飛鳥京の苑池跡:最古の宮廷庭園
数日前の新聞で、飛鳥京跡の苑池(えんち)遺蹟記事があった。最古の宮廷庭園と言われている飛鳥京跡に石と水とで作られた苑池の構造が少し明確になったようだ。
「飛鳥京跡苑池」は明日香村の飛鳥時代の遺跡だが、飛鳥時代とは推古天皇と聖徳太子が摂政だった6世紀末から、天武天皇の皇后だった持統天皇が藤原京に遷都するまでの7世紀末、その百年間を指す。その飛鳥時代の明日香村あたりに天皇の宮居が重なってあって、そこを「飛鳥京」と呼んでいる。皇極=斉明天皇の酒船石遺蹟を見れば感じるが、水と石の都と言える。
ただし、飛鳥京以前の古墳時代とか、ちょっと北東の桜井市・纒向遺跡についても水の都という印象が強いので、定かならぬ古代日本史は前方後円墳、水、石組で作られていたとイメージする。
ここで「苑池」という言葉だが、以前はいろいろ難しく考えたが、最近は単純に「水辺や池や噴水を好きな人が作った池と水の庭園」と考えている。じつは(笑)、私もそれが好きで、このMuBlogは無意識に水や石組みに重きをおいた記事がこっそりと多い。
さて、飛鳥京苑池を発掘調査されている機関は奈良県立・橿原考古学研究所なので、詳しいことはそこの博物館に行けばよくわかると思う。ちなみに卑弥呼関係の纒向遺跡は桜井市の埋蔵文化財センターであり、微妙に間違わないように。
追伸
掲載写真は紛らわしいが、これは「高台の図書館」という名称で作ったNゲージジオラマである。その心は、前方後円墳のある苑池を見下ろす、景色のよい公共図書館があって、そこには誰でも行けるように鉄道・トロッコ路線が敷いてある、というモデル。
このモデルには実は、「酒船石(北方)遺蹟」や「水の都・纒向遺蹟」が、明確に影を落としている。要するに私にとって古代飛鳥や纒向は、現実の今のイメージに重なる、……。
参考MuBlog
雨の飛鳥紀行 {益田岩船、高取城、酒船石遺跡}
飛鳥発掘物語/河上邦彦
纒向宮殿紀行(2)桜井市・埋蔵文化財センターの見学:纒向遺物
卑弥呼の墓(014) 水の都・水上宮殿:纒向遺跡の全貌
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