小説木幡記:2010/10/09(土)午睡のよさ
土曜日だというので午後ベッドに横臥したら、すぐに夕方になっていた。瞬間に数時間眠り、寝覚めはよかった。邯鄲(かんたん)の一睡(一炊)の夢の気分だったなぁ。
また古書をと思ったが、手に取るより先に眠りに付くので、図書も役立たない人生だ。
ふと、半生を顧みた。こういうものなのだろう。と、みずからうなずくより仕方ない。
総じて、活発に動くよりも横臥していた時間が長いなぁ。三年寝太郎という昔話があって、ぐでぐでしていたが最後に人のため、村のために役立つ工夫をしたとあったが、人生は、しいてなにかの役に立たずとも人生なのだ。うまれおちて死する日まで、時がチクタクと進んでいく。できるだけ充実し、近所迷惑にならぬようにするのが佳い人生だが、それもそうとばかり言えない時期もある~。
「何なんだろう」と額に縦皺を作って考え込み、横臥してときどき天井を眺めてきた、そんな一生もあるのだろう。
あまり熱心に人生の、生きることの意味や意義を考え込まない方が、気分が楽になる。
~
直径28センチに、7センチの直線を中央両端に入れた小判型のミニエンドレス線路があって、そこをNゲージのトロッコ(瀬戸大橋トロッコ)をディーゼル機関車・DE10 がぐるぐる引っ張って走っている。ひとつだけ民家タイプの図書館があって、トロッコを乗り降りした客が図書館を出入りする幻視をさっきから見ている~
これもあれも、目が覚めたら午睡のひとときだった、というのは荘子の蝶々話とか、邯鄲の夢枕とか、夢の入れ子構造とか、いろいろある。まことに、死とは目覚めぬ午睡なのだろう。余は、そう思った。
また。眠くなった(笑)。
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