小説木幡記:2010/07/17(土)インタビュー1日目の村上春樹や文学の土曜日
前言
作家・村上春樹への相当に長い(3日分、びっしりと三段組みの100ページ)インタビューが雑誌「考える人」2010年夏号(新潮社)にあって、先週買ってきたら木幡研にはすでにあった! 重複本を棄てるにはもったいないし、古書店に持ち込む気力もないので、仕方なく本日、土曜の午後に読み出した。
これが想像以上におもしろく、血湧き肉躍る村上春樹の肉声(らしきもの)があった。あまりに楽しいので、一日目のインタビュー(48ページ分)でストップして、MuBlogを書き出した。余にも、節制というか、自己制御というか、則(のり)を超えない人生観が備わってきたようで、うれしい。以前なら、一気呵成に読み切ってしまい、楽しみを浪費していたところじゃわい。
早朝のこと
保田與重郎先生の増補新版・後鳥羽院の増補部分は3作あって、「承久拾遺(じょうきゅうしゅうい)」、「契沖と芭蕉」、「国学の源流」である。この三作がいつの作品かは別途書誌情報を調べないとわからぬ。それで、この三作品は、初期『後鳥羽院』のパラフレーズ(言い換え、解説)なのではないかと、村上春樹の話を読みながら思った。後鳥羽院は「物語と歌」、「後水尾院の御集」などが余の気持を長くとらえてきたが、20代のおり、30代のおり、その後読むたびに「難解」を味わってきた。たとえば『萬葉集の精神』とか『日本の文學史』のようなまとまりをあじわいにくかった、ということ。それをなんとか、いつも「読み終わった」と思わせてきたのは、増補三作の力だった。
文学というものは、作品によっては難しいものがある。自分の感性や経験や知識や理解だけでは、書かれている内容の全貌がよくつかめないことがある。よくできた平日作家や、評論家は、それを読者にわかりやすく通じやすくするために、いろいろな工夫をしているのだなと、午後に分かった。三作は、本体のパラフレーズ、「言い換え論文」と考えると、実に理解がすっきりした。
というわけで、午前は『後鳥羽院』の読み切りに最後の勢力を注いだ。今日の時点で、何度目かの完読とする。あとは、2ヶ月程度の実験と分析と解釈と統合に力を注ぐ。
今年の、夏論文もなんとか走るめどがたった!
昼のこと
魚素麺が昼食に出る話もあったが、思うところがあって辞退し電車にのっていつもの伏見港界隈にでかけた。いろいろ迷った末に気さくでこぎれいで手頃な駅前レストランに入り、ハンバーグランチを取った。750円。なかなかに味わいよかった。店を出たのが12時すぎだったが、店は満席だった。しかも高齢者も多い。後者は、「手頃で、よい味わい」のリトマス試験紙として判別によく使い出した。
外に出てまでハンバーグランチにしたのは、昨日すでに予算だけ先取りした(笑)課外授業の準備で、倶楽部関係者やジオラマ関係者数名と右京区西院にストラクチャ(建物模型)を買い出しに行ったとき、昼食を事情で二手に分かれて、余はざるそば組、他の班は「ハンバーグ組」になったわけじゃ。「ざるそば」もさすがに近所の学生に案内されただけあって美味しかったが、隣の芝生はなんとかで、別班のハンバーグ・ランチが気になって仕方なかった。西院のその店のは美味しいらしい(笑)。だから、今日の昼は結果的に伏見大手筋でハンバーグとあいなった。人とは、他愛ない者よのう!
書店に寄って、塩野さんの時事物(中公の新書)を一冊買って、アイスコーヒーを飲んで、中書島まで歩いて、帰還した。途中、雀が体長ほどの芋虫を咥えて、飛び立とうとしているのにぶつかったが、結局なかなか飛べなかったのか、歩いてどこかへ消えていくのが見えた。あれを飲み込んでも消化に手間取るだろうな。太った雀って、ちょっと可愛らしい。
午後のこと
で、ハルキさんのインタビュー。
うむ、なかなかおもしろい。平日作家として、心的イメージや物語や、あるいは1Q84における「パラフレーズ」事例を丁寧に語っていた。
「頭のいい人は、小説なんか書かなくなる」という趣旨の発言には微苦笑した。このMuBlogで時々言及する森博嗣は、一応作家廃業というスタイルをとった。そして、森博嗣は極めて明晰な方だ。ハルキさんのいわんとすることは、森博嗣の実例を日頃目にし、そしてまた村上春樹が平日作家を継続していることで、そのなんともいえないイロニーに直面し、余は今日の午後が一挙に楽しくなった。
書いても書かなくても物語は生まれ読まれていく。
インタビューの1日目にして、村上春樹が「物語」に耽溺している様子を鮮やかに知った。保田先生が「物語と歌」で語った内容と、作家村上のパラフレーズ論がしっくり結びついた。そしてまた、森博嗣が高原に広大な土地を持ち、館を完成し、その周辺に庭園鉄道を敷き詰める様子を日々blogで見、そこに別の物語を深く味わった。
うむ。
かくして、本日の土曜日は実に充実した。
余は、生を味わった、ぞ。
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コメント
木幡のハルキくんは春樹くんでしたか
ハルキくんが村上春樹だったと初めて気付きました。
ほうか、ほ~やったんか、と宵寝の寝ぼけ眼が覚めました。
好きな作家の新作を読めるのは幸せですね。
音楽も同じで、学生時代まではまだマイルス・デイヴィスのレコードの新譜が出て、買いに走ったものでした。
映画なんかも中学、高校時代に(ベン・ハー)や(アラビアのロレンス)や(用心棒)などを見ることが出来ました。
本当にワクワクしましたねえ。
デイビッド・リーンもウィリアム・ワイラーも黒澤明も開高健も池波正太郎も亡くなって、今は現役で残っているのはパコ・デ・ルシアと吉本隆明さんくらいです。
夏目漱石の小説を朝日新聞で読んでみたかったですなあ。
投稿: ふうてん | 2010年7月17日 (土) 21時37分
村上春樹さんは、マイルス→マイルズ、と発音されているよし。外国のことは、遠いのでよく分かりませぬ(笑)
村上春樹さんの長編小説は、1Q84をBook1~Book3まで楽しく読みましたから、将来Book4が出れば喜んで買いにいきます。
ふうてんさんがおっしゃる事について一言。
おそらく、多くの人が主に青春期に、わくわくするような経験をしたのでしょう。そして再現はしないと思います。だから、Muは限りなくその頃へ何度も心を飛ばすようにしています。現在にも将来にも、新たにわくわくする可能性は少なく、過去の黄金時代にのみワクワクする、それがヒトのように、近頃想像しています。
そういう中で、将来1Q84のBook4などは、愉しみの一つですから、残り火は消えないようでぇ~。
投稿: Mu→ふうてん | 2010年7月18日 (日) 00時24分