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2011年2月24日 (木)

小説木幡記:滝口寺への道行き文

↓銀閣寺のノアノア旧館
Muimg_5278 明治時代の文人・高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)に『滝口入道』がある。日本の高校生なら文学史などで習っているはずだが、これを読んでいる人は少ないと想像する。しかし現代は、インターネット上に「青空文庫」があってそこに納めてある。だから読もうと思えば、誰にも身近になっている。

 勿論、わが賢者板(iPad)にはこの青空文庫をストレスなく読む装置「i文庫HD」があるので、いつでも気軽に読める。平家物語を題材にした『滝口入道』は、建礼門院(平清盛の娘)の付き人「横笛」が、自分を恋したあげく親に叱責されて出家した、滝口入道時頼(斉藤時頼)を、嵯峨野の往生院に訪ねる場面が印象深い。斉藤時頼は小松殿(清盛の長男、平重盛)の武将だった。
 一般論として「道行き文」は男女が心中しにいく、死出の道中模様を描いたものと学んでいたが、もう少し広く、ある場所へ行く道すがらの風景と心情とを合わせ描くところにおもしろさがあって、古典になると現代人の余にはなかなかわからぬが、密かに韻がふまれていて、掛詞や枕詞という言葉の綾が織り込まれているようだ。
 以下は樗牛が描いた一節だが、嵯峨野が遊び場だった余には、なにか懐かしい場面である。
Opimg_5329

「~嵯峨野も何時(いつ)しか奥になりて、小倉山の峰の紅葉(もみじば)、月に黒みて、釈迦堂の山門、木立の間に鮮なり。噂に聞きしは嵯峨の奥とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便(たより)に尋ぬべき、~」(滝口入道/高山樗牛・青空文庫より) <右写真は現代の滝口寺→>
 平家物語では十巻に「横笛」があって、こちらのほうが樗牛よりもあっさりしている。みたところ樗牛が録した釈迦堂も出てこないので、樗牛は直接嵯峨野を訪れたのだろうか。釈迦堂は清凉寺(せいりょうじ)の方があらたまった寺名で、近所の小学校に通っていた余はそのころ「しゃかどう」としか聞いたこともないし、言ったこともない。

参考
  滝口寺(京都観光NAVI)

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