NHK龍馬伝(36)寺田屋騒動:お龍奔る
0.寺田屋・伏見薩摩屋敷・伏見奉行所
珍しく予習しておきます。
当時の寺田屋と現在の寺田屋は規模や位置で多少のずれはあるようですが、ほぼ現在の「寺田屋」は当時の寺田屋とおもってよいでしょう。
で、お龍が助けを求めて奔った薩摩藩屋敷は、真北に約1km弱の位置にありました。深夜、真っ暗な中を奔ったのですから最大20分程度はかかったことでしょう。
そして、当時の薩摩屋敷から寺田屋までは運河がありました。それは現在も地図に見られる運河と想像しておきます(検証していません)。運河というよりも濠川と言った方が調査しやすいと思います。お龍の話を聞いて、続いて、三吉慎蔵が龍馬の隠れ場所(材木置き場の二階)を知らせ、薩摩の人たちが伏見奉行所捕り方とぶつからないように、伏見の町を移動した情景が、目に浮かびます。奉行所から寺田屋は700mに満たない、近いところでした。
ところで、龍馬が指を斬られたということは、奉行所の捕り方は、まるで火盗改めのように、抜き身を光らせて、逮捕に生死は不問だったのでしょうか。幕末は、戦国時代に戻っていたのかもしれません。いや、そういうわけでもなく、なにしろ龍馬は午前3時ころの夜明け前の襲撃に、飛び道具を使ったのですから、逮捕に向かった奉行所役人・捕り方たちも命がけだったのでしょう。
1.警護の三吉慎蔵
さらに。
長州の桂さんから龍馬に預けられた護衛・三吉慎蔵さんは、宝蔵院流の槍の免許皆伝でしたから、この寺田屋が襲撃された夜、きわどい所で龍馬を守りきったわけです。もし三吉さんが居なければ、龍馬は出血多量のまま翌朝死亡するか、あるいは伏見奉行所に捕縛され、拷問を受け、投獄されていたはずです。
ドラマを見る限り、三吉さんは短い「手槍」というのでしょうか、棒術のような雰囲気でした。古武道のことなど無知ですが、ドラマでの殺陣(タテ)は流れるようでした。槍というよりも棒の両端が武器(穂先)で、くるくると回転し、どちらから突かれるかわからない恐怖がありました。刀なら切っ先から切り込まれるはずなのに、三吉さんの槍は、大型の十字手裏剣みたいでしたね。
桂さんも北辰一刀流の免許・目録を持っていたはずですから、免許を持った龍馬に護衛をつけるということは、三吉さんが相当に、そう、無敵に近い槍の達人だったのだと思います。
三吉慎蔵さんは明治末期まで生きておられ、彼の当時の日記が司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』で使われたようです。三吉さんの日記があったからこそ、この寺田屋襲撃の詳細が後世に残ったわけです。
2.お龍の涙、お登勢の涙
京都所司代、そして新選組から追われる龍馬は、もしかしたら二度と京都に戻れないかもしれません。
ドラマでは、お龍の涙、お登勢の涙と、二つの涙を見せてくれました。
男女間の愛は大切だし、古来から相聞として、「歌」になります。
しかし今夜、私はめずらしく日本のTVで、普遍的な「愛」を見た思いをしました。普遍的とは言っても神の愛とか、抽象的な愛を意味してはいません。要するに、同じ世に生まれて、同世代の生身の人間を「この人と一緒に生きていることがありがたい。生まれ育った値打ちがあった。すばらしい人に巡り会えた。失いたくない」と、そういう愛として使いました。
お龍にとって、龍馬はそういう「人間」だったと、ドラマでは描かれました。そばにいるお登勢は、そういう龍馬の存在や、彼を慕うお龍の気持ちを正確に理解したからこそ、涙が流れたと思いました。
今夜のお龍やお登勢がすばらしく美しく見えました。
女優の顔や姿が美しいというよりも、ドラマとして、普遍的な「愛」を表現する美しさに驚いたわけです。
3.今夜の龍馬
岩崎弥太郎に薩長同盟の事実と近未来の日本の姿を伝えた龍馬が映えていました。特に、商売をしたらよい、しかし目先のことではなく、大きな全体像を理解した上で、自分のなすべきことをみつけろと、弥太郎に言ったセリフが光っていたのです。
ただの脱藩浪士にすぎない坂本龍馬が、薩長同盟という明治維新の転回点での支柱になって、回天の業半ばで斃れた事実を、後世の私は知っている故に、なおさら龍馬のすさまじさを味わいました。ただの民間人、位階なき田舎浪人が、その後の100年以上の歴史を切り替えたわけです。
その龍馬が弥太郎に言い聞かせた話は迫力がありました。幕府はフランスの後ろ盾なしには立ち行かなくなった。長州が滅べば、フランスが幕府を支配し、残る英米露、ヨーロッパ諸国が日本のぶんどり合戦をする~。
さすがに今夜の弥太郎は、事の重大さに目をひらいたようです。
西郷隆盛が、お龍や三吉の報告を受け、医者団や兵を速攻で用意したのがよかったです。知謀、黒幕、政治家であっても、いやそうであればこそ、今ここで龍馬を召しとらえられたり、あるいは死なれたのでは、薩摩や西郷の面子が立ちません。薩長同盟も事前に瓦解する危険性があります。
必要な時、必要に応じて、素早くことに対処することの、西郷流の凄さを味わいました。
参考
伏見奉行所跡と魚三楼(MuBlog)
伏見薩摩藩邸跡の建碑除幕式(膏肓記)
伏見丹波橋・薩摩藩邸址 その三■(隼人物語)
寺田屋の内(MuBlog)
寺田屋:地図
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コメント
おりょう聞書き
寺田屋の一件ですね。
NHKの龍馬伝は見ることもなくつけています。
見ることもなくつけている・・・音やら映像やらボンヤリとしたまま。
寺田屋の一件は(おりょう聞書き)で生々しく語られていますね。
テレビは見ていないのでどうだったのか・・・。
おりょうさんの話では、風呂にはいっていると槍でツンツン突くものがいた、から始まりますね。
おりょうさん、真っ裸の上に一枚だけ羽織って2階へ駆け上がります。
そいで、龍馬がピストルでズドンと一発やったとか語ったあと、庭へ降りようと欄干(てすり?)へ手をやるとベットリと血がついていて、誰かやられたなと思った、とか語っています。
薩摩屋敷にも土佐屋敷にも身を置かなかった龍馬。
誰にも守られない宿屋で結局は殺された龍馬。
それが等身大の龍馬像ではなかろうかと、哀れに思われます。
司馬遼太郎などの描く龍馬像はそのようではないですが・・・。
投稿: ふうてん | 2010年9月 6日 (月) 00時50分
ふうてんさん、今晩わ
司馬龍馬も、NHK龍馬も、物語だから、おもしろおかしく書いてあるし、でなければ誰も見ません、読みません。
等身大の龍馬の痕跡は、明治維新後、多くの人が龍馬を語らなかったし、話題にならなかった、「昔の人」扱いされたことからもわかります。
いろいろな人にはいろいろな文脈(コンテクスト)があるから、その文脈の中で、濃度や陰影の濃さ薄さは変わるのでしょうね。
たしかに龍馬が薩長を結び付けましたが、結び付いて意味がある雄藩は薩摩であり長州であり、その主役は西郷さんや桂さんだから、龍馬は媒介としての意味はあっても、主燃料では無かったのでしょう。
そういう役割に司馬さんは、ものすごく光を当てたのだと思います。坂の上の雲だって、たかだか帝国陸軍、海軍の将官、佐官時代の物語だし、正岡子規についても、いまどき俳句をする人以外には、縁の少ない人でしょう。で、司馬さんはそういう人に、ものすご強烈な光をあてて、多くの国民がそれに幻惑された。と、いうことだと思います。
で、私は龍馬。今回の方式は、ロレンスの映画と同じく、回想形式になっているのが、気に入っています。泣きたいほどです。等身大の死に方をしたからこそ、それを思い出して、龍馬がやったこととのバランスとあわせて、むせび泣きしますなぁ~。
というのが、Muの感想です。
ふうてんさんに比較すると、ちょっとロマン主義が強いようでぇ。
投稿: Mu→ふうてん | 2010年9月 6日 (月) 20時49分