小説葛野記:2010/07/27(火)夏の研究室:後鳥羽院
午後ノックがあったのでドアを開けると近在の教授と、事務の方が顔を覗かせて、「涼しい。この部屋はクーラーが効いていますね」と言った。なんのことかなと不審な目で見返すと(笑)、その教授の部屋は朝からクーラーをオンしているのに、33度cのようだ。
さらに、「あれ? 27度c設定で、この涼しさですか」と、事務の人が制御スイッチを見て言った。
余も即座に、「先生の部屋は、ここよりも広いから、効かないのでしょう」と、日頃の思いを言ってしまった。
遠い昔の部屋割りの都合で、なにかしら余の部屋面積は1/3程度狭い。だから常時28~27度cに設定していても、実質26度以下にすぐに冷えてしまう。その点広い部屋の教授はなかなか冷えない、暖まらないようだ。それにしても今日日の午後に33度Cの部屋で研究したり、ゼミしたり、採点するとは、なかなかに我慢強い先生だなぁ~。立派な人が多い。
ところで。余は今日は、隙間時間を使ってだいぶ夏期論文を進めた。無念無想というか、一杯の雑事や用事にまみれてそれでも、一切言挙げせず、沈思黙考して主PCの前に座りこんで、メールやサイトも殆ど見ずに、しかしかとデータ整理したり、文章を投入していた。早朝は6時半到着で、今にいたるまで屯所の人と小さな打合せはいくつかあったが、ほとんど夏期論文専念だった。
そろそろ夕方の6時。いささか疲れたので、デザートにMuBlogに向かった次第だ。
ことは後鳥羽院のことだ。院としてよばれているから、院政の上皇さまだった。ものすごい才人であらせられた。おそらく歌人としても、第一級の方だった。1221年、承久の乱で鎌倉北条家に破れて隠岐の島に流された。1239年に崩御されたから、18年以上も島根県の沖合の島に住まわれたわけだ。新古今和歌集の編纂を命じ、自らも選者であった。
いまから800年も昔の天皇・上皇、そして天才歌人のお話だ。それが、昨年まとめた『芭蕉』につながっているという、実に壮大な日本文學史を、今夏解き明かすことになる。もちろん、すでに保田與重郎『後鳥羽院』によって説かれている。文化文明とは、古きをたずね、今の世に甦らすことの繰り返しを指す。
暑くても、やっておきたいことだ。
とこうするうちに夕方になってきたので、筆をおいて一眠りして、ゆるゆると木幡に帰ろうぞ。
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