小説木幡記:日曜はごろごろ、月曜はしゃかしゃか
一週間7日の制度はいつ頃から日本に定着したのだろうか? といろいろ考えて調べてみたが、平安時代に伝わった説はたしかだろうが、実際に毎日のこととして使い出したのは明治時代からのようだ。
一般に日本人は幼小中高大と、一週間で過ごし、社会人になっても大抵は一週間単位で仕事が進むので、この制度は一日に二食か三食いただくのと同じで、習慣になってオル。特例を除いては一週間単位で物事が進むという長い人生なので、毎日が日曜日になると心身に異変を来すことを言いたかった。
しかし24時間の中で昼夜に従って心身が反応し、四季に応じて対応していくのは、人類発祥以来のDNAに刷り込まれた特性だろうが、一週間7日ですごすのは、社会体制・慣習の中でうまれてきたものではなかろうか。つまり人生の児童期~60歳台まで7日制度に生きていても、それが人間存在の普遍性に結び付くとは、考えられない。
だからやがて毎日が日曜日になる、つまり毎日ごろごろしそうになる。もちろん、それでも月曜しゃかしゃかと動き回る気持ちは大切だ。「月月火水木金金」という歌があったが、これは土日ぬきなら一週間が成り立たないことの裏返しの意味なのだろう。そしてまた、土曜日を半ドンというのも、これも明治時代の遺制のようで特殊日だな。ドンタークが土曜日の言語なのか、時砲を打つのか、いろいろ説はあろうが、土日が週休二日制となったのは、余がまだ若い頃の話であった。
奈良時代や平安時代の官吏は律令制の中で休んでいたのだろう。いろいろ説もあるので専門家に聞かぬとわからぬ。お役人の仕事をする時間が、庶民よりは気楽なほどに少なかったのは事実だろう。なにしろ毎日のことでさえ、朝廷というのは朝に仕事して、午後は休暇と言われるくらいだから~
後のためにまとめておこう。
★ たぶん一週間7日で回転させるのは社会習慣。睡眠のようには、生物人間的な普遍性が無い。
★ だから毎日が土日になっても睡眠障害のような重篤な症状にはならぬだろう。
★ よって、ルールは自分で決めれば良い。
★ 余は、将来に、毎日が日曜日は退屈だろうから、
{ごろごろ+ごろごろ+しゃかしゃか+しゃかしゃか+しゃかしゃか}
の完全5日制で生きようと考えてオル。
★ 世間とはずれてくるので、世間とのずれを調整するなら、
{ごろ1(金)+ごろ2(土)+ごろ3(日)+しゃか1(月)+しゃか2(火)+しゃか3(水)+しゃか4(木)}
となろうか。
なんのことはない、週休3日制といえば、通りよくなる。
結論。
世界が週休3日になれば、失業も少なくなるかな。勤務日の譲り合いだな。
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