小説木幡記:茅原大墓古墳出土・盾持人埴輪の感想
2011年2月24日(木曜)に桜井市教育委員会が、「国内最古の人型埴輪:盾持人」を発掘したと発表した。場所は、三輪山の麓、箸墓と檜原神社の中程の南で、JR桜井線の東側にあたる。JR巻向駅を下りて、南の箸墓にお参りして、東に向かって三輪山の元伊勢・檜原(ひばら)神社をめざしてぶらぶら歩くと、途中に池があって、その上にある、茅原大墓古墳の東側くびれ部分にあたる。現実には木々で分からないが、珍しい「ホタテ貝式前方後円墳」と言われている。円墳にしか見えないが(笑)。
ここから、顔を赤く塗った身長1m(実際部分は70センチ程度)ほどの不気味な顔の埴輪が出た。新聞では、へき邪(魔除け)だとか、盾を持った人の原型とか、いろいろ研究者の話があったが、余にはまだ分からない。写真を載せれば雰囲気はすぐに分かるのだが、新聞社の労苦をかすめ取るのもよくないし(著作権侵害だな)、URLを書いても最近の記事はすぐに隠れて有料になるので、写真は諦めた。そのうち、桜井市埋蔵文化財センターに行って直に写真を取って掲載する。
(しかしほとんどの博物館や寺社仏閣は、勝手に写真に撮るなというし、我が国には公正利用の考えが無くて困る脳。博物館にあるようなものや、寺社仏閣の景観は、みんなの財産なんだから~)
話がそれた。
今日は、そういう話があったということにとどめておく。人物埴輪はこれまで河内の巨大古墳を中心として、5~6世紀のものと考えられていたが、この人型埴輪は、河内ではない神山・三輪山麓の物だから、珍しいというか、少し異変と捉えて良い物らしい。
追伸
茅原大墓古墳は全島が66m(参考:最近の復元では85mとなっていた)の小振りな、新しい前方後円墳らしいが、余は昔から、この古墳のことが気になっていた。場所が箸墓よりも絶景地にあるからだ。それに茅原という地名は、神浅茅原(かんあさじはら)に比定される。たしかに檜原神社もすぐ近くだから、蓋然性はある。そういう場所の古墳だから、気になっておった(笑)。新しい(4世紀末)と言われているが、こういうものの年代はようわからぬ。
参考
発掘調査現場から(248回)広報「わかざくら」 平成22年9月掲載
・茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)第3次調査(桜井市教育委員会)
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コメント
茅原大墓古墳の出土物
何とひょうきんな案山子のような、埴輪ですね。
箸墓古墳のすぐ側ですね、帆立貝式というのが又、古い古墳形式を想像させますね。4世紀後半という事ですが、判りませんね。もっと古いかも知れない。
盾というのは、私は思うに大王が即位すると巨大な盾を立てかけたそうですね。大王の宮である証明が大きな盾であったと理解しています。
顔は明らかに倭人の特徴、魔よけのベンガラと入墨ですね。目の周りと、口の周りに入墨をするのが倭人の特徴ですね。
今度、又、行かれる時はお誘い下さい。
投稿: jo | 2011年2月27日 (日) 22時44分
Joさん
この埴輪は、しばらくすると、埋蔵文化財センターに展示されるかもしれません。それまでまたなくても、国指定史跡の茅原大墓はこの機会によく見ておきたいです。
少し南には、茅原狐塚がJRの東側にあって、これも見ておきたいです。整備したなら、石舞台古墳のようになるのですが~JRレールに少し切られているようです。
Joさんが来京の折には、何度でもお連れしましょう。
それにしても、念が通じたのか、最近のGoogle地図(航空写真や、アース)・桜井市あたりの精細度は、以前のぼけぼけに比べてぐんと細かくなりましたな。まだまだ箸墓が立体的に見えるまでにはなっておりませんが、科学の進歩はすごいです。
投稿: Mu | 2011年2月28日 (月) 01時48分