小説木幡記:2010/10/23(土)戦艦大和Ⅱ世の復活
大艦巨砲主義は80年も前に廃れていた。原因は戦争において、航空機の発達による空からの攻撃が効果的で、それが主流になったからだ。
しかし同じ戦争映画を思い出しても、ちまちまとカトンボみたいな戦闘機が気ぜわしく飛び交う姿は、なんとも人間の豊かさや可能性を小馬鹿にしているようで、好かぬ。海ゆかば、しずしずと山のような戦艦が吃水線を波に浸し、ゆるゆると巨砲が空に向かって仰角をあげていく、……。ばかでかい菊の紋章が旭にきらめき、僚艦を先導するように輝き、「光」がオーラの粒子をなびかせていく。
いっそのこと。
戦艦大和Ⅱ世を建造し、海に囲まれた日本をゆるゆるとパトロールさせてはどうだろうか。腐っても鯛。大艦巨砲主義と笑われても、日本を守る人々の気持ちがその艦の勲し(いさおし)を生み出していく。人は死す。絶対的に死す。ロマン主義とは免れ得ない死に安らぎと勇気を与える、いわば終末療法の効果的な考え方なのだろう。
海洋国日本はすでに核の攻撃にさらされている。その時、核攻撃にも耐える不沈戦艦大和Ⅱ世があれば、少しは気持ちが楽になるかもしれない。備え守りは、大切である。
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コメント
体感巨峰ですか
たいかんきょほう、変換、と入れたらこう出てきました。
でも何となくあっているような気がしてそのままにします。
大艦巨砲・・・つまりコンピュータでいうとメイン・フレームですわね。
コンピュータの巨人IBMの大艦巨砲をめざしてアメリカ、ヨーロッパ、日本のメーカーたちは追いつこうと努めた時代がありました。
80年前の話は戦争のための大艦巨砲、こちらはコンピュータの世界のお話しであります。
1970年ころのお話しでして、この時代に松本零士の(宇宙戦艦ヤマト)は作られたのでしたかねえ。
(戦艦大和Ⅱ世を建造し、海に囲まれた日本をゆるゆるとパトロールさせてはどうだろうか)
確かにそう思います。
iPod、iPhone、iPadだけやない。
スーパー・コンピュータも必要なんや。
日本まだ負けてへんでぇ。
勝負せんかい。
なんやら関西弁になってもたような・・・。
そやけどせんせぇ~。
軍艦はあきまへん。
軍艦作るお金があったらコンピュータ作った方がよろしい。
形あるものは滅びます。
源氏物語は1000年もってます。
円高のおりから日本はハードよりもソフトに投資すればよろしいのにねえ。
たとえばグーグルをがめるとか、ね。
投稿: ふうてん | 2010年10月24日 (日) 09時17分
ふうてんさん
まさかの坂、ありえないコメント~、世間の片隅にちょっと書き残したつもりの戦艦大和Ⅱ世、反応があるとはおもいもよりませんでした。
しかし。
武器弾薬好戦的に見えるものはふうてんさんのお気に召さなかったようでぇ~。
Muなんかは、巨大ガリバー型メインフレームも作って、戦艦大和Ⅱ世も作って、それから千年源氏物語も作って、そいでグーグルを買い取って、~ハードからソフトまで、作り続けるのがよろしい、と思うわけです。
本当の戦争ならイージス艦や戦術核兵器を増強するのが戦史の結論ですが、そういう血なまぐさいことに日本があまりに、そう、血道をあげると、どうにも上手に制御できない性格なので、やめた方がよいです。
むしろ。
国を守る象徴として、御神輿として、旗として、菊花紋章の輝く戦艦大和Ⅱ世を、呉を母港として、月に数度ぐるりと太平洋、日本海を巡航させる計画ですなぁ~。所定の運賃を支払えば、民間人でも乗船できるとか、工夫して燃料代くらいは仕分け対象にならないように~。
投稿: Mu→ふうてん | 2010年10月24日 (日) 11時31分