小説木幡記:2010/10/29(金)バランスを崩した生態系:苦
ときどき世間で言われることは考え直した方がよい。一番気になるのは、出生率低下による人口減と国力の衰退という話だ。もともと狭い日本(面積はあるのだが、山が多くて住みにくい)に一億三千万人近くの人間がうようよ住んでいるのがおかしい。東京などの風景をTVでみると銀座とか繁華街、あるいは朝夕の痛勤時間帯は、人間が固まりになって道を埋め尽くしている。こういう姿をみて、おかしく思わないのかな。
有史以来無理に無理を重ねて富を都市に集中させて人が集まってぎゅうぎゅう詰めで生活して、人より快適と思われる生活を目指してきた。快適なのか不快なのか、夜中にじっくり考えると分からなくなる。お金とか快適な(と勝手に想像した)生活に依存しすぎていて、依存性。中毒になっているのではないかな。
タバコ中毒と変わらないぞ(笑)。
どうも、人類は、タバコ代とか麻薬代とか、贅沢代を稼ぐためにあくせくしているふしがあるのう。就活や失業率やアメリカのオバマ大統領問題も、基本的な饑餓対策よりも(饑餓は現実にあるが)、贅沢代や空虚な株の浮沈に問題がすり替わっておる。
悪いたとえだが、江戸時代頃は生産もしない武士階級を支えるために、多くの農工商がせっせと働いていたようだ。つまり、働かなくてもよい階級があった(と、階級闘争の話じゃないぞ(笑))、その上に江戸の職人さん達も原則午前中だけ働いて数日分の給料を得たようだ(要出展)。なにが言いたいかというと、昔は働かなくても生きていた武士がいたのに、現代やけに失業率の話があるのは(不況らしい)、考え方に足りない部分があるのではないかと思った。無駄な贅沢やむだむだしいことに必要な金を稼ぐために働くのは本末転倒、逆立ちした習慣じゃなかろうか。
文化としては面白いが。
大名の嫁入りのために何十万両の金をかけて、「借金で首が回らない」と言っているのは、習慣風習格式で首をしめているような話だ。そして、現代もそうなんだろう。
余も日頃の贅沢を少しく考え直してみよう。
などといいながら、余は贅沢しておるなぁ!
(自家用車をもっておる! 冷暖房完備の家に住んでオル! 三食食べてオル! iPadをもってオル! 読み切れない図書を持ってオル! 四季おりおりの服をきがえておる! 毎日シャワーか風呂に入ってオル!)
ふむふむ。こういう贅沢をするために、いろいろな悩みも抱え込んでオル。悩むくらいなら贅沢を半分やめろ! と自分に言い聞かせたら、気が楽になった。みんなお釈迦様の気持ちを理解すれば、少し楽になるな。
贅沢を棄てられないのが、衆生なんじゃろう。要するに、贅沢人生依存症だ。ニコチン中毒によくにておる。
それが苦の根源なり。
追伸
国々によっては国民の多くが本当の饑餓で苦しんでいる。これも生態系のアンバランスだ。
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