小説木幡記:2010/10/28(木)代わり映えのない日々だな
こうして木幡記を記していると、代わり映えのない日々に気がつく。しかしそれはまたそれで至福であり、だれかかれかの人生と交替したいとは思わぬ。余もいいかげんに暗くて悲観的なところがあるが、人様と交替したいとは思った事は記憶にない。もちろん忘れているだけでそういう一時期があったかもしれないが、今にしておもえばあったとしても気の迷いだろな。いますこし身体が頑強で精神が強くて幾ばくかの蓄えや高収入があればよかろうなとおもうことはあるが、そのことと引き替えに他人のせわしない緻密すぎる騒がしすぎる問題の多すぎる馬鹿馬鹿しい人生と交換するなんて、まっぴらごめんだね(笑)。みのたけにあった、ちまちました人生はこれはこれで居心地もよいしよく眠れるし、静かだし、おっとりしているし、食事も美味しいし、悩みも他の人に比べると少ない。ただ贅沢を言うならば、そういう心境を得られ出したのはこの数年のことで、それまでは、はらはらどきどきとせわしないことが多かった脳。今がよかろう。
保田與重郎の著作で一冊なら、『日本の文學史』だろうな。美術史もあるが、言葉で描き尽くした日本は、文學史にある。安部公房の著作で愛惜きわまりないのは、『終わりし道の標べに』だろう。青春が煮詰まったようなタイトルが愛しい。三島由紀夫の著作を携えて冥土へ旅するなら、「豊饒の海」全四巻で、どれか一冊しかだめだと責められたなら、『奔馬』だね。などとしりとり歌のように次々と作家を出していくのも面白いが、とはいうものの人様のことばかり話題にしても仕方ない。保田さんも安部さんも三島さんも、もうこの世にはいない。自分自身の物語を、ムーサよ、語り尽くそうぞ。
さて。
今日も終わった。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント