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2010年8月29日 (日)

NHK龍馬伝(35)薩長同盟ぜよ:合従連衡

承前:NHK龍馬伝(34)侍、長次郎:無為徒食の武士階級

 合従連衡の現代の意味には目まぐるしく変化する政治取引が含まれていますが、古典の字句のままにとらえれば、幕府の薩長同盟切り崩しと、薩長同盟そのものの堅さがこの古典語にふくまれています。

 薩摩が長州に武器艦船購入の名義を渡したことと、長州が莫大な金と引き替えにそれらの武器を実際に入手したことで、同盟は成立していたと言えます。あとは秘密のセレモニーが必要だったわけですが、京都を預かる会津中将としては、その密約をなんとしてでも切り崩さねばなりません。追っ手を寺田屋に向けましたが、史実としてどうであれ、龍馬をとらえても事態は変わらないでしょう。誰一人想像もしなかった、絶対犬猿仲の両藩が手を結んだだけで、幕府は劣勢に立たされました。もう、遅いわけです。フランスの力を借りて薩長にこの段階で向かっても、難しいわけです。他方、一橋慶喜、会津、桑名が結束して朝廷を丸め込む方法もあり得たようですが、……。今夜の物語としてはそのことは忘れましょう。

おとせとおりょう
 寺田屋のお登勢さんが女として龍馬に接したとまでは思いません。母としてなのでしょう。しかし、これは当然ですが、お龍からすると女将さんはしっかり者のすばらしい女性です。だから龍馬をとられるという切迫感もあったことでしょう。母と嫁と若い亭主の関係は、時にあります。お登勢もお龍も、龍馬のためにできるだけのことをします。それは危険を伴います。しかし、どちらが龍馬に気持ちをこめているかの競争ですから、死と背中合わせの危険性です。
 お登勢は新選組の宿検めをさけるために寺田屋を閉めます。
 お龍は、どういう経路か、薩摩藩と情報交換し、桂、西郷、小松を一条戻り橋の小松屋敷に移し、龍馬はそこへ駆けつけます。危ない橋をわたっていますtaurus

密約の中身
 どうであれ立場の悪い長州藩を軍事的に助力するという最初の五箇条にたいして、桂(木戸)さんは「これでは、国に帰れない」と言います。
 面子問題でしょうか?
 間に立った龍馬は、それではこれを加えようと言って、「ともに粉骨砕身して日本を守ろう」という意味の条文を6番目に入れて、桂、西郷の同意を得ます。
 おそらく「日本」という概念を入れないと、こういう薩長同盟の重みは両藩ともに、藩内を納得させられない時代状況だったのでしょう。家康以来、徳川幕府は各藩の結び付きを徹底的に排除し、手を組まないように注意してきました。ですから百年も二百年も経つと、藩がお互いに親しくなったり同盟を結んだりするという思考が日本には消えていたのかもしれません。
 第三の「日本」とか「朝廷」を媒介にして、やっと敵同士ではないという発想が生まれたのでしょう。だから薩長同盟も、各藩内では、両藩が手を結んだことよりも、同じ「信仰」を持つという点でのよしみが生じたのでしょうか。

このごろの龍馬伝
 ずっと気に入っています。
 西郷さんの一癖ふた癖ある不気味さ、よいですね。龍馬暗殺の黒幕と時々言われますが、その伏線に思えます。
 桂さんの働きを熟知しました。幕末は祇園の幾松との浮き名ばかり目立ち、明治になってからは病弱神経質な面が目立ち、その存在意義がこれまで分からなかったのですが、今回の龍馬伝ではよく理解できました。長州藩を背負って立つ大物だったわけです。
 で、龍馬ですが。
 最近は龍馬の目になってドラマ世界を見渡すようになってしまいました。今夜の、突然新選組屯所に行くという空騒ぎには驚きましたが、これまでの龍馬の生き方からすると、龍馬に間違われて新選組に捕まった男を棄てては行けないのでしょう。それにしても~寺田屋、一条戻り橋小松屋敷、屯所(後日に西本願寺に移設)、この三点を一息で動けるのは、ドラマの中の話ですたいcatcat

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受信: 2010年9月 5日 (日) 20時27分

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