小説木幡記:2010/12/01(水)師走だ、せわしなくなる
12月に入った。実質よりも、気持ちの上でせわしなくなる。たいした仕事もないのだが(笑)、それでも先生稼業をしていると人から「師走ですねぇ」と言われたり、そういう目で見られるので、なんとなく忙しい振りをする、~。それが毎年続くと、そのうち、12月に入ると自動的に忙しく、せわしなくみえるようになった。
大昔学んだ近世文学では、江戸時代ころには年内に借金を清算する風習があったようで、原資が限られているから、あそこになんぼ、ここに少し、こっちは口でいいのがれしよう、あそこはどうにもならんから~、といろいろ作戦をねって借金取りに対応したから忙しくなったようだ。この場合、「師」たるものがそういうことにまきこまれたかどうかは、検証していぬので分からぬ。しかし、仙人でないかぎり、似たようなものだろう。塾の先生、寺子屋の先生、さまざまな芸事の先生たちも、走り回ったことだろう。
ここまできて、余もメモをのこすことにした。
数名のグループが8~10班あって、調べ物をしたり、作品(冊子体の報告書)をつくったりと大仕事をする科目が秋から2科目あって、その提出が年末になっておる。年内提出は少し早めだが、参加者や受講生や余が入り交じって評価し、まとめて順位をつけて、教材機関誌に評価文を掲載して受講生全員に返すには約1ヶ月の時間がかかる。そのことが、ほぼ同じ体制でこの20年近く続いているので、余は12月になると日頃になく忙しく見えるようになる。
と、こういうメモを毎日書き残すから、余計にせわしなくなる。
しかしながら。
人間は閑居して(ひまになると)、つまらぬ悪事に手を染めがちだから、多少のストレスが生じるくらいに忙しいのがよいそうだ。となると、古来「師走」という言葉が定着しているくらいだから、全国の12月中の「先生」職悪事は激減するじゃ郎。その他の月は知らぬが、年中金銭・悪事の政治家職よりは少し(1/12だけ少ない)、よい。
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