秋の宴:十月の花嫁
この10月末の土曜日に、葛野図書倶楽部2001・副長2005が嫁いだ。宴は大阪の江坂というところに広い敷地の式場があって、そこへ行った。早々と二階に回ると、副長の後輩にあたる局長2006と二番隊長2006とが受付をしていたので、ほっとした。
チャペルで、つまりキリスト者としての結婚式に参列した。ベンチには自然に局長2005、総務局長2005、三番隊長2005が近所に座った。余は賛美歌を歌った。どこかで耳にしていたので違和感はなかった。神父はアフリカ系の巨漢だったので、印象が鮮烈だった。日本語と英語とを交えながら式はスムーズに進んだ。
2005年次は五名いた。みなみな仲がよかった。当日、一名は遠隔地故か姿を見なかった。祇園や鳥せいへ皆で行ったのを思いだしていた。もう五年にもなるのにあっというまだ。そうそう、花嫁が作った「出雲会」の人たちも別テーブルに来ていた。三輪山遊行(山辺の道、箸墓など)を一緒にした人たちだった。会場に投影される幻灯機の写真には、三輪素麺を大神(みわ)神社前の店で食べた痕跡も残っておった(笑)。
副長2005のことで一番よく覚えているのは、倶楽部機関誌「Truth」の刊行だった。随分力を注いでいたのが印象深かった。倶楽部はいつも今もそのころも貧しかったので、表紙に上質色紙を使うのは勇気がいることだった。そのころ副長は局長2005と計らって無事最後の編集号を作った。2006年1月12日刊行の14号(現在33号)で、副長2005が「編集長」として後記を書いていた。当時の倶楽部員は15名、最大人員だった。屯所には入りきらなかった。
卒業論文は日本文学系の視点からみた「観光」で、幕末の清河八郎(後の浪士組・盟主)が京都観光の記録を残したが、それについての論評だったと覚えている。そして旅行会社に無事就職した。いつの間にか知り合った旦那は別の仕事だった。
こうして時が過ぎていった。
~
当日は左に二番隊長2006、局長2006、三番隊長2005。右手に局長2005、総務局長2005、~。と、このテーブルは葛野図書倶楽部2001で占められていた。
よい門出だった。
追想
副長2005は日本海に近い生まれなのに、カニ玉などカニ系が苦手だった気がする。そういえば当日の豪華お食事は魚料理が中心だったが、エビやカニがなかった(笑)。そのことを祝辞に入れるのを忘れていた。
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