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2011年1月30日 (日)

NHK江(04)本能寺へ:目に見える形の馬揃え

承前:NHK江(03)信長の秘密:築山殿事件

1.華やかな馬揃え
 世の中を治めた人達は、現代から見ると目に見える「派手さ」「華やかさ」がありました。後の太閤秀吉「北野大茶会」「醍醐花見」とか、今夜の信長「馬揃え」もそうです。信長の安土城がどれほど豪華絢爛だったかは復元模型を眺めるだけで分かりますが、馬揃えについては今夜のNHK大河ドラマの解釈が私らの歴史の見方を少し変えるかもしれません。

 馬揃えは軍事パレードと言われています。馬は軍馬で、もし装束が鎧甲なら、凛々しく威嚇的な姿があるかどうかでパレードの成否は決まるわけです。今でもニュースで、諸外国の軍事パレードみることがあります。花形は戦車やミサイル、そして軍服姿の行進です。
 ところが。
 この信長の馬揃えは~、鎧甲武具の機能美ではなく、色鮮やかな衣装パレードという趣きで、武張った雰囲気がありません。考証したあとの映像でしょうから、ほぼこんな風な様子だったろうと思われますが、信長に至っては梅や桃を身にさし飾った平和な馬上姿です(笑)。

 目に見える形が大切です。
 誰にでも分かる必要があります。このときだったか、別のときだったか、信長は京の町衆に膨大な金銀を配ったようです。信長の形を明瞭にするためでしょう。そして今夜の信長のセリフは「余の春。人々の春~」「春に酔いしれよ」と信長の平和を長槍舞わし人々に伝えます。後に出てきますが、「天下布武」の印言葉は武によって統一するのではなく、武家によって平和を、春をもたらすという意味でしょうか、形ある春を信長がもたらした、と。それを明確にしたのが、洛中馬揃えだったようです。ドラマは、その様子をしっかり見せてくれました。

2.明智光秀との確執
 信長と光秀との確執はこれまで何度もドラマや小説映画で表現されてきましたが、史料の出所が限られているせいか違いはあまりありません。しかし永遠の人間関係として、一つの典型を形作っている点ではまるでシェークスピア世界のキャラのようにはっきりとした輪郭を見せてくれます。

 武田勝頼攻め勝利の時、光秀が「これにて我らの骨折りのかいがあった」と言ったとき、信長は祝宴の最中に光秀を打ち据えて「お前が何をした、言うてみよ、お前にどんな武功があったというのだ」と怒り狂います。この解釈は、日頃の信長流意地悪と思えば単純で、深く考える必要はないでしょう。祝宴を盛り上げるために間の手を入れてヨイショした光秀を打ち据えるのは信長の病的な癇症、つまりは意地悪しないと収まらない信長の問題です。後日に、光秀に討たれて当然の切れようです。

 四国攻めを信長は明智光秀から取り上げて三男に任そうとしますが、話がこじれて、光秀を秀吉の備中攻めの与力、つまり秀吉指揮下に入れました。これに光秀が怒るのは当たり前で、信長は敵を作ると言うよりも、光秀のプライドをはっきり打ち据えて、宣戦布告をしたようなものです。つまり、光秀が愚かしいのではなくて、優秀な光秀を、息子を立てるために降ろし、それにたてついた光秀を同僚秀吉の配下にしたのですから、人事管理としては最低最悪の愚行だと言えます。信長が討たれて当たり前です。

 さて。
 そこまで2人の関係がもつれたのは、秀吉や柴田とはちがって明智光秀が足利家や朝廷から頼りにされている、すなわち守旧派のもっとも有能な武将だったからでしょう。格式と歴史とを重んじ、ことあるごとに信長の左道を矯正しようとしてきた歴史があったわけです。ここに信長の行いを左道というのは、まったく新しい考えや行動ですから、まっとうな方法論とは光秀も思っていなかったはずです。信長の行跡は忌まわしいものなのです。
 信長は、言います「気にくわない」と。「したり顔をみると虫ずがはしる」なのでしょう。
 さて、キャラ対決としては、
    信長 : 光秀 = 天才・癇症・根治療法 : 秀才・忍耐・守旧派
 となります。
 なんども信長は光秀のプライドを壊したのですから、供回りだけで本能寺に宿泊した軽率さを、光秀に狙われるのは当然で、信長は武人不覚悟だったわけです。
 そういう信長を、江は深く敬愛しています。これも当然でしょう。信長ほどの男はそうざらにいるわけではないのですから(笑)。

3.江
 東大寺のランジャタイを信長からもらって、その意味を母親に聞いた江は、自分の好きになった香木を信長に返します。自ら神となのるオジを一時的に嫌いになったようです。
 一方母親の市は、清洲城で兄信長と対面し、茶々を皇后に、初を大名に、そして江をしばらくそばに置きたいと信長から言われ、最初は拒否します。
 「娘達は兄上の道具ではない」、と。
 しかし信長は根気強く、その事情を市に伝えます。天下の憎しみは信長一身に注がれているが、その信長の姪が朝廷につながることによって、ひとびとは朝廷を畏れ敬うようになり、ひいては日本がまとまると。市は信長の深謀遠慮に心を動かされ、即答はできないが自分でじっくり考えて、やがて兄者のそばに娘達と戻る、と約束します。
 そして江は、こういった母と信長のやりとりをすべて理解できるわけです。ですから、信長に悪態をついたことを悔やみます。~もちろん、それは空しく来週につながるわけですが(笑)。

*.まとめ
 江が3人娘の中でも信長からどれほど偏愛されたかがよく分かる筋立てでした。結果として、末娘の江が将軍の妻、三代家光の母親になるわけですから、ただ者ではありません。
 長姉は豊臣秀吉の寵愛を一身に受け、豊臣の「母」となり滅びました。次姉の初は名門京極家の刀自となったわけです。
 江は信長という伝説の男から直に指導を受けた姪として、能力をもっていただけでなく、少女期に特殊な教育をうけたことになるのではないでしょうか。だからこそ、後世徳川の初期屋台骨を支えたのだと想像できました。

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受信: 2011年2月 6日 (日) 19時30分

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