天橋立研修旅行20100909(1)京都→天橋立:タンゴ浪漫1号
1 今夏は日本三景・天橋立
これまでMuBlogにまとめた倶楽部・研修旅行は、明治村、飛鳥、長浜、平城宮跡と続きました。今春の平城宮跡は、私が入院し参加できなかった行事でした。リベンジの思いで天橋立行きに期待をかけました。
もともと天橋立は局長2010が一番推していた研修地だったと思います。私は数年前に個人的に温泉を楽しみました。自動車でも京都から日帰りできる地でしたが、今回は鉄道旅行になりました。
幹事・経理の話では、ひとりあたり1万2千円を徴収し、個人の土産以外は全額そこからだして、なお一人ずつに返金があるとのことでした。だから、往復特急旅行にしては、贅沢な旅ではなかったようです。もちろん、精神的には、非常に豊かなプランだったと、言い添えておきます。
2010年9月9日の早朝に、葛野図書倶楽部2001の面々が京都駅中央改札口に集合しました。副長補佐が突然来られなくなった以外は、予定通りだれも遅れることなく山陰線ホームから、一路西舞鶴まで特急「まいづる1号」に乗りました。顧問の私を含めて、総勢7名+1(現地参加者)の、倶楽部研修旅行2010「天橋立」の始まり始まりぃ~でした。
参加者は、局長2010、書記局長2010(傘松公園で参加予定・未定)、経理局員、書記局員、二番隊員、三番隊長、三番隊員、最高顧問。
天候は日本海を通り過ぎた台風9号の翌日にあたり、それまでの酷暑がほんの少し和らいだ好日でした。早朝の京都タワーが青空の中にすっくと気持ち良く伸びていました。幹事二人がよほど、日頃の行いの佳い人たちだからだと、私は感じ入りました。
なお研修旅行・幹事長は書記局長2010で、事前に念入りに複雑な山陰本線を読み解き最良のスケジュールを作成してくれました。事情で、集合は天橋立を一望する傘松公園でした。京都駅~現地で細かく一行をガイドし経理を担当したのは、三番隊長でした。2010年の三番隊長はまだ三年生ですが昨年の秋に入隊していますので、倶楽部在籍がすでに1年を経過していまして、旅程をてきぱきとこなしてくれました。
山陰本線には、私は幼稚園に上がる前から縁がありました。福井で仕事をしていた父が事業に失敗し京都市右京区に流れくるまでの通過点として、日本海の高浜とか舞鶴があって、今となっては事情が分からないのですが、末子だった私は両親と一緒にひっきりなしに、山陰線を往復していた記憶があるのです。高浜に住んでいた記憶すらあって、そこで次兄が盲腸炎(虫垂突起炎)で入院したことまで、覚えているのです。
さておき、ひとつひとつの駅名は記憶に鮮やかにあるのに、なにかしらその駅の関係が飲み込めていなくて、今度の研修旅行で「分かっていなかったな」と、思い知らされた次第です。
要するに、山陰本線は、巨大な本線であるのに、幹線を形作る特急列車が寄せ集めのようなのです。別に悪い意味じゃなくて、東京・京都間の新幹線! とか、富山へ行くにはサンダーバード! とか。博多は山陽新幹線! という単純な構成ではないようです。
福知山でしたか綾部でしたか(両駅名とも明確に覚えているのに、関係を思い出せない)、列車が突然二つに分かれて、書記局長2010が選んでくれた私らの列車は、西舞鶴に着いたわけです。片割れの列車がどこへ消えたのかは、謎(笑)でした。また、分岐駅がどこだったのかも、時刻表をみないと思い出せません。
また、天橋立へ行くのに何故西舞鶴なのかも、当日は分からないままだったのです。本当に複雑怪奇な山陰本線周辺地域だったのです。
舞鶴といえば引き揚げ船、あるいは旧海軍や現海上自衛隊の軍港。参加倶楽部員の数名が発熱しだしました。特に昨年分類の授業で、「軍艦の分類」班の班長を務め、二位にまで引き上げた二番隊員の目元はうるうるになっておりました。申し遅れましたが、今夏五名の3年生新規入部があったのですが、その大半がこの「軍艦の分類」班メンバーだったのも奇縁でした。
そこで(西)舞鶴でなぜ特急を降りるのかという疑問をもったまま、私は幹事の三番隊長の後に従ったのですが、結論からいうとこの駅から鈍行に乗って天橋立へ向かったわけです。ところがこの鈍行というのが、とんでもなく風変わりな列車(ディーゼル特急車両?)で、観光列車・タンゴ浪漫号という名称でした。2両編成で入り口は真ん中にしかありませんでした。
要するに私たちは西舞鶴駅から、「KTR北近畿タンゴ鉄道株式会社」という別会社の路線に乗り換えたわけです。勿論、昔の国鉄と現代のJRとKTRとの関係にふと思いを凝らしましたが、「調べないとわからない」、とあきらめたしだいです。KTRと西日本JRのホームは、別のようでもあり、共同で使っているようでもあり、不思議な構成でした。
私たち一行は先頭車両に乗りました。空いていたことと、先頭車の仕組みに工夫があって、眺望が開けていました。もちろん座席からの日本海も眼下に碧く夏の海をみせていたのですが、先頭車の開放感がすばらしかったのです。
末尾の地図でごらんになればすぐに分かるのですが、列車は西舞鶴から宮津方向へ走っていました。途中、500mの長さを持った由良川にかかる鉄橋あたりから、私の浪漫、旅心が熱くなってきたのでした。観光列車ですから、名所旧跡をアナウンスしてくれたり、徐行もサービスしてくれるわけです。この橋(↑写真右上)にかかったとたん、倶楽部員一行は一斉に立ち上がって、デジカメをかかえて先頭部に駆け寄りました(笑)。
それ以降の、日本海の風景は絶景でした。冬の日本海というイメージが松本清張さんの小説でしっかり植えこまれていたのですが、今度の浪漫号では、「夏の日本海」の鮮烈な風景に圧倒されました。
すごいです!
局長は例によってフイルム・一眼レフカメラを持参していましたので、上等なフィルムにこの日本海がどのような色を、発色させたのかを知りたい所です。私の安物のカメラでは、せいぜいこの程度のものでした。
途中みなさん、がんがんと写真をとりながらやがて天橋立駅に着きました。京都駅を8:51に出発し、西舞鶴駅で20分ほど待ち合わせして浪漫号に乗り換えて、天橋立到着は11:27分でした。約2時間半の午前旅でしたが、最初は若い新人達のおしゃべりが面白く、後半は日本海の絶景が美しく、あっというまに到着したというわけでした。
さて、ミステリアスな書記局長2010と、私たちは傘松公園で出会えるのでしょうか? それは次回以降のお楽しみです。
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参考サイト
KTR北近畿タンゴ鉄道株式会社
タンゴ・ディスカバリー(KTR車両)
参考地図
大きな地図で見る
↑北近畿タンゴ宮津線
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