小説木幡記:2010/09/28(火)昨夕の強い雨:現代の存在証明「実印」
昨日京都は午後から雨になって、帰路7時頃には雨足が強くなっていた。珍しいこともあるものだ、……。しかし例年秋の台風にはこの程度ではすまない。
と、雨の話だからそこまでだ。今朝は降っていない。
今朝は「実印」とか「契約保証人」ということをかたづける予定だったので、早朝から書類を眺めていた。江戸の賃貸契約料、月々の賃料は高額だなと思った。しかし保証人になる余の職責とか年収欄はなかった。余の名前と住所と実印なるものがそろえば、立派に保証人になるのだと気付いた。サインで済ませる風潮がなくて、「印」を使うのはメソポタミア、シュメールの粘土に回転させた円筒印章以来の伝統だろうか、あるいは中国三千年の皇帝御璽の風に染まった習なのだろうか、……。
それにしても。
住所と名前と印。これが現代日本人の存在証明・神器なのかもしれない。住所と名前とは戸籍と関連するのだろうか。先頃、養子縁組を繰り返して別人になったふりをして、保険金を盗むという、本籍とか戸籍の改竄悪用が問題になっておったが、少なくとも普通人にとっては「住所、氏名、印、自宅電話番号」があれば、「生きている」と見なされるのだろう。
自宅電話番号は20代や30代だと携帯電話番号に置き換えられているはずだ。
最後までわからないのが「実印」だ。
実印って、何なのだろう?
市役所はこの証明手数料で職員のボーナスをまかなっているような、そんな気がした(笑)。部屋を借りるのに実印? それだけ印鑑証明が国内を乱舞すれば、御利益も薄くなるなぁ。
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