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2010年6月29日 (火)

小説葛野記:2010/06/29(火)メモメモメモ

 久しぶりの葛野記は、メモだらけになる。断片的なことが多い。
 ただ、結論からいうと、「機嫌はよい」 おっとりと葛野研ソファに横臥して、読書したり、想を練っておる。多くの課題が、想の上では溶けていく。よいことだ。

☆ 保田先生の後鳥羽院関係で、後水尾院のことが気になってきた。修学院離宮も、桂離宮も、その時代のことだ。水無瀬神宮へは、早めに行っておこう。さらに、水尾という土地柄(京・宇治に住む余の目からは、愛宕山の裏側と、認識している)も、小学校時代の同級生の里だから、気になってきた。

☆ 西院のジョーシンという電気屋さんの地下が、鉄道模型を置きだした。事情はわかる~。さておき、デコーダ(DCC形式の動力車に乗せる小型コンピュータ)がこっそり売られていたので、購入し、今朝HOタイプのKATO社製DE10に差し込んで動かした。上手に動いた!
 デコーダ名はDZ143PSと言って、ちょっと高価だな。5千円弱もした。う~む。

☆ 昨日から今日にかけて、前期2科目の共同演習授業の後始末、そして後期2科目の共同演習授業の準備をしておいた。助勤たちのチェックが終わったら、受講生達に公開する。後期の準備が早いのは、夏期休暇の利用がスムーズになるように、スケジュールを工夫しているからである。

☆ 木幡では夢枕獏さんの空海ものの文庫4冊を快調に読む進んでおる。あまりにおもしろいので、葛野にきても時々内容を思い出す(笑)。もう、4冊目を読んで居るので、やがて終わる。寂しいものだ。

☆ iPadで小技を一つ修得した。単純な技だ。つまり、ネットや地図や、なにを観ていても気に入ったら、戻りボタンとスイッチボタンを同時に押す。するとその画面がそのまま画像として保管される。写真扱いボタンをおすと、その画像をいつでも引っ張ってこられる。

 いや、そういう一連の操作は、実はiPadでなくても、世界中のどんなPCでも可能である。
 ただし、iPadはその操作を流れるようにこなしてくれる。
 ストレスなしの瞬時だな。
 他のOSでの操作とは別世界の話だ。
 余は、Googleで、東京ディズニーランドの海のランドのノーチラス号の写真と、地図とをメモにとって、ときどき眺めている(笑)。
 携帯電話接続がなくても、写真をいつでも見られる。
 最近はダン・ブラウンのロスト・シンボル上下を読み切って気に入ったので、ワシントンDCにGoogleで行って、オベリスクの写真を真上から撮っておいた。
 すごい!

☆ 名前は忘れたが、カニラーメンをコンビニで買った。これ、うまかった。
 そうそう、最近通うラーメン店は、伏見油小路の来来来というところが多い。チャーシュー麺がうまい。
 三条京阪の山頭火もよくいくね。
 相変わらず、ほそかわラーメンは美味しい。
 ……。

★ まだ、一杯メモはあるが、葛野もくれてきた。そろそろ帰ろう。
 再見

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2010年6月27日 (日)

NHK龍馬伝(26)西郷吉之助:薩摩弁の応酬

承前:NHK龍馬伝(25)寺田屋の母:休講

 西郷吉之助と小松帯刀との会話は3割程度しか聞き取れなかったです。お国言葉のすさまじさを十分に味わいました。後日の戊辰戦争で薩摩と東北とが出会った時は謡曲、謡いで意思疎通を計ったと耳にしたことがありますが、今回のドラマではどうなるのでしょう。今夜でも、薩摩だけでなくて勝海舟の江戸弁と龍馬の土佐弁、そのほかお国言葉がもろに出始めると、分からなくなります。

 実は先回は休講しましたから、なぜ勝海舟が神戸の海軍繰連所を閉鎖せざるをえなかったかの理屈がつかめていないのですが、今夜の話では幕府(一橋慶喜が後見役)はフランスと協力関係に入っていくようですね。せっかく作った繰連所を解散するとは、幕府の考えがよく分かりません。ドラマは一度見落とすと、前後を自分でつなげることになり、難しい。

 挿話として岡田以蔵暗殺(自殺)の毒まんじゅう話が入りました。岩崎弥太郎が武市さんから毒饅頭をうけとって、それを以蔵に渡す場面でした。岡田以蔵は役柄も俳優も人気がでているようです。しかし人斬り・暗殺者であったことは事実のようですから、末路は悲惨です。それが物語や稗史に残ったのはなぜなんでしょう。テロリストの名前が表沙汰になるのは、わかりにくい所です。

 今夜は、龍馬と西郷吉之助(隆盛)の関係が新鮮でした。龍馬は来週あたり、如何にして薩摩の力を借り、また小松帯刀・家老とはどういう風に仲良くなっていくのかが、愉しみです。

 それでは来週

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2010年6月25日 (金)

小説木幡記:2010/06/25(金)紙の読書記

 ぽつぽつと紙の図書、文庫本も読んでおる。
 紙図書は落ち着きがあってよい。
 しかし読書量は落ちておる。じっくり読む機会が減ってきたともいえる。第一によく眠るので読書時間が少なくなる。第二に仕事をすると疲れやすくなった(笑)のでよく眠る。以前は2科目連続授業など、すいすいだったが、近頃は息切れする脳。第三に、妙にばかばかしさをふっと味わってしまう。他人の作った小説や論文に、「なんで余が感動する必要がある!」という、怒りがわく。余はたいがい、感動しやすい気質で、感動した後は、「しまった!」と悔やむ。

 現今、愉しんでいるのは2系統。
 沙門空海唐の国にて鬼と宴す/夢枕獏 全4冊の長編だが、1冊目。なかなかおもしろい。
 ロスト・シンボル/ダン・ブラウン 上下2冊で、下の中程。性懲りもなく、はまってしまう。虚実の境が見えにくい。

 少し堅めのは、愉しみよりも味わいだのう。
 後鳥羽院/保田與重郎 うむふむ。この世は歌です、物語です。
 大日本・満州帝国の遺産/姜尚中(かんさんじゅん)&玄武岩(ひょんむあん) ううう、こんちくしょう。しかし読みやすい、わかりやすい(笑)
 電子図書館(新装版)/長尾真 新装にあたって付加された文章が理解を深める、脳。

 とつおいつながめゆくままに、きがつくと読み終わっておる。文字情報を眺めるのは息をするようなものだな。
 できるだけ気持ちを抑制して、感動しないようにして読んでおる。
 すると、滋養になる。
 経験則じゃ。

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2010年6月24日 (木)

小説木幡記:2010/06/24(木)賢者板(iPad)の基本を経験した

 昨日は午前中が授業で午後は終日会議だったので、わが賢者板(iPad)に触れる機会が少なかった。
 しかし、少しく悟るところがあったので、一昨日と昨日の事を記しておこう。

0.賢者板と名付けたiPad
 iPad は確かに魔法の仕掛けと感じるところがある。これまで40年間キーボードを操り、おそらく30年間マウスで肩を痛めてきた身には、親指と人差し指を開けたり閉じたりするだけで、画面が瞬時に拡大・縮小される様子は、魔法だな。iPhoneではお馴染みの所作とおもうが、やはり、でっかい画面でダイナミックにGoogleマップの航空写真が左右上下スクロール、拡大縮小したときは、う~むと心から唸った! こ・れ・は、読書機を超えた「賢者の板だ」とな。

 そこで、はやばやと、次の世代を考えていた。
 画面に指を触れるのは、脂のせいで指紋がついたりして汚い感もする。これからは、手かざしで、さっと手のひらをうごかしたり、指差しするだけで画面が反応する。あるいは、単純な呪文や命令を添えて確実な作動をする時代になるだろう。
 「よ~し!」とか「いけ、いけ」とか、「あほ、あかんやないか」とか「エロイムエッサイム」とかの言葉と指の動きで、ほとんどのことを賢者板はしてくれるようになる。
 たぶん、余の存命中に悠々と変化するじゃろう。

1.無線でiPadを使う
 賢者板だから、ぶらぶらとイーサネットのコードを引きずるのは格好が悪いし、もともと賢者板にはそういう受け口がないな。
 ソフトバンクからはWiFi(汎用的な無線接続の仕組み)を2年間無料使用できるIDやパスワードを封書でもらったが、その世界に疎い余がしらべてみると、なんのことはないマクドナルドへ行かないと通じない(笑)。
 携帯電話のように、どこでもここでもインターネット接続となると、高額だ! すでにau電話を持っていて、これは電話なんか全く掛けなくても、5000円前後毎月無くなる。さらに賢者板のために同額以上出費するのは馬鹿げている。
 なぜ我が国は通信料がこんなに高額なのだろう? 仕方ないが~。

 そこで、木幡と葛野で、昔から持っていた無線Lan装置をiPadで使えるかの実験をした。
 木幡では、画面に勝手に現れた「無線Lanが見つかった。パスワードを入れよ」に対して、装置の底に書いてあった長々しい数字列を一度入力すると、完全につながった。

 葛野では別の装置だったせいか、上記方法ができなかったので、一工夫した。要するに、無線Lan装置のアドレスにPCから直接アクセスして、さまざまな高度機能を一度全部リセットして、すっぴんで接続を確かめ、OKだったので、すかさず高度認証制度を設定し、パスワードを付けて、iPadでそのパスワードを投入したら、上手くいった。

 この方法だと路上でとか、あるいは自動車で遠隔地ドライブして接続できるわけではないが、お寺や神社や遺跡で賢者板を触ることは今のところない。
 それに余が行くようなところは、大抵、au携帯ですら「圏外」になるような、人も猿も通わぬ人跡未踏地が多いから、佳かろう。

 au携帯からUSB結線を引っ張ってそれをiPadのおしりに差し込んで、無線化できないかなぁ。また、賢弟達に聞いて見よう。

2.keynoteの奇っ怪さ(あるいはitunesの不思議さ)
 注:keynoteとはMS社のパワーポイントのような、プレゼンテーションソフト。
   iTunesとは、音楽に興味を持たない余には無駄無駄恣意アプリケーションだが、iPadでは絶対必須。

 以下は、iPadの導入を悩んでいる人には毒になる話だが、これを書いている余は結構愉しんでいると、最初に断っておく。
 今秋くらいにiPadのOSはたぶん上位に変化(無料を願うが)するだろうから、少しは解消されるじゃろうが。現在のiPadはデータとアプリケーションを1対1で扱っておる。そして、アプリケーションの姿は見えても、データは写真やビデオや音楽以外は、アプリケーションの付属品になって見えない。
 わかりやすくいうと、データがどこにあるのか分からない!

 これはiTunesが昔から存在するOS概念の一部機能を代行しているせいでもあろう。
 ぐちゃぐちゃいうのはよして、一言で言うと、iTunesは音楽を買おうとしない余のような朴念仁には無駄無駄恣意アプリケーションに過ぎず、こんなものでOS機能の基本を代行するなんて、林檎社の技術者はよほどじゃまくさがりがそろっておるのじゃ老。OSの当初目的が携帯iPhone利用(iPodもかな?)なのだから、仕方ないがな。

 さておき。
 keynoteをiPad 用に買った(1200円ほどかな)ので、以前からMacBookで作っているプレゼンテーションをiPad に移植しようとしてすったもんだした。
 いちいち、その操作を記録するのがこれからiPadを使う人のためへの親切かもしれないが、余はその前に教育者だから、書かないことにした。
 現在のiTunesでファイル転送(というよりは、必要なデータを他からiPadに手渡す)する方法論は、めちゃくちゃであり手抜きも甚だしい。
 こんな仕様はやがて一新されるじゃろう。だから学習したり覚える必要はない! 正しくなってから使えばよい。

 最初は、どのファイルをどこにという旧来の考えを方を打破するために林檎社がこういうiTUnes方式をとったと陽に解釈したが、これは間違いだ。OS下におけるデータとアプリケーションの関係をきっちり整理することなく、iTUnesという既存のアプリを代用したからの、無理無理にすぎない。

 アプリケーションとデータとの対応が強く結ばれすぎているので、音楽などを現世代一過的に愉しむには気楽な方法だろうが、データベース指向、今後の路線変更には対応しにくいな。もともと携帯電話用のOSだから、可能なかぎり簡便直裁スリムにしたことのマイナス面がiPadでは露骨に出てきた!

 なおiPadのkeynoteは、keynoteのv9作成しか受け付けず、逆にMS社のパワーポイント作成のものは受け付ける。余はしかたなくMacBookのiWOrk一式をv8からv9に、大枚はたいて仕様変更した(今日あたり到着、8000円ほど)。このあたりの林檎社の思考は実に楽しい(笑)。
 自社の過去仕様を受け付けず、他社の旧仕様(一番、世界に普及しているものだな)を受付るとは。さらに賢弟の話ではiPadのkeynoteに入ると二度と元のパワポに戻れない! とのこと。おお。

3.やはり賢者板
 賢者板を実に愛好愛惜して使っておる。
 これほどのマシンを、まだ耳や目や脳や足がたしかな内に味わえて、余は幸せだ。
 余も含め、誹謗する箇所は山積みだが、この革命マシンを日常に使わずして、なんのICTのディジタル世界のと、言いたい脳。
 断言する。
 もはや、MacもWinも、マシンとしての成長は止まる。あとは、iPad の目指した世界へ一直線。後戻りはできない。
 事例:地図を眺めるのに、なんでキーボードをカチャカチャ鳴らし、マウスをくりくりする必要がある。iPadのように二本の指だけで、完璧!
 写真を眺めるのに、なんで階層の深い深い隠しフォルダーまで時間をかけて行く必要がある! そんなもの、イベント一発。あるいは、~。自然な動きを知ったなら、もう、後戻りできない。

 ではまた、おもしろいアプリケーションに出会ったなら、怒号罵声はよして、冷静に紹介しようか(笑)。

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2010年6月22日 (火)

法然院の一夕:筑前琵琶/片山旭星(かたやま きょくせい)

Muimg_6161 京都銀閣寺の近く、東山の麓に「法然院」があって、日曜日の夕方にそこで筑前琵琶を愉しんだ。
 筑前琵琶は、琵琶の演奏と語りとが渾然となり、現代の弾き語りと思ってよい。曲は「壇ノ浦悲曲」、「船弁慶」そして「大原御幸」だった。最初の二つが1時間ほどで、間に20分近くの休憩があってお茶とお菓子とが別室で振る舞われた。
 筑前琵琶は平家琵琶(平曲)とは異なるようだが、この夕べに聞いたのは三つとも平家物語を典拠にしたものである。

 奏者・片山さんの声は少し高めで透明な感じだった。余がもっとも愉しんだのは、「船弁慶」だった。夕闇を背にして迫り来るばちさばきが座敷と庭に響き、古典的な平家物語の語りの中で、平知盛の怨霊と弁慶との調伏合戦が活気を帯びて、日本・土着的な厚みがあった。もともと余はネイティブな楽曲が好みなので、軽くトランス状態を味わった。また「船弁慶」を聞きながらも、時々片方の耳は朝鮮土着・パンソリの幻聴におおわれていた。
 
 最初の「壇ノ浦」は、NHK義経を思い出していた。平家物語の名場面だった。壇ノ浦近辺の情景をまざまざと思い浮かべることができた。
 最後の大原御幸は、灌頂の巻といって、平家物語では少し後で追加された巻と、大昔の大学受験勉強で学んだ(笑)。大原の里に住む建礼門院徳子は平清盛の娘で、入水した安徳天皇の母だが、壇ノ浦でむりやり救助されて、余生は大原寂光院で過ごしている。そこに源平争乱の張本人でもあった後白河法皇が訪れて、仏教的大団円を迎えるという、実に日本的な奥深い演劇である。
 夕べの閉じ目の曲として、静謐を招く気持ち佳さがあった。

Muimg_6157 後になったが、会場の法然院は銀閣寺の南数百メートル、哲学の道の東200m、東山連峰に包まれた寺である。自然な苔におおわれた大きな山寺とも言える。(だれも法然院を山寺とは申さぬが、余はそう感じた)
 往路途中、犬を散歩に連れたお女中に道を尋ねると、「ものすごい坂ですよ」と、にやりと笑った。余は白川通りのバス停「浄土寺」から杖を付いて、とろとろ来たので、その若い人は<坂を上がれるかな?>と想像したのだろう。
 →写真は、西に向かった景色のよい大広間から、正面に吉田山を眺めたものである。右手にはうっすらと京都大学キャンパスも見える。

 帰路はタクシーで新京極に寄って、四条よりの昭和初期風「スタンド」で鰯のフライやビールを飲んで梅雨払いをした。その後、老舗の木屋町・大黒屋でおろしそばのかわりにナメコそばを流し込んだ。
 京都の名刹で夕方から苔の映える庭を眺めながら、筑前琵琶を心地よく愉しみ、鹿ヶ谷の陰謀に思い巡らせたのだから、実によい日曜であった。
 京阪特急は空いていた。よきかな、よきかな。

参考サイト
 ・法然院
 ・片山旭星
 ・筑前琵琶 日本橘会
 ・NHK義経の感想「壇ノ浦残照」(MuBlog)
 ・船弁慶(能の演目としての解説)
 ・京都大原・寂光院
 ・主催:えん(伊藤和子)

 
大きな地図で見る
↑地図:法然院

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2010年6月20日 (日)

NHK龍馬伝(25)寺田屋の母:休講

承前:NHK龍馬伝(24)愛の蛍:お龍らしくなった

 事情で休講のようです。

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小説木幡記:2010/06/20(日)iPadがやって来た

承前:小説木幡記:2010/05/29(土)iPadと賢弟たち

↓ iPadに納められた本箱
Muimg_6151 林檎社のiPadがやっと届いた。数週間またされたことになる。しかし、うむ、待った甲斐があった。

 なぜ大枚はたいてiPadの出始めを入手したのか?
 おそらく、電子読書元年になるマシンだからだ!

 なぜ、そう思うのか?
 iPhone(携帯電話)とか、iPod(携帯メディア貯蔵箱)とかがもう何年も世界で流行していたからこそ、iPadが紹介されたとき「真打ち登場」と、思ったのだ!
 どうして?
 iPhoneもiPodも「音」が主で、その使い勝手の佳さから人々に迎え入れられた。しかし小型である点で「目」には非力だった。目は人間が受け取る外界情報の80%を占めている。だが目は可視光線の中で、対象物の適切な大きさを必要とする。文字や版面の大きさ、これがiPhoneには欠けていた。老眼や近眼には無理があり、しかも無理を続けると目を悪くする。

 iPadは、その大きさにおいて適切だった。
 だから、入手した。
 最大の目的は、電子読書のためだった。

↓ 風立ちぬ/堀辰雄 (iPad上)
Muimg_6146 iPadの大きさは、横にすると文庫版や新書版を見開きにした程度になる。だから、情報量は大きい。しかもフォントの大きさは、この読書アプリケーション(i文庫HD:700円)では自由に変更できる。iPadを縦置きにすると片面で、昔の漱石全集(岩波)のような巨大なフォントにしても、気持ち良く版面が収まる。

 備え付けのiTunesで、i文庫HDを購入するとそれに付随して、これまでインターネット上で眺めてきた「青空文庫」がiPad のi文庫HDの書棚にずらりと並べられる。これらは青空文庫が無料だったのと同じく、無料で読める。つまり古い小説類を楽しめる。

 余は最初に『風立ちぬ/堀辰雄』を読み出した。20ページほどを一気に読んだが、紙図書との違和感はなかった。文字を大きくしてあるので読みやすい。しかし寝転がったとたんに「重い!」「これじゃ、京極さんのキロ級ミステリを読むようなもんだ」「腱鞘炎になる」と、自笑していた。純正のカバー(別購入)とあわせて、感覚的には1キロ前後で、実際に計量したところ860gだった。

 やはり、次世代iPad は、文庫判ないし世界標準なら新書判が佳いだろう。
 なお、ソフトウェアとして、紙のページをめくるようにくるくる巻き上がったり、巻き上がる紙の裏面にうっすらとページ面が透けて見えるのは、楽しいとも言えるが、本当に読書に没頭するとそういうギミックは無用となるだろう。このアプリケーションに限って言うなら、ディジタルならではの新機能をこっそりと、必要に応じて使えるようにしてもらいたい(まだ、余が気付いていないだけか?)。栞機能や辞書引きも洗練されていないように感じた。

↓ iPad画面に現れた購入ソフト:i文庫HD(上段の右)
Muimg_6143 ところで、受け取ったのは昨日土曜日の午後、葛野でのことだった。上述したことをするために、慣れないせいもあって夕方までかかった。
 すばらしいマシンだが、これまで林檎社のマシンを触っていないとか、まして余のようにiPhoneもiPodも未経験の者には、いろいろつまずくところがあった。

1.OSでのフォルダーとかファイル管理という思考方法を拒絶される:iTunes管理下マシン
 iPhone(携帯電話)と同じOSを使っているようだが、iPhoneでなれていないと、自分のファイル格納位置とか、その整理という視点からは、別世代の物だと感じた。もちろんOSだから変化(進化とは言わない!)していくだろうが、現状のiPadはwindowsとかOS9とかOSXとか、Linuxとは、別の思想なのだと痛感した。
 要するに、これまでのOSの仕事の大部分は、iTunesという初期には音楽(有料)ダウンロードアプリケーションだったものを、全面的に改良して、新iTunesにOSの一部負担をさせている。
 なんとなくwindowsが一時期IEに多くの仕事をさせていたような気分である(今もかな?)。

2.だからOSは考えないのがiPadの使い方
 まだまだ慣れていないが、今のところはOSを仮想的にも考えず、ひたすらiTunesでおもしろいアプリケーションやコンテンツを探して、有料無料関係なくダウンロードして愉しむのが正しいことだと味わった。
 作家とか研究者のように文章を書いたり、ミュージシャンのように演奏したりするのではなくて、そういう小説や文章や映画や音楽を享受するためのマシンなのだ。
 ……。
 もちろんiPadも今後変化していくだろう。
 初年次には、徹底的な享楽マシンとして生まれたと、メモしておこう。
 作る汗をかくよりも、よいものを探す、使う、愉しむマシンなのだ。

3.iTunes もネット接続も~
 iTunes を触ったことが無い人(余もそうだ)には、最初はわかりにくい。他のPCと同期する必要があるからだ。じゃ、他のPCを持たない人はどうするのだろう?
 知らない(笑)。
 これは、調べないとならんなぁ。
 
 ネット接続も、余は自宅でwindowsマシン用に無線Lanを使っているので、そのパスワードであっけなく接続した。しかし、こういう世界と縁遠いと、イーサネット受け口もないし、困った困った~。
 USBも特殊な受け口なので、壊れると邪魔くさい話になる。
 ~

4.いろいろ分かりにくい点もある
 iPhone やマックユーザーにとっては取っつきやすいが、そうでもないひとはカンが狂うかもしれない。
 まるっきりのPC初心者だと、PCもないだろうし、無線LANもないだろうから、……。
 うむむ。

↓ 1993年の、てのひらディジタル読書機
Muimg_6140

Muimg_6139 最後になるが使い勝手を占めるiPad の大きさは、ゆとりあるA4判ケースなら縦にすっぽり収まる。透明ケースに入れたiPadと紙図書との組み合わせで、想像してほしい。

 ところで左の写真にある手のひらサイズの電子読書機はなんと1993年の某社による国産品である。余は、このマシンを電子図書館研究会という席上で、手にしてあれこれ言っていた。今から17年も昔のマシンをiPadに比較すると、当時はスイッチ類が多い。これは現代ではほとんど画面上に指を動かすだけですむ。そしてモノトーンの視認性の悪いディスプレイだった。これは現代では、総天然色の精細美麗なものに進化している、……。
 そしてコンテンツは現代のようにネットで自由自在に購入する方式ではなかった。思い出せないが、フロッピーディスクなんかでデータをいちいち移動させていたようだ。

 今朝もiPadを触りながら、16年も昔、1994年初版の『電子図書館/長尾真』(2010年に新装版)にこの電子読書機の原型があり、それに搭載するアプリケーションの仕様、要求事項が今でも色を失っていないことに、感動した。

Muimg_6148 付録として、普通の携帯端末としてMuBlogも読みやすく見ることができますよ、という意味で本邦初(爆)のiPadによるMuBlog写真を掲載しておく。

 どんなマシンができても、まだまだコンテンツを作るのは人らしい。これからもMuBlogをせっせと書こうと思った。
 今後は、自分自身の作った論文や小説やblog記事を、iPadのような形態で自由に読みかつ再利用できるような方法を考えてみよう。

 また、近々の話としては、職業がらプレゼンテーションなども必要なので、そういう方法論にしっかり慣れていくつもりだ。ただ、こういう世界は賢弟たちが多くそろっているので、あまり心配はしていない(邪笑)。

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2010年6月19日 (土)

南筑軌道石油発動車/アルモデル(2)完成したヤマタイのブタ

承前:南筑軌道石油発動車/アルモデル(1)工作中の真鍮模型

Bimg_6123
↑邪馬台国周遊図書館ジオラマを走る「ヤマタイのブタ」(南筑石油発動機)

 アルモデル社の名作、真鍮キット「南筑」がようやく完成しました。たしかに「南筑のブタ」と呼ばれるのがよく分かります。実に愛嬌のある牽引車です。なんとなく気分が晴れたので、昨年作った2軸の客車とあわせて、さっそく色塗りをしました。

 全体を「緑」にし、天井を「マルーン」にしました。車輪部分だけをマスキングテープで覆って、最初は緑のラッカーを噴霧し、十分ほどしてから天井だけにマルーンを噴霧しました。このとき、後方の2軸客車の天井は外して塗装しました。牽引車の天井は、上からさっと吹き付けただけなので、下地の緑が残りました。
 なんとなく、中途半端な塗り方ですが、気分に任せてさっさと噴霧したので、そうなりました。私は、それで気に入っています。
 翌日になって、さらに気分が高揚してきたので、ライト部分と客車の屋根下を黄色のガンダムというかペイントマーカーで点描しました。牽引車の天井を青で縁取りしました。本当は、ライトはLEDを使って点灯させたかったのですが、技術的に未熟なので辞めておきました。

 別室の「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」で写真を撮ることにしました。車両をセットしたとたんに、「ヤマタイのブタ」という呼称が頭に浮かびました。「ブタ!」というと幾分さげすみが含まれますが、この場合はひたすら「おもしろい!」の意味で、そう呼びました。
 写真を何枚も撮りましたが、どれも気に入りました。こういったOn30という、HOゲージ(16.5mm)の線路幅に1/48のスケールだと、いわゆるナローと呼ばれるわけですが、えもいえぬおもしろさがジオラマに漂ってくるのでした。

 ローカルな邪馬台国の故地をゆったりじっくりと、ヤマタイのブタ号が図書と利用者を乗せて駅から駅を結び付けていくのです。三輪山駅、巻向駅、邪馬台国展望・中央図書館駅、穴師駅、……。さらに箸墓駅も予定に入れています。

南筑01
南筑02
南筑03
南筑04
南筑05:HOスケールのDE10
南筑06
南筑07
南筑08:On30とアメリカ型のNゲージ
南筑09
南筑10
南筑11
南筑12

 写真の途中で突然長すぎる車両が顔を出しています。
 KATO U.S.A.社が発売している米国タイプのNゲージ二階建て客車です。米国のNゲージは世界共通ですから9mm線路幅で縮尺は1/160です。日本だけが1/150なのです。もともと実際の線路幅が、日本の新幹線と同じですから縮尺が日本より小さくても、車両は本当に大きく見えます。アムトラックの車種はいろいろありますが、写真のものはSuperlinersという統一名称のもとにシリーズ化されているようです。

 次は、またいつか真鍮製のキットを探して、作ってみます。
 作りやすく、質感がよくて、おもしろい工作でした。

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2010年6月18日 (金)

小説木幡記:2010/06/18(金)変わらぬ日々に見えて~

 客観的にずっと変わりない日々を送ってきた。退屈もあるが、だいたい上機嫌で暮らしてきた。だから、MuBlog記事も似たようなことが多く、変化はあまりない。

 昨日は夕方、葛野の倶楽部で寄り合いがあった。生涯学習概論という科目で、助勤たち総出で授業支援をしてくれて、無事終わったからだ。ところが宴の途中で不意に、皆を代表して局長2010から余に「全快祝い」のプレゼントがあった。

 そういえば、まずほとんど復調した日々を過ごしている。
 禁煙が12週目なので、ときどき禁煙リバウンドを感じるが、なんとなくガムを噛んでしのいでいる。
 毎年の梅雨や夏を、今年もしのげそうだ。

 知らぬまに「南筑のブタ」が完成していた。緑色とマルーン色とを吹き付けておいた。宴の最中にも持ち出して、しげしげと眺めていた。ずっしりとした重みがあって、田舎の図書館列車のイメージで一杯だった。

 南筑のブタをもったまま席でうとうとしていると、宮城弁とか新潟弁とか大分弁が飛び交っていた。ほとんど聞き取れなかった。これからも、屯所ではご当地言葉を使ってくれるとおもしろい。一日が終わった。よい気持ちだった。

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2010年6月16日 (水)

小説葛野記:2010/06/16(水)スローライフな林檎社

林檎の収穫が遅れておるようだ
 今朝木幡で起き抜けに、林檎社から商品発送メールが届いた。「ついに!」と、思ってよくみたら、Wi-Fiカード(無線LANカードかな?)だった。明日ころには現品を手にすることだろう。しかしなあ、カードや先回のケースだけもらって、中身がないことには、……。
 ふむ、実にのんびりゆっくりした会社だなぁ。全般に海外の会社はそうなのだろうか。ときどき鉄道マニアの人が、「昨年イギリスに頼んだ部品が今朝着いた」と、半年や一年待つのはざらな話のようだが、コンピュータという現代文房具も、海外ものはそうなるのかもしれない。だから、5月29日発注で、一ヶ月に満たない本日でも、発注部品点数の9割が入手できるのだから、優秀なのかもしれない。
 ただしかし、本体が届かぬのに、現金先取りというのがうなずけないが。
 これで林檎社が、歩留まり1割で、あえなく倒産とでもなると、送金したお金の行方はどうなるのだろう。などと、信用不安におびえるこの3週間であった。
 あと、3週間ほどはおびえそうだ。
 (知古が教えてくれたが、林檎社の「6月出荷」とは、必ず+1で、<7月出荷>のことらしい。また別の知古の話では、林檎社の製品は新品でも、取り換えても取り換えても青い空、じゃなかった、完動しないらしい。現代の奇跡かもしれない!)

南筑のブタ
 先回紹介した南筑軌道石油発動車がだいぶ完成に近づいてきた。煙突の先に付ける部品を見失ったままだが、なんとなくうまく出来上がりそうだ。昨日の夕方には、走らせてみたが、うまくいった。
 今朝眺めていて思ったが、全体のスペース(レールレイアウト:ジオラマ)と、列車の大きさから考えて、On30という様式は、余の求めている世界にぴったりだと思った。
 つまり、ある程度の規模の、図書館や資料館が散在する「地域」をジオラマ化するには、HOゲージ(レール幅16.5mm)が限界だが、そこで図書館列車を再現するには、On30、つまり縮尺が1/48程度が好ましいということだ。
 それにしても、南筑のブタという愛称は、だれが付けたのか知らないが、なんとなくおかしみがあってよいなぁ。

本日定食
 早朝から、生涯学習概論のグループ学習最終日。今朝の助勤参加者は企画した3名だけ。なんとか無事に終わりそうだ。反省会や打ち上げは、明日らしい。
 午後は会議、会議。疲れる脳。
 忘れるところであった。昨夕、副長が機関誌「Truth」の原稿を整理し終わって、最終チェックに入る。余もチェックする時間をどこかに取る必要がある。
 貧乏暇無し。
 と、こうして月日が過ぎていく。充実した全ったき虚無に向かって。

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2010年6月14日 (月)

小説木幡記:2010/06/14(月)先週と今週と、一杯

1.林檎社のiPadがなかなか届かぬ。忘れてしまったのだろう。のんきな会社じゃ。

2.先週、京都駅新幹線の南にできたイオンKYOTOという商店街ビルにでかけた。大垣書店というのが別棟2階で異様にがんばっていた。日参しそうだ。
 ソフマップという、これまでPCパーツを入手していた店が新開店で賑わっていた。入り口に林檎社マシンが並べてあった。
 ポポンデッタという鉄道模型店はNゲージや子供向けの商品に力を注ぎ、いつでも撤退できる軽快な雰囲気だった。
 食堂街の洋食は全品全店ハンバーグと揚げ物中心だった。食中毒は起こりにくかろうが、体中が油まみれになって加齢にはよくない。
 イオン全体がシックハウスになりそうな店臭だったが、これは店割りなどの大道具がまだ乾燥していないからなのだろう。落ち着くにはしばらく時間がかかる。
 映画館は未見だった。
 忘れるところだった、↓シルバニアファミリー世界もソフマップの近くにあった。ジオラマっぽくてしばし見とれていた(笑)。
Silv_2

3.先週、倶楽部初期年次のご隠居達と昼食会を持った。春に宇治の桜を見物しようと決めたお約束のグループだったが、余の入院騒動で流れて、遅れた寄り合いとなった。大学や大学・高校の図書館系に勤めている人たちだ。2012年のひな祭り会をどうしようかと、そろそろ熱心に相談し始めた。

4.日曜日までかけて、麻耶雄嵩(~ソナタ)や北森鴻(絶筆)を完読した。両作品とも尋常ではない「佳さ」があった。前者は素直に読めばものすごくわかりやすく、結末で壮大に笑った。後者は絶筆故の悲しみを予感して原稿800枚分を読んだ。
 小説という形態は人類が編み出したすばらしい芸術だと、またしても納得した。

*.本日は葛野で、情報図書館学、資料組織2、それぞれ中間発表前半となる。助勤たちが朝から登校する。相談決定事項もいくつかあるので、近所で昼食を一緒にする予定じゃ。
 貧乏暇無し。

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2010年6月13日 (日)

NHK龍馬伝(24)愛の蛍:お龍らしくなった

承前:NHK龍馬伝(23)池田屋に走れ:熱い青年達

 龍馬の奥さんになる「お龍さん」がだんだん身近になってきました。気の強いつんけんした態度から、ときどきふっと龍馬の後ろ姿や横顔をうかいがいみる所作がよいですね。龍馬を一時的にかくまうために自宅に連れ帰ったわけですが、そこには妹弟が4人もいて母親が病気で横臥していました。楢崎龍は、長姉として一家の面倒を一手にひきうけていたわけです。

 わかりにくかった場面は、山内容堂のアルコール依存症中毒のような不気味な姿でした。茶の師匠らしい深山宗林との、なにやらわかりにくい画面も、尾を引きました。後日に開かれていくのでしょう、か?

 画面全体や龍馬に落ち着きが見られるようになりました。来週も楽しみです。寺田屋!!

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2010年6月11日 (金)

南筑軌道石油発動車/アルモデル(1)工作中の真鍮模型

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←写真はここ数日の休憩時間や夕方に、こちょこちょと触っている真鍮製の鉄道模型キットです。製造販売会社はアルモデルといって、わずか0.5mしかない真鍮板に部材をエッチングして、シリーズとして手頃な価格で販売しています。だれでも、極めて容易に組み立てられるキットです。

 私が工作したことと言えば、各パーツの2カ所程度をニッパーで軽く切断して、筋目にそって折り曲げ、ところどころに瞬間接着剤を流し込んだだけです。プラモよりも扱いやすい気がしました。

 昨年(2019)すでに、「南筑2軸客車」を組み立てました。近所に図書館も無いようなローカル線での、「移動図書館列車」の原型・モデルを考えるためにこのキットを探し出してきたのです。規格がOn30という比較的大きなモデルなので、内部に図書館風の様子を仕込みやすいと思いました。
 これまで表だってMuBlogに紹介しなかったのは、図書館列車としては未完成だからです。

 現在組み立てている「南筑軌道石油発動車」には動力が付きますから、ローカルな図書館列車にレトロな牽引車という~、バランスがとれます。
 まだ未完成ですが、このモデルについて忘れぬまにメモを残しておきます。組み立てや塗装の完成した姿は、後日にパート2として発表します。

 この製品について気に入った点を列挙します。

1.質感のある真鍮製で、組み立てやすい。
 日頃触っているプラスチックとはひと味違った佳さがあります。
 組み立てながら「立て付けがよいなぁ」と呟いています。精度が高く、1ミリ以下の寸法で、部材がぴったり収まるのです。これは快感です。

2.On30という規格が気に入っています。
 私の身の回りにあるNゲージをぐっと大きくしたのがHOゲージです。On30はそれをさらに一回り大きくしたものですから、存在感が増します。
 レール幅が16.5mmというHOゲージと同一のところに、縮尺だけが倍の車両ですから、扱いやすくなる大きさです。

3.比較的手頃な価格。
 どんな世界でも、一般的な、標準主流を離れた製品は入手が難しく、価格も割高になります。On30という規格は特殊なものです(一般には、線路幅9mmで、縮尺1/150~160のNゲージ)。しかしこの製品は、特殊な形状のわりには手頃です。

 ということで、完成させるのが惜しいくらいに、おもしろいキットです。
 実車は非力な石油発動機でしたから、鉄道図書館列車としては役にたちにくいので、高性能静粛なリチウムイオン電池搭載の電動車にすべきでしょう。
 威圧感のない大きさとか保守の利便を考えると、このタイプの、「南筑タイプ電動車+図書館専用車+客車」という編成は、将来過疎の地の生涯学習施設として実用化されるかもしれません。
 極低速走行なら騒音や振動も我慢ができて、移動中読書も可能でしょう。一般には、従来とおりの移動図書館として、拠点地で長時間停車する方式がよいと考えます。

参考
 アルモデル
 On30レイアウト:庭園鉄道趣味/森博嗣 (MuBlog)

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2010年6月 9日 (水)

小説葛野記:2010/06/09(水)信号無視や南筑軌道ナロータイプ

無謀な信号無視バイク
 早朝6時台の話だが、二度目の信号無視バイクを確認した。五条通り(9号線)と言って比較的交通量の多い一桁東西一直線の国道に、南北の大通りから明確に赤信号のまま50ccバイクが突入し、左大回りの軌跡を描いて、対向車線に入り、そのまま右折していく、独特の信号無視タイプだ。実は先週も同じパターンを見た。バイクも運転者も同一人なのだろう。
 若い男性と、想像した。
 観察していると、7時に入る前は、ときどき(数秒間隔)で交通が途絶える。その一瞬を狙っての侵入と思うが、これで事故になったら、きっと相手の自家用車やトラックが「前方不注意」で咎を受けるのだろうと、と想像すると腹がたってきた(笑)。
 キャツは明確な、確信犯である。
 ~まあ、よかろう。近寄らないことにしよう。そして、青信号でも左右を見て交差点にはいるべきだな(当然!)。

龍馬伝の主題歌
 NHK龍馬伝の公式サイトは極めて見にくいのだが、そして肝心な情報がなかなか見つからない無駄無駄恣意装飾過多サイトだが、……。さっきから探したが、主題歌を歌っている人の情報が得られなかった。
 その女性歌手がNHKの早朝番組に出演していた。

 外国の方でした。
 結論は、彼女の歌詞には普通の人間言語としての意味はないと、始めて明確に理解できた。
 英語でも日本語でもない。
 彼女が霊感のようなものを得て造り出す、即興の「音」なのである。
 それにしても、龍馬の生涯を描くのに、今回の主題歌は影響、効果を持っていると感じてきたが、その事情も理解できた。おそらく、その外国の女性歌手は相当な能力(歌手というより、スピリッツだな)を持っているから、NHKから依頼を受けて、全能力を傾けて、アドリブで歌ったのだろう。
 不思議な人だと思った。

本日定食
 早朝から倶楽部員が全員集まり、一時間目の授業の支援をしてくれる。短期間のグループ活動である。定常的な助勤の授業支援とは少し異なる。今年も挙行できた。ありがたい。
 甘いものを人数分だけ用意しておいた。ウケケ。
 そのあと、来年のカリキュラム、時間割に関して、同僚教員や教務担当者と打合せ。
 午後は、会議。
 午後遅く解放されるが(笑)、もう、へろへろで脳はすり切れているじゃ老。

 夕方は昨日から触っている真鍮製のOn30(つまりナロー)タイプ「南筑軌道石油発動車」の完成を目指すなり。真鍮工作は普通は難しい独特のハンダ付けが必要なのだが、最近のキットは造りに工夫があるので、瞬間接着剤だけで出来上がる。要するにちょっとした凸と凹みとを差し込んで組み立てるので、安定しているわけだ。
 夜は木幡で、読書。
 
 日々、穏やかに過ぎていく。
 現世はええのう、と土佐容堂のノリじゃね。

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2010年6月 7日 (月)

小説木幡記:2010/06/07(月)日薬ひぐすり

 六月に入って、なにかと気持ちが和らいできた。
 日薬、時が癒し、時が解決をもたらす。
 ~
 余自身の身体ではなくて、主に心のことだ。
 この四月、五月はいささか往生した。痛いとか辛いというよりも、気持ちが凹んでしまって、気力が萎えて、何かをすることに充実感を味わえなくなった日々が続いたわけだ。

 現象としては、禁煙による鬱の一種で、ニコチン依存の心理的「引き裂かれ」にともなう喪失感なのだろう。しかしそれは四月上旬に入院していた深夜、過去を取り戻せない、過去を断片的にしか再現できない、ただただ抱え込んだまま死に向かっていく人生、というふうな悲傷に陥って以来のことだから、禁煙鬱だけが問題ではなかった。大げさだが、単純に言うと、余は今春「死を眺めた」わけだ。

 なにか重大な問題とか理由があるわけではなく、そのように世界を眺める質として生きてきたから、ぐっと考えが深まると今春のような気分になる。そういう質だからこそ、日曜作家を営々と続けてきたし、うまずたゆまず読書に遊び、夢想に浸ってきた半世紀なのだ。

 とはいうものの、20代に経験した「引き裂かれた凹み」の再現は気楽なものではなく、まさしく鬱鬱とした二ヶ月だった。それが少し楽になってきた。日薬なのだろう。

 ゲゲゲの女房を、このごろよく眺めるようになった。ドラマにすっと入れるようになったのだ。
 龍馬伝が、なんとなくおもしろくなってきた。
 今日は別室で「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」を倶楽部の幹部達に見せて、今後の予定を語っていた。
 図書館列車のPC制御がますますおもしろくなってきた。
 倶楽部のことをご隠居や現役や、余自身の中で、きっちりと整理することができるようになった。
 『後鳥羽院』を、これまで以上に理解できるようになっていた。
 ~

 どれもこれも単純なことだが、気持ちが佳くなると世界が少し明るくなる(笑)。数ヶ月暗黒だったわけではないが、黄昏だったのが、ようやく朝日が部屋を明るくしだした気分だな。
 今夜もよく眠れそうだ。

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2010年6月 6日 (日)

NHK龍馬伝(23)池田屋に走れ:熱い青年達

承前:NHK龍馬伝(22)龍という女:確かに気の強い女

山内容堂の極楽
 土佐の容堂公が拷問を止めるように、後藤象二郎に言いました。武市半平太や、最近帰郷した岡田以蔵にすこし凪が訪れた、……。と思うのは早計と、歴史の記録から知ってはいますが、このひとときは画面に休憩をもたらして気が楽になりました。
 容堂公は、一橋慶喜(徳川・最後の将軍になる前でしょうね)から贈られた極楽図を眺めて、にんまりしていました。「極楽は、ええのう~」と。
 権威権力を持った人だと、この世を地獄にも極楽にも似せて変えることができますが、心の地獄を極楽にするのは難しいでしょうね。

弥太郎の変化
 対照的に、岩崎弥太郎の可愛らしい長女誕生の画面に移りました。弥太郎は、多少偽悪ぶって武市の家に行き、<幸が一杯になると不幸になるから、武市の家でも無料修繕して、幸のお裾分けをする>という風なことを言っていました。

池田屋騒動
 長州の桂小五郎などが、朝廷での立場を取り戻すために、京の町と御所に火をかけてその間隙に天皇を「お救い」(拉致)し、勢力挽回を図るという計画を、三条小橋の池田屋で謀議しています。そこに、土佐の脱藩者で海軍繰連場の仲間:望月亀弥太が、神戸村を深夜抜け出して参加します。あとを龍馬が追いました。
 この事件では、新選組が日本中に知れ渡り、桂小五郎はタイミングの都合で新選組に斬られもしなかったし、逃げおおせました。

熱い青年達と変革
 龍馬が神戸の浜辺で土佐脱藩者・元土佐勤王党の望月亀弥太(音尾琢真)を説得する前後が今夜の見どころなのでしょう。亀弥太も龍馬も、幼なじみの武市半平太や岡田以蔵が土佐で殺されるかもしれないのを横目でみながら、200名の仲間と海軍を作っています。そのことと、今また京都で長州藩を中心とした尊皇攘夷の志士達が熱く計画を練っているわけです。
 龍馬は<想像以上に時代が流れ進んでいる。これまでの尊皇攘夷では、日本を救えない。繰連所をすてて地下テロ組織に参加するのは無謀だ、亀弥太行くのは止めろ!>といいます。
 しかし、亀弥太は、平井収二郎が切腹させられ、かつての仲間や武市先生が危機に立たされている今、生徒として練習しているのが無駄に思え、心が京都に走り池田屋に駆けつけるわけです。

 いつの時代にも、青年の数パーセントは熱くなります。変革の核になる可能性を持つわけです。それまでのくびきを棄てて、暴力であれ政治であれ、熱くなって現状を打破しようとします、……。

特殊な明治維新
 土佐勤王党は下士という底辺武士階級の青年達でした。
 新選組は、20代の関東食いはぐれ青年達でした。
 そして海軍繰連所、海舟以外は各藩で優秀な、あるいは脱藩の、邪魔者扱いされた青年達でした。
 そして七卿落ちの三条実美さんは、都を追われたときまだ20代半ばだったわけです。
 幕末は、明治維新は、20代の熱い青年達が動かしたようにさえ思えます。

 その、同年代の龍馬が熱く望月亀弥太を説得しました。
 亀弥太はそれを振り切って京都に走り、池田屋の近くで切腹し昏睡しているところを龍馬に発見されます。龍馬はその死を見、怒りのあまり壬生の新選組屯所へ走っていきました。その相手の近藤や土方さえまだ20代後半、沖田はもしかしたら20になっていたかどうか。

 20代は永遠の熱い青春なのでしょう。
 龍馬もそうだったわけです。
 それが時代を動かすのは、歴史の中でもそれほどあるわけではないです。幕末が、そんなまれな時代だったことを、龍馬の熱弁に感じました。

参考
 池田屋集合:倶楽部忘年会2009(MuBlog) 池田屋跡は現在居酒屋になっています。場所は、京都市の三条大橋西(三条小橋西)です。

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2010年6月 5日 (土)

小説木幡記:2010/06/05(土)いつもと違う土曜日

 早朝は日曜作家をした。
 午前は読書。
 昼食を途中でとって葛野着。
 邪馬台国周遊図書館ジオラマの、間借りしている別室に行き、位置を再設定し、走行テスト。
 レール固めを終えているので、次にどうするかを黙考。

 午後は夕方まで、シンポジウム参加。
 基調講演はおもしろかったが、意見の相違点も多かった。
 やんぬるかな。

 夕方に研究室に戻ると、屯所が点灯していた。覗くと、共同演習の某班が5名、話し合っていた。
 余もすこしコメントして、葛野を出た。
 階段で同僚教授と一緒になったので、駅まで同行した。
 文学や教育について、世間話をした。
 現代は、古典を一つも学ばずに大学入学する学生もいるようだ。
 源氏物語は難しいが、古事記や萬葉集や平家物語や、芭蕉くらいは高校で学んだ方がよいと思った。

 帰宅した。
 土曜日は、いつもは終日木幡で読書しているので、たまに葛野に出かけると、疲れる(笑)。
 そうだ、忘れていた。
 午後、研究室に戻ったとき、林檎社から本体以外の全てが届いていた(スタンドやワイヤーなど)。本体は来月じゃろうか? 気の長い話じゃわい。さすがわ林檎社。

 さて。
 妙に肩がこっている。眠ろうかのう。

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2010年6月 4日 (金)

小説木幡記:2010/06/04(金)いくつもの過去と未然の未来

 数日前に、卒業してずいぶんになる倶楽部御隠居が菓子折をもって、不意に訪ねてきてくれた。年に4回送付する機関誌をよく読んでくれているようだ。在学中は比較的クールに見えた人だったが、屯所の部屋の様子や、過去に制作した課題作品を写真に何枚も撮っていた。ホットなところもあったのだと、不思議な思いで眺めていた。改姓にともない京都を離れるとのことだった。

 最近、味わっているのだが、青少年時代に読んだ本や見た映画や人と出会ったことは、今になっても色あせない。そして五年、十年、二十年昔に出会った教え子たちも、色あせない。変化が激しいのはただただ自分自身だということに気付いた。

 昭和の話を見たり聞いたり読んだりしていると、昭和20年前後が、戦争前と戦争後ということで、なにか「区切り」が明確だった。他方、自分自身の区切りというと、昭和とか平成の世間の流れが直接影響した痕跡が見えない。だから、一応の目安として記憶を再現するときは、少年時代、浪人・学生時代、就職初期、就職後期、葛野時代、21世紀時代、という風に分けておる。最後の葛野時代と、21世紀時代とは、前者が研究優先時代、後者が葛野図書倶楽部2001を含んだ教育優先時代となる。

 こうして時間が過ぎていく。各時代には佳さも悪さも同居しておった。思い出すのは佳いことばかりだ。過去は取り戻すこともできないし、繰り返すこともない。過去の佳さを取り戻せない代わりに、過去の辛さを繰り返し再現することもない。

 過去は一応確定事項だが、未来は未然。未来はあるのかどうかも分からない。佳いとも悪いともよくわからない。これまでの過去・経過を延長させた先に未来があるなら、予測はたつのだが。「延長」させる気持ちを保つのか棄てるのかも分からない。一層複雑なのは、確定したと思われた過去すらが、解釈や事実の並べ替えによっては別の過去を生み出し、その別の過去から別の解釈による現在、そして未来への道筋が変わっていく。

 昨日、朝の授業が終わって、昼食を授業懇親会の名目で、同僚や非常勤の先生達とご一緒したあとに、研究室にもどり件のご隠居が持ってきてくれた菓子の最後を煎茶とともに口にした。「先生、これは日持ちが悪くて、金曜日までですよ。倶楽部の人たちと一緒に食べてください」という台詞を思い出していた。

 一昨日の水曜日朝から、倶楽部員全員がグループ授業に参加してくれた。受講生は新入生が多いので、授業支援の倶楽部員達がやけに「おとな」に見えた(笑)。この倶楽部もやがて過去になっていく。いくつもの未来がぽっかりと宙に浮かんだ。

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2010年6月 3日 (木)

小説葛野記:2010/06/03(木)首相が変わり日常が続く

 昨日、民主党の鳩山首相と、小沢幹事長が辞められた。
 良いことだと思った。
 近しい人が言っていたが、少し意味深い言葉を用いると、鳩山首相は左派・旧社会党を斬り、返す刀で右派・旧自民党を斬った。続いてかっこよいセリフがあるとするなら、「政治は中道・中庸でなければなりません」とくるところだが、残念ながらその余裕はなかった。

 しばらく民主党世界が継続することだろうが、衆愚政治はやめて欲しい。どのような言辞を弄そうとも、ない袖は振れない。収入の見込みのないお金をばらまくことだけはやめて欲しい。まるでカード地獄に向かって突っ走るような雰囲気だ。そんな政治なら、余でも今日から代わって執行できる。
 (今後とも債務地獄は、破産宣告で逃げる気なのかな)

 国体を守ることに専念していただきたい。守るもののない政治ほど疎ましいものはない。
 官僚を小馬鹿にするのはよくない。
 官僚機構を有効に作動できない者が選挙で選ばれるから亡国となる。
 官僚を制御できる政治家とは相当な見識を必要とする。しかしそれができなければ、政治家が下手な鉄砲を担いだり、脳天気なソロバンはじきや、下手なミサイル操作をするようなものだ。
 どうして、そういう単純明快なことを理解せぬままに政権をになったり、政治家になろうとするのか。
 よほど、甘くて美味しい仕事に見えるのかもしれない。
 それにしても。
 政治とは愚者集団の酒乱・馬鹿踊りにしか見えなくなるようなことは、避けたい。

 ということで、まだ北からミサイルは飛んでいない。B29が夜空を覆うことも、まだない。水道水が細菌戦争で汚染されることもまだない。日本海が他国の戦艦で満ちてもいない。原発が占拠され人質にもなっていない。青年が徴兵されることもまだない。

 まだまだ、危うい平和が続いている。
 残された平和をじっくり味わおう。
 行きつけの珈琲や蕎麦は依然としてうまい。
 今の内に、じっくり味わっておきたい。

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2010年6月 1日 (火)

小説木幡記:2010/06/01(火)いろいろメモ:読書映画iPad

 断片的な日常の中で、息災に生きている。

1.読書
 秀吉の枷、信長の棺、ともに加藤廣(かとうひろし)の作品に浸りこんでいた。
 なお、『秀吉の枷』は、実は数年前に一度読んだことに途中で気づいたが、おもしろいので再度最後まで読み切った。未読だった『信長の棺』と誤認したようだ。ついでに、信長の棺を文庫上下で入手し、一気に読み切った。読み出したら止まらない小説だな。

 2000年に買い置きしておいた、夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)/麻耶雄嵩(まやゆたか:講談社文庫)を1/3ほど読んで、あまりの上手さに読み切るのがもったいなくて、おいてある(本当)。最初の死が訪れたところだから、丁度良い。
 この人の作品は、有名な処女作「翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件」は、感動しなかった。わかりにくい、じゃまくさい作品という印象が強い脳。
 『鴉』(からす)は、とても気に入った(笑)。余も好き嫌いが激しい。
 さて、このソナタ、……。もう一度いうが、1/3まで読み込んだところでは、残りを読むのが恐いようなもったいないような、ご馳走を食べ散らかしたくないような、奇妙な状態にある。

 買い置きという点では、暁英(きょうえい):贋説・鹿鳴館/北森鴻(徳間書店)を買ってある。この北森さんは余も縁あって愛読者なのだが、今年はじめに亡くなられたようだ。この長編はだから未完である。50の一歩手前で突然消えるとは、人生は儚い。

2.映画
 処刑人Ⅰ
 これをDVDで鑑賞した。最近処刑人Ⅱが十年ぶりに作られて話題の作品らしい。馬鹿馬鹿しい内容だが、最後まで見た。FBI捜査員役のウィレム・デフォーは「プラトーン」以来のお気に入りで、最後の誘惑(The Last Temptation of Christ)では涙にむせんだが(本当)、今回の役回りは不満だった。いろいろ考えはあったが、要するに「レオン」の麻薬捜査官、ゲーリー・オールドマンのぱくりというかパロディというか、そういう所にげんなりしたわけだ。オールドマンの切れようにはレオンを見たとき肝が冷えたが、デフォーがオールドマンを思い出させるような役柄を演じる必要はない。

 イングロリアス・バスターズ
 実はこれは主役のブラッド・ピットにはまったく興味がなく、ただただひたすらぶっちぎれの監督・タランティーノの映画なのだ! という好奇心から見た。もともと、映画を監督サイドで見るほどのマニアではないのだが、このタランティーノは、仰天するような作風なので気に入っている。
 結論は、ものすごい最優秀の映画だった、となる。
 不思議なことに余がこれを見た頃に、知り合いもみておった。ふむふむ、不思議な暗合もあることよのう。
 で、ランダ親衛隊大佐(クリストフ・ヴァルツ)をとても気に入った。この映画は、余が初めて見たヴァルツの起用が成功の鍵だったと確信した。
 ところで、知り合いのblog感想では「残酷場面」とか「全体として映画が滅茶苦茶」(好意的な表現)とあったが、前者は考えようの違いとしても、後者は普通の優秀映画と思えたので、落差を味わった。一体、どこがはちゃめちゃなのか、今ひとつ分からない。普通の表現に思えたぞ。

 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
 三部作といわれている序破急のうち、二番目のDVDがやっとエドルン君の世話で届いた。日曜日に一気に鑑賞した。
 昨年公開されたときは、そこここで好感を伝え聞いた。
 余の感想では、序で神経が鈍磨しているので、衝撃度は序の方が高かった。シンジ少年の姿は相変わらずなので、これはあきらめた。台詞が聞き取りにくい場面がいくつかあって、画面の動きだけをみていた。その点では、なにがなにやらわからなかった。わかりにくさは、前述「イングロリアス・バスターズ」を1とするなら、「破」は100くらいである。
 要するに、余はシンジやレイの扱いに少し倦んでいるのだろう。最後の「急」を見るときは、序破急あわせて余の中の「ヱヴァンゲリヲン新像」を確立しておきたい。それにしても、使徒はどこから何しにくるのだろうか? そうそう、いったいなんであんな変な姿をしておるのやろうか(笑)。余は根本的な疑念に心を奪われてしまった。

3.ディジタル世界
 鉄道模型のディジタル制御(DCC)の専用PCとして、「ASUS PC 1001HA」を入手してご機嫌である。OSはなんと! いまどきWindowsXPという古典世界である。なおまた、VBScriptの参考書も探して買ったが、この世界は2006年くらいで終了しているようだ。いまのところ、DCCを操るスクリプトとして、VBSを基にしている世界で遊んでいる。実は、DCC制御スクリプト言語はほかにもいろいろあるようだが、まずは順番に~。

 なにかと話題のiPadは今朝銀行送金しておいた。知人の話ではオンラインのAppleStoreで「6月出荷」とは、6月末日か7月をさすらしい。じゃが、いずれ商売道具として必須のものだから、少々待たされてもよかろう。第一出荷じゃなくて、第二出荷になるのかな。うむふむ。
 なお、iPadについては、昔に新機種を切望したような気分の高揚はまったくない。必然の結果としてiPadが生まれ、さらに必然の必然として余がiPadを手にする。要するに、当たり前のことだから、面白くもおかしくもない。
 などといいながら、iPad で本格ミステリーを読み出したら、きっとまたMuBlogで騒ぎまくるじゃろう、余が疎ましい脳。

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