小説木幡記:2010/10/27(水)気になることや気付いたこと
一つは、昨夜に高村薫さんのレディ・ジョーカーの改版の新潮文庫上中下を、読了したこと。ここしばらく読書感想文はやめているので、詳細は記さないが、何度でも「感動した」と、言える作品だった。ともかく、読みながら「ああ、こういう作品に出会えてよかった」という思いがふつふつと胸にわきあがってきた。余は再読である。映画もみた。しかし文庫版はまるっきりの新作に思えた。詳細がよくわかってきた(笑)。
一つは友人達がApple社の陰謀に巻き込まれて話題の新作、MackBookAir、通称MBAを早々と入手しだしたことだ。確認しているだけで3~4人もええ歳こいた者らが、あたらしいおもちゃに心奪われてな、iPadを使い切らぬ間にガラパゴス諸島的・古典的PCがよいのか、大枚おしげもなく10万円ほどはたいてオル。人間は意外に旧態墨守がすきなんだなぁ。
一つは禁煙が7ヶ月を過ぎてそろそろ8ヶ月目に入ることだな。この頃、喫煙習慣を思い出すのは三日に一度程度か。それでも思い出すのは怖いことだ。おもに、ふと時間が空いたときや、ハンドルを握って直線を安定して走っているとき、会議が終わったときかな。
40年にわたる喫煙時代を思い出す。
ただ、いまや「禁煙するぞ」という意識すらなく自然に、「ああいうのがなぜ佳かったのか、わからぬ」の思いだな。一番思い出したくないのは、束縛されることだ。灰皿やライター、そしてタバコを常時切らさないようにすること。ここ5年ほどは、どこで吸うのか、あるいはいつ吸って佳いのか~。そんなことばかりに気を取られていた。ばかばかしい。さらに、臭いのはあたりまえで、燃焼したときにインドールとかスカトールが発生し、これが何なのかは喫煙者に遠慮して書かぬことにする。あはは。知れば、嫌になるぞ。
日曜作家。
10月に入って数ヶ月ぶりに日曜作家モードが復帰してきた。実に喜ばしい。「生きているぞ」と実感する。余は物語を語るためにこの世に生まれてきたのだ。物語を紡ぎ出せなくなったとき、なぜ生まれたのかが分からなくなる。ここしばらくそうだった。やはり神仏の加護があるのうぅ~。
ということでねむなってきたので筆をおく。
余は本当に猫猫してきた。しょっちょう眠くなる。うむうむ。
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