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2010年12月29日 (水)

小説木幡記:2010/12/29(水)Muの2010年・某重大事件

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 平成22(2010)年もほぼ暮れる。今宵は江戸からの帰参もあって木幡研は一気に盛り上がってくる(笑)。猫ハルキも走り回る。木幡池の亀も逆立ちして新年を待ち望む。めでたい。

 さて、某重大事件を列挙し後世の指針といたそう。

(1)禁煙成功、絶煙なり(2010年4月開始)

 40年間、日に40本吸っておったタバコを止めた。これはわれながらすばらしい。父や兄や母や祖母までが、タバコを愛惜しておったので、成人たるものタバコは吸う物と思っておったが、あにはからんや、止めてしまえば単純に煙をまき散らし、肺を焦がし、血管をぼろぼろにし、一千万円を燃やしてしまっただけの、麻薬に過ぎなかった。そう、タバコは趣味趣向というよりは、依存性が極度に強い麻薬だな。

 なぜ禁煙できたかの理由は数種類あるが、要するに「タバコで気持ちが落ち着くのではない」「ニコチンが切れるから、タバコでニコチン補給しているに過ぎない!」という哲理いうか宗教的回心というか、要するに真理に目覚めてしまえば、ばかばかしくてタバコなんぞ吸う暇がなくなる。

(2)入院なんて中学生時の盲腸炎以来のことだ(2010年4月はじめ)

 中学生のころアメリカのTVドラマ「ローハイド」を見られなくて泣いた入院があった。虫垂突起炎つまり盲腸炎で一週間入院したのだ。その前も後も入院経験はなかった。蒲柳の質と自覚しているわりには医者知らずだった(本当だ)。

 今年の3月後半に、京都の国立系巨大病院に2泊3日で泊まり込み、心臓カテーテルで我が身を修理した。血管が細くなっているところにステンシルという(編み目状)金属パイプを入れたわけだ。それまで異変は全くなかったので、カテーテル治療は五分五分でもあったが、父が69の時に心筋梗塞だったのと、医師に奨められ「若い内(笑)に治しておこう」と思ったからだ。それに事故率は5%程度、死亡率は一万人に一人くらいの、確立した治療だったのでうけた。

 あっけなく成功した。40代の医師がものすごく上手で、90分くらいの間、リズムをとりながらシカシカと右手首から入れた長い長いカテーテルを操作するのが、まるで手練れの職人技に思えた。自分の心臓回りの動脈血管の中に細いカテーテルがどんどん進む様子を見ているのは、得難い経験となった。

 で、その後退院し順調だったが、あにはからんやタバコや治療ストレス(入院自体が未経験に近い余には強いストレスだった)による胃潰瘍を起こし、葛野から近所の、五分で着く市立病院に救急搬送されて、その病院に一週間入院するはめになった。これも生まれて初めて輸血を2パックした。この時の医師は27歳の若さだったが、気があったのだろう、上手に出血部分を数カ所胃カメラで探索しながらエタノールで止血してくれた。朦朧とする中で、すぐれて手早く処置してくれているのがよく分かった。

 かくして心臓カテーテル治療に胃潰瘍胃カメラ治療と、両方とも不運な話だが、それを手早く修理してくれた医師が、循環器系と消化器系と、別科目別病院の人だったが、極めて上等な医師だったので、余は日本の医療を誇らしく思った。父の時代なら、最初の段階で瀕死になり、二度目の段階で出血死していたと想像する。それが外科的な開腹胸もせず合計10日間の入院で、職場復帰出来たのだから、まずまず災い転じて、入院経験という福を得たことになる。

(3)iPadを手にして開眼した(2010年6月)

 iPhone出現時に慧眼の士なら、iPadの今日あることを予測したことだろう。だがしかし、文庫本を見開きで見られ、それを指の動きでスムーズに操れるiPadと、外部情報供給システムiTunesとの組み合わせが、予想外の効果を発揮したことまでは、想像出来なかったに違いない。

 たとえば京極夏彦なり森博嗣の長編小説を紙図書の半額であっけなくダウンロードし、瞬時に大型活字見開きページで読書できる、その快感は何物にも代えられぬ ものだ。古典映画『ブレードランナー』を千円で購入し、日々iPadで嘗めるように眺め、お笑いプレデター続編を300円でレンタルする快感、これらは今までになかった。

 つまり、マシンはすでに官能の時代に入った。それがiPadなのだ。MacOSXのサブセットと傾斜センサーを使ってこれだけのマシンを作るApple帝国のやりように、悔しさ味わう本邦ITC・メディア関係者諸君もおることだろう。余は享受者として楽しんでいるが。

(4)図書館情景ジオラマを作る(2010年9月)

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 葛野の課外学習制度が初めて組織的に動き出した。余も関係の若い先生に勧誘されて参加した。

 余は情報図書館学のカテゴリのうち、未来の図書館を作る趣旨で、晩夏9月に2週間かけて学生達とジオラマを作った。参加者は12人居たが、そのうち普段話題に上がる葛野図書倶楽部2001関係者は8人だった。他も余の授業の受講生達だった。

 詳細は写真や動画や開発秘話(笑)や報告書をまとめて電子化を図り、評価もするつもりだが、ともかく様子の一端を数葉の写真でメモしておく。

 各人が基盤とレールと建物(図書館や博物館想定)に責任を持って完成させるモジュラー方式で行った。後で、つなぎ合わせることも出来るし、独立したモジュールだけでも情景を表現できる。

(5)Mu流の電子書籍元年(2010年12月)

 iPadやSONYのリーダーが出ても世間の動きが急転直下、大変化したわけではないが、それなりに準備体操として、余は自分の物語を4作品、電子化して登録した。これはMuBlogからリンクが張ってある。しかし、平日作家作品でもまだまだ紙主流が99%なのに、まして日曜作家が電子書籍化してもさしたることではない(笑)。ただしそういう経験を積むことで、今後の電子書籍、電子図書館に主体的に参加できることは事実だ。

 来年は、情方図書館学系の諸論文を見直して再編し、自らのメモ図書として電子化実験をしていきたい。「実験」というのは、電子書籍は決して文字をディジタル化するにとどまらないからだ。もっと別の巨大な可能性を試していく必要がある。

(*)まとめ

 世にいう「十大ニュース」を記す意図はない。個人の人生にそんなにたくさん異変があると、耐えられない。もちろん好きな読書から「あれがよかった」「この図書、最高」と書けないわけでもないが、そのような人様の書いたものを褒めちぎっても仕方ないのうぉ~。

 実は春に大出血したとき、苦痛はまったくなくて、ただ夢見心地の中で「彼岸」らしきものを遠望した。そのときうっすらと味わったのは「死とは、こうして、穏やかに流れていくこともあるのだな」という気分だった。すると、自分を見つめ直す余力がわいてきて、もう少し自分の核を育てよう、と思った。

 まとめてみると、平成22年は、禁煙で始まり、電子書籍元年で終わったとなる。平成23(2011)年は、2001年宇宙の旅から始まり、それからの十年経過となる。心してしっかり生き抜こう。そこで、もう、日曜作家の役割しか、余に為すべきことが残ってはいない。そしてまた、古代史への旅に復帰する。永遠。

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