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2010年10月31日 (日)

NHK龍馬伝(44)雨の逃亡者:本日休講

承前:NHK龍馬伝(43)船中八策:タイムマシンに乗った龍馬

 事情により本日は休講といたします。
 また来週にお会いいたしましょう。

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秋の宴:十月の花嫁

Opmuimg_6732

 この10月末の土曜日に、葛野図書倶楽部2001・副長2005が嫁いだ。宴は大阪の江坂というところに広い敷地の式場があって、そこへ行った。早々と二階に回ると、副長の後輩にあたる局長2006と二番隊長2006とが受付をしていたので、ほっとした。

 チャペルで、つまりキリスト者としての結婚式に参列した。ベンチには自然に局長2005、総務局長2005、三番隊長2005が近所に座った。余は賛美歌を歌った。どこかで耳にしていたので違和感はなかった。神父はアフリカ系の巨漢だったので、印象が鮮烈だった。日本語と英語とを交えながら式はスムーズに進んだ。

All2 2005年次は五名いた。みなみな仲がよかった。当日、一名は遠隔地故か姿を見なかった。祇園や鳥せいへ皆で行ったのを思いだしていた。もう五年にもなるのにあっというまだ。そうそう、花嫁が作った「出雲会」の人たちも別テーブルに来ていた。三輪山遊行(山辺の道、箸墓など)を一緒にした人たちだった。会場に投影される幻灯機の写真には、三輪素麺を大神(みわ)神社前の店で食べた痕跡も残っておった(笑)。

 副長2005のことで一番よく覚えているのは、倶楽部機関誌「Truth」の刊行だった。随分力を注いでいたのが印象深かった。倶楽部はいつも今もそのころも貧しかったので、表紙に上質色紙を使うのは勇気がいることだった。そのころ副長は局長2005と計らって無事最後の編集号を作った。2006年1月12日刊行の14号(現在33号)で、副長2005が「編集長」として後記を書いていた。当時の倶楽部員は15名、最大人員だった。屯所には入りきらなかった。

 卒業論文は日本文学系の視点からみた「観光」で、幕末の清河八郎(後の浪士組・盟主)が京都観光の記録を残したが、それについての論評だったと覚えている。そして旅行会社に無事就職した。いつの間にか知り合った旦那は別の仕事だった。
 こうして時が過ぎていった。
 ~
 当日は左に二番隊長2006、局長2006、三番隊長2005。右手に局長2005、総務局長2005、~。と、このテーブルは葛野図書倶楽部2001で占められていた。
 よい門出だった。

追想cat
 副長2005は日本海に近い生まれなのに、カニ玉などカニ系が苦手だった気がする。そういえば当日の豪華お食事は魚料理が中心だったが、エビやカニがなかった(笑)。そのことを祝辞に入れるのを忘れていた。

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2010年10月30日 (土)

小説木幡記:2010/10/30(土)記憶の濃淡:3歳からの毎年十大ニュース

Amush010111 人間の記憶、たとえば生涯記憶を高齢になってどのくらい覚えているかを研究した事例は、あるだろうな。余が知らぬだけだ。で、余が記憶の研究者なら、50とか60とか70とか、どこかをベースにして、そこから過去をどのくらい再現できるかテストしてみたい。同級生の名前をどのくらいおぼえているか? をケースにしようとしたが、高齢になるとそういう名詞の再現力は極めて低くなるので妥当性を欠くな。なにがよかろうか? 幼稚園くらいから退職までの関係者のプロフィール(名前を思い出さなくても、担任の性別、得意技(笑)、エピソードの種類や数、~。公教育ならばクラス名称(3組とか、もも組とか)。あるいは社会人になっていたなら、所属係とか仕事内容とか。

 ある程度客観的な記憶の真偽が必要なので、万人に共通するような項目が佳かろう。兄弟の生年月日(一人っ子だとやりにくい)とか、結婚記念日(生涯独身は?)とか、うむふむ。

 と、ここまで書いてきて、真偽判定をゆるやかにするなら、自分史を一定時間内に書き上げてもらうのも佳かろう。
 3歳ころをスタートにして、各年に10行ほどの項目記入欄を設け、最低1項目、最大10項目を描き込んでもらう。項目を記入者が選ぶのだから、大抵は記憶の濃い項目、たとえば「結婚した:この4月1日に木幡花子と結婚した」とか。

 そういうことで、3歳~70歳までの各年次ごとの項目の数をもって、記憶の濃淡とするか? この方法の問題は、その年の十大ニュースを書ける条件が豊かな人生と、そうでない人生(大学教授なんて、毎年変化がないからな(爆))とでは、記憶の濃淡を判定する以外の要素がはいってくる、……。

 うふむふ。
 研究はむつかしいな。

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2010年10月29日 (金)

小説木幡記:2010/10/29(金)バランスを崩した生態系:苦

Amush010090 ときどき世間で言われることは考え直した方がよい。一番気になるのは、出生率低下による人口減と国力の衰退という話だ。もともと狭い日本(面積はあるのだが、山が多くて住みにくい)に一億三千万人近くの人間がうようよ住んでいるのがおかしい。東京などの風景をTVでみると銀座とか繁華街、あるいは朝夕の痛勤時間帯は、人間が固まりになって道を埋め尽くしている。こういう姿をみて、おかしく思わないのかな。

 有史以来無理に無理を重ねて富を都市に集中させて人が集まってぎゅうぎゅう詰めで生活して、人より快適と思われる生活を目指してきた。快適なのか不快なのか、夜中にじっくり考えると分からなくなる。お金とか快適な(と勝手に想像した)生活に依存しすぎていて、依存性。中毒になっているのではないかな。

 タバコ中毒と変わらないぞ(笑)。
 どうも、人類は、タバコ代とか麻薬代とか、贅沢代を稼ぐためにあくせくしているふしがあるのう。就活や失業率やアメリカのオバマ大統領問題も、基本的な饑餓対策よりも(饑餓は現実にあるが)、贅沢代や空虚な株の浮沈に問題がすり替わっておる。

 悪いたとえだが、江戸時代頃は生産もしない武士階級を支えるために、多くの農工商がせっせと働いていたようだ。つまり、働かなくてもよい階級があった(と、階級闘争の話じゃないぞ(笑))、その上に江戸の職人さん達も原則午前中だけ働いて数日分の給料を得たようだ(要出展)。なにが言いたいかというと、昔は働かなくても生きていた武士がいたのに、現代やけに失業率の話があるのは(不況らしい)、考え方に足りない部分があるのではないかと思った。無駄な贅沢やむだむだしいことに必要な金を稼ぐために働くのは本末転倒、逆立ちした習慣じゃなかろうか。

 文化としては面白いが。
 大名の嫁入りのために何十万両の金をかけて、「借金で首が回らない」と言っているのは、習慣風習格式で首をしめているような話だ。そして、現代もそうなんだろう。

 余も日頃の贅沢を少しく考え直してみよう。
 などといいながら、余は贅沢しておるなぁ! 
 (自家用車をもっておる! 冷暖房完備の家に住んでオル! 三食食べてオル! iPadをもってオル! 読み切れない図書を持ってオル! 四季おりおりの服をきがえておる! 毎日シャワーか風呂に入ってオル!)

 ふむふむ。こういう贅沢をするために、いろいろな悩みも抱え込んでオル。悩むくらいなら贅沢を半分やめろ! と自分に言い聞かせたら、気が楽になった。みんなお釈迦様の気持ちを理解すれば、少し楽になるな。
 贅沢を棄てられないのが、衆生なんじゃろう。要するに、贅沢人生依存症だ。ニコチン中毒によくにておる。
 それが苦の根源なり。

追伸
 国々によっては国民の多くが本当の饑餓で苦しんでいる。これも生態系のアンバランスだ。

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2010年10月28日 (木)

小説木幡記:2010/10/28(木)代わり映えのない日々だな

Amugrp_0003 こうして木幡記を記していると、代わり映えのない日々に気がつく。しかしそれはまたそれで至福であり、だれかかれかの人生と交替したいとは思わぬ。余もいいかげんに暗くて悲観的なところがあるが、人様と交替したいとは思った事は記憶にない。もちろん忘れているだけでそういう一時期があったかもしれないが、今にしておもえばあったとしても気の迷いだろな。いますこし身体が頑強で精神が強くて幾ばくかの蓄えや高収入があればよかろうなとおもうことはあるが、そのことと引き替えに他人のせわしない緻密すぎる騒がしすぎる問題の多すぎる馬鹿馬鹿しい人生と交換するなんて、まっぴらごめんだね(笑)。みのたけにあった、ちまちました人生はこれはこれで居心地もよいしよく眠れるし、静かだし、おっとりしているし、食事も美味しいし、悩みも他の人に比べると少ない。ただ贅沢を言うならば、そういう心境を得られ出したのはこの数年のことで、それまでは、はらはらどきどきとせわしないことが多かった脳。今がよかろう。

 保田與重郎の著作で一冊なら、『日本の文學史』だろうな。美術史もあるが、言葉で描き尽くした日本は、文學史にある。安部公房の著作で愛惜きわまりないのは、『終わりし道の標べに』だろう。青春が煮詰まったようなタイトルが愛しい。三島由紀夫の著作を携えて冥土へ旅するなら、「豊饒の海」全四巻で、どれか一冊しかだめだと責められたなら、『奔馬』だね。などとしりとり歌のように次々と作家を出していくのも面白いが、とはいうものの人様のことばかり話題にしても仕方ない。保田さんも安部さんも三島さんも、もうこの世にはいない。自分自身の物語を、ムーサよ、語り尽くそうぞ。
 さて。
 今日も終わった。

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2010年10月27日 (水)

小説木幡記:2010/10/27(水)気になることや気付いたこと

Muimg_1328 一つは、昨夜に高村薫さんのレディ・ジョーカーの改版の新潮文庫上中下を、読了したこと。ここしばらく読書感想文はやめているので、詳細は記さないが、何度でも「感動した」と、言える作品だった。ともかく、読みながら「ああ、こういう作品に出会えてよかった」という思いがふつふつと胸にわきあがってきた。余は再読である。映画もみた。しかし文庫版はまるっきりの新作に思えた。詳細がよくわかってきた(笑)。
 
 一つは友人達がApple社の陰謀に巻き込まれて話題の新作、MackBookAir、通称MBAを早々と入手しだしたことだ。確認しているだけで3~4人もええ歳こいた者らが、あたらしいおもちゃに心奪われてな、iPadを使い切らぬ間にガラパゴス諸島的・古典的PCがよいのか、大枚おしげもなく10万円ほどはたいてオル。人間は意外に旧態墨守がすきなんだなぁ。

 一つは禁煙が7ヶ月を過ぎてそろそろ8ヶ月目に入ることだな。この頃、喫煙習慣を思い出すのは三日に一度程度か。それでも思い出すのは怖いことだ。おもに、ふと時間が空いたときや、ハンドルを握って直線を安定して走っているとき、会議が終わったときかな。
 40年にわたる喫煙時代を思い出す。
 ただ、いまや「禁煙するぞ」という意識すらなく自然に、「ああいうのがなぜ佳かったのか、わからぬ」の思いだな。一番思い出したくないのは、束縛されることだ。灰皿やライター、そしてタバコを常時切らさないようにすること。ここ5年ほどは、どこで吸うのか、あるいはいつ吸って佳いのか~。そんなことばかりに気を取られていた。ばかばかしい。さらに、臭いのはあたりまえで、燃焼したときにインドールとかスカトールが発生し、これが何なのかは喫煙者に遠慮して書かぬことにする。あはは。知れば、嫌になるぞsnow

 日曜作家。
 10月に入って数ヶ月ぶりに日曜作家モードが復帰してきた。実に喜ばしい。「生きているぞ」と実感する。余は物語を語るためにこの世に生まれてきたのだ。物語を紡ぎ出せなくなったとき、なぜ生まれたのかが分からなくなる。ここしばらくそうだった。やはり神仏の加護があるのうぅ~。

 ということでねむなってきたので筆をおく。
 余は本当に猫猫してきた。しょっちょう眠くなる。うむうむ。

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2010年10月25日 (月)

小説木幡記:2010/10/25(月)曇り空の京都は教養が似つかわしい

Muimg_1315 今日の京都は朝から小雨で、午後遅くなって日の沈みと曇り空とが重なって、暗い一日であった。授業はなにかと二つ無事こなしたが、こういうことの繰り返しに十年、二十年倦まず飽きず取り組めるのが、この世界の住人証明なのだろう。余もあきもせずこりもせず教壇に立っておる。2008年からはMacBookでの授業が多くなってきたが、今日は久しぶりに延々と板書ですごした。

 さて。
 近頃考えておるのは、「教養」という言葉だな。教養は長期的徳用に対応する。身につけておいて損ではないが短期的な利益を上げないから、無駄なものと思われがちだが、長期的にはこれほど利子の高いものはない。一生の間、利を生み出す優れた「考え方」「生き方」を示すものが教養なのだろう。

 「教養」と、読み書きソロバンとは随分異なる。しいてきつくいうと、読み書きソロバンは近代都市に住む限り、息をするのと同じようなものだ。(余は読みは得意だが、書きソロバンは、うまくいかぬ)
 教養は覚えたり、習ったり、勉強するものでもないな。
 教養ある姿をめざして自分で克己鍛錬することが、教養を身につける王道だ。

 翻訳の妙味というか、ドイツ語での教養小説は、原語だと人間形成小説(BuildungsRoman)、となる。言い得ている。雑学を覚えることでもないし、論争することでもないし、気難しい小説を読むことでもないだろう。少なくとも感じ、観じ、考えることは必要である。覚えることは教養ではない。覚えるようなことは本やiPadに書いてある。それを読めればよい。

 今日は京都が曇り空なので、なにかしら「教養」について考えてみた。これが、教養ある日常というものだ。あはは。


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2010年10月24日 (日)

NHK龍馬伝(43)船中八策:タイムマシンに乗った龍馬

承前:NHK龍馬伝(42)いろは丸事件:万国公法

 今夜のドラマ「船中八策」を気に入ったのは、龍馬がそれまでつきあって教えられてきた多数の人たちの考えをまとめて、大政奉還の後の世の中の仕組みとした、という描き方に感心しました。

 横井小楠、高杉晋作、勝海舟(海軍)、桂小五郎(大政奉還)、武市半平太(近衛兵)、河田小龍、久坂玄瑞、吉田東洋。

 どなたが八策のどれを龍馬と語り合ったかは覚えていませんが、幕末のそうそうたる人物とつきあった龍馬はそれぞれ得難い影響を受けたのだと思います。そして龍馬はそれを単純に人との交際での、人脈造りや、世間話や話題にとどめず、自分の頭で考え考え溶かしあって、船中八策という「大政奉還後の始末書」をあらかじめ作ったわけです。その内容は、今夜聞いていても現代と違いはあまりないです。龍馬はタイムマシンに乗って平成現代に住んで居たのかもしれません。

 この龍馬伝での龍馬の描き方は成功したと思います。
 ずば抜けて秀才でも天才でもなく、カミソリのように切れるでもなく、用意周到策士でもなく、ただ志の命ずるままに人生を熱心に、投げずに棄てずに工夫を重ね、人の気持ちに信を置き、利を求めず名誉を求めず奸計めぐらすことなく、ひたすら国事に誠意を持って尽くした男の姿が、上手に描かれていると思うわけです。だからこそ、それを感得できるだけの中岡慎太郎は酢屋の二階で龍馬の船中八策を知り感極まったのだと思います。そして、同時に中岡慎太郎が言ったように、そういう考えを世間にだすことで旧世界に依存する人たちからは、龍馬の命が奪われる可能性もあったわけです。

 ということで今夜も多くを語らずとも、心に深い感銘を受けたわけですが。
 ここで一つ。
 京都での海援隊のアジト・酢屋ですが、実はというより私は町に出るたびに、何故か知らねどこの前を通り過ぎるのです。ジュンク堂(書店)とか大黒屋(蕎麦)とか吉田屋珈琲とかラーメン屋とかがこの近辺300mくらいに集まっているせいもあるのですが、~要するに河原町通りという華やかな表道よりも、木屋町通りが好みで、この河原町通りと木屋町通りを往還するたびに、酢屋に出くわすわけです(笑)。

参考
 酢屋(サイト)

大きな地図で見る
 ↑酢屋近辺地図

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2010年10月23日 (土)

小説木幡記:2010/10/23(土)戦艦大和Ⅱ世の復活

Amush010064 大艦巨砲主義は80年も前に廃れていた。原因は戦争において、航空機の発達による空からの攻撃が効果的で、それが主流になったからだ。
 しかし同じ戦争映画を思い出しても、ちまちまとカトンボみたいな戦闘機が気ぜわしく飛び交う姿は、なんとも人間の豊かさや可能性を小馬鹿にしているようで、好かぬ。海ゆかば、しずしずと山のような戦艦が吃水線を波に浸し、ゆるゆると巨砲が空に向かって仰角をあげていく、……。ばかでかい菊の紋章が旭にきらめき、僚艦を先導するように輝き、「光」がオーラの粒子をなびかせていく。

 いっそのこと。
 戦艦大和Ⅱ世を建造し、海に囲まれた日本をゆるゆるとパトロールさせてはどうだろうか。腐っても鯛。大艦巨砲主義と笑われても、日本を守る人々の気持ちがその艦の勲し(いさおし)を生み出していく。人は死す。絶対的に死す。ロマン主義とは免れ得ない死に安らぎと勇気を与える、いわば終末療法の効果的な考え方なのだろう。

 海洋国日本はすでに核の攻撃にさらされている。その時、核攻撃にも耐える不沈戦艦大和Ⅱ世があれば、少しは気持ちが楽になるかもしれない。備え守りは、大切である。

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2010年10月22日 (金)

小説木幡記:2010/10/22(金)暦はいかが~中島みゆき

Muimg_1332 iPadをさわっていたらいつのまにかお芝居のような歌のような魅力のある場面につれていかれて、聞いていたら気持ちが楽になった。中島みゆきさんのオフィシャルYouTubeだった。歌は『暦売りの歌』となっていた。耳で楽しむだけでなく、夢殿のようなお堂のような暗い舞台で、中島さんの所作がとてもよかった。

 あとで、他のコンピュータでも聞きたく見たくなって、サイトアドレスをしらべ再生した。公式サイトだが、こういうものがいつまで再生されるのかどうか分からない。ここ数日は大丈夫だろう(笑)、記録しておく。
 http://www.youtube.com/user/miyukiofficial#p/a/u/0/EWEl0-SX4oQ

 ところで余は、こういう声調や衣装や舞台や歌詞や所作に何とも言えない懐かしさ、気持ち佳さを味わう。インターネットにはいろいろなものがあって、ときどき気に入ったものに出会うと数ヶ月は、機嫌がよくなる。

追伸
 この暦の歌詞は、よいなぁ。作詞は誰なんだろう。と、思って調べたら、中島みゆきさんだった。彼女が長く長くたくさんのファンに囲まれていることの、その才能の深さを知った。

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2010年10月21日 (木)

小説木幡記:2010/10/21(木)季節はめぐる

Muimg_1406 ようよう秋が深まったが、しかし紅葉の季節は京都の場合例年11月中旬~12月初旬にかかり、遅いといえる。季節感覚は旧暦や新暦、その土地や天候によって変化するが、余の場合をあらためてメモしておこう。

 春: 3, 4, 5月
 夏: 6, 7, 8月 
 秋: 9,10,11月
 冬:12, 1, 2月

 季節ごとに人の名前もとりどりある。春夫、春子、夏樹、夏子、秋彦、秋子、冬彦、冬子、~。だから、季節ごとに好き好きもある。余はなべて四季を好むが、どれかを選べと問われれば、生まれが春四月なのに秋を選ぶ。後鳥羽院さんは「夕べは秋と何おもいけん」とおっしゃったが、春霞よりも秋の蒼穹の果てまで距離感をなくす透明な青空が好きだな。

 春は人の世の仕組みから、「さあ、始まるぞ」という希望期待感。夏は、自由、時間。秋は脳が冴え渡る。冬はこたつで読書とお正月。季節は楽しめる。だから、四季のある国がこのみで、日本が気持ち良い。常夏とか常春は、退屈しそうだ。
 どうなんだろう。

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2010年10月19日 (火)

小説木幡記:2010/10/19(火)TVの中でiPad:メディアはひとつになった

Muimg_1387 昨夜NHKのクローズアップ現代で、電子書籍について話題があった。津野さんという評論家がコメントをいくつか出していた。

 今朝iPadを開いてみて、世間の動きや、出版社に返送された山盛りの書籍が裁断される画面を思い出し、紙も電子も併存すると言った津野さんの話を思い出し、暫くソファで画面に見入っていた。

 iPadを触っている限り、iPad で仰々しく読書すると言うのはおかしいと思った。iPadというよりも世間への窓、歴史への窓、世界への窓がiPadであり、それはアップル社製品でなくてもよいわけだし、しかるべきインターフェースを備えた「新しい窓」なのだと考えればよい。

 そこで思った。窓と言えばWindow、話がそこへ行くとマイクロソフト社やアップル社やGoogleやAmazonやSONYや富士通の世界になってしまって、けつまずく。余がもうしたいのは単純で、新しいメディアが世界に通じていた、という驚きにすぎない。それを可能にする窓機械がアップルであれ、amazonであれ、富士通であってもSONYであっても、よろし。

 iPadで事例をあげる。
 読書しているという思いは少ない。ゲームしているわけでもない。音楽を聴いているわけでもないし、地図をみているわけでもない。それらの全部を一緒くたにして自然に無意識に画面に指をそわせて世界と対話している気分だ。

 たとえば。あなたごのみのアプリケーション、とかいう画面がある。そういう機構をつかっているというよりも、いつのまにか眼前に世界のアプリケーションがあって、アプリケーション雑誌としてiPadを触っている、ということだ。~ながら、しながら~の世界ではない。コンカレントではない。統合されている。感性がインテグレートされている。ゲームしながら辞書をしらべるのではない。辞書というゲームを触っている~。ふむふむ。

 なにかの区別が極めて少ない。
 だからiPadで読書、とかいう気持ちがなくなる。もちろんゲームとか、ビデオとか写真を眺めるというこれまでばらばらだったメディア接触が、なにかしら融け合って、iPadという世界に通じる「窓」と話している、それが余のいまの気持ちだ。

 やはり、21世紀、平成22年に人類史の革命が起こった。メディアは一つになった、といえる。

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2010年10月17日 (日)

NHK龍馬伝(42)いろは丸事件:万国公法

承前:NHK龍馬伝(41)さらば高杉晋作:人生と志、その死と生

 今夜も息を詰めてドラマに埋没しました。ここ数年間、「新選組!!」以来、私はどうにもNHK大河ドラマに肩入れしすぎて、半ば依存性になって、毎週一回は脳を真っ白にしてその描かれた時代や場面に心身を飛ばしてしまいます。TVのよさというか、時間が経つと現代現実に戻れるのですが、このまま行ったきりになってもおかしくないくらいに、今夜も堪能しました。

 さて、いろは丸事件。ドラマでは、紀州藩の蒸気船・明光丸が800トン、見張り士官なしで夜間航行をしていたようです。一方海援隊のいろは丸は160トンで、見張りはいたようです。船のことを調べずに言うのもなんですが、見張りはいなくても操舵室には人がいたんでしょうね(笑)。船は大きいから、障害物を見つけてもあらあらあれーという間に突き進んでしまう厄介な性質があります。自動車だとブレーキとか切れのよいハンドルがあるわけですが、~。

 紀州藩は海援隊との談判で、ことあるごとに御三家の御威光をちらつかせます。追い詰められると幕府の裁定を仰ぐと言い、これは長崎奉行ですから、海援隊には分が悪くなります。土佐の後藤象二郎は、当初は御三家相手なら泣き寝入りしかないと思いますが、龍馬に「紀州一国に勝てずに、どうして幕府に勝てる?」という論法に心を動かし、龍馬や岩崎と一緒に談判の席に着きます。

 そのころ長崎ではやった俚謡は本当なんでしょうかね。船を沈めて逃げた紀州に、よさこい節の国は、「金を取らずに国を取り、ミカンを山盛り食べた~」という、なんとも珍妙な土佐の高知のヨサコイ節ですね。
 ここで若い人向けに翻訳すると、よさこい節は私が若い頃の一般歌謡曲としてペギー葉山という人の歌がものすごくはやりました。江戸時初期から土佐の民謡です。ドラマではそのいわゆる替え歌を長崎ではやらせて、紀州の面子をつぶしたことになっています。
 もうひとつのミカンですが、これは三波春夫さんの歌謡浪曲にもありますが、紀伊国屋文左衛門とかいうミカン商人が嵐をついて江戸へミカンを運んだ、……。要するにミカンは紀州和歌山の象徴です。

 もし、はやり歌を長崎にひろめて紀州藩を狼狽させたのが事実なら、坂本龍馬という人は、本当に現代的な方だったんですね。紀州藩の勘定奉行が最後に、才谷梅太郎と名乗る龍馬に「お前は一体何者なのだ!」という驚愕をともなった詰問の意味がよく分かります。こういう宣伝、煽動を自在に操る龍馬は現代人でもあるし、意外や意外、上忍:忍びの者かもしれませぬtaurus。予断ですが、忍者集団も上級の忍者になると、こういう人心攪乱を得意としたようです。

 万国公法を持ち出して、幕府介入を押し切り、紀州藩に岩崎弥太郎発案のぼったくりというか8万3千両を弁済させたのは、龍馬の知恵と勇気だったと思いますが、こういう国際法を守らないと、「紀州は諸国から野蛮人の集まりといわれ、それはひいては朝廷(日本)の恥になる」と言ったのは、現代でも通用する論法だと思います。
 
 現代も大国などでは、野蛮人の集まりと言われても威力で押し切る考えもありますが、当時の紀州藩の勘定奉行とか御三家紀州は、理が分かる人だったのではないでしょうか(と、想像)。世界から野蛮人と思われることが恥であり、国益を損なうという考えは、幕末の一部の識者達には共通の認識だったのでしょう。なんとなく、後日の大政奉還が通ったのは、そういう理の通る余地があったからだと想像しています。

余談:エピソードの列挙展開
 ……、薩長同盟、寺田屋事件や、霧島旅行や、いろは丸事件、次週の船中八策、英国水夫殺害、大政奉還、龍馬暗殺、……。NHKの竜馬がゆく、を見たり最初に司馬さんの小説を読んだのはもう40年を超えた昔のことです。10年前にも司馬竜馬を再読しました。そして今回の龍馬伝。
 絵に描いたように小説よりも奇なエピソードが連続します。もちろんドラマとして描かれているわけですが、まるっきりの嘘でもなく、坂本龍馬という人がいて、今夜の「いろは丸」海難談判を海援隊隊長としてまとめたわけです。不思議を通りこすようなエピソードの連続です。

 今夜、広島県福山市の鞆の浦が紹介されていました。遭難した時に救助されて泊まった旅籠や、談判した料亭が写っていました。福山市は綺麗な町だと思いましたし、そういう龍馬の遺品を丁寧に保管し、遺蹟も大切にしているようですね。感動しました。

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2010年10月16日 (土)

机中のカシオペア号:図書館ジオラマ

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 ジオラマ・レイアウトの発想に関わることとしてメモをしておく。これは事例として図書館と図書館列車をテーマにしているが、それとは別に狭隘な日常空間の中で、引き出しの中に別の宇宙を作ってみたい人のためのヒントになればよい。
 写真は、内寸で500x400x45mmの引き出しに翠の毛氈(笑)を敷いて、レールレイアウトを試したものだ。レールはTOMIX社の半径140mmを多用した。Y字型ポイントを一つ加えて引き込み線も作った。
 二階建ての図書館は、TOMIXの現代民家を「みたて」て置いた。これは引き出しを閉じるときは外に出す。高さが6センチあるのでそのままでは閉まらない。

 引き込み線に待機しているのは、金太郎・EH500。これは半径14センチでも難なく走行する。走っている電気機関車(パンタグラフを外しているので電池式と想定)は寝台特急カシオペアを牽引しているEF81形と、サロ124二階建て客車。ただし、EF81形カシオペアが走行するには、以前台車を少し削った。(MuBlog記事)

Opmuimg_4609s 俯瞰してみると、引き込み線やY字ポイントの収まりがよくない。あり合わせのレールやポイントを使ってとにかく机中:引き出しの中を二階建て図書館列車が走るのを、手早く実現したかったからだ。
 これはこれで佳かろう。

 タイトルにジオラマと記したが、あっさりしすぎてレイアウト(レール配置)そのものだと思っている。しかし、想念ではここに川が流れ牛が放牧されて、二階建て図書館列車から降りた利用者が、ぱらぱらと牧場を横切って基地図書館への散歩をしている姿が眼裏に浮かぶので、図書館情景ジオラマの一コマとして記録した。

 ここからは鉄道模型固有の問題だが、ジオラマ・レイアウトはスペースを使うので、いろいろな工夫をしないと取りかかる前に諦めてしまう。
 今夏の学生達との制作も、モジュラー方式(分割式レイアウト)を取ったが、2名は独立したA4判の透明ファイリングケース(厚さ4センチ)にモデルを埋め込んだ。
 さまざまな情景ジオラマ(未来の図書館)をモデル化するには、一つ一つのスペースが小型の方が、一覧もよく比較しやすく、多様性を残すことができる、……。

 ということで、極端ではあるが、一度引き出しの中に作ってみたかった。しかし、この引き出しの中に、石膏を塗ったり粉をまいたり、木を植えるまでの根性は、まだ生まれない(笑)。ただしDCC化については考慮してもよいだろう~flair

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邪馬台国の図書館:病院A木造(トミーテックのジオコレ)

Muimg_4596

 図書館のある情景ジオラマを今夏学生達12名と猛暑の中、モジュールに分担して、のべ10日ほどかけて作った。で、その話は後日に章をたてて記録するつもりだ。ただ、その準備期間中にそれぞれに現代の建物コレクションを見てもらって、それを「図書館にみたてる」という、みたて製法をとった。この事情は種々あるが、今のところは、「情景ジオラマを作る時間で精一杯。独自図書館建築までは手が回らない」と、しておく。

 「みたて」のいくつかは、寺を図書館に、松本城や熊本城を図書館に、農家を図書館に、海辺の駅を、……。あるいは教会をブライダル図書館に~と、それこそイメージ豊にいろいろあった。それをまとめて紹介するのを楽しみにしている。

 今回巻頭写真は、数日前に入手した「トミーテック社の病院A木造」である。トミーテックのジオコレシリーズの建物コレクションは、組み立てやすく、汚れ具合がよく、価格も2000円前後と入手しやすい。MuBlogでも以前に「神社」を紹介した。今回のものは昭和初期の木造病院だが、明治村の建物に雰囲気が似ていて気に入った。さっそく組み立てて(10分間程度)、これを古典的な図書館に見立てることにした。

 どのジオラマ・レイアウトに配置するかは考えているが、一応「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」の分館扱いにすることとした。今後は、以前の「ペンション」に加えてこの病院も大きめの図書館<コード:記号>として扱う予定である。この建物があれば、「図書館です」という暗黙のルールつくりである。

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2010年10月15日 (金)

小説木幡記:2010/10/15(金)工夫しながら生きるのさ:ゆで卵の作り方

Muimg_3193 秋になってTV番組でゆで卵の上手な作り方をまなんだ。要するに、卵の尖った方と丸い方とを見分け(最近の卵はちょっとわかりにくい)、丸い方を地上3センチくらいの高所からすとんと落とすわけだ。すると、丸い底部分は空気が詰まっているので、ひび割れるだけで中身はでてこない。この状態で冷水からゆであげる。沸騰したら直ちに火をとめて地熱で寝かせておく。しばらくしたら冷水でさまし、人によっては酢をいれたりもするが、余はただ冷水でさまし、殻をむく。おどろくほど綺麗に殻がつるつるとはがれていく。

 ゆで卵は塩かマヨネがよく合う。以前はコレステロールとか気にしていたが、そのTV番組では「気にしなくても佳い」と言っていた。そうだな、毎日卵を食べたくらいで病気になるなんて、変だよなぁ。ところで、ゆで卵が美味しい店は、京都市右京区の「ほそかわラーメン」だな。これは美味しい。ゆで卵は一般に新しい卵だと殻がひっついて食べられない。古い方が美味しいわけだが、この「古い」ふりをさせるのが殻にヒビを入れて炭酸ガスを外に排出させることらしい。

 最近、ご隠居さんが授業参観に来てくれたので、昼食を一緒にした。皆で近所の来来亭まで行ったが、余は温泉ゆで卵をトッピングに追加するのを忘れておった。ご隠居さんは「背油抜き!」と威勢よく注文し、局長はネギ多めの焼きめし付きだった。他の者は平凡なラーメン、こってりラーメン、チャーシュー麺やった。工夫としては「背油抜き」だが、どうなんだろう、味は? 謎だった。

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2010年10月14日 (木)

小説木幡記:2010/10/14(木)梅に鶯、松に鶴

Amuimg_4130 和歌山特産の高級梅干し南高梅:なんこうばい(うめ)を蜂蜜に漬けて、洋菓子風にして結婚式の引き出物にするのがあたったようだ。名付けてウェディングプラム。
 さて、商売繁盛はよいことだし、余にも「食べてみたい」と思わせるような商品工夫で万々歳だが、名称のことで気になった。近頃の若者は「梅干し」という言葉に古くささを感じるので、横文字で「ウェディングプラム」にしたとのこと。

 そのことで西洋風梅干菓子が売れればそれはそれでよいのだが、~どうにもひっかかった。
 商売ごとだから、ウェディングプラムと名付けて売り出した所の考えについては、何も言わないつもりだ。商売はいろいろな工夫をしないと立ちゆかなくなると、よくわかる、……。

 腹立たしいことの一つは、縦の物を横にしただけで客が喜ぶという、そういう馬鹿な客がいることへの嫌悪感じゃな。
 梅干しが、なぜ悪い! という雄叫びを上げそうになった。
 もう一つは、カタカナにしただけで新しい物と思い込み、新しい物はよいことだと思う、そういう客の浅薄さに対する、同じ人類としての言いようのない居心地の悪さだな。猿と同居しているような、同じ扱いを受けているような悲しみを味わった。

 梅に鶯、松に鶴。
 こういう自然な風景をイメージして豊かな気分になるような、そういう教育が無くなってオル。梅干しを古くさいと思う者は、梅に鶯、松に鶴というても、なんのことかわからんやろう。無教養とか言う前に、その者らの白々しい殺伐とした脳内風景を想像して、悪寒したのであった。

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2010年10月13日 (水)

小説木幡記:2010/10/13(水)気に入りの人生

Amuimg_1396 年齢とともに立場も考えも、できるだけ世界にマイナス、負の気持ちを持たないようにしているつもりだ。もちろん好き嫌いが薄まったり無くなったりしたわけではないが、若い頃のように「あんなん、嫌いや。へどがでる。寒気がする」と直裁な物言いや態度は隠してきた、~というよりも、世界に正負どちらの感情も持たなくなった脳。

 ところが、お気に入りのことは人生航路(と、そんな漫才師がおったかな?)、いろいろあって、比較的人と話したりblogに書いておる。これは、若い人や同僚や友人知人をみていても、自分の気に入りのことを話している時の顔や態度は好ましいからだ。~、とは言っても深い井戸にはまり込んでしまって常軌を逸したマニアの姿は、気色悪いがのう(笑annoy

1.読書している青少年
 昔から書を棄てて町にでようという標語があったが、これはうざったくなるほど書に耽溺した人のためようであって、はじめから文字を読もうともしない青少年には無意味な言葉だ。
 一般論だが、青少年の内に読書に耽溺しておかないと、歳をとっても脳細胞が単純で表層的にしか物事を理解せず、常に要点を外してしまう、~深みのない人間になりがちだな。
 だから、馬鹿本でも悪書でも、ひたすら数時間読書にのめり込む青少年をながめると、気分がよい。

2.適度に旅をする人
 日々折に触れて電車やバスや自動車で国内をあちこち歩き回る人をみていると、気分がよくなる。余は青少年の頃に三木清というなにかと噂の絶えない人生論家のエッセイで「旅について」というのが気に入ってしまい、彼の数冊を読んだことがある。要するに旅をすることで人は変わりうる、成長するかもしれないという話だったような。
 大局的に、倭建命(やまとたけるのみこと)の人生は、神話的な旅しかなかった。
 うむ。
 大名旅行の自慢話は聞きたくもないが(豪華旅館を渡り歩いて、毎夕似たような旅館料理を食べている姿は想像しても気色悪いだけやな)、比較的貧相な青春切符話は、冒険心がにじみ出ていてよろしな。

3.工作に熱心な人
 手を動かして、ドライバーを回したりのこぎりできったり、筆をつかったり、ニッパーで銅線きったりハンダごてを当てたり、粘土をこねたり、~幾分あらっぽい工作、高級道具を使わない工作をする人は、お気に入りだ。
 ~
 つまり芸術の結果はよくわからないが、絵筆で絵を描いたり、字をかいたり、粘土をこねたり、ノミで削ったり、そういう姿、手指や身体の動きを眺めるのがお気に入りなのだ。

4.料理をする人
 実は料理と工作とを同じまなざしでみているわけだ。ただし料理の結果としての味わいは、芸術作品とは異なり、大いに善し悪しを自分で判断する。美味いか不味いか、どうでもよい味か。単純だな。

*.まとめ
 自分の嗜好をまとめて公開してもなにかの意味があるわけじゃないが、自分自身のために、好き嫌いさえ分からなくなったときのために、まとめておいた。どういうことかというと、機嫌の善し悪しが極端になったとき、自分の中心軸を思い出すわけじゃ。

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2010年10月11日 (月)

小説木幡記:2010/10/11(月)深夜のメール便と文学

Aimg_1204 日曜の夕方、龍馬伝を見終わって感想を記したと思ったら、眠りについた。
 と、思うまもなくベッドの枕元でケータイがごっ、ごっ、ごっと震えながら呼び出しているのに起こされた。ケータイが深夜に夜泣きしたくらいで目覚めるわけではないが、時刻は零時すぎで、4通が数十秒間隔で着信していた。それだけあると、白河夜船状態も打ち破られて、のっそりとベッドから降りた。おもむろにPCに向かい内容を確認した。

 ~
 倶楽部の方で機関誌をご隠居(倶楽部卒業生)達に送付したせいか、二人の別年次のご隠居が別日に葛野にくる手はずだった。一人は来室時間がきまっていなかったので、頭の片隅に入れるだけにした。一人は、授業参観も兼ねてくるので現役助勤も含めて昼食会参加を通知した。その参加、不参加の回答がさっきまとめてあった。参加者は土曜日や日曜の昼に回答があり、さっきの連続ケータイ鳴動は、ぎりぎりの不参加回答だった。

 利便性を考えて十年来、主メール着信はケータイ転送にしている。だから余のケータイは着信通知のためだけにある。滅多に携帯からメールをだしたり電話をかけたりはしない。画面が小さくて、文字入力がややこしいので、使いこなしていないのが実情だ。電話といっても、かかってこないのだから、かけることもない。電話は相手がでないし、余も気がつかないことが多いので、年に数回だな。

 というわけで、深夜のケータイメール便は、メモ程度の内容で、国家の危機に類するものではない。だから、本来ならまたぐっすり熟睡するはずだが、……。妙に目がさめてしまった。そういえば土曜日の午後も、昨日日曜日の午後も、昼寝がすぎた。よくないなぁ。

と、ここから本題snow
 日曜日に読書した。髙村薫のレディ・ジョーカー(上)新潮の改稿文庫。改稿文庫というてもファンや関係者以外はご存じなかろうが、髙村さんの作品はメディアが変わるたびに内容が相当に改稿・増補されていく。原稿用紙で数百枚単位の増補となると、こりゃ新作だ! 
 レディ・ジョーカーは、余は昔にハードカヴァーを読んだし、映画もみたし、既知なのだから文庫を読む必要もないのだが、この春にエドルン君が「読め!」と言って上中下の三冊を木幡において行ったのを、昨日ようやく再読し始めた。
 ~
 よいなぁ。
 髙村さんの小説は。本当に感心する。すばらしい、につきる。
 被差別部落、在日朝鮮人問題、警察、検察と、髙村さんの描く世界は現今日本の暗部でもある。そういう世界に悩み生きる男や女が眼前をなにげなく通り過ぎていく。
 昨日は、数ページを読み出したとたんに、また、涙してしまった。

 話は変わるが、村上春樹さんがノーベル賞をとるのとらないのと話題になっていたようだ。ようだ、というのは気にしたこともないからだ。科学分野でのノーベル賞は、なんとなく納得できる物が多いが、文学とか平和賞になるととたんに身を引いてしまう。
 川端さんや大江さんがノーベル賞をとってもとらなくても、今から思うとたいしたことでもない、と感じている。
 理由は単純で、文学はそんな白日の光のもとで話題になるような代物ではないとおもっているからだ。もともと清く正しい文学なんてーのは、嘘嘘しい。
 だからノーベル文学賞をとってマスメディアで多くの人たちに再発見されるということは、~、ということだな。
 ~まあ、佳かろう。そんなことを書く必要もない。ただ、一言。村上春樹さんは世界に参加しない方がよいと考えた。

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2010年10月10日 (日)

NHK龍馬伝(41)さらば高杉晋作:人生と志、その死と生

承前:NHK龍馬伝(40)清風亭の対決:緊張感があった

俳優達
 見慣れた独特の画面描写ですが、龍馬も岩崎も高杉も木戸も三吉も中岡も海援隊も後藤象二郎も長崎奉行も、……。お龍も、おうのも、大浦慶も、……。みんな実写的にそして綺麗に撮れています。カメラや方式もあると思いますが、それ以上に男優、女優たちの溶け込みように、物語・一体感を味わいました。
 今夜の龍馬や晋作の表情は特に佳かったです。俳優らしくなく、現実の龍馬や高杉が眼前にあるような気にさせてくれました。

現代
 なにかをどうかすれば、どうなるという未来が見えにくい現代です。
 たとえば、東西ドイツの壁が崩れることでドイツは統一されたのですが、その後どうなのかはわかりにくいです。ソ連が解体し、現代はプーチン首相やその弟分の大統領がロシアを動かしています。巨大な中国は、国内ではパルタイ批判に容赦なく対処し、国外では周辺諸国にに威圧的です。なのに、北朝鮮との関係は煮え切らないです。アメリカはご存じのように、方向が見えにくいです。世界は相変わらず混沌としています。
 そして、祖国、日本。

 日本は、何かをどうかすれば、輝かしい未来を招来させることができるのでしょうか。
 心も金も住み心地も、日々も最良とは言えない状況です。
 変な事件や問題で満ちあふれています。
 新聞やTVを見ると腹立たしくなるので、薄目で眺めています。
 そこで、
 龍馬さんの時代と現代日本とを比べてみました。
 ~
 饑餓は少なくなったと思います。生活もまずまずです。医療も充実しています。国際的にも露骨な不平等条約はありません(なんとなく、一部あるわけですが(笑))。生命の危険性も少ないです。だから、日常レベルでは、現代は龍馬さんの時代よりもずっと佳くなっているはずなのです。
 それなのに、あれから140年たったいま、龍馬の願った笑顔で日本が覆い尽くされているでしょうか?
 暗いですねぇ。
 先が見えないです。

幕末
 長崎からお龍をともなって下関に逃避した龍馬とお龍は「人生」について語り合います。永遠に解のない、「何故死ぬのか、人生とは何なのか」という話が二人の間に立ち上ります。

 29歳の高杉晋作が死の床にある現実は、龍馬に重くのしかかってきたでしょう。龍馬の大政奉還を支持してくれているのは高杉晋作だけです。友人の中岡慎太郎は、海援隊に入らずに陸援隊をつくり幕府を武力崩壊させる道を選んでいます。勿論桂小五郎(木戸さん)は、高杉の遺言(龍馬の大政奉還に力をかしてやってくれ)にも耳をかしません。武力で徳川を滅ぼそうとしています。画面には出ませんでしたが、薩摩も大政奉還には懐疑的です。

 ヨーロッパでは、戦争は最終的な外交の一つと言った人もいます。中国の孫子兵法によれば、戦わずして敵の自壊をもたらすのが最高の勝利とのこと。

 龍馬の考えでは、薩長の徳川への武力討伐によって国内に隙が生じ、そこを諸外国に付け込まれるという危機感があったのではないでしょうか。武力攻撃をすれば、徳川はフランスと手を結び応じるでしょう。そうすると、薩長も英国や米国と手を結ぶ必要が出てきます。当時は国内戦争だけでは収まらない国際的なきな臭さが常にあったのだと思います。

 それと。
 後藤象二郎との関係はよく分かりませんが、龍馬の郷土愛と薩長二国に国の命運を預けることへの危機感もあったのではないでしょうか。土佐が大政奉還というカードを切ることで、新しい世界は薩長だけではない土佐という別の種族(部族かな(笑))も加わり、日本中を巻き込めるからでしょう~

 その中心に朝廷を置いたことは、……。
 龍馬と北一輝の違いは、坂本龍馬は尊皇思想だったのだと思います。朝廷という媒介をおかずに権力の交替があるならば、これは単純な覇道に過ぎません。世界は今も覇道に満ちておりますtaurus

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小説木幡記:2010/10/10(日)キーボード調整:Mac←→Win

Aimg_11882 昔からELECOM(Made in China)の製品は、マウスその他、よく使ったきた。昨年だったか、京都駅南のソフマップで、目玉商品として2000円前後で無線のマウス+キーボードが売られていたので、買った。 TK-FDP002WH(ホワイト)といって、今でもインターネットで探すと7000円前後の価格だった。
 安かろう、悪かろうか、……。無線操作はうまく行ったのだが、キートップの印字が薄くて、眼力の衰えた余には常にブラインドタッチを強いられた。しかし、1年間前後も木幡主力マシンでよく働いてくれた。だから、満足していた。

 数日前に突然文字が入らなくなった。
 ? キーボードが壊れたのか ?
 このことは、夏前にマウスカーソルがおかしくなった時は単4電池を入れ替えたらうまく行った。それと同じだと想像し、近所のコンビニで電池パックを買い、試してみた。マウスとキーボードとは別の電池をつかっている。
 治らなかった。

 両手を挙げて降参した。
 キーボードは線付きならUSBなど、PCとの接点で外れかけたりしていることも多く、そこをごにょごにょするだけでうまくいくが、無線の電池切れ以外の故障は、まだ修理未経験だった。
 諦めた。

 さて。
 京都駅まで走って、キーボードを入手するか? 安いのだと1000円程度だから、金銭的には困らない。(などと、将来はその千円が命取り(笑))で、部屋中さがしてみたら、Macの大型外付けキーボードが出てきた。2005年頃の物だと覚えていたから、上等だ!

 ようやく、結論。
 長い前振りだった。
 MacとWinの、いろいろなキーボード機能の違いはapple社が記事を出していた。ところがもっとも使用頻度が高いWinの「全角/半角」キーが見つからなかった。つまり、日本語を必要に応じて入力する機能だ。これには困った。
 ~
 せっかくアップル社の綺麗なキーボードがあるのに、WinPCで使えないのはもったいない。
 そこで、ワシモ考えた!
 解は単純だった。ATOK(ジャストシステム社の定評ある日本語入力機能)の機能変更を使って、日本語入力のオンオフを別のキー入力でもできるように再設定した。
 以下はプライベート話だが、shift+ESCに設定し、うまく行きだした。
 余波というか副作用があってな、ブラウザのGoogleChromeでこれを使うと、他の機能を呼び出しよる。勝手なことをせんといて!

追伸
 iPadやMacのよさを書こうとしたが、話がそれた。iPad のことは秋にOSが変更になるので、そのときに再見。

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2010年10月 9日 (土)

小説木幡記:2010/10/09(土)午睡のよさ

Amuimg_1394 土曜日だというので午後ベッドに横臥したら、すぐに夕方になっていた。瞬間に数時間眠り、寝覚めはよかった。邯鄲(かんたん)の一睡(一炊)の夢の気分だったなぁ。
 また古書をと思ったが、手に取るより先に眠りに付くので、図書も役立たない人生だ。
 ふと、半生を顧みた。こういうものなのだろう。と、みずからうなずくより仕方ない。

 総じて、活発に動くよりも横臥していた時間が長いなぁ。三年寝太郎という昔話があって、ぐでぐでしていたが最後に人のため、村のために役立つ工夫をしたとあったが、人生は、しいてなにかの役に立たずとも人生なのだ。うまれおちて死する日まで、時がチクタクと進んでいく。できるだけ充実し、近所迷惑にならぬようにするのが佳い人生だが、それもそうとばかり言えない時期もある~。

 「何なんだろう」と額に縦皺を作って考え込み、横臥してときどき天井を眺めてきた、そんな一生もあるのだろう。
 あまり熱心に人生の、生きることの意味や意義を考え込まない方が、気分が楽になる。
 ~

 直径28センチに、7センチの直線を中央両端に入れた小判型のミニエンドレス線路があって、そこをNゲージのトロッコ(瀬戸大橋トロッコ)をディーゼル機関車・DE10 がぐるぐる引っ張って走っている。ひとつだけ民家タイプの図書館があって、トロッコを乗り降りした客が図書館を出入りする幻視をさっきから見ている~

 これもあれも、目が覚めたら午睡のひとときだった、というのは荘子の蝶々話とか、邯鄲の夢枕とか、夢の入れ子構造とか、いろいろある。まことに、死とは目覚めぬ午睡なのだろう。余は、そう思った。

 また。眠くなった(笑)。aries

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2010年10月 8日 (金)

小説木幡記:2010/10/08(金)古い図書:JavaScript入門

Amuimg_1408 読む本が無くなると古い図書をごそごそと引き出してくる習い性が身についておる。ふと書棚を見上げると、あった(笑)。JavaScript入門:待望のJavaScript日本語解説書/岡蔵龍一.舵社、1996年9月。

 気になってインターネットで探してみると、このスクリプト言語は1995年に世にでたようだ、アメリカで。だから、余が手にしているこの図書は、おそらくJavaScript出現すぐの翻訳図書と思って間違いでは無かろう。遠い昔のことだ。すでに15年ほども経っておる。

 1996年というと平成8年、余が葛野に赴任したのが確か?平成5年の春だから、その頃はまだ数年しか経っていない。そういえば、1996年には若い仲間達と「カナン96」という研究会を毎月葛野で開き、その中でJavaやJavaScriptが話題になっていたのを、今思い出した~。

 懐かしくなってというか、せっかく買った本だから、今でも役にたつかどうか確かめようと思った。JavaScriptはJavaよりも単純簡単、htmlテキストファイルにコードを書いて、当時はNetScape、今ならfirefoxあるいはIEとか、ブラウザで起動するだけで動くはずだ~。さっそく、書いてみた!
 自家製ファイル、JavaScriptテスト.htm の内容は以下の通り。

  <HTML>
  <HEAD>
  <SCRIPT LANGUAGE="JavaScript">
  <!--
   document.write("ブラウザの仕様→ " + navigator.appVersion)
  //-->
  </SCRIPT>
  </HEAD>

 いつも使っているfirefoxブラウザで、このJavaScriptテスト.htmファイルをクリックすると、「本当に開いてよいのか。この手のファイルは危険だぞ!」と、言ってきた。かまわずgoすると、えらいそっけなく画面に一行出てきた。

  ブラウザの仕様→ 5.0 (Windows; ja)

 おお、うまくいった。15年前のテキストでもその内容は古びておらず、ちゃんと動く。もちろん、JavaScriptの現在の姿をインターネットで見てみると、いまどきdocument.writeなんて書くのは太古のやり方らしいがな(笑)。まあ、よかろう。

 と、こんな風に古い図書が今でも役立つ。(15年前に1800円だから、結構なお値段だ)
 あまりお金をかけずに余生を過ごす、一つの方法じゃね。JavaScript の再履修(自己独学)なら、そうだな、書けるまでに数日間、自由自在に操るのに一週間、現代風の新基軸を身につけるに3ヶ月もあればよかろう。無料で、3ヶ月も楽しめるなんて、極楽極楽。

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2010年10月 7日 (木)

小説木幡記:2010/10/07(木)日はゆるゆると、数字合わせ

Muimg_1321 今日の午後、屯所を覗いたら(若い)副長と、経理局長とが、機関誌・教材を関西一円の関係諸機関やご隠居たちに送付し終わって、寛いでおった。副長の自転車の前輪がぺったんこになるほど重かったらしい~

 で余も談笑しておると、経理局長がおもしろい話を聞かせてくれた。
 発端は、余の万歩計が「4230」で、なにやら、はよ「死にされ!」と言われているようで不愉快だったから、愚痴ったに過ぎない。その後がおもしろかった。これは、アラビア数字が日本を発祥とする例証かもしれない(と、トンデモな)。要するに、嫌な奴+嫌な奴→皆殺し、という怖ろしい秘密が数字には込められていたという、生まれてはじめて聞いた新説だった。

 諸氏も電卓で、18782+18782=?、となることを、実証的科学的に実体験してくだされば、その真理に気づくであろう。いやはや、実に怖ろしい真実に久しぶりにでくわして、余は頭がくらくらした。これほどの日本語暗号が数字列の加算にあるとは、お釈迦様でもご存じなかろう~。

 というわけでけったいな午後であったが、別途いくつかの成果も得たので心身はすこやかとなった。明日はまた葛野にていささかの責もあるが、心してとりかかろう。日々ゆるゆるとしてはおるが、時々不慣れな責務に追われる。生きている証としてつつがなく~。

 そういえば、涼しくなって読書しすぎて貯め置き本がなくなった。またそろえておこう。いやなに、新刊書をそろえるだけが脳じゃない。書架の片隅、段ボール箱の底、積み置き本の下に隠れた図書雑誌。これらを抜き出して、木幡机上に読みたい順に並べるわけだ。お金も手間もかからない読書秋の楽しみだな。ふむふむ。

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2010年10月 6日 (水)

天橋立研修旅行20100909(3)丹後国分寺跡と丹後郷土資料館

承前:天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園}

3 丹後国分寺跡と資料館
 研修旅行の目的には、各地の図書館や博物館、資料館、史跡などを体験することが含まれています。私は景観全体のイメージを重視していますので、個々の現代の建物・資料よりも、地域全体の雰囲気を味わうことに心しています。
 
 奈良時代(8世紀)、聖武天皇の頃に仏教を日本の国是とする考えが成熟してきました。その一つに、全国に国分寺、国分尼寺を建立し、中心を奈良の東大寺(総国分寺)、法華寺(総国分尼寺)としたことです。東大寺の大仏さんはその象徴で、鎮護国家を願う宗教的な気持ちが根本にあります。

 関西に限っての国分寺(男・僧寺)を旧国名で探してみると、紀伊、大和、近江、山城、丹波、丹後、河内、和泉、摂津などがありました。山城の国分寺跡は恭仁宮跡として以前探索したことがあります。この宮津市には丹後一宮・籠神社と、丹後国分寺跡がありますから、一帯・与謝郡に国府があったのだと想像できます。つまり、上代・古代の地域中心地として栄えたのでしょう。

3.1 史跡・丹後国分寺跡(たんご こくぶんじ あと)
12kokubunnji

 国分寺跡には案内板とベンチがありました。
 写真の下方は現地の案内板の内容です。これによると中世・後醍醐天皇時代の建武年間に、国分寺が再建されたとのこと。
 資料館を見た後、ここのベンチで阿蘇海を眺めていると、バスに弱い幹事の書記局長2010が傘松公園・ケーブル府中駅から自転車でやって来たので、しばらく古代話をしゆっくり休みました。

3.2 資料館への道
13siryoukann

 写真最初の海は、資料館への登り坂から振り返ってみた宮津湾・阿蘇海です。地図で見ると、天橋立を眺めていることになります。
 次の二葉は資料館の遠景と近景です。建物は老朽化が激しく思えました。炎天下の坂道だったので私はいささか疲労が重なり、前を歩く隊員に荷物を持ってもらったり、杖をひっぱってもらいました。

 ようやくたどり着いた資料館ですが、電気も消えていました。だれかがおとないをいれると、係の方が出てきて「クーラーが故障しています」との事でした。写真撮影も禁止で、クーラーも無かったので、私1人だけ早々に退室し、国分寺跡のベンチで涼んでいました。(旅の終わりは疲れるものだ、と思いました)

3.3 足湯
14img_4572

 バスで天橋立駅に戻ってきました。幹部の計らいで「おみやげ」「散策」時間を約1時間用意してありました。実はそれでも計画が前倒しになり、当初予定していた京都駅までの直通特急を止めて、1時間早めた別の特急(福知山で乗り換え)にしたのです。

 駅前に外湯「智恵の湯」がありました。研修旅行を終わってからこうして記録をまとめていると、智恵の湯に入らなかったのが残念なことでした。これからはタオルくらいは持参して、いつでもどこでも外湯に入れる準備をしていた方がよいようです。
 タオルや石鹸は用意してあるでしょうが、「心構え」です。
 それで私や、あと数名の人たちがぱらぱらと、この無料の足湯をつかったようです。遠くから眺めるとしばらく混んでいたのですが、私の時は、見知らぬ旅人がひとりいたくらいで、無人に近い足湯をじっくり楽しめました。

 靴下をぬいで足をつけると、疲れが足先から湯に溶けて出ていくような感じがしました。足湯の効能には、実際に血液循環がよくなって疲れるが取れるのも事実ですが、イメージとして「落ち着いて、ほっこりして、疲れを出していく」という想像が、心身を楽にしてくれました。

3.4 帰路
15kiro

 帰りは、天橋立→エクスプローラ4号→福知山→きのさき10号→京都、となっていて福知山で乗り換えました。おそらくこのエクスプローラ4号は福知山から大阪方面に向かったのだと思います。ここで、幹事・三番隊長だけが大阪方面にそのまま向かった記憶があります。残りは、「きのさき10号」に乗り換えました。

 こうして、行きは西舞鶴経由で、タンゴ浪漫号に乗って天橋立に着き、帰路は二つの特急に乗って快適に京都駅に無事たどり着きました。バス旅行や鈍行旅行に比較すると旅費が少し上乗せされましたが、鉄路を特急タイプの車両で走る快適さはすてがたいものがあります。
 幹事達の旅行計画として、疲れの少ない往路に観光列車を選び、復路は広々とした特急タイプを選んだのは正解だったと思います。

3.5 エクスプローラ4号
Bmuimg_4576

 現代の特急車両大写しを掲載しておきます。日が経っていたので一瞬車種がわからなかったのですが、後ろから見える髪型で判定できましたcat。なお、特急エクスプローラはKTRサイトに記事がありましたので、記録しておきます。眺望のよいハイデッカータイプと分かりました。
   KTR タンゴ・エクスプローラ
 福知山から京都まで乗った特急・きのさきは、JRおでかけネット:きのさき183系、という記事がありました。

3.6 まとめ:天橋立研修旅行
 現代の日本三景・天橋立が歴史観光地としてどれだけの吸引力を持っているのか、それは私には判断できませんでした。ただ、夏期の猛暑の九月上旬平日では、それほど沢山の人がいたわけではなかったのです。特急列車の贅沢な空席や、傘松公園のレストランの空席からそれはうかがえると思います。

 日本三景といわれるだけあって、天橋立の景色は感動をもたらしましたが、私は最後に回った丹後国分寺跡と眼下に見下ろす阿蘇海との対比がもっとも印象深いものでした。無人の国分寺跡から眺める景観を、古代日本の原風景の一つとして味わいました。

前←→先頭

参考
  ふるさとミュージアム丹後:京都府立丹後郷土資料館
  智恵の湯
  
大きな地図で見る
↑丹後国分寺跡

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2010年10月 3日 (日)

NHK龍馬伝(40)清風亭の対決:緊張感があった

承前:NHK龍馬伝(39)馬関の奇跡:大政奉還の夢

 大政奉還の主役に土佐藩・後藤象二郎を抜擢するかどうかで、人事考査したのが龍馬でした。
 後藤は大殿の山内容堂から、薩長との接触を命じられています。どの程度の接触を求められたのかは、ドラマでは見過ごしたのか、表現されなかったのか、分かりません。ただ、龍馬は後藤象二郎に向かって、土佐藩が薩長と接触したいのなら、しっかり仲間になることが条件だと言います。つまり、大殿容堂の意向にかかわらず、後藤がパイプを通すだけのことや、外交辞令レベルで話を付けることを、龍馬は拒否したわけです。

 大政奉還と引き替えでなくては、死んだ武市半平太や岡田以蔵の魂が浮かばれません。
 土佐藩が、武力倒幕に傾いている薩長と手を合わせることで、武力倒幕への歯止めになるという考えでした。土佐は関ヶ原の山内一豊以来、徳川に弓を引く気持ちは無い(少ない)わけです。そして15代将軍となった慶喜と山内容堂は気心の知れた仲です。だからこそ、あり得ない「大政奉還」が土佐の裏切りによって可能となるかもしれないのです。

 源頼朝(鎌倉)も、足利尊氏(室町)も、徳川家康(江戸)も、朝廷から征夷大将軍(付帯的に、淳和奨学両院別当(じゅんなしょうがく・りょういんのべっとう)という名誉職)を任命され、源頼朝は鎌倉に幕府を開設し、日本全国の実効支配を行いました。征夷大将軍という官名には、日本を支配する意味はなく、形式的に天皇から大将軍職を任命されたわけです。

 江戸幕府も17世紀初頭の家康が初代将軍に任ぜられてから、徳川家が日本を支配していました。大政奉還というのは、形式的には征夷大将軍職を返すことで、実質的には政権を手放すことです。天皇によって授けられた職ですから、天皇に返すわけです。

 龍馬の大政奉還は彼らしい尊皇思想だと思います。ドラマの中では「お元」の幼児期の身売り話など、世の中が悪いのは幕府のせいにしていましたが、徳川家であれ足利家であれ、……。自民党であれ、民主党であれ、民人(たみびと)を幸せにできる時期は限られています。徳川幕府は260年間も統治してきて、ついに経年変化・老朽化に耐えられなくなったわけです。しかし政権の禅譲、無血革命は一般に無理ですから、無理を承知で土佐藩という龍馬自身の育った、かつ徳川にとって特殊な藩の性質や、朝廷の不思議な力を利用して、一段上位の「大政奉還」を計ったのでしょう。

 今夜の感想文は、すこし理屈がすぎました。
 しかし緊張してドラマに没入していたのは、先回と変わりはありません。
 ドラマとして尊皇思想を色濃くだしていないのは、NHKの立場と、現代日本人がそういう教育を受けていないこととから、表現しても現実感が無くなると考えたのでしょう。その是非は問いません。
 ただし、緊張感がみなぎっていましたから、いろいろな感想が生まれると想像しています。

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小説木幡記:2010/10/03(日)少ない失敗、少ない成功

Muimg_1425 この十年の間、それ以前と大きく変わったことがある。
 いろいろなことに、長くしつこく取り組む事が多くなったということだ。
 長くしつこくというのは、短時間で決着を付けられなかったり、解を見つけられなかったり、途中で方向が変わったりしての結果とも言える。

 ただ、なにかしら自分のリズムが「長く楽しむ」「いつか、結果がでる」と、すこし落ち着いてきた面もある。以前はもっとがむしゃらで、解を急ぎ、短兵急な動きばかりしていたように思える。
 「失敗」はその頃の方が多かった。
 もちろん、人生のイベント参加数も以前の方が多かった。

 今は、「失敗」は少ない。それは熟達したというよりも、試みの数が少なくなったからだと言える。無意味に動き回って失敗ばかりして、知らぬ顔する社会の「大人」達は、見苦しい。だから少しでもそういう見苦しさから免れるには、じっとしているのがよい。悪手をうたず、じっとしているのも、なかなかに緊張がある。

 若者には心から「失敗を怖れるな」「果敢に挑戦しなさい」といい、中高年者には「失敗するから、止めておけ」と、衷心から伝える。若者には、失敗も成功もすべて塞翁が馬、それらが次のステップに結び付きすばらしい未来への道に通じていると、本心真顔で言う。中高年者には、いままで成功もしなかったあんたが、いまさら何をやってもむだだ。屍累々、万死に値する所行の山積み! まわりに災厄をもたらすだけだ。うろうろせずに、じっとしておれ!

 と、実際には両方とも、あまり積極的に言わなくなった。
 疲れた。
 飽きた。

 というわけで、ちかごろ木幡研の机上に直径30センチの小さなエンドレスレールを敷設し、そこにEH500+サロ124+キクハ32-502の編成車両を走らせている。スイッチを切らない限り無限に夢幻の走りを見せている。編成車両長は丁度40cmあった。二階建て図書館列車と、トロッコ図書館列車の、原型が机上を走っている。まだまだ結果は出ない。結果が出るのが先か、それとも~(呵々大笑)

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2010年10月 1日 (金)

小説木幡記:2010/10/01(金)昨日、盛りだくさんな一日:戦艦大和

Muimg_1403 10月に入った。
 昨日は葛野の仕事がもりだくさんあった。さすがに夕方になると息があがり、別室でジオラマを制作していた倶楽部幹部には、早めにお引き取り願って施錠した。
 どうしてだ? と思うほどに小さな雑務が次々と湧き出でて、なかなか壮観な仕事リストだ。細かなことまで人手がかかる、というのが大学の常態なのだろう。

 ここ数日は長袖を着用している。今夏を思い出すと長袖がまだ存在していたことに驚きを味わった。秋とともに、徐々に心身が楽になってきた。じわじわと。ただし、客観的には気ぜわしさと、気持ちの整理と、いろいろなまとめに神経がすり切れんばかりだ。そういうよしなしごとを、人ごととわりきれば、楽になってきていると言って過言ではない。

 どのような場合も、個々の人生と対置した世間や組織とは、別の動きや流れを持っているのだから、かみ合うこともあるだろうし、まるで人ごと対岸のことになってしまう。そうして自分自身さえも「対岸の人」と思ってしまうと、現実の繁忙や過酷さとは違った別の世界を個々に得ることができる、……。

 吉田満さんが残した名著『戦艦大和ノ最期』(講談社 文芸文庫)がある。この版はカタカナ表記で、当時の雰囲気が行間からわき上がってくる。ときどき最期の段落を眺める。今朝も机上の文庫を広げて、眺めた。そして今朝も、日常を乗り越えていく勇気をくれた。

  徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米
  今ナオ埋没スル三千ノ骸(ムクロ)
  彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何


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