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2010年7月 5日 (月)

銀閣寺の初夏雨:私の京都

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↑銀閣寺(東山慈照寺)

 土曜日のことでした。朝から豪雨でした。午前5時頃には降っていましたから相当な雨量でした。思い立ってカメラを整え、雨中の散歩をすることにしました。9時半ころに京阪電車に乗って、乗り換えて、中書島からは綺麗なダブルデッカーの1階に座りました。終点の出町柳駅まで乗りましたから、約20分の乗車でしょうか、最初から大満足でした。

1.Cafe進々堂:京都大学工学部の北界隈
Muimg_3893 特急ダブルデッカー車の雨中の1階は最良の読書室となります。すっぽり包み込まれたような雰囲気です。土曜日とは言っても豪雨でしたから座席を独り占め出来ました。最初は読書しようと思っていましたが、散歩の行程を考えることにしました。いくつか案が浮かんできました。
 ~
 ともかく出町柳駅から百万遍まで歩いて、昼食どころを確認しておこう。随分長くご無沙汰しているので、店がどうなっているのか、不明瞭だったのです。目的地は銀閣寺でしたから、その帰路に昼食で百万遍に立ち寄るかどうかの判断が必要でした。社会人になってからこの界隈に22年間勤めていましたから、沢山の食堂や喫茶店になじみがありました。しかしそれが今もあるかどうか、味が同じかどうかはわかりません。

 多くの店名が残っておりました。
 しかし、何度か通ったミニ懐石の店は無くなっていました。学士堂とかいう喫茶店は土曜日だからでしょうか、閉まっていました。かぶき寿司は昼は開いていないはずですが、看板を覗きましたら、相変わらずゲソが20円でした。ほんとうでしょうか? まぐろでも80円なのです。少なくとも、当時(20年近く昔)かよっていた頃は、鄙にもまれな上ネタでした。現今回転寿司のトリックとは縁遠い世界でした。

 で、旧第一勧業銀行(この時代がかった古めかしい情報!)裏も覗きましたら、カフェ・ランチの店はありましたが、京大の中に移ったとも書いてありました。そして、おめあての「あやとり」、ここでお造り定食をいただく予定だったのです。はるばる宇治からその店へ立ち寄ろうとする、それだけの吸引力のある定食だったのです。
 しかし、よくみると「土曜日は、夜だけ開けます!」
 おお、ショック! 地べたにへたり込みました。

 気を取り直して、銀閣寺に向かって再び歩き始め、京大工学部北門あたりで、ばったりと「カフェ進々堂」に出くわしました。倉敷のエルグレコ、四条小橋のフランソワ、そしてこのカフェ進々堂、と三題噺があって、私が愛惜する古典的喫茶店だったのです。
 アイスコーヒーを注文しました。長身ショートカットの、そして黒の半ズボン(スパッツ(笑))、黒のひらひら付きチョッキみたいな、と白いブラウス・インテリ風メガネのお嬢さんが、応接してくれました。コスチュームが凝ってますね!
 さて広い店で眠るがごとくアイスコーヒーを飲んで、視界や脳世界を数十年単位でスキャンして、またパッと目を開けると11時前になっておりました。30分間ほどタイムマシンにのっていたようです。

 さすがに出町柳駅から百万遍を経由してうろうろし、バス停・京大農学部前までたどり着いたのですから、歩くのに飽きて今度はバスに乗ろうと思いました。すぐに京都バスが来て、停留場の二つ目に銀閣寺道があって、そこで下車しました。
 すさまじい雨足でした。

銀閣01 京阪出町柳駅のダブルデッカー
銀閣02カフェ進々堂
銀閣03京都大学工学部そばの北門
銀閣04白川通今出川から東の風景

2.雨に烟る銀閣寺(東山慈照寺)
Muimg_3925 銀閣寺は室町幕府第八代将軍・足利義政の別荘として生まれたわけです。祖父の三代将軍足利義満が北山に金閣寺を設けたのと対照的です。金閣寺は北山文化、そして銀閣寺は東山文化として、日本のいろいろな「日本らしさ」の源流となりました。

 以前、ドナルド・キーンの『足利義政』を読んだ時、義政がどれだけ現代日本にまで文化的影響を残したかを理解しました。義政自身は、政治的には無能きわまりない人だったし、奥さんは奥さんで日野富子と言って相当な悪名の人でした。しかし義政は最低最悪の為政者だった代わりに、唯一芸術部門においては、その後の500年間以上、日本文化に影響を与え続けるだけの才能がありました。その結集が現代「銀閣寺」と呼ばれている庭園や国宝建築物の全体です。

 たたきつけるような初夏の雨に打たれて、東山に抱かれた展望台から雨霧にかすむ境内を見下ろした感動はなにものにもまさりました。あえて雨中の宇治・木幡を出発し、東山まで訪ねたかいがありました。銀閣寺の庭はもとより禅風趣味と言ってもよいわけですが、濡れた木々に覆われた庭のそこここに白川砂の白や、建物の屋根や、壁がよいアクセントになっておりました。それは~何風というよりも、原始からある和風の極地に思えたのです。白川砂も遠く上方から眺めると、なにかの意味をもたせた象徴や抽象性よりも、すなおな自然の白に見えて気持ちがなごんだわけです。
 強烈な雨足と翠と白とが、建物という人工物を丁寧にくるんで見せてくれました。

銀閣05参道
銀閣06銀沙灘(ぎんしゃだん)
銀閣07東求堂(とうぐどう:国宝)
銀閣08観音殿(通称銀閣)国宝
銀閣09鳳凰(銀閣の屋根)
銀閣10裏庭(東山)展望所への階段
銀閣11義政公愛用お茶の井
銀閣12お茶の井・庭園跡
銀閣13全景(裏山展望所)から
銀閣14東山展望所からの銀閣(観音殿)
銀閣15錦鏡池をのぞむ銀閣

3.夏のノアノア
Muimg_3958 帰路、ノアノアに寄りました。学生時代、そして百万遍界隈に勤めていた頃、足繁く通った喫茶店なのです。というよりも、パスタ専門店でした。なぜ古民家カフェと記憶しているかというと、倉敷のエルグレコよりも陰影にとみ、四条小橋南のフランソワよりも庭を通して開放感につながり、そしてカフェ進々堂よりも、空間に包み込まれるような珈琲世界だったからです。若い頃はいまよりももっと貧しくて、外食するゆとりはなくて、気に入った喫茶店で珈琲を飲むのが贅沢だったのです。
 20代の私が友たちとそこにいました。

 ただし当時私が通った二階建てのノアノアは、その日雨の土曜日に立ち寄ると、旧館扱いになっていました。プレートがあって「登録有形文化財 文化庁(平成17年11月10日)」と記してあったのです。その横に新館があって、迷わずそこに入りました。写真でわかるように、明るくてすっきりした店内でした。今の私には、数十年も昔の暗い自分よりも、現今の私自身の方がおもしろいので、そこで今を楽しむことにしたのです。

 ボイルドソーセージが4本そえられていました。ビールは細身のピルスナーグラスで少しだけ。
 大満足でした(笑)。
 忘れるところでしたが、店先のテラスにはピッツア窯があって、お兄さんが焼いておりました。なかなかに優雅なお店です。

銀閣16ノアノア (NoaNoa)の前景
銀閣17新館ノアノア
銀閣18新館ノアノアの内部
銀閣19ビールとボイルドソーセージ
銀閣20私の本当のノアノア(旧館)

4.散歩の仕上げ

銀閣21豪雨の中の三条大橋
 ノアノアをでて豪雨の中でタクシーに乗りました。時間はまだ午後始めだったので散歩を続行しても佳かったのですが、すでに全身ずぶ濡れで寒気を感じるくらいでした。
 傘がまったく役に立たず、ついでのことなので「えーい、濡れて帰ろうか」とも思ったのですが、懐にはまだ一万数千円あったので(笑)、ついふらふらとタクシーに乗ってしまったのです。
 贅沢にも1300円かけて三条河原町下がるBALビル前まで乗りました。京阪出町柳駅ですと、ワンメータになるやならずやの距離なのに。
 目当ては書店ジュンク堂でした。
 結局、最近書店に寄っていなかったせいか、まとめて大人買いをしました。なんとなく、現今のMuの興味の行き着くところが透けて見えます。

 a. Jython(ジャイソン)プログラミング/西尾泰和 3000円
 b. 地鉄電車/宮下洋一(NEKO MOOK 1521) 1800円
 c. 鉄道模型シミュレータ:レイアウト設計入門/鷲尾宣明 1900円
 d. おそろし/宮部みゆき 857円
 e. 犬はどこだ/米澤穂信 740円

 レジで全部数えると懐が薄くなってしまって、慌ててジュンク堂を走り出てBALビルの北側を木屋町まで歩いて、角のタナカコーヒーに入り熱い珈琲を飲んで一息つきました。この珈琲店は昼過ぎですと空いていて、店内清潔で、美味しい本当の珈琲が飲めます。ただし、夜間ですと喫煙者の巣窟になりそうで、禁煙者には入りがたい所です(爆)。

 さて仕上げは、三条京阪から京阪電車ダブルデッカーへの乗車ですが(帰路も1階で上席でした)、三条大橋で鴨川を眺めると、濁流でした。本当にものすごい雨の一日を、私はうろうろ歩いて回ったのです。カメラの透明フィルタとレンズの間に雨滴が入ったのか、曇っていました。
 しかし、快哉あげるほどに佳き土曜日でした。なによりも、ノアノアでビールをおっとり独酌したのが、えもいえぬ気楽さ、快適さでしたぁ。徒歩散歩の佳さをかみしめた次第です。

参考
 NoaNoa(ノアノア)
 DRACの末裔による徒然の日々 (Mu注:ノアノアの過去全貌が分かりますね)
 文化遺産オンライン:レストラン・ノアノア(旧橋本関雪邸洋館)


大きな地図で見る
↑地図:銀閣寺界隈

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受信: 2011年5月14日 (土) 08時33分

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