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2011年1月16日 (日)

NHK江(02)父の仇:伊勢上野は伊賀上野じゃないのです(笑)

承前:NHK江(01)湖北の姫:信長の妹・市

 今夜の江さんは、オジの一人織田信包(のぶかね)の居城・伊勢上野~安濃津城(津城)から→信長の安土城に招かれました。この伊勢上野が、忍者で有名な伊賀上野とはちがって、伊勢湾の西に位置する土地柄です。そこから10キロ下ると現在の津市で、安濃津(あのつ)といわれて中世には世阿弥の息子さん、観世元雅が亡くなった(暗殺か)土地です。その頃は北畠家がおられたようですね。で、織田の親戚がこのあたりに住んでいるのは、伊勢上野から少し北に長島温泉があって、この土地は一向一揆として信長を悩ませたところですが、それを平定し一段落付いたのでしょう。


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 今夜は、原作・脚本の田淵久美子さんの信長解釈が明らかにでてきた回でした。江が母の兄を慕うという設定が最初にありますから、信長の性格付けは難しいわけです。浅井三姉妹の仇は信長で、信長の寵愛を一身に受ける森三兄弟の仇は浅井であるわけです。そこに原作者が目を付けたのが面白かったです。信長は戦の敵味方転変を露わな事例で三姉妹に分からせたわけです。そして信長はお市に言います「戦は、男しか分からぬ」と。それに対抗して市は「女の戦は、今この時を生き抜くこと」と、言い切ります。さて。どうなんでしょう(笑)。

 セリフにありましたが、場合によっては信長が負けていたかもしれないほど、北近江の浅井と越前・朝倉の実力はあったわけです。女性が生きるために次々と結婚相手を変えていくという江の生涯と、仇同士が同じ城で寝起きする武士の世界と、どちらも「生」の目からすると間違ってはいない、とそのような結論を信長は江を見る微笑に表していました。やがて、母の市は越前の柴田勝家に嫁ぎます。

 難しいのは信長の行跡というか性格の解釈です。江が惚れ込むおじさんですから、変質者であっては物語の興がそがれます。そこが原作者の難しいところでした。まず、信長が浅井親子と朝倉の髑髏(しゃれこうべ)で正月酒を配下達と飲み交わしたという残虐無道な振る舞いですが、これは風評であると信長に語らせます。次に比叡山を焼き討ちにしたことについては、浄土を論じる仏教が、衣の袖の下には鎧をきて、ことあるごとに世俗を征服せんと企む、と言い切っています。これはどうなのでしょうか。一応、江は納得します。

 しかしいまだに伊賀上野、伊賀の人は、信長を憎んでいるという噂もあります(笑)。信長の残酷さは、歴史的に間違ってはいませんから、原作者の田淵さんが一番むつかしかったのは、信長性格の再定義だったのだと、想像しました。成功か不成功かは、あまり気になりませんでした。昔のことですから、私にもよく分からないのです。

 来週は江がますます信長に惚れ込んでいく回のようです。まだまだ原作者田淵さんの苦悩は続きます。
 ところでトヨエツの信長は、髪型や髭といい、コスチュームといい、実に良く似合っておりますね。

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