小説木幡記:2011/01/29(土)文章の難しさの種類
土曜日の午後はとろりと時間が流れる。宇治市の外気温は4度cをさしていた。昨夜読んでいた図書にこんな箇所があった。
「萬葉の歌人は神ながらの國を歌つてゐる、言霊の幸ふ國と稱へてゐる、さらにそれを見たり聞きたりと入念に註してゐる」(戴冠詩人の御一人者/保田與重郎)この文章には難しい言葉が並んでいるが、それぞれをそれなりの辞書事典で調べていけば解読できるものだ。勿論解読の深度は人によって異なるが、それはいたしかたない。たとえば、
萬葉の歌人→万葉集の時代に歌を作っている人や万葉集に歌を載せた歌人。
神ながらの国を歌っている→旧字や旧かながわかりにくいが、そういうルールだと思えば理解できる。
神ながら→かんながら、と読むこともある。神さんのなされるように~神さんと一体となって~。
言霊(ことだま)の幸う国→言葉が人々に幸をもたらす国。言葉には力がある国。言になせば事がなる国。
万葉集の時代の詩人たちは、
神さんと一体になった我が国のことを歌っていた、
日本は言葉が幸をもたらす国で、
詩人はそれを実際に見たり知ったり聞いたりしたと、書き残していた。
と翻訳できる。このうち、万葉集やその時代の歌人について学んだり好んでいる人は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の秀歌を思い出したり、山上憶良(やまのうえのおくら)の「空見つ倭の国は皇神のいつくしき国、言霊の幸はふ国、と語りつぎ~」とまでイメージをふくらませ、引用文を分かったような気分になる。あるいは文章とは、その「分かったような気分」があって、それ以上でも以下でもなく事実を伝えるのが、必要な機能なのだと思う。
ところが、実は(笑)、この引用文は文芸作品と言われるもの一節である。それも極めつけの難解な、昔は「ふつうではない」と罵倒する人もいたくらいに、詩的すぎる評論文章なのである。私はこの種の文章をかれこれ40年間以上も読んできた。ところが、今でもよく分からないことに気付き、立ち止まることがある。それは文章の持つ魅力を外れて、意味を問う時に発生する。読んでいる限りにおいて、素直に美しく心地よくあじわえるのに、立ち止まって発問したとたんに、頭の中が白く霞んでしまう。
「尊(みこと:日本武尊)は神のまへに神に対してなされるおろかしい暴力を尊ばれたのではない。皇子の行ひそのものは一つの悲劇の描かれた抽象があつたのである」(同上)神さんへの暴力が何を意味し、それを日本武尊が尊んだ印象を与える根拠は何か。つまり一般に「~ではない」と作者が言い切るときは、言外に「と、思う者もおるだろう」という紙裏の意味がある。とか、武尊の行為行動が、「一つの悲劇の抽象」とはどういう意味であるのか。難しい。このあたりにくると立ち止まれば道を失う。さらに進めば立ち止まることもなく雲中を走り続けねば転ぶような道が続いている。
ところで。
余はこの文章を丁度20歳の春に読み終えた記憶がある。その頃はこの文章が一番好きだった。その後年齢を重ねるにしたがって、保田の書いたもっとわかりやすいものが好きになっていった。そして、今。
再び『戴冠詩人の御一人者』を読み返し、余の原点に戻った気持ちになった。
現在の年齢で読み返すと、これを書いた20~30代前後の保田がどれほどの才能を持っていたかを、痛切に理解できる。
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