小説木幡記:2010/08/10(火)記事がたまっているのだが~
気がつくともう火曜日だった。ひなが、葛野で論文していた。ときどき迷いが生じる。「こんなこと、やってもやらなくても、世界は動く~」そうだ。ずっとそういう気分が余の手足を引っ張ってきた。毎夏は、それとの戦いだった。一応葛野での17年間、うまく書けてきたから勝利しているわけだが。常に接戦というか、敗北すれすれ僅差の勝利だった(完成が勝利とは安易に思えるが、実際は難しい)
~
今年も同じ想いがする。ひつこく余を責める。「毎夏、毎夏、なぜ、そんなことしている?」……。
ところで。
{芭蕉、後鳥羽院、新古今和歌集、隠岐島、水無瀬宮、……隠岐本新古今}こういう組み合わせは考えやすいが、そこに突然{萬葉集、契沖、秋成、……宣長}とくるから難しい。本文では、文脈があって意味は通る。しかし、概念だけを取り出して、数珠にしても、この『後鳥羽院』はいささか難渋する。
そんなところで、今日も終日終えた。
京都は午後、強い雨になった。慈雨という言葉が似合っていた。これで炎熱はさめていくだろう。
夏期論文はまだ一気呵成に書けるところまでは来ていない。今日は山の一つを無事乗り越えた。クラスター分析の前段階テストでは、クリアなパターンを得たので、機嫌はよい。だが、前途を考えると胸がつかえる、詰まる。
7月ころから、演習二科目発表会、初夏の助勤会、機関誌刊行、オープンキャンパス、平城遷都1300年、様々な読書、~、DCCの進捗など、MuBlog記事の材料はいろいろあるが、どうにも日々起床すると「今日の夏期論文は、どこからだったか?」とくる。
仕方なかろう。
好きにしよう。
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