« 小説木幡記:2010/09/20(月)祝日のご隠居さん | トップページ | 小説木幡記:2010/09/23(木:秋分の日)慈雨 »

2010年9月21日 (火)

天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園}

承前:天橋立研修旅行20100909(1)京都→天橋立:タンゴ浪漫1号

2 天橋立周辺観光
 私が数年前に天橋立へ行ったときは(茶六別館:MuBlog)、往復を自動車にして、温泉につかって美味しいものをいただいて~が中心でした。勿論傘松公園には登りましたし、麓の籠神社(このじんじゃ)もじっくり参詣しました。
 今回は、JR天橋立駅からすぐの智恩寺・文殊堂でおみくじを開いて、船に乗って対岸に渡って、籠神社、傘松公園、そして資料館と続いたわけです。幾分丁寧に周辺を観察した研修旅行でした。

2.1 文殊堂
05monjyu_2

 智恩寺のことをもっと詳しく知ろうと思いましたが、紀行文としては「知恵の文殊さま」ほどでよいと思い、調べを中断しました。ただ、国宝の「紙本墨画淡彩天橋立図/雪舟筆」には当時(中世室町時代)の天橋立が詳しく描き込まれていて、そこに智恩寺や、対岸の籠(この)神社が記されていると、方々の記事で確認しました。ちなみに、雪舟の天橋立図は最初籠神社に納められたという話を知ったときには、意外な感がしました。要するに、その後流失し、現在は京都国立博物館に所蔵されたという流転があったわけです。

 さて。かねがね思っていたのですが、女性の信心深さは一方で占いに凝りすぎたり、淫祠邪教にはまり込んだりと佳くない面もあるわけですが、他方、彼女たちの心の深さによって宗教心とか情操が長い年月をもって育まれてきたのも事実です。それなくして高くて深い文明、文化はうまれなかったと思っています。
 私は遠くから眺めていたのですが、本当に熱心に文殊堂で手を合わせ、近くでいそいそとおみくじを開いて一喜一憂しておりました。そのひとつひとつの表情や、遊覧船がでる時刻のぎりぎりまで堂内や境内を離れなかった隊員達の深層心に、私はいたく感動したのでした。

2.2 観光船のりば
06funenoriba

 幹事や局長が皆と離れて別行動にでたことを私はめざとく見つけました。実は私もひとりで別の動きをしていたのです。そうです、行き先は「船のりば」でした。幹事達と私の思いは同じだったようです。というのも、私の場合今回の研修旅行の付録として、船で宮津湾・阿蘇海を渡海することが楽しみだったのです。船は大抵時間が決まっています。だから、幹事や局長はリーダーとして、最初に観光船のりばを探したということです。

2.3 阿蘇海の渡海
07funenoue 観光船乗り場からは、知恵の輪や旋回橋が見えましたが、幹事達の作った旅の栞には詳細が無かったので(笑)、無視したことになりました。ただし両者とも、幼児期の記憶にうっすらと残っていました。特に旋回橋を見下ろす旅館に泊まった記憶まであります~。そこでオジから、「橋と箸」のアクセントがおかしいと、矯正されたことまで覚えています。
 幼稚園前後だと思います。

 観光船にはわずかに10数分の乗船でしたが、全員楽しんだようです。笑顔で一杯でした。青空と蒼い海と、気温がそこそこで風もあって、気持ちのよいクルージングでした。
 全員上甲板に上がったままでした。
 ただ、ふと気付くと一人足りないので、船室を覗くと、幹事さんがたった一人で経理作業をしていました。なかなかに、うむ、ふむ、の思いで一杯になりました。

2.4 籠(この)神社の水琴窟
08kono

 この、籠神社はなかなかに由緒来歴が深く広く、数年前に訪れた時以来、多くの資料を集めたので、まとめようと思ったのですが、そのままになってしまいました。今回もいろいろ考えていると頭が痛くなったので、適切に話を打ち切ります。要するに、海部氏(あまべし)系図という国宝があるのです。古い古い話なのです(笑)。伊勢神宮の元々の神社ですから、崇神~垂仁天皇と、ヤマトタケルが活躍したころの世界から始まっていて、気の遠くなるような世界です。

 で、境内に水琴窟(すいきんくつ)があって、新人さんが耳を当てて聞いていました。私も耳を澄ませて聞きました。「と、っぴん」と小さな音がしていました。もちろんこの擬音表示は写真の隊員さんに再確認するなら、「いえいえ、ぱっぷん、でしたよ」と言われるかもしれないので、黙っておきます。
 少し調べましたが、籠神社ではこの水琴窟に関する詳しい話は得られませんでした。作庭の仕様のひとつと思っておきます。

2.5 傘松公園ケーブルカー
09kasamatu

 傘松公園が籠神社の裏手の山上にあって、その登り口の府中駅には徒歩すぐで着きます。山上の傘松駅とはケーブルカーかリフトで行き来するわけです。どちらに乗っても往復で700円前後でした。私も含め、一行の登りはたぶん全員がケーブルカーだったはずです。
 しかしケーブルカーを考えた人は工夫したものですね。大体の山の斜面角度に合わせて車体も斜めに作るわけでしょう? 実に面白い考えです。

 傘松駅に着くとさっそくみんなは股覗きや散歩、写真撮影にかかりきりになりました。私も数名と「かわらけ」投げを試してみましたが、だめでしたね。飛ばずにすぐに落ちました。
 そのころでした、携帯に連絡が入ったのは。
 「いま、リフトに乗っています。もうすぐ着きます!」と。謎の書記局長2010がついに姿を現すことになりました

2.6 昼食:海の幸と現地集合
10hiru もう午後1時まえだったでしょうか、随分空腹でした。幹事に引き連れられてレストランに入りました。「最高で1300円までですよ」と、釘を刺されました。しかし最初は「千円までで」との事だったので、なにかとゆとりができたのでしょうか。
 後日のために結論を記すと、うどんなんかを食べた隊員は「?」でした。海鮮丼系の人たちは、私も含めて「おお、すばらしい!」でした。なんというか、天橋立に来てまでうどんを食べる必要はなさそうです。

 ところが。
 その頃無事にレストランに着いたミステリアス書記局長は、局長と二人で別席に座って、窺い見るとなんと「とんかつ定食!」でした。あははは。いろいろ、好き好きですねぇ。

 ところで。
 今、写真を見ていて気付きました。大型観光バスが写っています。ということは、ケーブルカーやリフト、徒歩以外にバスが走る登山道もあるようですね。ふむふむ。

2.7 リフトからの眺望
11ropu

 帰路はほぼリフトで降りました。新人の経理局員さんがケーブルカーに乗ったという記憶があります。少なくとも、リフトで降りた一行は、みんな(3人しか写っていませんが)笑顔がよいです。今回の旅は、この笑顔だけでも百点! でした。
 まだまだ旅は続きます。

 前←◎→次

参考
  天橋立 智恩寺
  丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
  雪舟筆 天橋立図(籠神社)

|

« 小説木幡記:2010/09/20(月)祝日のご隠居さん | トップページ | 小説木幡記:2010/09/23(木:秋分の日)慈雨 »

葛野図書倶楽部2001」カテゴリの記事

情報図書館学」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園}:

» 天橋立研修旅行20100909(3)丹後国分寺跡と丹後郷土資料館 [MuBlog]
承前:天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園} 3 丹後国分寺跡と資料館  研修旅行の目的には、各地の図書館や博物館、資料館、史跡などを体験することが含まれています。私は景観全体のイメージを重視していますので、個々の現代の建物・資料よりも、地域全体の雰囲気を味わうことに心しています。    奈良時代(8世紀)、聖武天皇の頃に仏教を日本の国是とする考えが成熟して... [続きを読む]

受信: 2010年10月 6日 (水) 05時14分

« 小説木幡記:2010/09/20(月)祝日のご隠居さん | トップページ | 小説木幡記:2010/09/23(木:秋分の日)慈雨 »