小説木幡記:2010/10/13(水)気に入りの人生
年齢とともに立場も考えも、できるだけ世界にマイナス、負の気持ちを持たないようにしているつもりだ。もちろん好き嫌いが薄まったり無くなったりしたわけではないが、若い頃のように「あんなん、嫌いや。へどがでる。寒気がする」と直裁な物言いや態度は隠してきた、~というよりも、世界に正負どちらの感情も持たなくなった脳。
ところが、お気に入りのことは人生航路(と、そんな漫才師がおったかな?)、いろいろあって、比較的人と話したりblogに書いておる。これは、若い人や同僚や友人知人をみていても、自分の気に入りのことを話している時の顔や態度は好ましいからだ。~、とは言っても深い井戸にはまり込んでしまって常軌を逸したマニアの姿は、気色悪いがのう(笑)
1.読書している青少年
昔から書を棄てて町にでようという標語があったが、これはうざったくなるほど書に耽溺した人のためようであって、はじめから文字を読もうともしない青少年には無意味な言葉だ。
一般論だが、青少年の内に読書に耽溺しておかないと、歳をとっても脳細胞が単純で表層的にしか物事を理解せず、常に要点を外してしまう、~深みのない人間になりがちだな。
だから、馬鹿本でも悪書でも、ひたすら数時間読書にのめり込む青少年をながめると、気分がよい。
2.適度に旅をする人
日々折に触れて電車やバスや自動車で国内をあちこち歩き回る人をみていると、気分がよくなる。余は青少年の頃に三木清というなにかと噂の絶えない人生論家のエッセイで「旅について」というのが気に入ってしまい、彼の数冊を読んだことがある。要するに旅をすることで人は変わりうる、成長するかもしれないという話だったような。
大局的に、倭建命(やまとたけるのみこと)の人生は、神話的な旅しかなかった。
うむ。
大名旅行の自慢話は聞きたくもないが(豪華旅館を渡り歩いて、毎夕似たような旅館料理を食べている姿は想像しても気色悪いだけやな)、比較的貧相な青春切符話は、冒険心がにじみ出ていてよろしな。
3.工作に熱心な人
手を動かして、ドライバーを回したりのこぎりできったり、筆をつかったり、ニッパーで銅線きったりハンダごてを当てたり、粘土をこねたり、~幾分あらっぽい工作、高級道具を使わない工作をする人は、お気に入りだ。
~
つまり芸術の結果はよくわからないが、絵筆で絵を描いたり、字をかいたり、粘土をこねたり、ノミで削ったり、そういう姿、手指や身体の動きを眺めるのがお気に入りなのだ。
4.料理をする人
実は料理と工作とを同じまなざしでみているわけだ。ただし料理の結果としての味わいは、芸術作品とは異なり、大いに善し悪しを自分で判断する。美味いか不味いか、どうでもよい味か。単純だな。
*.まとめ
自分の嗜好をまとめて公開してもなにかの意味があるわけじゃないが、自分自身のために、好き嫌いさえ分からなくなったときのために、まとめておいた。どういうことかというと、機嫌の善し悪しが極端になったとき、自分の中心軸を思い出すわけじゃ。
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