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2011年1月31日 (月)

小説木幡記:2011/01/31(月)京都南部は雪を免れたようだ

Muimg_4843 福井県南条郡今庄町(現:南条郡南越前町)でサンダーバードが走れなくなったと、新聞にでていた。わが父祖の地、大桐は今庄町のそばだから、蕎麦は美味しいが雪は苦いと思った。ところで今庄町という地名はなくなったが、今庄駅はそのままらしい。合併はよいところがいっぱいあるが、ふるくからの名称が消えるのが寂しいし、場合によっては歴史改竄のような気にもなる、……。

 昨夜から雪模様が激しいと聞いてはいたが、今朝宇治を出るときはやや曇り程度で、雪はなかった。葛野についても晴れていた。京都の南は雪を免れたようでうれしい。
 今日の予定は成績管理や会議準備や研究室の掃除に尽きる。なんら先進的先端的な研究も考察もないままに一日が過ぎていく。ただ、そのような「あたりまえの日々」をこのごろは以前よりもずっと愛おしむ気持ちがわいてきている。変わりなきことが一番なり。
 さて、茶でも飲んで一仕事はじめようぞ。


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2011年1月30日 (日)

NHK江(04)本能寺へ:目に見える形の馬揃え

承前:NHK江(03)信長の秘密:築山殿事件

1.華やかな馬揃え
 世の中を治めた人達は、現代から見ると目に見える「派手さ」「華やかさ」がありました。後の太閤秀吉「北野大茶会」「醍醐花見」とか、今夜の信長「馬揃え」もそうです。信長の安土城がどれほど豪華絢爛だったかは復元模型を眺めるだけで分かりますが、馬揃えについては今夜のNHK大河ドラマの解釈が私らの歴史の見方を少し変えるかもしれません。

 馬揃えは軍事パレードと言われています。馬は軍馬で、もし装束が鎧甲なら、凛々しく威嚇的な姿があるかどうかでパレードの成否は決まるわけです。今でもニュースで、諸外国の軍事パレードみることがあります。花形は戦車やミサイル、そして軍服姿の行進です。
 ところが。
 この信長の馬揃えは~、鎧甲武具の機能美ではなく、色鮮やかな衣装パレードという趣きで、武張った雰囲気がありません。考証したあとの映像でしょうから、ほぼこんな風な様子だったろうと思われますが、信長に至っては梅や桃を身にさし飾った平和な馬上姿です(笑)。

 目に見える形が大切です。
 誰にでも分かる必要があります。このときだったか、別のときだったか、信長は京の町衆に膨大な金銀を配ったようです。信長の形を明瞭にするためでしょう。そして今夜の信長のセリフは「余の春。人々の春~」「春に酔いしれよ」と信長の平和を長槍舞わし人々に伝えます。後に出てきますが、「天下布武」の印言葉は武によって統一するのではなく、武家によって平和を、春をもたらすという意味でしょうか、形ある春を信長がもたらした、と。それを明確にしたのが、洛中馬揃えだったようです。ドラマは、その様子をしっかり見せてくれました。

2.明智光秀との確執
 信長と光秀との確執はこれまで何度もドラマや小説映画で表現されてきましたが、史料の出所が限られているせいか違いはあまりありません。しかし永遠の人間関係として、一つの典型を形作っている点ではまるでシェークスピア世界のキャラのようにはっきりとした輪郭を見せてくれます。

 武田勝頼攻め勝利の時、光秀が「これにて我らの骨折りのかいがあった」と言ったとき、信長は祝宴の最中に光秀を打ち据えて「お前が何をした、言うてみよ、お前にどんな武功があったというのだ」と怒り狂います。この解釈は、日頃の信長流意地悪と思えば単純で、深く考える必要はないでしょう。祝宴を盛り上げるために間の手を入れてヨイショした光秀を打ち据えるのは信長の病的な癇症、つまりは意地悪しないと収まらない信長の問題です。後日に、光秀に討たれて当然の切れようです。

 四国攻めを信長は明智光秀から取り上げて三男に任そうとしますが、話がこじれて、光秀を秀吉の備中攻めの与力、つまり秀吉指揮下に入れました。これに光秀が怒るのは当たり前で、信長は敵を作ると言うよりも、光秀のプライドをはっきり打ち据えて、宣戦布告をしたようなものです。つまり、光秀が愚かしいのではなくて、優秀な光秀を、息子を立てるために降ろし、それにたてついた光秀を同僚秀吉の配下にしたのですから、人事管理としては最低最悪の愚行だと言えます。信長が討たれて当たり前です。

 さて。
 そこまで2人の関係がもつれたのは、秀吉や柴田とはちがって明智光秀が足利家や朝廷から頼りにされている、すなわち守旧派のもっとも有能な武将だったからでしょう。格式と歴史とを重んじ、ことあるごとに信長の左道を矯正しようとしてきた歴史があったわけです。ここに信長の行いを左道というのは、まったく新しい考えや行動ですから、まっとうな方法論とは光秀も思っていなかったはずです。信長の行跡は忌まわしいものなのです。
 信長は、言います「気にくわない」と。「したり顔をみると虫ずがはしる」なのでしょう。
 さて、キャラ対決としては、
    信長 : 光秀 = 天才・癇症・根治療法 : 秀才・忍耐・守旧派
 となります。
 なんども信長は光秀のプライドを壊したのですから、供回りだけで本能寺に宿泊した軽率さを、光秀に狙われるのは当然で、信長は武人不覚悟だったわけです。
 そういう信長を、江は深く敬愛しています。これも当然でしょう。信長ほどの男はそうざらにいるわけではないのですから(笑)。

3.江
 東大寺のランジャタイを信長からもらって、その意味を母親に聞いた江は、自分の好きになった香木を信長に返します。自ら神となのるオジを一時的に嫌いになったようです。
 一方母親の市は、清洲城で兄信長と対面し、茶々を皇后に、初を大名に、そして江をしばらくそばに置きたいと信長から言われ、最初は拒否します。
 「娘達は兄上の道具ではない」、と。
 しかし信長は根気強く、その事情を市に伝えます。天下の憎しみは信長一身に注がれているが、その信長の姪が朝廷につながることによって、ひとびとは朝廷を畏れ敬うようになり、ひいては日本がまとまると。市は信長の深謀遠慮に心を動かされ、即答はできないが自分でじっくり考えて、やがて兄者のそばに娘達と戻る、と約束します。
 そして江は、こういった母と信長のやりとりをすべて理解できるわけです。ですから、信長に悪態をついたことを悔やみます。~もちろん、それは空しく来週につながるわけですが(笑)。

*.まとめ
 江が3人娘の中でも信長からどれほど偏愛されたかがよく分かる筋立てでした。結果として、末娘の江が将軍の妻、三代家光の母親になるわけですから、ただ者ではありません。
 長姉は豊臣秀吉の寵愛を一身に受け、豊臣の「母」となり滅びました。次姉の初は名門京極家の刀自となったわけです。
 江は信長という伝説の男から直に指導を受けた姪として、能力をもっていただけでなく、少女期に特殊な教育をうけたことになるのではないでしょうか。だからこそ、後世徳川の初期屋台骨を支えたのだと想像できました。

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小説木幡記:2011/01/30(日)嵯峨野のこと(京都市右京区)

常寂光寺で見た「藤原定家卿山荘跡」碑↓
Musimg_5175 今朝の宇治市早朝外気温は-3度cだ。ぶるっとする。寒い脳。しかし日曜だから今日の行事は簡単な買い物とガス警報機メンテナンス待機と夕風呂と大河ドラマ江と、睡眠だけとなっていて気楽だ。日曜日もお仕事のみなさんは大変だろうな。古来宮仕えというかサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだぁ~ほれ! と歌に歌われたくらいの哀感世界だが。人がぼんやりしているときや遊んでいるときにせっせと仕事をするのは、辛いこともある。余は怠け者の節句働きといって、人が一休みしている頃になるとせっせと働き出す天の邪鬼だが、人が遊んでいるときに働く仕事はそういうものではない。

 京都市右京区嵯峨野について、それほど熱心に考えたことはなかった。というのも、幼稚園、小学校が嵯峨野そのものにあって、中学校と高校は離れていたが、いずれも自宅からはすぐなので、大学を卒業するまでは相変わらず嵯峨野一帯が散歩道、自転車回遊地だった。ということで、嵯峨野は小学校の帰りに友達の家によったり、授業時間に嵯峨野を教科で散歩見学したりで、混み合った嵯峨野はあまり知らない。いや、知ってはいるがそれは日曜連休は混むから近寄らないように、という注意事項としてのことだ。

 いまでも桜時や紅葉時は、早朝とか夕方しか嵐山・嵯峨野へは行かない。人がいない所に風情があって、闇に紛れた景色の中に安定を得るのだから、嵯峨野は観光地であるよりも「心の故郷」なんだと思っている。幼稚園が嵯峨幼稚園で、小学校は嵯峨小学校だった。幼稚園は車折から電車に乗って終点嵐山下車。小学校は徒歩で片道30分程度だった。

 藤原定家卿がどうしてこの嵯峨野付近に住んだのかをしっかり学んだわけではないが、山荘・時雨亭は写真の常寂光寺境内付近にあったという伝説のようだ。この辺り一帯には落柿舎があって、近くには西行庵伝説があって、滝口入道伝説や祇王・仏御前伝説があって、賑やかである。来年の大河ドラマ平清盛になると、日中は歩けなくなる、かな? それまでに春になったら折々に訪ねて蕎麦でもいただきながら散歩して写真を撮ろうと思っている。なにかしら悠々自適伝説を願ってのことだが、いやはや心中は「会議会議会議授業授業授業」で、そんな伝承の生まれる余地もないなぁ。


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2011年1月29日 (土)

小説木幡記:2011/01/29(土)文章の難しさの種類

Mudsc00027 土曜日の午後はとろりと時間が流れる。宇治市の外気温は4度cをさしていた。昨夜読んでいた図書にこんな箇所があった。

「萬葉の歌人は神ながらの國を歌つてゐる、言霊の幸ふ國と稱へてゐる、さらにそれを見たり聞きたりと入念に註してゐる」(戴冠詩人の御一人者/保田與重郎)
 この文章には難しい言葉が並んでいるが、それぞれをそれなりの辞書事典で調べていけば解読できるものだ。勿論解読の深度は人によって異なるが、それはいたしかたない。たとえば、
 
 萬葉の歌人→万葉集の時代に歌を作っている人や万葉集に歌を載せた歌人。
 神ながらの国を歌っている→旧字や旧かながわかりにくいが、そういうルールだと思えば理解できる。
 神ながら→かんながら、と読むこともある。神さんのなされるように~神さんと一体となって~。
 言霊(ことだま)の幸う国→言葉が人々に幸をもたらす国。言葉には力がある国。言になせば事がなる国。

 万葉集の時代の詩人たちは、
 神さんと一体になった我が国のことを歌っていた、
 日本は言葉が幸をもたらす国で、
 詩人はそれを実際に見たり知ったり聞いたりしたと、書き残していた。

と翻訳できる。このうち、万葉集やその時代の歌人について学んだり好んでいる人は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の秀歌を思い出したり、山上憶良(やまのうえのおくら)の「空見つ倭の国は皇神のいつくしき国、言霊の幸はふ国、と語りつぎ~」とまでイメージをふくらませ、引用文を分かったような気分になる。あるいは文章とは、その「分かったような気分」があって、それ以上でも以下でもなく事実を伝えるのが、必要な機能なのだと思う。

 ところが、実は(笑)、この引用文は文芸作品と言われるもの一節である。それも極めつけの難解な、昔は「ふつうではない」と罵倒する人もいたくらいに、詩的すぎる評論文章なのである。私はこの種の文章をかれこれ40年間以上も読んできた。ところが、今でもよく分からないことに気付き、立ち止まることがある。それは文章の持つ魅力を外れて、意味を問う時に発生する。読んでいる限りにおいて、素直に美しく心地よくあじわえるのに、立ち止まって発問したとたんに、頭の中が白く霞んでしまう。

「尊(みこと:日本武尊)は神のまへに神に対してなされるおろかしい暴力を尊ばれたのではない。皇子の行ひそのものは一つの悲劇の描かれた抽象があつたのである」(同上)
 神さんへの暴力が何を意味し、それを日本武尊が尊んだ印象を与える根拠は何か。つまり一般に「~ではない」と作者が言い切るときは、言外に「と、思う者もおるだろう」という紙裏の意味がある。とか、武尊の行為行動が、「一つの悲劇の抽象」とはどういう意味であるのか。難しい。このあたりにくると立ち止まれば道を失う。さらに進めば立ち止まることもなく雲中を走り続けねば転ぶような道が続いている。

 ところで。
 余はこの文章を丁度20歳の春に読み終えた記憶がある。その頃はこの文章が一番好きだった。その後年齢を重ねるにしたがって、保田の書いたもっとわかりやすいものが好きになっていった。そして、今。
 再び『戴冠詩人の御一人者』を読み返し、余の原点に戻った気持ちになった。
 現在の年齢で読み返すと、これを書いた20~30代前後の保田がどれほどの才能を持っていたかを、痛切に理解できる。

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2011年1月28日 (金)

小説木幡記:2011/01/28(金)奇妙な習慣:ロボットにはなりきれない余なり

Amuimg_0189 一泊旅行にでかけるのでカバンに寝間着やもろもろを詰め込んでいる間に、奇妙なことを自覚した。わずか一泊で何冊も本を読めないし、そんな時間もないはずなのに、厳選して3冊が詰め込まれた。小型本とは言っても重い。

  USTREAMがメディアを変える/小寺信良(ちくま新書)
  鉄道模型趣味 No.819
  戴冠詩人の御一人者/保田與重郎(新学社の文庫)

 これらが実はというか普通に言ってすべて「紙の本」なのである。iPad には小説や諸々が一杯詰め込まれているのに一泊旅行に持ち歩こうとはしていない。何故か、それを考えて、奇妙なことに気付いた。つまり余は紙の図書の重さにはある程度我慢できても、iPad の重さやかさ高さに我慢できない。もちろん、とは言っても昔のノートPCやMacBookに比較すると、それらが2kg前後なのに、iPadは800g程度しかなく軽い。なのに重いといって持ち運ぼうとしない。

 疲れているわけじゃない。ときどき贅沢な気分になって、紙の図書を習慣的に一枚ずつ捲って読むと豪華絢爛な知の世界にひたった感覚に包まれるのだが、人や自分が車中やホテルや研究室で、キーボードや指先をしゃかしゃか動かしているのを想像すると、とてつもなくみじめで貧乏臭い、猿猿しい思いに襲われるのだ。
 「あほちゃうか」と呟いてしまう。
 それもまた、何故か。

 長いことそういう機器に引きずられて人生の大半をすごしてしまったから、そのことで得た益には感謝と感慨とを味わいながらも、それはもう生きるすべとして、ある意味でしかたないことで、決して人様にみせることでも言うことでもない楽屋裏のような気がしてくる。
 だから、せめて一泊旅行するときくらいには、豪華絢爛な紙の図書をゆったり読んで、落ち着いて眠りたいものよ、と思ってしまうのだ。

 今年の春に、電子書籍と紙の図書について、同僚の情報メディア系研究者と相乗りで講演する。ずっと人前で話したりしたことはないのだが(ああ、授業はあれは、べつ(笑))、せっかくiPadを昨年入手したのだから、現代先端機器と、20年前の「電子図書館の夢」とを比較して、ムカシガタリをしようと思っている。だから、今日くらいは紙の図書をカバンにいれて、持ち歩くつもりなのだ。
 人は、~、人はロボットではないと、痛切に自分を振り返って思った。

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2011年1月27日 (木)

小説木幡記:2011/01/27(木)レッドドラゴンの意味

Muimg_3686 昨日ある資料を読んでいて、レッドドラゴンという文字に出会った。トマス・ハリスによる同名の映画や小説があって、余はそれぞれ楽しんだ記憶があるが、文脈上のハリス世界とは別のこととして、「レッドドラゴン」が気になってきた。
 一昨年の夏に滋賀県長浜市で、巨大な赤龍を間近に見た。このフィギュア博物館の一階では、お土産品としてさまざまなレッドドラゴンが売られていた。その時もなにかしら「レッドドラゴン」のことが気になっていた。

 一体、レッドドラゴンとは、なにかの象徴なのだろうか?
 龍と美姫のことは西欧系の物語やゲームに必ず出てくるので、日本で言うと八岐大蛇(やまたのおろち)伝説のようなものだろうか。ヤマタノオロチは酸漿(ほおずき)のような目をして、赤い血膿まみれの胴体をもっていた。まるで、赤蛇である。
 話をレッドドラゴンにもどすと、龍の中でもレッドドラゴンと指定するほどの強靱な理屈を思い出せない、あるいは知らない。不動尊にも赤不動、黄不動、青不動とあるから色わけすることで御利益に違いがあるのだろうか。龍にも御利益があるかどうかはしらないが。

 ということで、昨日は会議や話合いが延々と続いたが、その中でも「レッドドラゴンとは、一体何者なのだろう。それはなにかの御利益がある龍なんだろうか」という考えに終日とらわれていた。今日も忙しいので、朝一番にMuBlogにメモして、もうそのことで悩まないでおこうと決めた。レッドドラゴン。

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2011年1月26日 (水)

小説木幡記:2011/01/26(水)細部に秘密がある・ディテール

Mudsc00021 細部にこだわってばかりいると大抵森全体を見忘れて、全体の方向が狂ってしまうことがよくある。しかし実際の人生では細部がうまくいっていないと、どうにもやっていることの意味がぼやけてしまって、居心地も悪くなり、明日の百万円が霞んでしまって眼前の一万円に手を出してしまう。そこで、明日の百万円と今日の1万円とを大局と細部の比較にするのは、わりのあわないたとえになってしまうが、一応考えてみよう。

列車結合:カプラーに液体ゴム
 余の関係図書館列車は大抵深山幽谷急坂急曲を走るので、ときどき列車間の結合が外れて、客車や閲覧車、書庫車が置き去りにされてしまう。細部は省略するが、アーノルド・カプラーという汎用性の高いもので結合しているのだが、以前はそこに液体糊、あるいはメンソレータム、あるいはタイガーバウムをなすりつけて、外れないようにしてきた。しかし液体糊は乾くとカプラーを固定化し、逆にカーブで列車転覆をまねくようになった。
 そこで余は考えた。
 現在の最良解は、液体ゴムを塗りつけることだ。これだと粘着を保ったまま、可動部分が動く。

墨攻:正月映画を今頃見た
 正月にNHK・BSで放映された日中韓合作映画「墨攻」を今頃鑑賞した。何年か前に映画館で上映されたとき、行ってみたかったがそのままになっていた。今回木幡研でじっくり録画を見たが、「うむ、よかった」となる。
 墨攻の原作は以前執心していた酒見賢一さんのもので、余はこれを一度読んでいたが、映画は映画で写実的な別の感動を味わった。
 そこで髪型の細部に目がいった。梁の国王や王子の髪の後ろが内側にカーブしてまとめられている、実に不思議な髪型だった。なんとなく高松塚古墳に描かれた小太りの女性の髪型に似ていた。
 こういう風な細部に気がついて、にやりとする。

ファイリングの穴の数
 仕事柄、受講生たちが提出する分厚い冊子体の目録や報告書が多数机上に積み上がられる。これを一々読んでいくのが余の仕事なのだ(笑)。
 さて、読むためにはページを繰らないと先に進まない。このとーき、ファイリングの穴数が細部を決定する!
 下策は、二穴ものだな。これは作るにはパッチン一回ですませられる気楽なものだが、これが数十枚重なると、ページを捲るのが嫌になる。ちょっと手荒く扱うと破れる。どもならんファイリングだ。じゃ、4穴にしたらどうかとなると、2穴パンチの位置狂いでぐちゃぐちゃ(笑)。2→4穴の効果はほとんどない。
 一番よいのは。
 26穴とか30穴の多穴ファイリングだな。これは特殊なパンチが必要で、手間もかかるが、圧倒的に読みやすい。丁寧な和綴じか、多穴ファイリングか、どちらかしかまともな読みを可能にしない!

まとめ
 というわけで日頃なにごとも「どうでもよろし」「勝手にどうぞ」「おすきなように」と言っているわりには、余は相当にこだわった生活をしているようだ。たとえば、砂糖は黒砂糖か粗目とかな。ヴィッツはRSとか~文庫図書は一に新潮社、二に講談社~とかな。いやはや、こだわりに意味はあまりない。

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2011年1月25日 (火)

小説木幡記:2011/01/25(火)ひとすじなわではいかぬよき人生

Muimg_5030 今朝は宇治市外気温が1度Cで少し過ごしやすい。体感として数度の違いが大きな変化を感じさせる。そしてまた葛野に着いたら小雨だった。ケータイの天気予報では雪になっておった。実感と予測と理屈とは大体ばらばらになる。
 今日は授業も予定もないのだが、それでも山盛りの採点があって、身動きできない。とは言ってもそういう仕事は数時間すれば限界になって、他のことをせざるをえなくなる。人間はロボットではないから、機械的に時間を定めて仕事をできるわけではない。が、世間ではそうすることが美徳に通じるから不思議だ。端からみると余は美徳のかけらもない怠け者にうつるだろうが、人はそれぞれ適材適所(笑)。こういう怠け者でないと勤まりにくい仕事もあることはある~。

 このごろ珈琲に黒砂糖の小片を入れて飲んでおる。どこかの珈琲店で「黒糖珈琲」と書いてあって、どうしてそういう名前か分からなかったが、結局黒砂糖を入れると黒糖だろうと想像して、そうしだした。なんとなくコクがでたような~気分。

 このごろガソリンが値上がりしている。レギュラーで一リットルが131円もする。これは高い。原油の値段はそこここに影響を与えるから、また一歩暮らしにくくなっていくような気分だ。

 このごろ週刊誌の小見出し、タイトルがおもしろい。「ぼけてたまるか!」うむ。週刊誌編集者も高齢化してきたのか。「小沢の次に、消されるのは岡田だ!」ふむ。まるでヤクザの抗争みたいな国会というか政治というか、なかなか激しいタイトルが並ぶ。

 このごろ。
 よく眠れる。心配事や焦りや不安や一杯あるのだが、よく眠る。起床は爽快だ。食事もうまい。憂いがないようだが、それでもよく心配してよく眠る。なにかしら矛盾した人生だと、振り返るのだ。今朝の財布は3200円だ、少ないな。ひとすじなわではいかない。そういうものなんだろう。あはは。呵々大笑。

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2011年1月23日 (日)

NHK江(03)信長の秘密:築山殿事件

承前:NHK江(02)父の仇:伊勢上野は伊賀上野じゃないのです

 信長は江(三の姫)にフロイス、おね(秀吉の妻)、千宗易と3人の面白き人を会わせました。そして琵琶湖を北上し竹生島の弁財天に連れ出しました。そこからは江の亡き父の城、小谷城跡が見えたのです。

 湖上と竹生島で、信長は、徳川家康にその妻と嫡男の死を求めた事情を語りました。信長は、わけはわからなかったが家康に2人の死を命じた、とのことでした。猿(木下)に妻・おねを殺せと命じたら、猿は何が何でも許しを請い、無理なら自分が死ぬだろうと、信長は言いました。家康はそれをしなかった。つまり、妻と嫡男の死を認めたのは家康自身だった、という考えが信長の答えだったわけです。

 このことを江は千宗易に言って解説を求めました。宗易は「ひつこく答えを求め、それでわかった・わからない、とするのは己の我がもたらす傲慢だ」と、江に注意しました。


大きな地図で見る ↑安土城跡


大きな地図で見る ↑竹生島

 さて。
 今夜も難しい局面でした。
 私もよく分からないことが多かったので、明早朝にすっきりして、続きを書きましょう。

翌朝の追伸
 昨夜はつかれていたのかドラマを見終えて少し感想を書いている間に眠ってしまいました。
 あいかわらず児戯児戯したところはあるのですが、江がまだ十代中頃と想像すると、江のひょうきんぶりは活発な少女らしいものでしょう。母のお市が言ったように、江は信長に父像を求めていると考えれば、ものすごく分かりやすいです。

 ところでしきりに明智光秀がお市の前に現れますが、これは伏線じみていて楽しいような不安なような、複雑です。もともと信長の奥さん濃は、美濃の斎藤道三の娘さんで、これは明智光秀とは縁があったというか相思相愛風に描かれていたNHKドラマもありました(功名が辻でしょうか、~)。しかし、どうにもお市と光秀の縁は思い出せません。
 その光秀がフロイスとの会見が終わった後、江が見ている前で、信長に打擲されます。もちろん、江はなぜ信長がそのような乱暴狼藉を働くのか、まるで理由が分かりません。それで信長に問いただしますと、信長は瞬時に答えました。
 「あのキンカン頭は、フロイスの顔を一度も見なかった」
 「はあ?」
 「光秀は、余が異国人を安土の城に入れたことに不服なんじゃ」
 「ええ。でもそれだけで、あんなに乱暴なことを」
 「不服があれば、言えばよい」
 「それは、信長様を怖れておいでだから」
 「~己の気持ちを伝えないのは、己がないからだ。そういう人間を信用できない」

 と、ある意味で直截、また無理難題な信長の人間観ですが、これと家康妻子の死罪命令とは、少し似たところがあります。信長は頭が良すぎて、右往左往する諸人の気持ちを最後は、捉えられないのじゃなくて、理解したくない、つまり邪魔くさがりのところがあったんでしょう。
 それぞれに深い事情があったと、思えてきました。
 こういう分けで昨夜は、さすがに江は、「わからない、わからない」の連発でした。私は、どうだったんでしょう。それは~遠い昔のことですから、そして信長と話したこともないので、わかりませぬなぁ。

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小説木幡記:2011/01/23(日)身軽になって脳の整理整頓

Muimg_4735 思うところあって昨日土曜日は葛野研を大々的に整理整頓し始めた。これまでずっと書棚には手を付けなかったが、図書は増えるばかりで捨て置けば減りはしない。書棚に入らぬものは床やソファや椅子に横置きされて足の踏み場もない。棄てられる物、図書館に整理を任せられる物、とりあえず箱に詰め込んで知の甕棺状態に置く物と、……。何種類かに分けだした。
 日が暮れても一向にまとまりが付かず、これは春まで続きそうだ。

 書架は東側壁面だけを一面全部つかっているので、一連に過ぎず、4棚(月曜日によく見ると5棚だった)、各6段と小振りである。文系を自認しているが図書を研究室に置く習慣や必要が薄いからこうなる。他の先生方の研究室は滅多に見ることはないが、大抵2連(東西二壁面)なので、余の二倍以上の蔵書を身近に置いている。余の場合、一段を25冊とするなら、25x6x5=750冊~1000冊の図書に囲まれている。自宅と合わせても2000冊前後だから情報図書館学系研究者としては周辺にほとんど図書雑誌を置いていないことになる。
 図書雑誌を嫌っているわけではない。ただ他の研究者とは異なり参照するための読書をほとんどしないからこうなる。読むための、ないし読んだ残滓が図書としてそばにある。あるいはこうも言える、何度も読み返すためにそばに置いてある、と。

 しかしそれでもなお、書棚を整理し始めた。
 終わりが近いからではなく、もう一踏ん張り脳を活発に動かしたいから、脳内を整理整頓するために現実の書棚や研究室を整理整頓し始めた。そしてまた、鉄則として、棺桶には図書もEH500も札束も預金通帳もPC達も、一切合切入れるのは無理だし無意味なのだ。この世に残す物などなにものもない。だからこそ、厳選、精選して身辺を身軽にして、脳の活性化を図ろう~という気持ちなのだ。

 と、そう思って木幡研を見渡したが、~相変わらずレールや電車やと、40年も半世紀も昔の雑誌や図書やメモがうずたかく部屋を占拠している。なんとかしなくては。
 そう、身軽になろう。iPadもあることだしな(笑)。

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2011年1月22日 (土)

小説木幡記:2011/01/22(土)復興C96会議録2011年冬

承前:小説木幡記:2009/01/09(金)悪酔い日記

Muimg_6902 昨夜は伏見大手筋の牛タン塩焼き屋(和こう)で旧カナン96(C96)の復興会議+懇親会を行った。が現実に集合したのは余とハシモト船長とツオイエの3人だけだった。ただし話のネタというか酒の肴には、仮想的に眼前に、旧リッツ、DJ、F山、Fまり、探検隊2名、UCバークレイ、結構です君、そして新潟ヨーダとオールスターで豪勢だった。話の結論として、新潟へ直接行って復興カナン、つまり復興C96の打合せをするのが一番早いということだった。新潟での昼食はソースとんかつ丼がよろしかろう~と。しかしそれをそのまま伝えると早速宅急便でソースとんかつ丼が葛野に送られてくるので、今しばしだまっていようと結論が出た。(えーつと、ソースで真っ黒のとんかつのことだよ)

 しかし。C96結成時は、ツオイエにいたっては20代だったに、昨夜の二人はすでに四十路を半ば越えていた。月日の過ぎるのは早い。それはそうだ。卒業ほやほやでC96に参加した葛野の3名は、年賀状を見るたびに子どもの数が増えてくる。不思議な現象ともいえる、脳。

 ということで、余は先回の失態に懲りて席につくとすぐにオーバーやマフラーを外して身軽になった。体温調整の失敗は二度としたくなかった。しかし不景気なのか、金曜の夜というのに、和こうは満席ではなかった。だから心身に異常もでずに快適に2時間ほど食べて飲んだ。余は、また新工夫だが、ヱビスビールの中瓶にした。これだと自分の裁量でビールをちびちび(爆:ビールをなめるように飲む人はこの世にいないだろう)と飲んでいたら、発汗も悪寒もなく順調によく食べられる。その間二人は大ジョッキビールを8本飲んだ。もしこれだけの(一人4本)水を短時間に飲めと言われれば、そりゃ水責拷問だろうが、ふたりともけろりとしていた。アルコールというかビールについてはいつも不思議だ。

 話題といえば復興C96と、再度の新潟遠征と、中国問題、北朝鮮問題に尽きた。肝心の情報図書館学話などは一向にでなかった。ただしかし、旧知の早すぎる死や、驚天動地の人事や、結婚離婚話を一杯耳にして、随分興味深くおもえた(年齢とともに人の死や離別を自然に味わえるようになる!)。
 だし巻きや、トロ牛タンや、塩鯖や、焼き鳥、貝盛り合わせ焼きや~いつもながらに美味しいネタが一杯あって満足した。その後は、先年できた新しいカフェに行って珈琲など飲んで話し終えた。
 しかし一人は京都府亀岡市、一人は大阪府高槻市にすんでいるというのに、何故に伏見大手筋くんだりまで飲みに来るのか、これも不思議な話だった。二人とも、牛タン塩焼き屋は気にいったようだが、こんどは隣の「櫻」に行こうと相成った。ここの二階席からは疾走する京阪電車のパンタグラフを眼前に見ることができる、ものすごくレアな飲み屋なんだ。(と、ハシモト船長談。余もよくしっておるがな)

 ではまた来年。いや、今夏新潟のかに道楽で!

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2011年1月21日 (金)

Zゲージの事始め

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↑写真奥からHO(16.5mm)、N(9mm)、Z(6.5mm)ゲージ

 最近京都のボークスホビースクエアでZゲージの入門セットを入手した。引き込み線(電動ポイントを二つ)付きのエンドレスで、電源と車両(特急の白山)が付いて、14200円という破格価格に、つい衝動買いしたわけだ(ただし、私の衝動買いとは、3回目に訪れてやっと購入するという実に手の込んだ衝動である)。

 以前からZゲージという極小の鉄道模型は気になっていた。省スペースの観点から、小さいスペースに、駅図書館や駅博物館や渓谷風景、田舎風景を演出するには、どうにもNゲージでは難しい事が多々あった。普及している小型規格基板が60センチx30センチなので、そこにいろいろまとめられるとすっきりと「鉄道図書館ジオラマ」を表現できるのだが。Nゲージだと時々レールばかりが目立ってしまう。

 気持ちとしては、どっしりとした据え置きタイプよりも、いろいろな図書館情景モデルを作って棚に並べて置いて、こういうモデルはこれ、温泉付き山上ホテル図書館は、これ、……。島図書館風は、これ、~と言ったような作り方、表現をしたいわけだ。それには、建物はNゲージ規格で使われる1/150~1/160程度の縮尺の方がわかりやすいが、レールが9mm幅では、巨大な雰囲気になってしまう。Zゲージだと6mm幅で全体の印象が随分小型になってくる。もちろん、建物などはNゲージ規格がよい。Zゲージレールには1/220縮尺が正確なのだが、それだと小さいのでわかりにくく、あまり出回ってもいない。

 さて、そのZゲージでどんなふうな鉄道図書館表現をするのかといえば、まだ未定に近い。現状ではNゲージやHOゲージの車両やレールで、ジオラマ(邪馬台国周遊図書館ジオラマ、など)開発を進めているので、その合間をぬって机上にぴったり収まる、図書館モジュールを作っていきたい。どうなるのだろう~(笑)

追伸:写真の説明
 奥から、
 HOゲージ: 線路幅が16.5mmで、縮尺(スケール)は日本では1/80、世界標準と新幹線とは1/87になっている。車両は南部縦貫鉄道キハ10形(TOMIX製)と、車掌車のヨ8000(KATO製)

 Nゲージ: 線路幅が9mmで、縮尺は日本では1/150、世界標準と新幹線とは1/160。車両はキハ201系(KATO製)で、これはDCCフレンドリータイプ(DCC化しやすい車両)。

 Zゲージ: 線路幅が6.5mmで、縮尺は1/220。他の詳細は不明(笑:よくわからない)。

補足:
 私が入手したレール(含ポイント)や電源(パワーパック)はロクハン(6.5の意味らしい)という新しいZゲージメーカーの製品らしい。で、3度も通ったのは、これまではZゲージで使うレールには分岐装置(ポイント)が存在しなかったり、高額すぎたからである。そういうことが解消されていると分かった。なんとなく、ロクハンの出現によって、Zゲージが従来のNゲージ並に簡便に扱えるような気がした。

 しかしセットの車両は怪しげな製品で価格は単品だと1980円「489系特急型電車7両セット:白山色」という、ものすごく安価なものだった。テラネッツという会社が作った物で、この会社は調べるとすでにZゲージ模型からは撤退していた(笑)。だから、ボークス京都の関係者はロクハンというしっかりしたレールセットに、他社バッタ物の車両を付けて安価に販売したのだろう。
 これは客にとって成功だと思った。
 初めての者には、いちいち会社単位で製品を購入するのが難しい。ボークス社のお姉さんは、コーナーに行って、レールや電源や車両を、一つずつ確認しながら運んでくれた。箱に一式入っているわけではない。安価で安全な品物をボークスホビーセンターが選別したわけで~。それを店頭の人が、一品ずつ集めて販売するという、実に合理的な方法だった。

 さて、バッタもん、1980円のZゲージ車両はどうだったか? ロクハンのレールやポイントや電源は、見るからに安定していて、全体的に、TOMIX社のNゲージ製品を小さくした雰囲気だった。ではテラネッツ社の白山は、~
 いや、驚いた。実によく走る。だから、こうして記事を書くに至った。

 Nゲージではこれまで車両に極上から極悪までいろいろ経験した。たとえばTOMIXのEH500金太郎は、全8軸の動輪16回転によって、半径140Rから、想像を絶する急坂を、音もなく走りきる。私の経験では最良の動力性能を持った電車だ。いまだこれ以上の動力車を見ていない。
 で、どうにもならない動力車もいろいろある~。それは書かぬ。
 件の1980円6両セット白山は、小さな車体にも関わらず、走る、力強く走るではないか。もちろんTOMIXのEH500とは比べられないが、想像を軽く超えた走りだった。これなら、今後いろいろジオラマモジュールを作る気力が湧く。

 ただし。勾配に強いかどうか~。Zゲージは車重が羽のように軽いから、それだけは心配だな。

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2011年1月20日 (木)

小説木幡記:2011/01/20(木)語る気安さ、受講拷問

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 今朝の宇治市外気温は3度cだから少し温かい方だ。数日前に記したが、これがマイナスになるとさすがにこたえる。まずまず宇治市は温暖地なのだと、ずっと感じてきた。

まず無線Lan
 昨日は葛野で古い無線Lanの調整をした。古いMacBookで使えるようにしたかったのだ。結果はうまく行ったが、従前順調に動いていたのを何かの拍子にリセットしてしまい、それからが大仕事だった。

 すでにマニュアルも亡失した古い機械だったので、ネットの世話になった。国内メーカーサイトを見てみたが、カタカナだらけのほとんどまったく異国の言葉で説明が書かれていた。しかも機種番号順に微妙に方法が変わっていた。ああいう世界がともかく維持されて日本中(世界中か?)の老若男女がそれを使っているのが奇跡に思えたな。余の場合、なんのことはない、無線Lanに書かれた室内・構内アドレスにアクセスし、そこで勝手にパスワードを書いて、それを無線接続の時に使うという手前味噌的単純なことだったが、気がつくまで、方法を思い出すまでは、まるっきり言葉の通じない異世界気分だった。これだから、IT世界はええかげんに嫌になる脳ぉ~。

 さて一昨年までならこういうストレスを伴う暗中模索状態の時は大抵ライターとシガーの世話になるところだが、今や復縁流(正確には:副流煙かな)禁止になって久しいので、100円のアタリメをしがしがと口の中で噛んでおった。これも気をつけないと塩分があるから高血圧になると、危険信号がちかちかするが、アタリメ数本をたまにかじったくらいで死ぬことはなかろう。で、頭の中ではLanもMacもなくて他のことを考えておった。

語る語り
 どういうことかというと、語るのと語りを聞くのと、人によって使い分けをしている人もおるが、大抵の人はどちらかに分類できるのじゃなかろうか、という推測である。事例をはばかりなき自分にすると、語るのが好きな方だ。講演会に滅多に行かないのは、人の語りを聞くのが苦痛だからだ。逆に、「語れ」と言われて講演会に行くのは気楽なことが多かった。準備や緊張はあったが、語り出すとあっという間に責務を果たしていた。だから、授業が嫌いじゃないのだ。要するに職業教師は語るのが好きな方が、気安くできる。

 そこでまた、人の話を聞く聞かない問題になるのだが、~。これは別種のことなので、いずれ別の機会に考えてみよう。部屋に閉じ込められて身動きできないように、いましめをかけられて講演を聴くのと、対面する人の話を聞くのとでは、自由度に大きな違いがある。

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2011年1月19日 (水)

小説木幡記:2011/01/19(水)温故知新のIBM

Muimg_4761 昨夜は遠来の客があった。ひとしきり話して、「めなみ」で一献傾けて、六曜社で珈琲を飲んだ。全部で6時間ほど一緒だったから、会見としては長い方だ。新幹線ではるばる来てくださった客に、まさか廊下で偶然であったような接遇では世界の笑いものになる(余が)。

 というわけで温故知新だが~。余はいつもの通り早めに帰路についた。いったい何年ぶりだったのか、しかし昨日も「めなみ」で鴨焼きをたべて外で珈琲飲んで別れたような、昨日まで毎週、毎月話していたような奇妙な錯覚に襲われた。いろいろあろうが、まるっきり変わらないパターンだった。新幹線に乗って、ホテルフジタに泊まって葛野にぶらりと来て、ひとしきり話して、いざ出陣で三条木屋町まで出て、めなみののれんをくぐり、まずはビール、昨夜シラコはなかったが、いろいろ京のおばんざい~、そして珈琲。そして彼は夜の祇園に消えていった~。ふむふむ。

 印象に残った話を一つだけ記しておこう。一杯あったが、マル秘が多くてblogには書けないよな。次に書く内容もある意味では大きな秘密事項だが、ものごと少しはリークしないと、反応もなくて、先に進まない。エビで鯛を釣る要領で、彼から教えてもらったナイショ話を書いておこう(笑)。

 要するに、おそるべしアップル、マイクロソフトの話だが。実は、もっとも恐ろしいのは、やはりいまだに、昔変わらずディープブルーのIBMらしい。これがなぜ恐ろしい企業かというと、それはナイショだが(ウケケ)、アップルとマイクロソフトと、そしてIBMのこの何十年かのイベント(開発行為だな)を年表にならべていくと、ありありと、如何にすさまじい会社であるかがよくわかる。もちろん、アップル社やマイクロソフト社は一般世間でも斬新さが知れ渡っているが、その影に隠れて、最近ずっと深海に潜んだディープなIBMが、これまで何をやってきて、いまなにをして、今後どうするかのレビューを受けた時、余は杯を落としかけた~。

 というわけで、今日の京も寒かった。心臓が縮んだ。心身にわるい寒さだ。
 明日はどうだろう。
 温かくなって欲しい。
 ~と、謎が深まるばかりの木幡記の末尾であった。

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2011年1月18日 (火)

小説木幡記:2011/01/18(火)まずは寒さ談義~それから、どうした~

Muimg_4824 今朝の宇治市外気温は机上PC温度計によると、-1度となっていた。こういう寒さには慣れないから、零度から以下になると世界がぴっしり圧縮されて硬くなった気分になる。勿論、筋肉にも血管にも心臓や脳にもあまりの低温は悪い作用をもたらす。そういえば葛野の涼夏2007PCは最近電源をいれるたびに、ひとしきりビープ音を鳴らし続ける。「マザーボードが壊れたか」「やはり自作PCは、壊れがちか」「あしかけ5年にもなると、老朽か」と、いろいろ考えたが、要するに極端な低温でのPC作動は、良くないのだろう。以前は低温というてもしれておったので、軽くビープですんでいたのだろう。~となると延々と鳴り止まない昨今は寒すぎるぅ。

 葛野のことは依然として会議や会議や会議や書類や書類や書類やで落ち着かない。倶楽部のことは今春卒業の上級生と大事なことをほぼ話終えた。いろいろな倶楽部最終行事についても、多数のご隠居さんたちに話はつけだした。となると、会議や書類の次には膨大な採点が待っている。これが一苦労世界だが、要するにこのために教員が存在しているようなもんで(笑)、逃げられぬ脳。

 鉄道図書館については、HOゲージ(線路幅16.5mm、縮尺1/80~1/87)と、Zゲージ(線路幅6.5mm、縮尺1/220)を新たに考え出した。HOの方はすでにDCC(電子制御)で経験を少しずつ積んでいるが、このたびは自由レールの設営を始めた。カーブなど自由に設定出来るが、慣れるまではなかなか難しい。Zゲージの方は、極小の箱形ガラス張り図書館・博物館情景モデルを作るのに、便利だと思って手をつけだした。いろいろ完備されたNゲージ(線路幅9mm、縮尺1/150~1/160)に比較すると、慣れるまでは「不備がある」とつぶやき続けることになるだろう。仕方ないと諦めている。それでもなにかしら可能性がある~。

 昨年から今年にかけて話をする層が、{近親者、同僚、倶楽部関係者、受講生}の4層に限定されてしまった。いろいろ事情もあったが、禁煙が続き鬱やイライラがつのったからだろう。要するに必要最低限のことしか話すのが難しかったのだと想像。心のゆとりがなくなっておった。しかし考えてみるとこれでは、木幡:葛野=1:3、の比率で非常に不安定な状況だな。というわけでもないが、今週は旧知と二組、話をする機会を得た。この方達とは30年来とか、20年来と、昨年・忘年会を持ったNDKの人達と変わらない長さになる。

 ~なんとなく、余はここ十年以上の間、新しい知り合いを持たなかったのかもしれない。ふむふむ。そういえばiPadと知り合ったが、これは人じゃないからな。夏前に、「現代電子書籍と20年前の電子図書館」についての講演を持つことにした。iPadに出場してもらうから、余には友達みたいなものだ。

 そろそろ明けてきた。ブラインドの隙間から覗くと、雪はなかった。さてそれでは、朝風呂でも入って、出勤しょうかいのう。

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2011年1月17日 (月)

20110113(木)のお別れ助勤会2010

承前:20090924の月例会と秋季助勤会:倶楽部組織図

 かれこれと遅れがちだった昨年の助勤懇親会をようやく年明けの1月にもうけることができた。私も含めそれぞれがそれぞれの世間の荒波にもまれ、やっと一息つけた懇親会:お別れ助勤会だった。奇しくもというか、その日の昼すぎ私自身のことで話があって気が楽になっていた。書記局長もまた別のところで夕方話があったようだ。局長は年末の話をしてくれていた。経理局長は4月からの大まかな予定を話してくれていた。各人各様それぞれの行き先を微妙に把握するのが毎年、厳冬の一夜だった。

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御池駐車場
 例年の行事とは言っても2010年次組にはそれなりの物珍しいことがあった。すべては私の視点からだが。まずそれぞれが事情あって、集合がばらばらだった。酒はまったくない毎年なので私は自動車で河原町御池地下駐車場に入り、地上に歩いて出て街の照明をぼんやりみていた。夜間照明が珍しかったのだ。駐車場はがら空きだった。街が不景気で沈んでいるのかそれとも駐車料金が高いのか、わからない。話が後先するが、3時間弱で1500円も支払った。京都市経営の駐車場はどこも経営努力が足りないのか~割高感があったな。木曜日の夕方に、巨大な駐車場ががらがらとは、~。うむ。

作家池波正太郎
 夕刻の6時頃に4人が集まった。三条木屋町・小橋のあたりだった。そこで私はひとしきり、江戸の作家・池波正太郎さんが、以前、京に来るたびに立ち寄った「松鮨」がここでした、と講釈をたれた。今は牛丼屋になっている。この小橋あたりは私が気に入った箇所で良く歩く。向かいには石碑があって「佐久間象山先生遭難之碑・大村益次郎卿遭難之碑」と書いてあった。

Gacktの色紙
 寒くて空腹感が強かったので4人ですぐ近くの「(博多)長浜ラーメン・みよし」に入ってチャーシュー麺をいただいた。そのとき突然、壁に掛かっている色紙・サインが話題にあがった。局長2010の話では(芸能通だ!)、ガクト、そうあのGacktが年に一度だけ、関係者取り巻きスタッフ一同を引き連れて京都のこの「みよし」に現れ、店を貸し切りにしてラーメンを食べるそうだ~。私は見たことがないから真偽のほどはわからぬが、たしかにGacktと書いた色紙だった。店が飾っているのだから、本物と信じた。私も年に1回、助勤数名を引き連れてチャーシュー麺を食べに来るのだから、色紙を書いてあげても良いと思ったが。依頼はなかった。

キルフェボンで御隠居と遭遇!
 その後、例によってほんのご近所の「キルフェボン」に繰り出した。木曜日の極寒夜も7時を過ぎると、キルフェボンに人影は意外に少なかった。しかし、あろうことか、ばったりとご隠居に出会ってしまった。こういう事もアルのだろうかと、実に驚きは深かった。昔の三番隊長だった!
 しかし挨拶もそこそこに、若い助勤たちはケーキというか、甘い物を注文し、食べ始めた。私も小さなのをほんの少し口に入れた。黒ザクロとか、イチジクというか、わかりにくい果物が上に乗ったお菓子だった。局長が同じ物だったな。飲み物は、当然のごとく、冷水だった。上等なケーキには、水が一番!(笑)

最後に
 水ばかりでは、いかにも口元が寂しいので、キルフェボンを出て和茶を飲むことにした、~とまあそこからひとしきり楽しい話もあったが、私は邪魔になるので早々に席をはずして、帰路についた。

 さても今年次、恒例の助勤会が夏と冬に無事できた。
 終わりよければ、すべてよし、なり。

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2011年1月16日 (日)

NHK江(02)父の仇:伊勢上野は伊賀上野じゃないのです(笑)

承前:NHK江(01)湖北の姫:信長の妹・市

 今夜の江さんは、オジの一人織田信包(のぶかね)の居城・伊勢上野~安濃津城(津城)から→信長の安土城に招かれました。この伊勢上野が、忍者で有名な伊賀上野とはちがって、伊勢湾の西に位置する土地柄です。そこから10キロ下ると現在の津市で、安濃津(あのつ)といわれて中世には世阿弥の息子さん、観世元雅が亡くなった(暗殺か)土地です。その頃は北畠家がおられたようですね。で、織田の親戚がこのあたりに住んでいるのは、伊勢上野から少し北に長島温泉があって、この土地は一向一揆として信長を悩ませたところですが、それを平定し一段落付いたのでしょう。


大きな地図で見る

 今夜は、原作・脚本の田淵久美子さんの信長解釈が明らかにでてきた回でした。江が母の兄を慕うという設定が最初にありますから、信長の性格付けは難しいわけです。浅井三姉妹の仇は信長で、信長の寵愛を一身に受ける森三兄弟の仇は浅井であるわけです。そこに原作者が目を付けたのが面白かったです。信長は戦の敵味方転変を露わな事例で三姉妹に分からせたわけです。そして信長はお市に言います「戦は、男しか分からぬ」と。それに対抗して市は「女の戦は、今この時を生き抜くこと」と、言い切ります。さて。どうなんでしょう(笑)。

 セリフにありましたが、場合によっては信長が負けていたかもしれないほど、北近江の浅井と越前・朝倉の実力はあったわけです。女性が生きるために次々と結婚相手を変えていくという江の生涯と、仇同士が同じ城で寝起きする武士の世界と、どちらも「生」の目からすると間違ってはいない、とそのような結論を信長は江を見る微笑に表していました。やがて、母の市は越前の柴田勝家に嫁ぎます。

 難しいのは信長の行跡というか性格の解釈です。江が惚れ込むおじさんですから、変質者であっては物語の興がそがれます。そこが原作者の難しいところでした。まず、信長が浅井親子と朝倉の髑髏(しゃれこうべ)で正月酒を配下達と飲み交わしたという残虐無道な振る舞いですが、これは風評であると信長に語らせます。次に比叡山を焼き討ちにしたことについては、浄土を論じる仏教が、衣の袖の下には鎧をきて、ことあるごとに世俗を征服せんと企む、と言い切っています。これはどうなのでしょうか。一応、江は納得します。

 しかしいまだに伊賀上野、伊賀の人は、信長を憎んでいるという噂もあります(笑)。信長の残酷さは、歴史的に間違ってはいませんから、原作者の田淵さんが一番むつかしかったのは、信長性格の再定義だったのだと、想像しました。成功か不成功かは、あまり気になりませんでした。昔のことですから、私にもよく分からないのです。

 来週は江がますます信長に惚れ込んでいく回のようです。まだまだ原作者田淵さんの苦悩は続きます。
 ところでトヨエツの信長は、髪型や髭といい、コスチュームといい、実に良く似合っておりますね。

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2011年1月15日 (土)

小説木幡記:ジオラマ・スペースの工夫

Muimg_4773 ジオラマと言われたり、鉄道模型のレール配置を主にして「レイアウト」と言われたりする情景模型がある。いずれにしても、発泡スチロールや石膏や紙粘土や塗料、色粉や砂で丁寧に仕上げていくと、面白いジオラマができる。しかしスペースを取るので、なかなか手を出しにくい。

 実験室、工作室などを持っていないと、畳半分でも床や机上に置くスペースは限られてくる。たとえば、新聞紙を両面広げて自宅のテーブルにおくことが出来るだろうか? この世界での規格基板には60センチX90センチのものがあって、これが丁度新聞両面より一回り大きい平面になる。畳一畳とは、この規格板を3枚合わせた大きさだから、新聞紙両面開きを3枚合わせたものに近似である。

 話を規格基板(新聞紙両面開き)にするとして、その大きさ(60x90センチ)は極小ではないが狭い。施設や模型店の店頭にあるレイアウトと比べると本当に小さい。たとえば2011年3月1日に開設予定の「トロッコ嵯峨駅」のジオラマは、広さが212平方メートル、線路延長約2700メートルというから、坪数で64坪、畳数でいうと倍の128畳敷きになる。ここに線路幅16.5mmのHOゲージ車両が走る。

 規格基板だと線路幅9mmのNゲージモデルでないと走りにくい。カーブ半径が最大でも30センチ弱でないと60センチ側をはみ出してしまう。半径28センチだとNゲージ(通常は1/150縮尺)でも、長編成の新幹線とか、満鉄パシナという大きな車両だと、走りにくいものだ。

 以前、この小さな規格基板上で、HOゲージ(16.5mm線路幅で、日本での縮尺は1/80)の車両を走らせる工作図書を見つけた(『HOゲージ:小型レイアウトの作り方』池田邦彦著)。そこで正月以来、余もくねくね曲がる自由レールを3mほど買って(1mで700円前後)実験を始めた。つまり、この世界になるとNゲージのように多様な規格レールを使う簡便さを離れて、自由に折り曲げるレールを使うことになる。もともとその方法が本道のようだが、規格レールの頑丈さに比べて扱いにくく感じられるのも事実だ。

 ということで、今年は小さなスペースでHOゲージの車両を扱う元年になりそうだ。HOゲージは価格も割高で、レールも大抵は自分でゼロから設営する必要があって面倒だが、車両が大きくて扱いやすく、DCC対応も非常に優れている。またあたらしい世界に入ったようだ(笑:人から見れば、まだ同じことをやっておる、としか見えぬだろう脳)。

 そうそう、京都に巨大なジオラマ(レイアウト)が出来る話だが、2011年3月1日が楽しみだ。葛野の近くなんだなぁ。
  嵯峨野観光鉄道(ジオラマ)← この施設に関連して、2011年3月に国内最大規模のジオラマが開設されるとのこと。(きままに京都嵐山

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2011年1月13日 (木)

小説木幡記:2011/01/13(木)変わらぬ人の質や苦悩と就活愚祭

Muimg_4792 人も我もお互いに大きな迷惑を掛けない限り自由に生を愉しめばよいと常々思っているが、それにしても人ごとながら、どう考えても気持ちの収まらぬことがいくつかある。

1.内縁妻の連れ子を虐待する無職男
 うそかまことか、牡ライオンは、牝ライオンの連れ子を食べるらしい。このTV画面を見て内心ウッと思ったが、人間のなす児童虐待にも同じパターンがあって、しかし人間らしいというのか、大抵はどうにもさまにならない男にそれが多い。さまにならない男がすることと言えば、児童虐待か同居女性虐待と、行き着く道は同じだ。ようするに、自らを反省すると弱すぎて自壊するから、暴力的に自分より弱い者へ鬼畜の振る舞いをする。

 こういう事件が繰り返し繰り返し繰り返しひつこくくどく繰り返されるのは、人間心性構造原理に、「むしゃくしゃしたら、弱い奴に嗜虐的に振る舞え」というパターンが織り込まれているのだと思う。だから、これを大人になっても露出する者を矯正するのは無理だから、人類史のあみ出したハムラビ法典の、目には目を、歯には歯をしかない。ある海外SF小説にあった方法は、被害者の受けた苦痛絶望憤怒悲嘆などをすべてシミュレートした物語を加害者の脳に電極を刺して直接体験させることだ。大抵は、二度と同じ犯罪をしなくなるが、もっと大抵は加害者が人格崩壊を起こすので、その未来社会では禁止された刑罰になった、と覚えている。

 数日前の児童虐待した26歳の無職男は、内縁妻27歳の連れ子3歳(か2歳)に回し蹴りをして両足骨折をさせ、さらにその両足を踏みつけたようだ。こういう男は、しのごのいわずに、プロレスラーの練習相手にさせるか、まな板状石板の上で正座して石を抱かせる拷問か、あるいは電極をさしこまないと治らないな。

2.就職と餓死
 人類史はある時期から都市生活を主流のものとした結果、そのために就職出来なければ餓死をまねくという過酷な様相を呈してきた。餓死とは簡単に「喰う物を入手できない」「金がないから食物を入手できない」つまり栄養補給が出来なくなって死亡することを意味する。喰う物を自給自足する練習をいつのまにかしなくなり、お金を得て食べ物に変える技を人々は学ぶようになった。

 いまさら水田でお米をつくる辛抱とか、毎日漁にでてぶり大根をとってきたり、野山ですき焼き肉を探させたり~を多くの人にさせるのは無理がある。手っ取り早く組織に就職して給料をもらって、それでスーパーやコンビニで食料に交換して、餓死を免れるのが主流となってしまった。

 どうにも我慢ならないのは、そういう生きる基本の技を得るために「就職」という関門があって、それは万人に用意されているわけじゃないということだな。書類を整理できて、英語を話せて、活動的な若者が求められているとか、~ふん、馬鹿馬鹿しい。余などそのどれ一つまともに出来ぬ! 整理整頓まったくだめで、現代日本語にもおぼつかなく、いっつも不活動的に部屋でじっとしておる。
 それと就職先にも序列があって、就職したい人の心性にも「こんな所で、勤めるのはプライドが許さない」となったり、就職先にも虐待癖のある組織があって、「使用人や部下を消耗品扱い」する組織も多い。どっちもどっちで我慢ならない。

 要するに<就職>と<餓死>とが直結する社会は歴史的にまだまだ勉強がたりないというか、練度がたりないというか、未熟な社会なのだと思った。じゃどうすればよいのか~。おもしろくてもおもしろくなくても、似合っていても似合わなくても、自分の食べる物を自分で作り出す教育が必要なのだろう。未熟社会組織に依存せずに、自給自足できる方法を各人が習得すれば、就職就活なんて馬鹿馬鹿しい愚祭に人生を賭ける必要もなくなる。
 余は水耕栽培で一人一人が一年間の備蓄をもてて、日々自活できる世界を夢想しておる。まず瞑想が必要だな。すべてはそこから始まる。

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2011年1月12日 (水)

小説木幡記:2011/01/12(水)過ぎた時の行方:時圧なき地

Muimg_4674 この日々過ごしていると日々時が過ぎていく。感覚的には肩を飛び越えて背中の後ろへ時が飛んで行く。そこで、飛んで行った時はどこへ行くのだろうか、あるいはこれだけ日々時が飛んでいくと、その行き着く場所は時だらけになって、時が溢れていはせぬかと、想像し、にやりと笑う。
 本当のところ、時はどこへ行ってしまったのだろう。

 消えたのか溶けたのか、飛んで行ったまま永遠にどこか行方不明になってしまうものだろうか。いや、時は物とか事とか扱われるたぐいの物ではなかろう。水のように時があって、その「時中」でじっくり眠っていると時が飛んでいるとは気付かぬが、余が目覚めて動き出すと時の抵抗、つまり「時圧」に気づいて動く邪魔をする。あんまり早く動くと時圧で口中が一杯になって息が出来なくなる。かと言ってじっとしていても、空の星や月や日は動いていて、弱い時圧を感じる。だから、時は余がじっとしていても、走っても、時中にいるかぎり時圧があって、動きや行動に制限を与える。

 ならば、時中から抜け出たとしたらどうだろう。
 魚が水中から抜け出すと、トビウオみたいな例は特殊で、普通は息が出来なくなって息絶える。うちの金魚もそうなるだろう。しかし人間が水中から飛び出すとやっと息ができて、生き返る。人間が時中から飛び出すと生き返るのか息絶えるのか、不思議に思う。

 きっと、瞑想すると時中から抜け出ることがトビウオ程度には出来るのだろう。
 そういう哲学的な雰囲気に近くなくても、「死」が時中の外にあるだろうとは容易に想像できる。死は時に恐ろしく悲しく、時に唯一最高の帰路なき逃避だが、時外であることは確実だ。
 もとより戻ってこられない道はたどり行かぬが賢明なり。
 さすれば。
 じっくりと、じっとりと、この時圧を楽しみ、時中で軽やかに息することを学び練習することが大切だ。
 こころして、時圧を全身でうけとめようぞ。

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2011年1月11日 (火)

小説木幡記:2011/01/11(火)琵琶湖のこと

Muimg_5700 朝から琵琶湖の話をする。とりたてて、喫緊(きっきん:急いで考えたり処理したりした方がよいこと:急いで喫煙して緊張する意味ではない。もちろんニコチンは遠い昔の記憶を呼び戻すと、血管や全身がキュワと締め付けられるような隠微な快感があった。だから喫緊状態があると妙にはしゃいだり、元気になる人も多いので、似ているのかもしれないな:嘘かな?)のことではない。

 琵琶湖といえば、湖南の琵琶湖ホテルや、プリンスホテルは景色が良い。湖岸回りには著名なシティホテルがあるので、ドライブや散策の折、お茶を飲みたくなったら、そういうフロアを使う。見知らぬ土地で美味しい古民家カフェを探すのは、事前に調べていないと難しい。

 しかし琵琶湖の最初は20歳頃で、バイクや自動車免許を取ったときは、大抵琵琶湖一周をして腕を試した。その頃は嵯峨に住んでいて遠方だったし、よい道路も無かったので、一周するのは1日がかりだった。もっと昔は中学生のころ湖南や湖東の山々をハイキング(クラブ)していたが、集団だったのでみんなに連れられていったという記憶だ。

 20代~30ころは、白洲正子さんの著書『かくれ里』とか近江関係図書で、古寺廃寺をうろうろした。その後は大津、信楽、近江八幡、彦根、長浜、つづらお、海津大崎、高島、近江舞子、堅田、坂本、穴太、大津京ともりだくさんに訪ね歩いた。よく考えてみると、京都市内よりも近江へ行く回数が多かった。これはひとつは、自動車好きなのと湖好きとが重なったのだろう。現在の滋賀県道路状況は上等だ。

 今年は、NHK大河ドラマ「江」で、長浜や小谷城が最初に出てくる。もちろん安土城もそのうちに。さらに淀君と江の姉妹関係が複雑になるころは、関ヶ原も出てくる。なかなか近江からは離れられない予感がする。近いところだからせっせと訪ねよう。ともかく想像を絶するほどの古代史がある。最近は近江こそ邪馬台国説が気に入りだした(笑)。

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2011年1月 9日 (日)

NHK江(01)湖北の姫:信長の妹・市

参考:大河ドラマ~江・姫達の戦国~

 さて、今夜から一年間「江」が始まります。雰囲気として以前の篤姫に似ているなと思ったら、なんのことはない脚本というか原作は同じ人で田渕久美子さんという方でした(笑)。篤姫の原作は天璋院篤姫/宮尾登美子さんですが、今回は本当に全部田淵さんのようです。
 篤姫と江姫とがどう似通うのかと想像するなら、なんとなくお茶目で、活発ですっきりした性格に描かれるのじゃなかろうか~ということです。主役の上野樹里さんは一度だけ、「のだめ」で見たことがありますが、なんだか目が点になるような女優さんでしたね。おそらく天性のなにかしら、ぷはぷはとした資質がおありなのでしょう。人には真似の出来ない演技をみられそうです。

琵琶湖。長浜。
 なんども琵琶湖、湖北には宇治から出かけています。MuBlog記事にも相当、温泉や古代史や、あれこれと、陰に陽に琵琶湖滋賀県が出ています。そういうところからも、今回の「江」は気楽に安心して楽しむつもりです。その上、幸にして以前の篤姫もこのたびの江姫も畳の上で大往生されるので、その点でもストレスが少ないですね。私は悲劇的死を迎える人のドラマは、悲しくなります。近い数年では、近藤勇は慚死悲壮、義経は孤軍奮闘悲劇的戦死、山内一豊は脳溢血かな?、軍師山本勘助は明るい戦死、篤姫は大往生、直江兼続も大往生、坂本龍馬は壮絶悲壮な暗殺死。近藤、義経、龍馬は最初から悲しかったですが、今回は、まずまず明るいスタートで行けそうです。


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で、今夜のドラマの感想は~
 時代としては足利幕府の崩壊前後ですが、この当時の人達は本当に「判断」が命がけのことが多かったのだと、思いました。特に朝倉家と浅井父子ですが、浅井長政は、朝倉との縁を重んじ信長を軽くみる父親に従って、信長との義兄弟の縁を棄てるわけです。そうならないように信長の妹・市が浅井家に嫁いだわけですが、結局浅井・織田両家は決裂しました。もちろん、朝倉討伐にでかけた信長軍を背後から浅井が押し込むことで、信長自身が袋のネズミ状態だったので、浅井が勝利する可能性もあったわけです。

 もう一つの感想は、日本史知識では、市が浅井家に嫁いで、浅井家が滅びたのは瞬時のことのように思っていたのですが、姉川の戦いだけでも数年間膠着状態だったわけで、その間、肉親同士が戦うのを見ていた市の気持ちを想像すると、不憫です。なにしろ、茶々が生まれ年子で初がうまれ、その後江がうまれたわけですから、嫁いでから7年も経過しているわけです。その半分は強いストレスが生じたことと想像できます。

百名城。
 小谷城は日本百名城の一つで、また五大山城とも聞きました。今夜のドラマでは琵琶湖との対比や、遠景がなだらかで綺麗に見えました。
 ともかく、ふたたび湖北に出かけて小谷城に登りたく思いました。

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忍者屋敷集合:倶楽部忘年会2010

承前:池田屋集合:倶楽部忘年会2009

 昨年2010年も押し迫った23日、恒例の葛野図書倶楽部2001忘年会を執り行った。幹事長は虹鱒書記局員2010、幹事は二番隊城2010、経理はガミ経理局員2010と、全員3年生でこなした。12月23日は祝日だったので、午後すぐに月例会を始め、新年にむけてのいろいろな準備を話し合った。夕方、三々五々と阪急河原町に集まり、幹事の先導で狭い道を右に左に歩き、NINJAに案内された。会場は地下だった。なお案内は二番隊城2010で、浜松人だが迷うことなく先導してくれ、さらに宴撮影も引き受けてくれた。

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 式次第にしたがって虹鱒幹事長の采配よろしく、式は粛々と進んだ。がしかしときどき忍者風体の者が宴席に紛れ込みいろいろにアレンジした技を披露してくれたので、楽しいというか、忙しいというか、このごろの宴会模様を堪能した。そういえば、昨年も新選組ゆかりの池田屋で、飲む酒にやたらと「土方カクテル」とか「近藤梅酒ソーダ」とか~名がつけられていた。今回は主にデザートにそういう趣向がこらされていて、いろいろ驚いた。気になる人はぜひ一度行かれればよい。

Opxmu 一次会が終わった後は、店の忍者と幹事が話し合った結果、当初予定していた近所の伝統的「古民家カフェ」へ行くのは止めて、1Fの喫茶部に決まった。割引特典があったり、それなりに若い者らがたのしめるグッズがあったり、~私は、それでよいと思った。局長2010は以前にこの一階の「Sweets of NINJA」を訪れて楽しんだようだ。

 あとで聞いた話では、私がお茶とお菓子をいただいて30分ほどで帰った後、全員がガチャポンに熱狂し、なにやらクラゲタイプのキーホルダーなどを大量に入手したらしい。あはは。一体どういうものかは、まだ見ていない。何人かに聞くたびに名前が異なるので、しらべたところ8種類ほどあったらしい。ミズクラゲ、サカサクラゲ、オワンクラゲ、タコクラゲ、ビゼンクラゲ、アカクラゲ、カツオノエボシ、シーネットル。このうち、ミズクラゲとカツオノエボシという名前を何度も耳にしたので、この二種類が大量に採れたのだろう、……。

 ともかく、忍術や忍者風食べ物や、クラゲと~日常と違った異形世界の一夜を面白く過ごせた。最近の葛野図書倶楽部2001公式行事も、かくのごとく、様変わりしてきた。今年の忘年会もどうなるのか、楽しみだsnow

地図 忍者屋敷周辺(地図中の「ミマツワールド」)

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参考 NINJA KYOTO

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2011年1月 8日 (土)

小説木幡記:2011/01/08(土)江、江、江: ごう、ごう、ごう

Muimg_5910 今年はNHK大河ドラマの始発が例年になく遅れた。こんなものかな。いよいよ明日の9日から始まる。来年は平清盛で京都や嵐山が背景になるが、今年は滋賀県の琵琶湖が当初の背景になる。先年末、湖北の長浜、木之本を通ったとき「姉川」という地名を観た。 「姉川の戦い(1570年)」で有名な古戦場だ。織田信長と、浅井(あざい)三姉妹の父・長政とが戦った。

http://asajihara.air-nifty.com/mu/2006/03/nhk_6d21.html(MuBlog:NHK功名が辻(10)姉川の戦
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2009/09/post-2d10.html(MuBlog:長浜研修旅行20090827(3)海洋堂フィギュアミュージアム黒壁-Nagahama2009

 長浜といえば、長浜城があって博物館の街としてMuBlogでもいくつかの話をまとめておいた。

 ということで、年の初めに楽しみがあるのはよいことだ。それがNHK大河ドラマであっても、気持ち良く楽しめるなら万歳万歳。勿論年明け以来、NHKを観るたびに「江(ごう)」「江」とうるさいし、事前に細かな内容の解説もあるようだ。そこまでしなくても、毎週日曜になればちゃんと観られるのに~と、ふしぎだ。なにも楽しみを先取りしなくてもよいのに。

 いやしかし、映画では予告編は盛んだし、予告編の方が本編よりもおもしろいことも多々ある。さらに随分大昔別の組織にいたころ、人事情報が年明けころから飛び交って、そんなもの、四月になれば全部きれいさっぱり片が付くというのに寄ると触ると噂しあっておった。余はあるときに達観した。噂なんか何万回やっても、人事は一秒でひっくり返る、二秒で決定する~とな。そう悟って以来、噂には気持ちが惹かれなくなった。さえずりと一緒で、見苦しい。

 はや第一週が終わる。光陰矢の如し。世間では三連休らしいが、この稼業では期末の成績管理と、年度末の校務締め切りとが重なって、息切れするくらいにしんどくなる。なになに日頃ぼんやりしているから、急激な仕事に負荷がかかって、失神しそうになるだけだ。あはは。

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2011年1月 7日 (金)

小説木幡記:2011/01/07(金)大臼歯が抜けた翌朝

Muimg_5978 昨夜おもしろきことがあった。歯がするりと抜け落ちたのだ。上顎左奥大臼歯だった。半世紀も使われただけあって、てかてかと光り古色を帯びた象牙色だった。自分の分身とおもうのか、抜け落ちても身体の一部のような気がした。大切に洗って水をきって、透明な小物入れに保管した。将来はこの歯髄から余のDNAを抽出し、クローンが生まれるかもしれないなぁ。ふむ。

 数週間前からぐらぐらし出して、痛みもないままに年を越したが、そういえば正月に鏡でみると極端に前後左右に動き始めた。これはそろそろかな? 出血すると嫌だな、などと考えている内に、昨日葛野で「コキリ」と小さな音がして、口中に血の味がひろがった。と言っても、洗面所でつばを吐いて、ちょっと色つき程度の出血だった。冷水で何度かうがいしたら収まった。そして昨夜木幡で。するり、と歯が落ちてきた。出血はゼロ。~これじゃ、歯科医が干し上がるなぁ。

 で、大昔は乳歯がぬけると、上顎の歯は土中にうめて、下顎の歯は屋根に投げ上げて終わり。あとには自然に歯が生えてきた。今回、舌先がその部分にいくと、歯茎をなぜる感触が何か変だね。まさかもう歯は生えてこないはず。もし生えてきたら、本当に日本中の歯科医は廃業だ(笑)。

 どうなるのだろう。ネットでみると高額な新歯を埋め込む方法(インプラント?)とか、差し歯とか、いろいろありそうだ。自分で工夫して義歯をいれてみようか、暇だから。回り近所全体に害のない石膏みたいなのを貼り付けて、型をとって、その型にプラスチックかなにかを流し込んで、近所の歯も全体にかぶさるキャップを作る。しかしプラモのバリ取りみたいに、それを自分で鏡みながらスムーズにしたり、ヤスリやサンドペーパーをかけるのは、むむむつかしそうだ。たぶん、ベロの先をニッパーでつまんだり、のどちんこを切ったりしそうだ。怖い話だ。生兵法はよくない。

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2011年1月 6日 (木)

小説木幡記:2011/01/06(木)京都の建物は夏向け

Muimg_3688 昨夜はまたしても冷気が宇治を襲った。もちろん気のせいかもしれないが、寒い! と呟くほどに凍えた。ところが今朝の外気温を眺めると7度Cで、熱帯国とはいわないが、これをして寒帯国とは言えぬ。

 暖冷は楽しむものと思ってきたが先夏の猛暑や、大晦日の京の吹雪を思い出すと、そうとばかりは言っておられない。詩仙堂など行けばすぐに分かるが京の建築は夏向けに作られている。昔の冬は炭や布団で暖を取れたが、猛暑をしのぐのは、家全体を風通し良くするしか無かったのだろう。
 詩仙堂は家の隅に極細の柱があるだけで、全室が庭と風の中にある。そういえば嵯峨御所大覚寺は真横に巨大な池があるから、夏の、そこからの気化熱による気温の低下は十分確かなことだろう。(写真 ↓詩仙堂↓)

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 京都の猛暑がそうさせたのか。他の地域ではどうなのか、いずれ落ち着いたら聞いて見たい。たとえば雪国の民家や寺はどうなのだろう。猛暑とはことなる温暖な地方での建物はどうなのだろう。
 以前、なにか週刊誌の写真でみたが、沖縄の公的建造物(県庁とか、市庁とか)で、建物に風の道を明瞭に設定することで、クーラー無しで過ごせる設計をした、という記憶がある。京都の猛暑は湿度が関係するからな。そして愛宕降ろしの冬の寒さはまた格別だ。

 余が住まいするのは比較的穏和な、藤原氏の別荘地・宇治だから、夏も冬も少しはしのげる。

(写真 ↓大覚寺大沢池↓)

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 かくかくしかじかと、真冬の季節に京の夏をしのぶのはいささか天の邪鬼と感じながらも、この寒暖の妙は独特だ。秋や春ばかりだと、人間は早々にぼけてしまう。夏や冬ばかりだと、性格が歪になる。四季あってこそ、穏やかな人格が育つ。

 と、寒い中で、ひとしきり布団の中で考えておった。むろん、こういう考えは寒中のことなので、多少歪さは含んでおる。
 それがついには、服屋さんとか着物屋さんは四季があった方が腕がふるえるだろう、という想像だ。夏物、冬物、春物、秋物と洋服やアクセサリーを整えていく人が多くなると、商品企画にも多様性が生まれる。人もそれを楽しめる。いつも冬ばかりだと、分厚いコートや長靴(ちょうか)ばっかりで、サンダルや薄着の妙が無くなる。

 さて。今朝も分厚いマフラーが首筋を温めてくれる。冬のよさだな。

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2011年1月 5日 (水)

小説木幡記:2011/01/05(水)時間

 Muimg_3834もう5日になってしまった。とどまることのない時間の流れだな。大昔から人類はそういうことを哲学的に、宗教的に、詩的に、そして暇つぶしの中で考えてきたのだろう。

時を止めてしまいたいと、思うときは。
(1)熟睡しているとき: しかしその時は余が時の流れに関知していないから、これはおかしいな。
(2)美味しいものを食べているとき: いや、これも味わいは連続性があるから、ある瞬間の味ってのは、美味しくなさそうだ。
(3)若い者らの恋愛: うん、これは大昔の類推(笑)からの話だが、変化が無いと飽きるなぁ(爆)。
(4)小説や芝居や映画のクライマックス: 時を止めたくなるが、また続きを観たくもなる。人は贅沢に出来ておるな。

▼時よ、早く過ぎてくれと、思うときは。
(-1)胃カメラ: これが永遠に胃に差し込まれているのを想像すると、嫌になる。
(-2)新幹線: どれだけ鉄道好きでも、あの狭い廊下しかない空間に一ヶ月閉じこめられると、嫌になる。
(-3)授業: どれだけ授業好きの余でも、毎日8時過ぎから夜8時まで、週に7日も授業があると、止めたくなる。月月火水木金金!
(-4)人生: うむ、なんというか、昔はそう思っておった。今は、そうでもないな。

 ということで、今日も始まった。一仕事終えて、やがて眠りに就く。日常であるぞ。

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2011年1月 4日 (火)

小説木幡記:2011/01/04(火)此岸と彼岸、日常と彼方

Muimg_3858 ということで今日から出勤とあいなった。正月気分もきれいになくなった。

 昨日三日は街にでかけて三条木屋町近くのそば屋で昼をとった。天ぷらそばが1200円。その後Balのジュンク堂に登り各階を眺めた。電子書籍に関係する今様本がたくさんあった。また新刊文庫棚もたくさんあった。最近は文庫本を投げ捨てるように読み続けているので、新たに購入することがもったいなくて、観るだけにした。

 総じて余の感性からすると、ここずっと書店の棚には幼稚で軽い薄い、要するに子供むけの図書が満ちあふれていた。それはそれで良いのだが、世の中が白砂糖で埋め尽くされたなら、塩味や昆布ダシ、わさびや辛子に唐辛子、微妙な醤油味がなくなって、つまらぬ、と思った。子供はどうしても、あほだから、味わうことが出来ぬのだろう。いやしかし実年齢の子供はそれなりに可愛らしいけど、ええとしこいた20代、30代の兄ちゃんや姉ちゃんが、子供向けの菓子本や料理本をたべて喜ぶ姿は、げっそりする。~と、そういうものなのだろう。幾とせ幾とせ長きにわたり。

 ジュンク堂ではなにも買わなかったので、その分お茶でもしようと思い、四条木屋町まで下りてフランソワに入った。満席だった。紙図書のふがいなさに腹がたったせいか、空腹だったので、満席の中の四人がけを一人で占有して、アップルパイとブラック珈琲とを注文した。1100円。しかしさすがに気に入っているフランソワ(高校2年以来)でも、こう混んでいるとどうにもならぬ、またしても腹立たしくなった。「一体みんな、正月そうそう、何をしに街にでかけて、フランソワに入るのだぁ!」と、やり場のない怒りに胸をふるわせて、ああ、新聞もTVニュースも未来永劫こういう常套句ばかり使っておるようでは、だめじゃね、と思った。

 そこを出て、五条まで歩き疲れて、泉涌寺あたりまでタクシーを使い(970円)、お茶会というか見学会の席に着き、旧知達と歓談し、夕方まで過ごした。

 と、今日のことだが。
 明日から授業も始まるので、授業や会議や会議や会議の準備をして、俗世にもどろう。俗世がよいのか彼岸がよいのか、それは時々に応じて余の気持ちも変わる。しかしなお、俗世のまったりとして手慣れた濁った水も、またよい肌触りであって、結局そういう世間や日常あってこそ、彼岸や彼方や落日の美を深く味わう境地にもなるのじゃろう。相棒の劇場版Ⅱで、官房長殿が杉下右京に言ったように、正義の相対性話は、人生の相対性話にも通じる、わかりやすいたとえ話となっておるのう。

 さて、今日こそは日常にもどった振りをいたしましょう。

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2011年1月 3日 (月)

小説木幡記:2011/01/03(月)好奇心の衰えか偏向

Muimg_6666 好奇心がないわけではないが、以前にくらべると少なくなった。多くのことが既知となり、いまだ既知となりえてないものは、無視とくる。「そんなこと、知りたくもない」という内奥セリフと同時に「そんなこと、飽き飽きした」がいつも胸の底からわき上がってくる。

 ただ~
 この倦怠感は、アンニュイはいつかいつでも味わってきた気持ち。少年期も青年期も同じ。バイクに乗っているとき、自動車に乗っているとき、電車やバスに乗っているとき、ときどきそうしていることが邪魔くさくなって、飛び降りたいと思った記憶が沢山残っている。もちろん、死にたいと思ってとびおりたいのではまったくなくて、運転操作があるいは電車に座っているのが「ああ、邪魔くさい」と、邪魔くさい病に追い詰められて、じっと電車に乗っていたり、ハンドルを握っているのが嫌になって、「飛び降りたい」と思う気持ちだ。

 いやはや。
 だからこれほど読書好きなのに、ときどき図書を破り捨てて火にくべたくなる凶暴な思いにおそわれて、「ああ、かったるい」と叫んでしまう。映画館に座っていて、時々駆けだして、外に飛び出てしまう。だから、会議にでたり、講演会にいく人の気持ちが信じられない。30分も一時間もじっとすわって他人の退屈な話を聞くなんて、修行の極みだな。そんなこと知識に組み込んでどうするの、あんたさん。よほど人間ができた人じゃないと、人の話なんかまともに聞けないよ。ましていわんや話のかみ合わない他人たちと論争するなんて、おや、猿のケンカにまきこまれるようなものだよ、な。

 もしかしたら。
 こんな風に考える余はちょっと常道から外れているのじゃなかろうか。余は学習障害ではなかろうか、と、不安になった。これだけ「ああ、いやだ、いやだ、じゃまくさい」と思いながら長く生きてきたのは、よほどおかしいのじゃなかろうか。
 そうなんだろうきっと。
 だから今年は、おかしいことを治して余生をおくるか、このまま自然におかしいままに、いやそれをまともと思って余生をすごすか、一度じっくり考えてみよう。

 下手な考えは休むに似たりというが、しかしなおよく考えることでこの世がくっきり見えてくることもある。この世を正確に把握するのは、ぼんやりみているよりも、好奇心を刺激する脳。うむ、新年の心構えがようやく固まってきた。
 よい正月であるぞ。

追伸
 好奇心が薄まったと思う割には、鴨なんば蕎麦とか、気に入ったラーメンとか、食べることには相変わらず胸がおどる。まだまだ、食べるのが邪魔くさい! とまで言わないのは、健康な証拠じゃろう。

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2011年1月 2日 (日)

小説木幡記:2011/01/02(日)お正月模様

Muimg_5977 昨日の元旦は、午前10時ころにお雑煮やおせち料理をいただき満足であった。度数を間違えてシャンパンを一息に飲んでしまい、どきどきしたのがご愛嬌だった。
 年賀状はごくわずかいただいて恐縮した。
 大昔の別の職場の知り合い、葛野へ来た頃の卒業生、同僚~、余の狭い世間を反映した数だが、例年いただき様子を想像しておる。

 そうそう。
 余の様子はMuBlogをごらんになれば、禁煙したとか、街に繰り出したとか、映画をみたとか読書したとか、邪馬台国を見つけたとか~、大量情報を放出しておるので、どなた様もすぐにわかる。
 ただし、漢字古語死語の多き長文が重なるので、見る前に閉じる習慣が関係者の間では普通になっているとも、知ってオル(笑)。自分で見直すことは滅多にないが、それでも結構小難しいわかりにくい文章だな。韜晦多々あるも、なによりも、脳内構造が捻れているのだと、自省。

 ところで、雪は鳥取や島根にも被害をもたらしたようだ。余がのんびりと劇場で映画を観ている頃、羽田発の国内鳥取行き飛行機は雪のために引き返し、困って新幹線に乗って岡山で一泊し、日本海側に抜け出ようとしたが列車が途中でエンコして、また岡山に戻り一泊し、……。カフカ小説並みに、なかなか鳥取にたどり着かないという話を、近親者の知人ツイッター情報で知った。正月中には正月を楽しめないという不条理世界で、日本は雪で日常が止まってしまう寒い国だったのだ。

 昨夜はTVのスペシャル版で相棒:聖戦をじっくり観た。劇場版Ⅱが組織間の戦争に傾くとするなら、TV版は個人間の聖戦だった。倒敍というか最初に犯人と犯行内容が詳述され、それを杉下警部と神戸(カンベ)警部補が謎解きしていくわけだ。あっというまに2時間以上が過ぎたのだから、謎解きは一筋縄でなかった。つまりおもしろかった。

 で、今日はTV予定も無いので昼寝昼風呂昼散歩であっという間に過ぎていく。またしても、よい正月じゃ、と呟いてしまった。

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2011年1月 1日 (土)

平成23年01月01日(土)寒冷の宇治・京都であった

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 新年を迎えて十数分の後、京都府宇治市の外気温は3度Cで、室内温度は20度C。やはり屋根のある家は温かい。昨日大晦日の宇治や京都は雪が舞った。平地は数時間で降り止んだから積雪というほどでもなかったが、驚いた。

 雪が降るくらいだから寒さはひとしおだが、それでも京都の冬は2月頃が絶頂という思いがさらぬ。まだまだ温かいうちだ。かくして元旦早々、暑いの寒いのと平和なセリフで始まった。この様子で新年を言祝いでおこう。

 そこでまずは一眠りしよう。寝正月とはよく言ったものだ。

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