理に失敗したジオラマ
 島図書館と邪馬台国周遊図書館ジオラマの、「水」を調整するつもりで、アクリル水性クリアに、ほんの少し青を混ぜて、川や海らしくどぼどぼと流し込んだのが先週だった。以前も邪馬台国の方は、クリアのまま流し込み、なかなか白濁がとれないので心配したが数日後に透明になってきてほっとした。しかし今回は真っ青のままで変化がなく、完全に失敗したとわかった。
 この水回りの処理は好きなのだが、うまく行ったためしがない。

 「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」では、底色が乾く前に上等なクリアセメダインを入れたせいか、翌朝きたら下塗りジエッソの白が溶け出して、白濁していた。その後なおしたが、もうだめだった!
 「高台の図書館ジオラマ」では、前方後円墳周壕にあたる部分に高価な樹脂を熱で溶かしたものを流し込んだら、下の発泡スチロールと反応し、泡立ち、そのまま温泉地獄的な周壕になってしまった!
 で今回の「島図書館」と「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」の水回り。
 ただし。
 これだけ失敗しても、なお水回りに対する意欲は減退していない。こんどこそ水水しい雰囲気をだすぞ! とがんばる力がみなぎってきよる。

2.エクセルというかMS-wordというか、うっとうしい
 長年、葛野が全学的にMSアプリを導入して以来、エクセルやWordを使っているが、何年経っても、鬱陶しいアプリであるな、という印象はぬぐえない。
 こんなものを主要ツールとして使っている世界のビジネス関係者の気が知れない。
 もちろん、こういうアプリは十分に勉強して使えば最強の仕様を享受できるのだろうが、そもそも最初の暗黙のオプション設定に、このアプリ全体の思想性があらわれており、それはひいてはビルの性格に直結しておるのじゃろう。
 すかん! ああ、いやだいやだ、こんなややこしいアプリを余は好かぬぞ。

3.邪馬台国を掘る:NHKスペシャルを録画できなかった
 2011年1月23日に「邪馬台国を掘る」が放映され、それに気付かず、先週自動車の中で再放送を偶然に、声だけ聞いた。ざんねんだなぁ。しかし、それをみてもみなくても、棺桶には持って行けないのだから、よろしおます。と、納得した。
 纒向遺跡についての聞き所は一杯あった。NHKのネット記事を参考に再現しておく。

3.1 鬼道と銅鐸
 銅鐸破片が沢山でたが、銅鐸信仰と鬼道信仰とは対立するものだ。しかし銅鐸は簡単に壊れるものではない。実験では青銅を熱してもろくなったときにカケヤで打ち砕くことができた。つまり、纒向は銅鐸信仰を破壊して、鬼道を取り入れた。
3.2 竹の籠
 竹の籠が見つかったが、これは当時は貴重なものであった。親魏倭王の金印は竹の籠に入って泥封(粘土で封印する) されていたはずだ。しかし金印をさがしてもまだ見つからない(笑)
3.3 桃の種 
 桃の種が3000弱発見された。食べたと言うよりも祭壇に祭って鬼道をしたのだと推測。

 信号待ちの所で、石野さんかな? だれかがカケヤで現代に制作した青銅の銅鐸を打ち壊す場面を見た。衝撃的だった。特に熱を加えたとたんに、カケヤが青銅を破片にしたのを見て、実験は大切だと思った。熱を加えるなどの工夫をしない限り、銅鐸は凹むだけだった。自然に破壊されることは無いという証明だったな。

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2011年3月 1日 (火)

小説木幡記:海辺の駅図書館

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 ↑写真は2010年夏に開催した「未来図書館ジオラマ」制作で、書記局長2010が造った「海辺の駅図書館」だ。参加者全員が、ジオラマ、レイアウトを生まれて初めて造ったようだが、多くは三日間で基本を完成させた。
 この写真作品も書記局長は三日間で完成し、その後数日掛けて海の色や砂浜や階段に手を入れていた。
 余は特にこの砂浜におりる階段や海の色、そして濡れたような砂浜、岸壁が気に入っている。

 景色だけは豪華絢爛な地方駅。
 単線で乗降客も少ない。
 しかし気候に恵まれ海も静かでサメもいない。その片隅の駅には司書資格を持った女性の駅長がいて、乗降客へのサービスや、丘を越えた向こうの村や隣駅の子どもたちに読書指導をしている。子どもたちは本を読みたいだけでなくて、その駅長司書のおねえさんが気さくで、畳部屋の閲覧室の上がりかまちに腰掛けて、列車がくるまでの間、子どもたちに京都の話や、はやりのファンタジーや、映画の話をしてくれるのが楽しみなのだ。
 少女や少年は目を輝かせて遊びに来る。
 ここはそんな海辺の駅図書館なのだ。

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