小説木幡記:2010/12/25(土)終い弘法や終い天神
12月21日には東寺で「終い弘法」市がたち、今日は北野で「終い天神」市がたつ。要するに「これでおしまい」なのだが、よくしたもので1月にはそれぞれ初弘法に初天神があって、お店が千軒並び人で埋まる。ふたつとも縁日で、21日は弘法大師空海の命日、25日は菅原道真の誕生と亡くなったのが同じ日の奇縁日にあたる。
お二人とも優れた人なので、我が国でも前夜祭や後夜祭が庶民の家であっても悪くはないが、キリスト様のイブほどにはそういった催しの話が普及しているとは思えない。世界宗教の始祖であるイエス・キリストに、空海や道真がひけをとるとは全く思わないが、幼児期に教会の日曜学校で目を輝かせて聞いたキリストの生誕や、小学校時代にも盛んだったトナカイとサンタの物語にくらべると、空海さんや道真さんは、現代庶民になじみが薄い。これも戦後アメリカ占領軍、GHQの策謀なのかとふと思ったが、要するに日本人の気性の一つとして、なべてに諸外国のことに拝跪する習性によるものなのだろうか。
空海は文明国中国の当時の仏教界で異例の扱いを受け、帰国して日本の真言密教を開いた。道真は遣唐使を廃止して国風文化隆盛の礎を築いた。両者ともに学問の神様(笑:本邦真言密教開祖を神様というのはちと矛盾があるかな)と言ってよいが、なにかしら道真さんは「受験勉強の神様」でもある。不思議な祖国だ、わが日本は脳。
そういうお二人のご縁日もすぎてしずしずと京都の街は大晦日を迎える。
余も23日は京都の忍者屋敷的レストランで葛野図書倶楽部2001の忘年会に顔を出し、26日はNDKの忘年会が続き、さらにエドルン君の帰京を待って年末映画や年末温泉という余興がある。
かくしてよきお正月を迎える。
人生じゃのう。
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