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2011年2月28日 (月)

小説木幡記:通り過ぎていく21世紀の日々

Muimg_5274 毎日が愉しいので、このままなら百まで生きていたいとおもうわけで、この原因は要するに「彼岸を見てしまった」からだと想像している。事実は、日々情報に埋もれ宿題にせかされ、なんと貧相な人生と思わぬわけでもないが、「辛いな」と呟くまもなく、この世がカラフルに見えて、結局にたにた笑ってしまう(気色わるいな)。わかりやすく申すなら「ぼろは着てても心の錦」状態だね。あはは。
 というわけで断片的な日々の中から気になって愉しいネタを記録しておく。

1.雪舟の山水長巻と楽隠居模写
 このことをNHKで見ていたら、まず雪舟のよさに感じ入った。次に、雪舟に惚れ込んだ明治人?が、40代で楽隠居して、70過ぎまでずっと雪舟を模写していたという話に、さらに気に入った。おそらく実業で成功された方だから、40代で隠居できたのだろうが、それにしても「よい人生だ」と思ったな。

2.ジオラマ、鉄道模型世界の興隆
 この3月1日に、京都の嵯峨野のトロッコ鉄道で、日本でも有数の規模を持つ「ジオラマ・京都・Japan」が開設されると、友が教えてくれた。近所だから行くつもりだが、ここの駐車料金が1500円、入場料が500円と知っているので頭が痛い。毎日2000円もかけたら、月20日勘定で、4万円もかかる。もちろん推定2億円もかかったジオラマだから毎月4万円掛けても見ておく意義はある。

 この3月半ば14日にヒツマブシ名古屋で、JR東海が「リニア・鉄道館」を開設する。ジオラマの規模は嵯峨野トロッコの方がほんの少し広いようだが、こちらは規模の大きいミュージアムだから、ちょっと味わいが異なる。楽しみだ。

 この12月になると、横浜に「世界模型鉄道博物館」が開設される。噂では世界有数の博物館になるようだ。この話は以前、原さんという神戸の芦屋に住まわれていた実業家の図書を読んでいて、知った。それから数年、やっと開設されるようだ。楽しみ。

3.ROBO XERO(ロボゼロ)
 週刊誌ロボゼロは70週でロボットが一台完成するわけだが、余はこの初号を重複も厭わず2冊購入した。初号にかぎり790円で安価なのも事実だが、ここに入っているロボット顔が気に入ったので。少しあごを引いた好男子である。これを以前の少年司書ロボ(プチロボX)の顔にしようと考えた(笑)。

4.アスペルガー症候群
 ここ数年、アスペルガー症候群についてアンテナを張っている。そういう図書も読んで、気に入った。つきあうにはしんどいが、なかなか面白い人達だと思った。たとえば、MSの創立者、アップルの創立者、著名な映画監督、作家、~多士済々、大抵はアスペルガー症候群の診断がおりるようだ。本人達は随分苦しい思いもするようだが、余は「彼岸をみなされ、楽になるよ」と教えてあげたい。

 最近、専門家にもちょっと聞いて見たら、男性に多いらしい。もともと女性として創造される生命に男性ホルモンの大量シャワーがかかると、男が分化すると思っていた余には、脳と男性化の間にアスペルガー症候群が生じるのかな、と想像した。そうそうこの症候群は、知能の高い自閉症と考えると、わかりやすい。外観としては、言語機能が発達しているが、それとアンバランスな挙動が特徴らしい。

*.などと愉しい断片世界
 こういうことを日々あれこれ考えておると、この世は愉しくなる。はてさて、ニコチン断って丁度1年。ニコチンという脳内快楽物質の代わりに、余はあらたなシステムを脳に作り出したようだ。血管がつまると上手にバイパスが出来るのと同じく、ニコチンを断つと上手に別の物が生まれてくる。だから、こんなに日々世界が愉しく見えるのだろう。

 諸君、彼岸を見なされ、聖徳太子さまが申されたと噂の、世間みなこれ虚仮(こけ)と、一度思った上で、だからこそこの世はなんとでも解釈できる、それが愉しいと感じられると楽になる。
 それが彼岸を見る序章じゃね。
 (本日のMu宗教談義、これにて終わり)

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2011年2月27日 (日)

NHK江(08)初めての父:柴田勝家の後継者?

承前:NHK江(07)母の再婚:清洲会議

 NHK記事で予習しましたら、柴田勝家は初婚だったようです。なんとも、思い込みとは危ないものです。
 しかし。
 いろいろネットで調べたのですが、実子はいなかったのでしょうか。結婚しなくても子は生まれますが(笑)、養子らしき武将はいるのですが、実子として「勝家の跡継ぎ」という情報をなかなか得られなかったのです。
 没年から数えると60~62の頃に秀吉に攻められて城を枕に討ち死にしたわけですが、当時の60歳というのは現代の70歳以上の感覚ですね。人生50年の世界ですから。それで明確な後継者が後世に伝わっていないということは、いろいろな面で他の武将達に比べてハンディがありました。

 いえ。
 確かに尊敬する信長の妹で、絶世の美女を妻にしたのですから、勝家の気持ちは高ぶったことでしょう。新たに娘となった子らも美しい女性として成長するのは目に見えています。婚姻によって勝家の余生は保たれると想像できるのですが、それにしても、後継者の話をこれまで耳にしなかったのが、ふと気になったのです。

 さて。
 名将、浅井長政の実子、娘であることを誇りに思う長女と次女はなかなか勝家を父として受け容れられません。江は受け容れても良いのですが(長政を知らずに育った)、姉さま2人に叱られます。そして、母の市自身が、ようやく「妻」として勝家に心を開けていなかったことに気付くわけです。
 このあたりの家族の情景は苦手なのですが、そうは言っても心のしこりがいろいろあるだろうとは、朴念仁の私にもよおくわかりますし、描き方も自然でした。

 さて、転機は江が遠乗りにでかけて行方不明になり、一晩かけて勝家が江を探し、翌日しゃらりと帰ってきた江を勝家がしばき倒すことで氷解していきました。これもよくある話とは言っても、前後関係から自然に思えたのです。勝家は武将ですから、配下のことや「命」のことや「無謀さ」のことをよく考えて、娘を折檻し「上に立つ者は下のものに気配りせねばならぬ。江が無事帰ってこなければ、馬を世話していた下人の首が飛んでいた」と、江に教え「この者に詫びよ」と叱りつけるわけです。
 この有様を見ていた娘達やそして市は、勝家の気持ちをきっちり受け容れたわけです。

 ところで、勝家が京から取り寄せた櫛や帯や菓子に、娘達が狂喜する姿が描かれていました。これも自然に思えました。実は、私も幼き頃に兄が時々家に土産物を持って帰ってくるのが楽しみだったのです。こういう感情は現在のような豊かな時代、ものがどこでも手に入る時代では、なかなかわかりにくいでしょうね。

追伸
 むかしの「義経」を思い出しました。奥州の藤原の長男・泰衡(やすひら)が山に迷って戻ってこなかったとき、鞍馬で修行した義経が経路を想像し、無事長男を助け、父親の秀衡(ひでひら)にものすごく感謝された場面です。思い出したのはただ、それだけのことです(笑)。

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小説木幡記:茅原大墓古墳出土・盾持人埴輪の感想


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 2011年2月24日(木曜)に桜井市教育委員会が、「国内最古の人型埴輪:盾持人」を発掘したと発表した。場所は、三輪山の麓、箸墓と檜原神社の中程の南で、JR桜井線の東側にあたる。JR巻向駅を下りて、南の箸墓にお参りして、東に向かって三輪山の元伊勢・檜原(ひばら)神社をめざしてぶらぶら歩くと、途中に池があって、その上にある、茅原大墓古墳の東側くびれ部分にあたる。現実には木々で分からないが、珍しい「ホタテ貝式前方後円墳」と言われている。円墳にしか見えないが(笑)。

 ここから、顔を赤く塗った身長1m(実際部分は70センチ程度)ほどの不気味な顔の埴輪が出た。新聞では、へき邪(魔除け)だとか、盾を持った人の原型とか、いろいろ研究者の話があったが、余にはまだ分からない。写真を載せれば雰囲気はすぐに分かるのだが、新聞社の労苦をかすめ取るのもよくないし(著作権侵害だな)、URLを書いても最近の記事はすぐに隠れて有料になるので、写真は諦めた。そのうち、桜井市埋蔵文化財センターに行って直に写真を取って掲載する。
(しかしほとんどの博物館や寺社仏閣は、勝手に写真に撮るなというし、我が国には公正利用の考えが無くて困る脳。博物館にあるようなものや、寺社仏閣の景観は、みんなの財産なんだから~)

 話がそれた。
 今日は、そういう話があったということにとどめておく。人物埴輪はこれまで河内の巨大古墳を中心として、5~6世紀のものと考えられていたが、この人型埴輪は、河内ではない神山・三輪山麓の物だから、珍しいというか、少し異変と捉えて良い物らしい。

追伸
 茅原大墓古墳は全島が66m(参考:最近の復元では85mとなっていた)の小振りな、新しい前方後円墳らしいが、余は昔から、この古墳のことが気になっていた。場所が箸墓よりも絶景地にあるからだ。それに茅原という地名は、神浅茅原(かんあさじはら)に比定される。たしかに檜原神社もすぐ近くだから、蓋然性はある。そういう場所の古墳だから、気になっておった(笑)。新しい(4世紀末)と言われているが、こういうものの年代はようわからぬ。

参考
  発掘調査現場から(248回)広報「わかざくら」 平成22年9月掲載
  ・茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)第3次調査(桜井市教育委員会)  

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2011年2月26日 (土)

小説木幡記:応神天皇陵への研究者立入調査・感想


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 2011年2月24日に、国内で2番目に巨大な前方後円墳の応神天皇陵(全長420m強、後円部高さ36m、直径270m弱)に日本考古学協会などの研究者16名が立入調査をした。しかし後円部や前方部によじのぼったのではなくて、周壕(ため池のような)をたたえる堤(内堤:ないてい)を歩いただけのようだ。結果、内堤には円筒埴輪が2列に並んでいた可能性が分かった、らしい。

 天皇陵や陵墓参考地(皇室に縁が深いと考えられる古墳など)は、宮内庁が調査を拒んできた。平成20年に奈良市の北にある神功皇后陵への立入を認めた。宮内庁が長年、古代陵墓への学術研究を許可しなかった理由は、よく分かっていた。墓は暴くものでもないし、荒らすものでもない。「調査」「研究」とは暴き、結果として荒らすことに近い。以前の風潮として、文化体系が異なったり、政治思想信条に過激な研究者なら、崇敬の念をもてない墓を破壊しても痛痒を感じないだろう。日本の古代史が分かることの意味や意義は、時代や研究者や国民によって異なる。学問と言っても、どこかの捜査機関のようにあらかじめ「すじがき」があって、それとは異なる物は破棄するかもしれない。などと、宮内庁の代わりに考えると、一過的流行のような学問美名のもとに、大切な精神的支柱の根元を掘り起こすのは、ご先祖さまに対して申し訳ない、となるのかもしれない。

 今回も先回も、後円部を掘り起こしたわけではない。聖地、敷地内への立入と観察を認めたということだ。しかしそのレベルでも公的には不可能だった研究者達には朗報だったと思う。どういうセレモニーのあとで立ち入ったのかは興味が湧く。余の考えでは、天皇霊を一時的に遷し奉れば、後円部深部まで立ち入っても、それは単なる丘に過ぎぬから大事ないという考えだが。だれも賛同はしてくれぬだろう。

 それにしても、先回の神功皇后比定陵墓と、今回の応神天皇比定陵墓とは、いわば河内王朝の母と子との関係にある。なんとなくそれ以前の仲哀天皇を最後とする三輪王権とは切り離された系譜だから、この二つの調査を認めた宮内庁、書陵部の考えとして、興味が湧く。

参考
  神功皇后陵の学術調査・見学(MuBlog)
  応神天皇陵と二ツ塚古墳の関係(MuBlog)
  日本考古学協会

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2011年2月25日 (金)

小説木幡記:魂の不滅ということ

Muimg_5079 信仰心がないまま馬齢を重ねたが、ちかごろふと「魂」について思うところがあった。霊魂不滅とか、霊能世界とかよくテレビや雑誌で話題になっているが、大抵は人の弱みにつけ込んだインチキな商売が多い。それにころりと騙されるのはよほど悲しんでいるとか、苦しんでいる人にとっては、なにか速攻の救いがあると聞けば、お金に糸目を付けずに楽になろうとしてしまう。勿論、人にもよる。病気の末期症状の人がそういうことにすがりついても、なんとも言いようがない。

 さて。
 話がそういう世相批判に行きかけたが、本旨はそうではない。「魂」について。それは自分の「心」ではないかと、さっき気づいたのだ。何を今更とおっしゃるな、諸兄姉。要するに余は長年、死んでしまえばすべて終わりと思っていたし、今もそう考えておる。
 しかし。
 勿論、幻想幻視をもたらす分子生物学的脳の分析とか、心理学的、SF的、超常学的に心のことを捉えるのではない。
 単純に、「今ここにいる余が父や母や祖母の笑顔を思い浮かべる。すると、死んだ両親や祖母は、今余の心の内に生きている。その魂も輝いている」と、いうことに気付いた。「なーんだ、そんなことか。だれでも死んだ人を思い出すよ」と、これまで余は安易に考えてきた。なれど今、余は悟った。「そのことが、霊魂不滅の意味である」と。

 少なくとも、余が生きていて、両親や祖母を思い浮かべ、ともに過ごした日々を懐かしみ、いまだに「祖母なら、このことについて、どう言うだろう?」「父なら、この場合、助けてくれるか、自分でやれと言うか?」と考え続ける限り、彼らの魂は余の深奥にて不滅である。
 魂をもう少しわかりやすくメモしておく。生き方、考え方、感じ方、話し方、対応の仕方、そして具体的に母の化粧の匂いとか、祖母の髪油の匂い、父のひげそりあとの感触や手触り~それら全部をまとめたものが、その人の「魂」だと、余は分かった。

 余が生きている限り、余の中で、魂は不滅なのだ。
 実に単純なことだと、分かった。

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2011年2月24日 (木)

小説木幡記:滝口寺への道行き文

↓銀閣寺のノアノア旧館
Muimg_5278 明治時代の文人・高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)に『滝口入道』がある。日本の高校生なら文学史などで習っているはずだが、これを読んでいる人は少ないと想像する。しかし現代は、インターネット上に「青空文庫」があってそこに納めてある。だから読もうと思えば、誰にも身近になっている。

 勿論、わが賢者板(iPad)にはこの青空文庫をストレスなく読む装置「i文庫HD」があるので、いつでも気軽に読める。平家物語を題材にした『滝口入道』は、建礼門院(平清盛の娘)の付き人「横笛」が、自分を恋したあげく親に叱責されて出家した、滝口入道時頼(斉藤時頼)を、嵯峨野の往生院に訪ねる場面が印象深い。斉藤時頼は小松殿(清盛の長男、平重盛)の武将だった。
 一般論として「道行き文」は男女が心中しにいく、死出の道中模様を描いたものと学んでいたが、もう少し広く、ある場所へ行く道すがらの風景と心情とを合わせ描くところにおもしろさがあって、古典になると現代人の余にはなかなかわからぬが、密かに韻がふまれていて、掛詞や枕詞という言葉の綾が織り込まれているようだ。
 以下は樗牛が描いた一節だが、嵯峨野が遊び場だった余には、なにか懐かしい場面である。
Opimg_5329

「~嵯峨野も何時(いつ)しか奥になりて、小倉山の峰の紅葉(もみじば)、月に黒みて、釈迦堂の山門、木立の間に鮮なり。噂に聞きしは嵯峨の奥とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便(たより)に尋ぬべき、~」(滝口入道/高山樗牛・青空文庫より) <右写真は現代の滝口寺→>
 平家物語では十巻に「横笛」があって、こちらのほうが樗牛よりもあっさりしている。みたところ樗牛が録した釈迦堂も出てこないので、樗牛は直接嵯峨野を訪れたのだろうか。釈迦堂は清凉寺(せいりょうじ)の方があらたまった寺名で、近所の小学校に通っていた余はそのころ「しゃかどう」としか聞いたこともないし、言ったこともない。

参考
  滝口寺(京都観光NAVI)

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2011年2月23日 (水)

小説木幡記:楽しいことを思い出す

Muimg_4163 近頃の楽しいことはなんだろう? と考え込んでしまった。世間とは人の不幸は蜜の味だが、逆に余が日々楽しいといえば恨みをうける。だからいつもずっと不機嫌な怖い顔をして睨み付ける練習をするが、葛野研や木幡研のドアを閉めて、一人になるとすぐに元にもどって、頬がゆるみ楽しい気分になる。

 一体なぜ、どんなことに楽しいのか?
 何故かは、はっきりとはわからないが、丁度一年前に心臓の血管をごにゅごにょしたり、その予後の「薬」が効きすぎて胃から大出血して意識が遠のき、一種の臨死体験をしたから、こうなったんだろうと、夕食を食べながら、クリント・イーストウッドの最新作の話を聞いて、分かってきた。要するに、余は彼岸を見たようだ(笑)。

 だから40年間、昨年値上がり前のタバコ換算で、一千万円も投入して得た「ニコチン中毒」にサイナラして月々二万円ほど浮き出したので、近頃は贅沢もやめて学食なんかつかって、お金を貯める楽しみも見つかった。日々ちゃりーんと、500円玉が貯金箱に入って、数年後には天体望遠鏡でも買って、土星の輪を眺めるという少年期以来の楽しみにふけるわけだな。あるいは二十万円ほどする真鍮製の蒸気機関車を買って木幡の天井を走らせる楽しみ~。カシオペアに乗って北海道へいくとか~。ちょっと贅沢をやめれば、楽しいことは一杯転がっておるぞ。

 iPadにときどきiTuensから映画を借りたり、図書を買う楽しみも増えた。最近角川の電子・歴史事典が安価だったので買った。丁度見やすい大きさの画面だから、見て触って楽しいものだ。新車を買ったが、これがすぐれものだ。非力な馬力に、ほんまものの4輪ベンチレーテッド・ディスク(以前は前輪だけだった!)が付いていて、アルミホイールと合わさって足下が精悍になった。さらに一瞬わらってしまうが、以前は高級スポーツカー仕様だった、ハンドル下のパッドで変速させる「パドルシフト」には仰天した。どれくらい普及しているかはしらないが、まるで昔のレーシングマシン~と、気分だけは上々で、思い出し笑いしている。

 満鉄パシナの牽引がまた弱まったので、液体ゴムを爪楊枝で動輪ふたつに塗り込んで、一時間後に乾いたことを確認して走らせたら、坂道なのに重いアメ車も2両ふくめて、室内灯付きの全6両をぐいぐい引っ張り出した。これも楽しいな。

 なんだかしらないが、毎日MuBlogが書ける。あはは。
 ということで、今夜も眠くなった、また明日に。
 きっと楽しい明日が待ってオル。
 おお、そうそう、わすれるところじゃった。今日は午後一杯の会議デー。夕方遅くまで楽しく会議に出席した。うむふむ。会議まで楽しくなったらaries、こりゃ世も末邪ね。

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2011年2月22日 (火)

小説木幡記:事典形式のジオラマ図書

Muimg_6913書店でムック
 お昼の散歩に近所のイオンモール「ハナ」に出向き書店を眺めたら、『Nゲージ鉄道模型大事典:作りたいもので引ける!!』があった。成美堂出版1680円。大垣書店。編集陣をふくめて版元や書店に、それぞれに布施をしたような気分だった。実は、といまさらだが類書はいくつも持っておる。事典形式も、ないではない。だが何故入手したかというと、夏に「未来図書館ジオラマ」を昨夏に続けてまた開催するからだ。昨年夏の経験では、手持ちのレイアウト(ジオラマ)製作ムックを十数冊ならべておいたら、その数だけの学生がまめに写真や解説を眺めていた。それでも時々「滝はこんな風に作ったらどうだ」と言っている横で「踏切はどうしましょう」あるいは「岩はどうしたら~」「川らしく無くって」と、そのたびにそちらを向いたり、「えっと、あの雑誌のあそこら辺に、たしか記事があった」とか。今夏はそれを見越して、事典・索引目次形式で「草をまく」「田んぼをつくる」「池はどうする」、……が分かるような、明瞭な図書を今から用意したわけだ。

はかどらない委員会仕事
 じつは~ひまそうにみえるが、その内実はつぎつぎと新手の仕事が舞い込んできて、おぼれかけておるdash。手が遅いという生来のことも影響しておるが、余は初めてのことには随分失敗が多い。ふりさけみれば、能力や実力の10%くらいしか出せない。これでいろいろ苦しい思いもしてきたが、それを超えると普通よりちょっと仕事下手になるので助かってきた。普通は仕事上手にはならない。
 もちろん好物、好きなことは人の数倍の出来映えと速度があるから、人生平均して+-のつじつまがあっておる。でじゃ。新しい書式や新しい考え方が今朝舞い込んできて、それが余の委員としての勤めだから、パニックになった。その傍らで、先年末からまだ続いている仕事がエクセルに乗ったままディスプレイの一角を占め、メールはくるわ、岩製作の石膏と水の割合は失敗するし、5色のアクリル水性噴霧を同時にやっておったら頭はくらくらするし、コーヒーメーカーは割れるし、……。人生とは、ものすごく、辛いものだねぇ。この四月からは、授業のコマ数も増えて~、半泣きになりそうだ。と、不幸は続く。しかし塞翁が馬ちゅうか、禍福はあざなえる縄のごとし、よいことわるいこと全部まとめて経験し、やがて死んでいく。おお、人生(笑:いちいち詠嘆するのも、かんがえもんじゃね)!

*お愉しみ
 ドラマの砂の器/松本清張、が2011年3月12(土)13(日)の二晩で放映されるとのこと。TV朝日って、うちのTVでも映るはずだ(爆)。
 愉しみじゃね。
追伸
 昔、清張原作のドラマ化で失望したことがあった。清張原作はたいてい時代背景をきっちり描写しているから、今でいう差別語などもそのまま出てくる。これがTVになると、随分変な置き換えをしたりして、まるっきりわけが分からなくなる。主人公(犯人)の苦しみ切なさ、そういう感情の深いところが消えてしまって、「この人、なんでこんなに悩んでいるの?」と、なってしまう。
 さて、今回の「砂の器」は、どうなんでしょうね、それも愉しみ。

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2011年2月21日 (月)

小説木幡記:日曜はごろごろ、月曜はしゃかしゃか

Muimg_6937

 一週間7日の制度はいつ頃から日本に定着したのだろうか? といろいろ考えて調べてみたが、平安時代に伝わった説はたしかだろうが、実際に毎日のこととして使い出したのは明治時代からのようだ。

 一般に日本人は幼小中高大と、一週間で過ごし、社会人になっても大抵は一週間単位で仕事が進むので、この制度は一日に二食か三食いただくのと同じで、習慣になってオル。特例を除いては一週間単位で物事が進むという長い人生なので、毎日が日曜日になると心身に異変を来すことを言いたかった。

 しかし24時間の中で昼夜に従って心身が反応し、四季に応じて対応していくのは、人類発祥以来のDNAに刷り込まれた特性だろうが、一週間7日ですごすのは、社会体制・慣習の中でうまれてきたものではなかろうか。つまり人生の児童期~60歳台まで7日制度に生きていても、それが人間存在の普遍性に結び付くとは、考えられない。

 だからやがて毎日が日曜日になる、つまり毎日ごろごろしそうになる。もちろん、それでも月曜しゃかしゃかと動き回る気持ちは大切だ。「月月火水木金金」という歌があったが、これは土日ぬきなら一週間が成り立たないことの裏返しの意味なのだろう。そしてまた、土曜日を半ドンというのも、これも明治時代の遺制のようで特殊日だな。ドンタークが土曜日の言語なのか、時砲を打つのか、いろいろ説はあろうが、土日が週休二日制となったのは、余がまだ若い頃の話であった。

 奈良時代や平安時代の官吏は律令制の中で休んでいたのだろう。いろいろ説もあるので専門家に聞かぬとわからぬ。お役人の仕事をする時間が、庶民よりは気楽なほどに少なかったのは事実だろう。なにしろ毎日のことでさえ、朝廷というのは朝に仕事して、午後は休暇と言われるくらいだから~

 後のためにまとめておこう。
★ たぶん一週間7日で回転させるのは社会習慣。睡眠のようには、生物人間的な普遍性が無い。
★ だから毎日が土日になっても睡眠障害のような重篤な症状にはならぬだろう。
★ よって、ルールは自分で決めれば良い。
★ 余は、将来に、毎日が日曜日は退屈だろうから、
  {ごろごろ+ごろごろ+しゃかしゃか+しゃかしゃか+しゃかしゃか}
  の完全5日制で生きようと考えてオル。
★ 世間とはずれてくるので、世間とのずれを調整するなら、
   {ごろ1(金)+ごろ2(土)+ごろ3(日)+しゃか1(月)+しゃか2(火)+しゃか3(水)+しゃか4(木)}
   となろうか。
   なんのことはない、週休3日制といえば、通りよくなる。

 結論。
 世界が週休3日になれば、失業も少なくなるかな。勤務日の譲り合いだな。

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2011年2月20日 (日)

NHK江(07)母の再婚:清洲会議

承前:NHK江(06)光秀の天下:明智光秀の坂本城

予習
 NHKのページから予習しておきました。
 山崎の戦いで秀吉が明智光秀に勝利したわけですが、織田信長の遺産をだれが引き継ぐかはそう簡単には行きません。そこで織田家の筆頭家老ともいえる柴田勝家が清洲城にて全員集合を掛けるわけです。

 織田家の跡継ぎ候補として、
 次男:織田信雄: 信長の本能寺変では、うろたえて有効な働きをしなかったようです。支持者がいません。
 三男:織田信孝: 信長が光秀の代わりに四国侵攻の総大将を命じたくらいですからやる気はあるのでしょう。柴田勝家が支持。
 孫の:三法師: 信長とともに自刃した長男の織田信忠の子で三歳。秀吉が支持、つまり後見人。

 話として、三法師が後継者となるのは長子相続からするとおかしくないですが、3歳ですから後見人の秀吉が織田の遺産をすべて牛耳るのはみえみえです。だから柴田勝家は反対しますが、一説では秀吉があらかじめ、丹羽長秀と、池田恒興に、後の領地安堵を約束して根回しをすませていたわけです。いやはや。

 そこで、柴田勝家は北ノ庄(福井県福井市)へ帰るわけですが、秀吉にとっての宝物、信長公の御妹「お市」さんを、勝家は後妻とするわけです。正史にはあらわれませぬが、このあたりの男同士の恨み節というか深い駆け引きは、たぶん本当なんでしょう(笑)。

復習
 さて、江。
 秀吉役の俳優が健闘しております。その不気味さ、ずるさ、おもしろさが上手に描かれております。
 そしてまた千利休も健闘しております。その、権力者を渡り歩く不気味さがよいです。茶セレモニー振興のためなら心も身も売り渡すという気概を感じました。戦国時代ですから、どんなことも、命がけにならざるを得なかったのでしょう。
 柴田勝家も健闘しておりました。咆哮する勝家と、お市方の前でかしこまる対比がよかったです。
 娘達。
 母親が再婚するというのは、父親を2人以上持つことになり、想像以上の辛さがあるのでしょう。しかし江は実父・浅井長政を知らないので2人の姉とは少し反応が異なります。

 お市さんは、娘達に「武将として柴田さんに嫁ぐ」と説明します。お市さんにとっては羽柴秀吉をどうしても受け容れることが出来なかったのでしょう。愛した浅井長政を直接城攻めして自刃させた実行犯だった秀吉への、心理的恨みは消えないと思います。そして、自分の成人した甥(兄・信長の子)が後を継ぐことで織田家は安泰と考えていたのに、秀吉が策略を弄して、三歳の三法師を担ぎ出し後見人として織田家、あるいは天下を我がものにする魂胆に、納得できなかったのだと思います。だから、柴田に嫁ぐのは、政治的にも、実家の事情からも、そしてまた、お市本人と娘達の将来からも、筆頭家老と再婚するのが最良の選択だったのだと思います。一般に歴史的には、後見人というか実家というか有力な保護者無しの女性は、生きにくいわけです。

 ただし。
 江だけは考えが微妙に異なります。その異なりを姉や母や回りに、うまく説明できない江がいます。亡くなった信長や、生きている徳川家康や、あるいは千利休は、(もしかしたら秀吉も)そういう江の独特の考えや感じ方を理解してくれるわけです。その中で、江が自分の考えをしっかり回りに示すまでには、あと一ヶ月ほどかかるのでしょう(笑:つまり4月以降でしょうか)。

参考
 三法師は後に織田秀信と名乗り、官位もたまわって岐阜中納言と呼ばれたようです。


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小説木幡記:個性と没個性

Muimg_5716▲葛野でも企業説明会
 最近葛野で三日間連続の、企業セミナーがあった(ようだ)。実際に会場に入ったわけではないので、様子はわからないが、新卒者採用のためのセレモニーが本学でも始まった。まだ学生達は3年生の者が多い。さて、一般論として自分の通う大学で沢山の企業がまとめて説明会を開くのは、気持ちにゆとりも生まれ、よい企画だと思った。ただ、二三聞いて見ると、ここには「説明」の人がやってきて、採用に直結する面接というか、より個人的な面談はなかった(と、聞いた)。

 まとめて面接してあれこれ決めていけばよいのにと思ったが、企業には企業の論理とか掟があるのだろう。組織が人ひとり雇うと、その一人分とは維持費を入れて本人に手渡す給料の2~3倍かかるそうだ。たとえば年収300万円本人が受け取るとすると、総額1000万円近くの出費になるのだろう。
 ならば、余を養うのに大学は数億円かかっておるのかのう(うけけ、嘘ですよ!)。

▲今日は企業の味方する!
 さて今日は企業の右肩を持とう(その次はきっと左肩を踏みつけるにきまっておるが)。社長になったつもりで、人を採用することを考えると、採用に失敗すると年間1千万円をどぶに棄てるようなことになる。まして、2年間くらいは初心者運転で、おおめにみてそれでも給与ボーナスをちゃかちゃか支払って、さて3年目にようやく「一人前になったかな」と、思ったとたんに「一身上の理由で辞めます」と言われると、うむ。もちろん物事現実世界ではなべて歩留まりという考えがあるから、最初から半分は棄ててかかって、計算し心つもりをしていると言っても、そういう人の心の事情、都合に左右されるのは計画性や採算性の上からは、しんどいだろう。

 だから、昔は露骨に「たこ部屋」とか「年季あがり、借金返すまでは、奴隷じゃぁ!」とかいう考えが社会に大手を振って通用しておったのだろう。ああそうだ、今は知らぬが、昔は防衛とか軍の教育機関は学費免除・給金付きで若者の面倒をみたそうだ(笑)。で、ようやっとまともな軍の指揮官卵に成長したなぁ~と思ったとたんに、「私、戦争は嫌ですから、普通のサラリーマンになります」と、言われると、これは税金がかかっておるから、まことに難しいなあ、防衛大学任官問題。

▲会社の正義
 というわけで、今日のところは採用する側の正義を推測しておる。
 実際に、仕事とは難しいものだ。なまなかの根性では自分を喰わしていく対価を得るのはしんどいことだ。余など生まれた時から、人から「Muは遊んでばかりいる、怠け者め」と言われ続けてきたが(本当)、人の実情は親知らず、じゃなかった、人のことは分からぬもので、その間余がどれほどの艱難辛苦にたえてきたかは、誰も知るまい脳、皆の衆(笑)。たとえば、仕事でシステムを設計制作したとき(20代の終わりかな)、余は何年間も日曜祭日休日なんか無い世界で、泣きながら一日13時間、キーボードにむかっておった、ぞ。中年の頃、ある関係プロジェクトが無事終わって一ヶ月後に余は体重が3キロ増えていた(つまり、元にもどった)。

 だから新しく社会に羽ばたく若者ズよ、社会にでて普通の給料をいただくということは、人間関係がどうのとか、お友達ができるできぬとか、毎日気持ち良くはたらけて回りにもかっこよく見られる~、そういう極楽とんぼみたいな考えはまるっきり通用しないものなんだ。40年後、「ようやっと、いのちからがら逃げ帰った。同僚たちの多くが戦死した」と、呟くような世界かもしれない。だからこそ、いましっかり自分を鍛えなされ。見方を変えれば、仕事はスポーツにも通じる。

▲個性はどこに~
 さて。
 そんな中で黒服、スーツ姿はまるで喪服に見えた。もちろん黒や喪服が極端に似合う人はいる。
 しかし没個性の黒、白いブラウス、モノトーン。企業も若者達も、なんだか、端から見ていると大芝居を打っているようで笑ってしまった。つまりここ何十年間も、世間では、やれ個性の、オンリーワンの、ひらめきの、耀きのと、お互いに言っているのに、肝心の正念場になると黒服一色で個性を消せといい、そしてまた、当然のごとく茶髪やカラーコンタクトをもどし制服に着替える若者達~。
 TPOなんてまるっきり嘘方便。一事が万事。根性がねじ曲がってオル。
 嘘嘘しい世界じゃのう。
 
 いつか、もっと別の視点で企業と新人が歩み寄る社会になればよい。
 そうそう、夏に客人が暑苦しい暗いスーツで来ると、当方まで蒸し暑くなって、「その服、止めて欲しい」と、本気で言う。相手に不愉快な想いを抱かさないのが、真の礼節というものじゃ。マニュアル通りにやって、なにが礼儀か、と思うMuであった。
 (夏は全員ステテコ腹巻き、チジミのシャツじゃねぇ~それ以外は、カス)

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2011年2月19日 (土)

小説木幡記:学食と散歩のいいとこどり

Zmuimg_1793 ふと、2月も下旬だったと気づいた。いろいろな仕事が幾分はかどってきたが、まだまだ~。責務や、やっておきたいことや、いましておくと後が楽になることがたくさんある。
 さてここ数日の嗜好は学食と散歩だな。二つは微妙に別の話だ。

 まず学生食堂だが、大規模大学に勤めていた頃は、生協とか言って朝から晩まで、夏期も冬期も年がら年中開店していた。便利だった。で、葛野は小型大学なのと女子の大学なので、休暇期間中は大学から人の気配がなくなる。若い女子は休暇になると実家に戻す風習だな(笑)。すると、学食も閑散としてくるので、営業時間やメニューがずいぶん小振りになる。その制限の中で、味もそこそこ、値段に至っては市井の2/3~1/2だからたまらぬ。たとえばチャーシュー麺は町なら800~900円だが、学食なら300円台となる。チキンソテー野菜付き+味噌汁+ご飯小→480円だが、近所だと600円を超える脳。日々お勧め品が変わり、それをいただいていると500円~300円ですませられる。要するに、これまでの半額だな。昼食に2万円かけていたとすると、月に1万円あまる。年間12万円。20年で240万円だから、こりゃ大衆自家用車が買えるではないか! こういう楽しみを余はずっと捨ててきた。おお!

 次に散歩だ。
 近所の京都ファミリーやイオンモールへ徒歩でとぼとぼ歩くだけで、本屋巡りもできて、おまけにそれだけで往復3000~4000歩稼げる。萬歩には及ばぬが、これほど健康的な散歩もないなぁ。なにしろ書店やPCパーツが潤沢にそろっておるし~。徒歩分だけだと、北の京都ファミリーも東のイオンモールも往復30分を切る。余のとろとろ歩きでもそうなんだから、若い者なら往復20分を切っておるだろう。ともかく、これまでずっとイオンモールはバスか自家用車で行くものと思っていたのが、実際に歩いてみると、行き慣れていた北の京都ファミリーよりも距離が少し短い。
 ただし、これと昼食を合わせると、一挙に1000円昼食になってしまい贅沢の極みとなる。散歩で体脂肪が減っても、チャーシュー麺やとんかつや串揚げやハンバーグや板メシでは、なんとも寿命が縮む食餌であることや。これからの食は薬膳でなくてはな(笑)。エビフライがどれほど大振り、味がじゅわっと口腔を満たしても、うむ、揚げ物の油は劇薬みたいなもの~。

追伸
 最近写真がどうしても右肩に下がるから、本気で目や脳の情報処理が狂っている(たとえば脳腫瘍)のかとおびえたが、なんとなく、カメラの問題もあるようだな。右肩下がりの写真。脳がくるっているのか、カメラが狂っておるのか、難しい問題じゃ。

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2011年2月18日 (金)

小説木幡記:邪馬台国中央図書館

Muimg_6951

 写真は三輪山の近くの頂上に収まった「邪馬台国中央図書館」である。余が造ったのではなくて、局長2010が忙しい合間に手間をかけて制作したものだ。なかなかに精巧なもので余には到底組み立てることができない。なにかしら独特の手技であるなぁ、と感心して工作を見ていたことがあった。

 この屋敷に色を塗るのか、汚れを出すのか(ウェザリング)は、今のところ考えてはいない。現状を壊すのがもったいない気分だからだ。どんとそこにあるだけで、「邪馬台国中央図書館」に見えてくるからふしぎだ(笑)。しばらくはあれこれ考えないでおく。ただし~図書館と地面との接合部には近日中に紙粘土やバラストや色粉をまく可能性がある。

 ところで、邪馬台国周遊図書館ジオラマ自体は、以前の作業からまるっきり進んでいない。考えあぐねている点もあるし、授業のある通常期は工作に専念できない事情もある。問題は山肌だ。余はこの岩岩しているのが好きだが、黒を使いすぎたせいか、見る者によっては山と見てくれずに「廃坑」とか「岩窟」と言い切ってしまう。たしかにそういわれてみれば、そうも見える。~色粉をまいて、植林をして、それなりに普通の山々しくする必要があるのかどうか、あるいは、自らの感性を信じて「これは、神聖な山じゃ」と、いいきるべきか、迷う。

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2011年2月17日 (木)

小説木幡記:暇そうで忙しく

Muimg_6931 書店を覗いたら、文庫本上下、砂の器/松本清張が山積みしてあった。そういえば長く読んでいないので、購入した。例によって三月に二夜連続のドラマになるようだ。玉木さんという俳優~たしか、NHK篤姫で龍馬になった人だ。余にとってもこういう催しは密かな小さな楽しみだ。ところで、それまでに清張さんの文庫を再読するかどうかは考えるところだ。もう、何十年も昔のことだから初読のようなものだ。ドラマが先か、はたまた紙図書が先か、悩ましい日々であるぞぉ。

 葛野のもろもろはひとわたり、一巡したが、さていくつか重い宿題が残っておる。本当に気の重いことが次々とあるが、しかたなかろう、生きている証、税金。ああ、そういえば確定申告も~。うむ。うむ。なんだか仕事をしにこの世にうまれたような気がするな。もともと怠け者だから、この世のルールに従うのが、まるで拷問のように辛い。したが、拷問を我慢しないとたちまち餓死する。この世は辛い脳。

  春からの授業準備。
  夏期論文の前倒し(ジオラマ製作集中授業と研究旅行があるのでな)。
  電子書籍の案件考察メモ。
  校務は錦市場の賑わい。
  島図書館、邪馬台国周遊図書館、山上図書館の製作。
  列車自動運行ソフトウェア製作。
  少年司書ロボット製作。
  倶楽部仕事。
  私事は山積み。

 と、総て暇そうに見えるが、これがぁ、なかなか大変な大仕事ばかり。全部済ませると若死にじゃなかった、死期が早まる脳。しかし考えてみれば、こういうことをしている分には発狂もしない。脳も活性。よきかな、よきかな。あははは。
 発狂はしないが、ときどき鬱っぽくなってくる。
 そういうときは眠ると治る。
 ホメオスタシス完備。

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2011年2月16日 (水)

小説木幡記:電子書籍の意外なギミック効用

Zmuimg_1728 iPad賢者板のことだが、事情もあって最近よく触っている。で、書きにくいことだが、最近はちょっとしたおもしろさ、工夫、仕掛け、要するにギミックに気持ちを向けていることに、自覚した。
 ↑なんともわかりにくい表現だ。

 つまり、iPadでページをめくるたびに、紙がくるりと巻き込むようなそういう見かけ上の仕掛けに気持ちがなごんでいるという、単純な話なのだ。
 余は、先年まではたいした使い方もしなかったので、電子書籍は主に出来合の「i文庫HD」に納められている無料の青空文庫だけを使っていた。もちろん今も使っている。その読書機能が、最初からすぐれていたせいか、件のギミックがあって実に使いやすいものだと、今更感じ入った次第。

 別の電子書籍には、そのギミックがなくて、ページをめくるうちに混乱してきたのだ。

 最初は電子書籍を読むのにまるで紙のページのようにくるくる巻き込むイメージなんか不要だ、と思っていた。せいぜいイベントで初心者の目を丸くさせるくらいが関の山~。
 ところがだ。
 その後いろいろな種類のものを読み出し、使いだし、自分でも造り出し始めてからは、この単純素朴なギミックのあるなしがとても心身によい結果を与えていることに気付きだしたわけだ。もちろん、そのギミック付きの方が格段に読みやすい。

 要するに。
 ページをめくったのかどうか~、ページが前に進んだのか、後ろ戻りしたのか~、ページを飛ばし読みしたのかどうか~。こういう基本的なことが、電子書籍になったとたんに、はなはだわかりにくくなってきたわけだ。これは紙の文庫本なんかでも、ときどきページーを重ねたままにめくって読んでいて「あれ? うまく続かない」と気付くことがあるように、相手が電子書籍だと、もっとはげしい動きをする。極端な場合、なにもしたつもりはないのに(実は指が終了ボタンを押していた!)突然画面が暗転し、元にもどってしまった~。

 こういう時に、ページがじゅわりとめくれ上がるギミックが実に快適だ。「おお、今、ページがめくられた!」と、はっきり分かるわけだな。うむふむ。

Ipad2

追伸
 ページ数というものが変化していく電子書籍世界。
 紙図書は各ページの紙一面に内容が固定印刷されるから、ページ数というものは絶対的に不動で、確かな物だった。しかし電子書籍は版面、構成が自由になるのだから、絶対的なページ数(番号)は変化する、浮動となることが、今後の問題となるだろうな(笑)。

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2011年2月15日 (火)

小説木幡記:日曜作家のあとの平日業務は疲れる

Muimg_6669 今朝は真っ暗な極早朝から2時間日曜作家に勤めた。主人公の小泉佐保が単身で、無人の「渡来館」を探検するところであった。書きながら、さて、鬼を出そうか~蛇がでるのか、ラスモン出すのか、何にもでないのか~、どうしようと迷いだした。ともかく佐保君がモフ君にここで出会うようにしないと、もう後がない。何しろ、第6章のエピローグの直前を書いておるのだから、~。シュールな作品なら永遠に出会わない平行線もあり得るが、余の作品は平板単純わかりやすさを旨としておるので、なかなかに迷う。

 たった二時間だったが久しぶりの日曜作家のせいか、葛野についても息がきれた。しかし仕事、仕事、仕事。まず膨大な細かな領収書を整理して、とある精算に備えた。整理完了したので近所のセンターに届けた。次にさっそく別箇所からメールが来ていて、10日以内にしかるべきレポートを出せと強制された。仕方ないので書こうとしたが、精算領収書疲れが抜けず、そのまま30分横臥した。さてと起き上がって仕事をしようと思ったら、すでに11:30だった。

 研究室をでて近所の学生食堂へ行った。さすがに春休みなのか学生も先生方の姿もなく、事務の幹部が数人いて、天津麺や鍋焼きうどんを食べておった。余はそこで、天津飯と味噌汁にしたら、お代は370円ですんだ。近所の「めしや」へ行けばあっというまに千円を超えるし、鴨なんば蕎麦だと1300円~ビフカツサンドと珈琲だと1860円もかかることと較べれば、学食は実に安価で美味しい(笑)。これでお金ががんがん貯まる脳~。

 で、食後は1Fの共同研究室に出向いて、しばし事務の人達のそばで油をうった。眠くなったので研究室にもどり横臥30分。すっきりした。それで、以前から少しずつ書いていたややこしい原稿を、今日で最後にしようと思って約1時間専念した。完成したので、メールで送付して、ほっとした。

 やおら立ち上がり、4Fの別室に行き、「海図書館ジオラマ」の続きを開始した。数日前にプラスタークロス(石膏布)を水で湿らせて、山や海や洞窟岩窟を整形しておいたので、今日は多少紙粘土で調整し、石膏を塗りたくる作業にとりかかった。これが結構な大仕事で、気力体力が充実していないと、なかなかできない。一応、少し高価なTOMIXの調合石膏を半分、そしてホームセンタで売っている安い普通の石膏とを混ぜて、水を大量に入れて、最初は薄い状態で塗りたくった。模型用の調合石膏はそのまま単独だと固まるのに24時間かかるが、普通の石膏と併せると、だいたい20分ほどで徐々に刷毛が重くなってくる。それで半分塗りおえた。次に残りのTOMIX調合石膏と、等量の石膏を入れてまた水に溶かして、最後の塗りたくりを行った。

 この間、作業の準備と後始末を入れて小一時間だったが、さすがに極早朝から動いているので、夕方4時にはぐったりして研究室に横臥した。しかしそのまま眠るわけにもいかず、さっき「海図書館ジオラマ」の写真を撮った。いずれ、MuBlogに掲載するつもりだ。四月からの授業公開には間に合う。
 少し悩みは、瀬戸内海の孤島に火山の溶岩でできたような島があるかどうか。多分ないだろう、困った脳。
 blogには、以前のように細かく掲載するのはもう無駄だからやめる。これからは、発泡スチロールや粘土による原型。次にプラスタークロスや石膏での下地。次に塗装~。その程度の間隔で記事を書くつもりだ。ああ、忙しい。

 ということで、そろそろ消灯して木幡に戻る。
 なかなかに、日々疲れるので、食が進みよく眠る。人生、お金が370円の天津飯昼食でも結構たのしめるもんだ。ふむ。

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2011年2月14日 (月)

小説木幡記:小説>北森鴻、國鐵と松本清張

Mudsc00020北森鴻
 最近、北森鴻さんの作品に触れることが多い。昨年48歳で急逝された。なにかしら気に入った作風なのだ。もちろんひところのように、好きな作家作品を徹底的に読み込むことはしなくなったが、それでも北森さんの作品はおりにふれて目を通すことが多い。いつも安心して、気持ち良く読み終えている。

 今日、この記事を書きながら、それでも一度は「徹底的に主要作品を読み通したい」という想いにおそわれだした。もちろん、忙しいしお金もかかるから、そういう無理はしないことになっておるが、……。図書館で徹底的に探して読んでみたいと、そうするのだろう。

松本清張と國鐵
 朝日新聞社のAeraMookという冊子を入手した。「昭和の鐵道と旅」というタイトルで、主に貴重な復刻記事でまとめられていた。そのうち現代記事として<松本清張全駅全列車>があって、これはA4判で全24ページもあって充実していた。砂の器(木次線)、ゼロの焦点(北陸鉄道能登線・七尾線)、遭難(準急アルプス)、点と線(香椎駅)が話題になっていた。他に<33歳で初めて遠距離列車に>と、清張のエッセーの解説もあった。

(1)参考
北森鴻作品

(2)参考MuBlog
  2005.11.06 狐闇/北森鴻
  2009.06.06 小説木幡記:2009/06/06(土)俳句と料理のミステリ、山辺の道など
  2010.06.01 小説木幡記:2010/06/01(火)いろいろメモ:読書映画iPad

  2006.08.09 北九州の旅:松本清張記念館
  2007.11.26 点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」

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2011年2月13日 (日)

NHK江(06)光秀の天下:明智光秀の坂本城

承前:NHK江(05)本能寺の変:信長の屍

 あれよあれよというまに明智光秀は山崎の戦に敗れ坂本城に戻る途中、伏見区小栗栖で落ち武者狩りに遭って命を落としました。これほど素早い進展とは思わなかったので、筆が思うように進みません。
 ともかくドラマでは、江は信長を好きでしたが、数ある武将の中でも明智光秀には好意を持っていたようです。

 光秀の坂本城は水城だったと以前から知っておりました。大河ドラマで坂本城が表現されるときも、琵琶湖が映えて美しい城として描かれておりました。
 以前立ち寄った坂本城跡の公園には、光秀石像が建っておりました。琵琶湖に並行して県道があって、そこからすぐに見えます。

Aimg_2021_1

 このあたりは琵琶湖のヨシが群生しているところでした。当時の様子は分かりませんが、遠くに三上山が見えます。地図で確認したところ、安土城のある近江八幡はもっと対岸北です。

Aimg_2030_1_2

↓地図↓ 水城は湖の中に張り出していたのでしょうか? 当時の岸がどのあたりかは調査があるようです。

大きな地図で見る

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2011年2月12日 (土)

小説木幡記:2011/02/12(土)変わったことなどなにもない、しかしジオラマや少年司書ロボットや~

Muimg_5973 昨日「建国記念日」はじっくり休めたが、思い立って午前中に2時間ほど外出した。小型基板と小型レールと、そして雑誌と文庫本を買った。楽しみはわずかな世界に残されている、という気持ちに包まれた。
 昼食はラーメンにしたが、身体の事を考えて(笑)、チャーシュー麺を止めて普通の並ラーメンにし、オプションとして「背脂抜き」とした、650円。と、これが絶品の味わいだった。しつこくなく、あっさりしているのにラーメンスープのコクがじわりと喉を通り抜けていった。うむ。なかなかに。京都伏見大手筋油小路の来来亭を見直した。これは、よいぞ!

 さて。一昨日木曜日も本日土曜日も、いずれも校務責務をひとつずつこなした。その間に、中断していた「山裾の図書館」「海図書館」ジオラマに紙粘土を貼り付け、成形した。これから、プラスタークロスや、石膏をジオラマに塗りたくっていくのだが、こういう荒仕事大仕事は、授業が休みにならないと気力が追いつかない。

 そういえば、卒業する局長2010が、グラバー邸の1/150モデルを完成させて、余に引き渡してくれた。これは「邪馬台国中央図書館」に充当するもので、ジオラマの正面山上に設置される。これで、邪馬台国周遊図書館ジオラマも第三期の構築に入れる。この図書館はいわば礎石のようなストラクチャである。一年前に、余には手に余ったので、局長2010に工作を依頼した。見事な完成であった。多士済々。

 昨日書店に出かけたとき、新しい雑誌を試験的に入手した。「週刊 ロボゼロ」という創刊号割引790円のものだ。24軸サーボと、SDカードによるソフトウェア格納と、……。往時を振り返れば随分ロボットも進んだようだ。しかし悩む。この週刊誌は、定期購読で70号まで続き、790円という価格はこの号だけだから(爆笑)、あとの始末が大変なことになる。

 メリットとしては、少しずつ組み立てることができる。それなりにロボット工学やソフトウェアの初歩をじっくり学ぶことができる。毎週数千円ですむ(月あたりだと、1万円に近くなるのかなぁ)。
 デメリットとしては、雰囲気的に割高な感じがする。70号の途中で飽きるかもしれない。目的を見失うかもしれない。
 かつて、少年司書ロボットを造ってジオラマの中で動かす夢があったが、智力体力が続かなくなったなぁ。たしかに二つのテクノロジーを統合すると、すばらしいモデルができるはずだが~うむ。思ったようには身体や脳が動かぬ。ふむふむ。

 さて、思案のしどころぞ。
 ただ、ハンド・グリップの面で、関節が増えて、鉛筆を持たせて文字を書かせる可能性もあるそうだ。これは魅力だな。もちろん指が五本動くわけじゃなかろうが、それでも腕や手首あたりのイメージ写真がなかなか、魅力的だ。と、余はすぐにその気にさせられる。困ったものだ~。

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2011年2月11日 (金)

小説木幡記:2011/02/11(金)建国記念日:紀元節

Muimg_3707 今日は祝日である。今日に限って木幡でじっくり静養することに決めた。

 皇紀という年号があって、西暦1940年=昭和15年=皇紀2600年、と今から70年ほど昔に盛大に祝いがあったらしい。初代の神武天皇が奈良県橿原市の橿原宮(現・橿原神宮)で即位された年が、西暦でいうと紀元前660年の2月11日のようだ。と、昔のことだからよくわからぬ(笑)。

  昭和+(19)25→西暦、+660=皇紀
    例:昭和20年+1925=西暦1945年、+660年=皇紀2605年
  平成+(19)88→西暦、+660=皇紀
    例:平成23年+1988=西暦2011年、+660年=皇紀2671年

 せっかく皇紀があるのにどうしてキリスト教に縁の深い西暦を使うのかよくわからぬが、余もカナーン96とか、葛野図書倶楽部2001とか西暦をよくつかっているので、その心理に照らしてみると、世界史を西暦で学んだからだと想像できる。皇紀も西暦も昔のことだからよく分からぬことがあって、それを1+1=2のような気分でああのこうのと言い出すと、収拾が付かなくなる。いまのところ、日常文章では和暦(平成23年)の年度(4月~翌年3月)を用い、日本史を換算したり、日常生活では西暦を用いてつじつまを合わせ、建国記念日になると皇紀を使うことにしておる。今年は皇紀2671年の佳き年であるぞ、祝おうではないか。

 わが日本も、建国以来2671年を経過した。長い年月であった。史書でみるかぎり、四海に囲まれて四季があり、異国の軍に蹂躙されたことも皇紀2600年代中期のわずかを除いては、長期にはなかった。ありがたいことである。

 指折り数えてみると、晴れやかな皇紀2700年祭を余が迎えるかどうかはわからぬ先のことだが、皇紀2680年祭はなんとしてでも、元気にいたい脳~

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2011年2月10日 (木)

ハイブリッド・HONZ-G構想: HO、N、Zゲージ

承前:HO:16.5mmゲージのレール・レイアウトと鉄道模型

Honz

 60センチX90センチの標準基板にHOゲージのレール(幅16.5mm)を敷いたのは少し前のことだった。今度はその基板にNゲージ(9mm幅)とZゲージ(6.5mm幅)のレールを重ならないように敷いてみた。それぞれのゲージにあわせて、それぞれの縮尺(スケール)を持つ車両を同時に走らせてみた。ただしHOゲージレールにはOn30 タイプの古式電車、つまり明治時代の1/45の模型を走らせた。あとNゲージには1/150、Zゲージには1/220の車両が載っている。

HOゲージの場合
 模型が大きいと、たとえば「図書館列車」モデルを表現するのに細部まで手を加えられる。丁寧に時間をかければ、書架やそこに並ぶ図書の背文字まで表現できるだろう。あるいは閲覧机や読書している人、フィギュアも用意出来る。この大きさを突き詰めていくと、Gゲージというもっと大きなレール幅(45mm)のものまで可能性として入ってくる。

 走らせる際には、模型車体が大きいので、レールからの集電状態がよくなり、安定した走行が可能となる。
 しかしHOゲージは模型自体が高額となる。Nゲージで動力車と7両程度の特急車両を合わせた価格(2万円弱)が、丁度普及版HOゲージの動力車1両の値段になる。さらにそういう20m級の車両だと模型として25センチもの長さになり、これを連結した車両が安全に通過する半径は、49cmがぎりぎりとなる。とすると、レイアウト(ジオラマ)の大きさも、最低で1m以上の幅がないとレールを敷けない。研究室であれ、書斎であれ、これは実際にやってみるとずいぶんなスペースとなる。

Zゲージの場合
 例外はあるのだが、一応国際的にはもっとも細いレール幅6.5mmで、縮尺は最も小さい1/220を採用したZゲージは、Zが終わりの意味で究極の小さな模型という意味で、1970年代にドイツのメルクリン社が命名し造ったシステムである。結構高価だ。

 この1/220の車両を改造して図書館列車の雰囲気を出すのは非常に難しい。メーカー以外だと特殊な技能を持った人にしか適切に扱えない大きさである。技術的にというよりも、楽しむためには限界に近い小ささだと思う。たとえば20m級の車両の全長は9cm(Nゲージだと14cm)で、私の中指ほどの長さで、幅はもっと細い車両だから、もしも車内に図書閲覧座席を設けても、老眼では何がなにやら区別も付かなくなる。

 Zゲージの何が良いかというと、一つは精密さの限界を味わえること。しかしそれは付随的なことであって、具体的なメリットは、レイアウト全体を非常に小振りにまとめることが出来る点である。机上に載る30センチX60センチの大きさであっても、違和感なく図書館や資料館と、駅とを混在させることができる。

Nゲージの中庸とHONZ-G構想
 日本ではNゲージの模型が一番普及している。だから価格も安定し、大きなメーカーもある。なによりも車両の種類が一番多い。レールの敷設も自由度が高い。
 ただどんな場合にも中庸が一番ではない。たとえば図書館列車をイメージ豊にモデル化するにはHOゲージがよいし、あるいは図書館のある町の全体をジオラマ化するには極小のZゲージがぴったり収まる。

 写真は、そういう想いをまとめたHO、N、Zゲージレールのそろいぶみである。時と場合、必要に応じてゲージもスケールも変えて使えば良かろう。
 おもえらく、模型をどのように使うのか、あるいはどのように感じるのかは、人によっても、場合によっても、異なるものだ。そのどれかが正しいとかまちがっているとかは、言えない。
 HONZ-G構想は、自由な表現の手法として今後、開発していくつもりだ。

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2011年2月 9日 (水)

小説木幡記:現代>インフルエンザ肺炎、親のお見合い

Muimg_4923インフルエンザ肺炎
 今朝TV話題でいささか怖い話を聞いた。症状からすると、単純風邪、咳き込み、そのうち呼吸困難、あれよあれよという間に死亡。原因は肺炎。しかも50代の男性とか、まだ元気な人が亡くなったり、危うく死亡しかけたりと、医療の進んだ現代では信じられない話なのだ。しかも、しかも、大抵は咳が止まらず救急車で病院に運ばれて、さんざん検査をしたあげくに、様子をみているまに悪化し、後でX線写真で見ると両肺が真っ白になって死亡なのだから。震える話だ。人は、簡単になくなるのだ。
 風邪とかインフルエンザとか、めったに罹患したことがないが、これは現代の怪談じみた話だなぁ。

 医師や病院が手抜きをしたわけではなく、新型インフルエンザのウィルスが肺で増殖するので、鼻の粘膜で検査する現行の簡易検査キットでは結果がでないとのこと。しかも国(厚生労働省か?)の基準では、インフルエンザを38度c以上の発熱と定めているらしく、多くの医師が見過ごすらしい。なくなった方や危機一髪の患者は37度cが多いとのこと。
 なにかと、基準は人によって異なる平均値だから、肝心な時に誤認に導くようだ。怖いな。生真面目な医師の談話では、細かな問診によって、テスト結果には表れないインフルエンザ症状が明瞭になるとのことだった。たとえば患者の近所でインフルエンザにかかった人がいないか? とか、~。
 ものごとの本質は意外に単純な中に潜んでいる。複雑化しすぎると、核が見えなくなる。よくあることだ。

親のお見合い
 余は自動車でTVの音声だけしか聞かぬので、どういう親御さんたちなのかよくわからぬが、なんでも京都に全国から80名弱の親御さんが集まり、お互いの娘や息子のプロフィールをアピールし、気のあった親同士が語らい相談し、後で本人たちに「きっかけ」を提供するとのこと。
 最初聞いた直後は「怖いなぁ」と、思った。
 しかし。
 結婚相談所については、いままでもあったし、昨今はインターネット上でのものもあり、結構はやっているようだ。よく聞くのは医師、おもに開業医や病院の跡継ぎ問題から、娘や息子の相手を公募するのが盛んらしい。やむをえぬことも多いのだろう。

 若いころは「お見合い」に反対だった。そういう仕組みの意味をよく理解できていなかったせいである。結婚は双方の気持ちだけで決めるものだと、信じてきた(笑)。しかしいまとなっては、そういう私の考えは、浅はかで、ものすごい間違いだったと、分かっている。
 まず、双方の気持ちだなんて、気が合えばよいが、お互いに時期によってずれてくる。昨日の僕は今日の僕ではございません。昨年のスレンダーなワタシは、明日のあなたの体重を超えたワタシではございません。ちょっと考えれば、分かることなのに、いやはや若さの愚かさを、今になって痛感するなぁ。

 で、当時先輩に言われた。
 まず余がこう言ったのだ。
 「お見合いって知らない人と、短時間会って、それで結婚するって信じられないです」
 「馬鹿かおまえは。恋愛結婚だって、最初は知らない者同士だし、その上、お互いに嘘ついているかもな」
 ~

 ともかく。
 親がきっかけを作ることに、抵抗はある。そんなことは自分でやるべきだと。
 しかし。
 しかしだ。自分でやれないほどに、仕事なんかで、世界が限られていて、時間も限られているとき、親が代わりに相手をみつけてくるのも、それでうまくいけば、上等だよ~と、思った(笑)。分かりやすく言えば、映画小説にでてくる、警察官・刑事とか、軍人さんなんか、異性とちゃらちゃら遊び回る自由はないじゃろうね(笑)。

 一人で生きていける、生きていきたいと言い張るのも、家庭がないと生きる値打ちの半分しか味わえないと言い張るのも、理は半分あるが、他はその時その時の、ノリとか条件とかいろいろな事情で各個人ごとに異なってくる。だから選んだ道を是とすればよいのだろう。
 あるいは。
 上司とか近所や親戚のおじおばとか、両親とか、道を道案内に聞いたり、任せたりするのも悪くはない。

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2011年2月 7日 (月)

大神神社(おおみわじんじゃ)と森正のそうめん

Miwasomen

 先年の初詣は、お伊勢さんだった。
 二月に入って初詣とはなかなか言葉遣いが難しいが、今年はともかく予定通り、大神神社(三輪さん)だった。
 浄瑠璃寺から小一時間で旧三輪町に着いた。

 三輪さんもお伊勢さんも長年崇敬の念より先に、親しみ深い神社であった。
 特に三輪さんは近いこともあり、本当にストレスなく親しくお参り、ご挨拶できる。
 写真にじっくり気持ちを込めたので、ながながしく文章は書かずにおこう。
 ~
 お参りの前に、三輪に着く頃は大体お昼時なので、そうめんをまずいただくことにしている。
 そうめん処・森正さんは、たき火もあって雰囲気がよかった。
 これからも、そうめんをたべて三輪詣で。
 赤福餅を食べて伊勢詣で。
 なかなかに豊かな日々である。
 ~
 そうそう、帰路は奈良ホテルで一休みして、珈琲をいただいた。

参考
  大和国一之宮三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)
  そうめん処・森正(もりしょう)


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2011年2月 6日 (日)

NHK江(05)本能寺の変:信長の屍

承前:NHK江(04)本能寺へ:目に見える形の馬揃え

 信長の棺/加藤廣、秀吉の枷/加藤廣と、二つの小説を以前読みました。ですから今夜の本能寺変はその小説やこれまでのドラマや映画や、一杯のイメージが私の脳に押し寄せる中で見ていました。それで、もちろんいろいろ知ってはいるのに、今夜も「さて、信長のご遺骸はどこに消えたのでしょう」と呟いておりました。空に翔けたか、地に潜ったのか、髑髏はおろか髪の毛一本まで燃え尽きたのでしょうか。そしてまた森の三兄弟も討ち死にしたはずなのに、信長の最後のセリフや様子はどうやって伝わったのか。信長公記や信長記はフィクションだったのだろうか~なにか忘れていることがあったのかどうか、と。
 ただ常にNHK大河ドラマとして観ているのですから、これまでの私の知っていた情報はすべて意味をなさず、トヨエツの信長がどうであったのか、光秀や森蘭丸や江や家康が今夜どうだったのか、しっかり見ておりました。

 今夜も感動が深かったです。
 それは何故なのかと、今考えているのですが、なにかはっきりした理由があるわけではなくて、江が信長に逢いたいと思ったその切実さがよくわかり、そして後の伏線でしょうか、家康が江をたいそう気に入るのもよくわかるわけです。セリフとか所作にあるのでしょうか、あるいは配役が上手なのでしょうか、要するに江は信頼されて「この娘は、なかなかの者になるぞ」と、思わせるところが出てくるわけでしょう。それがドラマの中に綺麗に溶け込んで、「ああ、江が大切にされている。当然なんだよ」と、思ってしまうわけです。その気持ち佳さがあります。

 ところで、明智光秀。
 この俳優さん、私は初めてなんですが、セリフまわしとか雰囲気がものすごく古典的で、最初のうちは「ちょっと、古いなぁ」と思ったのですが、数回前から、そして今回、最適だと思いました。手の震え、きまじめさ、おびえ、怒り、誇り、……。そういうものを一切合切まとめて、「敵は、本能寺にあり」の号令は良かったですね。相当に深い感動を得ました。何十度もいいますが、大河ドラマのよさは、信長にしても光秀にしても家康、千利休にしても、主役ではないのに、ものすごく良い配役がそろっています。勿論、名のみ高くてもうまく溶けない人も過去ドラマにいるには居ましたが、今回、すべて気持ちがよいです。

 嗚呼(ああ)、信長は亡くなりました。
 今度は光秀です。これからは秀吉や家康、茶々が表に出てくるのでしょう。実に、楽しみが深いです。


元本能寺南町: 大きな地図で見る

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浄瑠璃寺の立春:浄土式庭園

Jyoruri

 「この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
 そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ著(つ)いたすぐそのあくる朝、~(略)~二時間あまりも歩きつづけたのち、漸(や)っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。」(浄瑠璃寺の春/堀辰雄)
 過日訪れた浄瑠璃寺は、たたきかはんちくのように見える細い道の向こうに今でも小さな門があって、道の傍らには馬酔木や山茱萸(さんしゅゆ)の黄花が咲いていた。新暦節分や立春の季節はまだまだ寒いはずだが、その日にかぎって「春」が山道に訪れていた。

 浄瑠璃寺は小さな結構の山寺なのに、庭園が国指定名勝で、国宝と重要文化財が山のようにあって、しかも庭園拝観だけなら自由にお参りできる奇特なお寺だ。私は仏像よりも庭が好きなので、すっと入れたので極楽浄土の想いがした。西方極楽浄土に阿弥陀堂があってその中に九体の阿弥陀さまがおられる。そして池を挟んで東方浄瑠璃浄土の三重塔には薬師如来さまがおられる。これは東西に浄土のあるお寺さんだから、身近な宇治平等院よりも贅沢な造りと言える。

 紅葉も桜もない季節だが、阿弥陀堂の前にたって猫を撮し、池を挟んで東方の三重塔を眺めたとき、一瞬「浄土」とつぶやいた。平安時代の人々の浄土信仰は、机上の理屈とか宗教教義を飛び抜けて、実感として肌で感じた世界なのだろう。

 青年期は、この浄瑠璃寺は奈良県のお寺と思ってきた。事実、近くの「柳生の里」は奈良県で、浄瑠璃寺も柳生新影流も、奈良市の近鉄駅前からバスで行くのが通常ルートである。ところが実は、浄瑠璃寺は京都府木津川市加茂町となっていて、JR加茂駅(大和路線)からバスに乗る方法もある。私の場合は宇治木幡から自動車を使い丁度70分で着いた。

 自宅にもどって翌朝iPadで小説集(i文庫HD)を眺めたら、堀辰雄『大和路・信濃路』があって、そこに「浄瑠璃寺の春」が収められていた。少し時が経ったこの時代の文学は文庫も少なく、iPadがとても便利に思えたが、今後も旅先に持っていくことはないだろう。せめて旅先くらいは頭をぼんやりさせて青空や古社の千木や寺の甍を眺めていたい。

参考
 浄瑠璃寺(木津川市)

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2011年2月 4日 (金)

飛鳥京の苑池跡:最古の宮廷庭園

Takadailibrary_1736 数日前の新聞で、飛鳥京跡の苑池(えんち)遺蹟記事があった。最古の宮廷庭園と言われている飛鳥京跡に石と水とで作られた苑池の構造が少し明確になったようだ。

 「飛鳥京跡苑池」は明日香村の飛鳥時代の遺跡だが、飛鳥時代とは推古天皇と聖徳太子が摂政だった6世紀末から、天武天皇の皇后だった持統天皇が藤原京に遷都するまでの7世紀末、その百年間を指す。その飛鳥時代の明日香村あたりに天皇の宮居が重なってあって、そこを「飛鳥京」と呼んでいる。皇極=斉明天皇の酒船石遺蹟を見れば感じるが、水と石の都と言える。
 ただし、飛鳥京以前の古墳時代とか、ちょっと北東の桜井市・纒向遺跡についても水の都という印象が強いので、定かならぬ古代日本史は前方後円墳、水、石組で作られていたとイメージする。

 ここで「苑池」という言葉だが、以前はいろいろ難しく考えたが、最近は単純に「水辺や池や噴水を好きな人が作った池と水の庭園」と考えている。じつは(笑)、私もそれが好きで、このMuBlogは無意識に水や石組みに重きをおいた記事がこっそりと多い。

 さて、飛鳥京苑池を発掘調査されている機関は奈良県立・橿原考古学研究所なので、詳しいことはそこの博物館に行けばよくわかると思う。ちなみに卑弥呼関係の纒向遺跡は桜井市の埋蔵文化財センターであり、微妙に間違わないように。

追伸
 掲載写真は紛らわしいが、これは「高台の図書館」という名称で作ったNゲージジオラマである。その心は、前方後円墳のある苑池を見下ろす、景色のよい公共図書館があって、そこには誰でも行けるように鉄道・トロッコ路線が敷いてある、というモデル。
 このモデルには実は、「酒船石(北方)遺蹟」や「水の都・纒向遺蹟」が、明確に影を落としている。要するに私にとって古代飛鳥や纒向は、現実の今のイメージに重なる、……。

参考MuBlog
  雨の飛鳥紀行 {益田岩船、高取城、酒船石遺跡}
  飛鳥発掘物語/河上邦彦
  纒向宮殿紀行(2)桜井市・埋蔵文化財センターの見学:纒向遺物
  卑弥呼の墓(014) 水の都・水上宮殿:纒向遺跡の全貌


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2011年2月 3日 (木)

小説木幡記:2011/02/03(木)時間流に溺れないように

Amuimg_0050 成績管理も佳境となって、そろそろ来年度以降に残し後輩に開示する答案や作品を考え出した。本人の意向を聞く必要もあるので、各科目選び直し始めた。昨年は提出者の意向が「返却」に傾いたので、残さなかった。以前のご隠居がよい物を置き土産にしてくれて、それをこの12月や1月に、作品提出前の駆け込み「参考」にした者が多く、失笑したが~。もっと早くから過去作品をじっくり研究すればよいのになぁ。

 エアポケットみたいに、繁忙氾濫の中で不意に静粛な時間が現れた。校務ものこっているし、成績処理もまだあるが、今夏論文のことを考えるゆとりが急にわいた。そういえば四月からは電子書籍研究や、発表のことでいろいろ予算手続きや作戦を、もう進めておく必要がある。と、それを週末にじっくり考えて手を付けだそう。今夏は遠方の種々博物館、特殊図書館、特殊鉄道関係施設を見るので、夏期論文や研究そのものに専念する時間が薄くなる。

 ああ。
 そういえば、鉄道図書館列車の自動運行もやっておかないと~。と次々と計画を思い出し始めたので、せっかくのエアポケットに重い空気が充填されてしまう。
 そう。
 3月の初めには、新誠会2010年次として、総会送別会を伏見で行う。3月末には、最後の2011年次・葛野図書倶楽部2001メンバーで研修旅行をする。来年度の助勤研修も進める。
 4月になれば、一年後の倶楽部解散式準備春会がある。ご隠居を含めて20人ほどで夜桜を見る~いそがしい脳。
 と。
 繁忙の中に紛れて人は時を使っていく。それでよいと考えて居る。だから、今日の夕方は葛野研・整理整頓の続き。また明日に続く。それでよいと、覚悟性の中で時間流を泳いでいく。溺れないように。

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2011年2月 2日 (水)

HO:16.5mmゲージのレール・レイアウトと鉄道模型

Ho60x90op

 模型は、大きい物の方が一般には表現力が優れている。2階建ての鉄道図書館列車も、小さい模型だと意を尽くせないが、大きくなるとそれなりに自分の考えている内容を表現できる。
 ただしスケールがNゲージの1/150からHOの1/80になると敷地面積がどうしても大きくなる。今回の実験では、山や川のあるジオラマではなくて、スッピンのレール・レイアウトを定めるために60x90センチの基板を用意した。ところがこの基板に小判型のエンドレスレールを設定しようとすると、理屈の上では半径30センチが限界になる。

 ところがこの半径30センチというのは、既製レールで求めると、まず入手不可能だとわかる。以前ドイツ製のフライシュマン社のもので、比較的カーブに強いものを入手したが、これも半径36センチだった。日本製になると、流通しているのは半径49センチで、メーカー直販で入手しても43センチが限界である。半径49センチというと横幅1m以上必要で、43センチでも一般的な日本の机上にぎりぎり載るか載らないか難しい半径である。

 つまり、HOゲージになったとたんに、普通ならばかでかい面積(2畳程度)を必要とするので、どうしてもフレキシブルレール(自由曲げレール)の世話になる。そしてまた、鉄道模型レイアウト(ジオラマ)世界では、通といわれるような人というか熱心な人にとっては、自由折り曲げレールを板に犬釘で直留めするのが当然で、Nゲージのように既製品レールを組み合わせるのは、逆に特殊なことのようである。

 今回、フレキシブルレールを急なカーブに無理矢理まげて、基板に押さえつけて犬釘でスパイク(留めること)したが、どうにも難しい作業だった。慣れるまでには時間がかかりそうだ。ただし教科書にかいてあるような罫書き(レール配置の曲線や直線をあらかじめ印す)はせずに、勝手気ままに曲げて釘で留めていったので、おもしろといえばおもしろい作業だった。

 ともかくそういうわけで、今後は小さな基板にHOゲージレールを自由自在に貼り付けることは出来るようになったが、既製品レールを組み合わせて行く程には気軽ではない。レールは飛び跳ねるし、ニッパーで内径と外径とを切って調整したり、本当にいろいろな修練が必要になる。

 京都のボークス・ホビースクエア店頭でシノハラというところのレールを4本(1m程度の長さ)買って2500円前後だから、高額ではないが、一本は腹をたてて棄ててしまった(笑)。曲げている間に枕木状のプラスチックが外れてしまって、もとに戻らなくなったからだ。あえなく700円程度を棄てたことになる。もったいない。ポイント部分は、シノハラとPECO社とを、一つずつ買ったが、噂ではこれは日本のシノハラによる相手先ブランドらしいので、同じ製品のようだ(?)。

 写真の車両はどれもこれもMuBlogに過去掲載したもので、珍しい物は一つもない。広島市電のハノーヴァーにはDCCのデコーダ(CPU)を搭載しているので、細かな制御ができる。なお、自由レールは自由自在に曲げられるが、この基板だと半径30センチ以下の急カーブになるので、写真に載った車両以外は走行が無理だと思う。要するに車長が短く、2軸程度でないと、部分的に半径15センチ前後のこのレイアウトでは脱線する。

追伸付録
 いつも記事にしている鉄道模型は線路幅が9mmのものでNゲージと呼ばれている。今度のはHOゲージとか16番と呼ばれる、少しやっかいな模型のタイプだが、要するに線路幅が16.5mmで、縮尺(スケール)も大抵は1/80~1/87である。ところが写真の明治時代の電車は1/45くらいの縮尺なので、だいぶ大きく見える。いわゆるOナローとか呼ばれる、On30タイプで、一回り大きな車体を、小さい16.5mm幅レールで走らせるものだ。

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2011年2月 1日 (火)

小説木幡記:2011/02/01(火)過去は綺麗さっぱりすてましょう

Muimg_4675 今日は終日葛野研掃除の予定だ。物が満ちあふれているから捨てる物と残す物を元気な内に(笑)整理整頓しておかないと、いずれ後日大変なことになる。圧倒的に多いのは書籍。次に書類。次にPC関係機器。次に鉄道図書館関係ジオラマ。最後は余自身だが、これは体重を10キロとは言わぬが、5キロは減量したい。それで、すべてがすっきりする。

 あまりに整理整頓しすぎると空虚なタマネギ皮むきになる可能性もなきにしあらず。しかしそれぐらいがんばらないとカオスは消えぬ。もし目に見える部屋が整理されたなら、次にPCの仮想世界を整理整頓することになる。これは一挙に削除命令でかたがつくが、なかなかそこまでの思い切りはなぁ~。まだ日常世界に波及することも多くて。ただ、これも一大決心をせぬ限り永遠に、過去が残り仮想世界がカオスのままとなる。

 なにごとも、棺桶の中に持ち込む愚はさけて、この世で生じたあれかこれか、よきことあしきことは、すべてこの世で決済というか精算しておくべきだ。そうすれば部屋もPC内部もぴかぴかで、気分爽快、笑って日々をすごせる。ここのところは、過去を綺麗さっぱり捨て去る女子世界観を充分に学び、過去をひきずり過去の遺物に取り囲まれた漢(おとこ)世界はあっさりクリーニングするのがよかろう。

 ~。
 となると、ちょっと困ったこともある(笑)。古代史問題はどうするのか? そんな、大昔のことを引きずっていても、しかたない。現在に目を向けるべきだ。とはいいながら、現今の政治状況や文明文化状況はちっとも気を惹かれない。おもしろくない。やっぱり、古代史問題だけは、ぎりぎりまで捨てずに考えよう。

 と、今朝も決意したのであった。

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