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2010年12月18日 (土)

小説木幡記:2010/12/18(土)少年期の充足

Mudsc00010 現代社会、青少年は、何かを見失ったり、見つけられない気分になったりすると、その気持ちの悪さを犯罪や虐めや暴力や引きこもりで解消しょうとする人が多い。
 ところが余の少年期は比較的充実していたので、不良になることもなく、世に反抗するでもなく、日々充実し、いつまでも少年期が続けばおもしろい~と、思っていた。

 思いは通じるもので、それから半世紀すぎてもやることなすこと少年期と変わらない。せいぜいちょっと悪知恵がついたり、十万円程度の金銭ならば動かす事ができるようになり、自動車免許もあり自家用車もあるので、少年期には出来なかったドライブ、遠出が可能になった、くらいの変化はあるかな?

 しかし、いつぐれてもおかしくない(笑)ほど、赤貧洗うがごとき青少年期であった。
 それを克己したという話ではない。
 小学校3年頃から、高校入学までは、両親が遠隔地に出ていた、いわゆる出稼ぎで、余はずっと祖母と右京区嵯峨に住んでいた。だから夏になると両親の元に鈍行の夜汽車で行った。兄弟は男が上に3人いるが、記憶では余が小学校上級生の頃には、離ればなれになっていた(つまり、就職していった)。
 そういう家庭環境に辛抱したという話でも、まったくない。

 大学生になったころ苦学した、とは思っていない。
 アルバイトの経験も一年間、週一の家庭教師をしたくらいだ。伏見桃山の、御香宮の御神輿を担いだことが一回だけあった。ひたすら読書していたな。そういえば一度、授業料の半期分で本を買って知らぬ顔をしていたら、父からひどく怒られた。三島由起夫の本革装丁の、評論集とか演劇集とか、結構高額図書をぞんざいに買って読んでいたのを思い出した。
 大学からの授業料請求書は両親の元へ直送された。それで授業料使い込みが発覚した。
 本代も遊ぶ金もなくて、読書していた姿は、むしろ現代でいうとマニアックに見えたかもしれぬ脳。

 少年の頃、たまに両親に会って買ってもらうのは、フラスコや試験管、高価な上皿天秤だった。少しオクテだったので、小学校の頃の読書は活字ではなくて、漫画、月刊誌の少年とか冒険王だった。要するに鉄腕アトムとか鉄人28号だな。ただし、上級生から高校にかけては「模型とラジオ」だった。まるっきり非文学少年だった。小学校の成績は、ずっと理科は5だった。他は思い出せない。良くなかったのだろう。

 事実として。
 小学校~高校くらいまでは、毎日夜空の星や机上のビーカーや、かまぼこ板工作(モーターとギヤ)や、模型とラジオで頭が一杯で、ぐれる時間もなかったし、精神的な孤立感を味わう暇もなかった~。日々、充実した少年研究者時代だった。

 しかしてこの何年間かは。
 紆余曲折を経て、いろいろ悩む時間も無いほどに、好きな本や映画や、冬季限定鴨南蛮蕎麦や、ビフカツサンドに卵サンド、超絶オムライス~などなどに充実しておる。
 禁煙もできたし、……。そうだ、体重増加が悩みの種だ。
 そのほかは、~。
 今後の日本全体の進路や、年金制度や医療制度の先行きに不安を感じてオル。かくして、すこしでも悩むというのは、大人になった証拠なんだろう。

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