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2010年6月 7日 (月)

小説木幡記:2010/06/07(月)日薬ひぐすり

 六月に入って、なにかと気持ちが和らいできた。
 日薬、時が癒し、時が解決をもたらす。
 ~
 余自身の身体ではなくて、主に心のことだ。
 この四月、五月はいささか往生した。痛いとか辛いというよりも、気持ちが凹んでしまって、気力が萎えて、何かをすることに充実感を味わえなくなった日々が続いたわけだ。

 現象としては、禁煙による鬱の一種で、ニコチン依存の心理的「引き裂かれ」にともなう喪失感なのだろう。しかしそれは四月上旬に入院していた深夜、過去を取り戻せない、過去を断片的にしか再現できない、ただただ抱え込んだまま死に向かっていく人生、というふうな悲傷に陥って以来のことだから、禁煙鬱だけが問題ではなかった。大げさだが、単純に言うと、余は今春「死を眺めた」わけだ。

 なにか重大な問題とか理由があるわけではなく、そのように世界を眺める質として生きてきたから、ぐっと考えが深まると今春のような気分になる。そういう質だからこそ、日曜作家を営々と続けてきたし、うまずたゆまず読書に遊び、夢想に浸ってきた半世紀なのだ。

 とはいうものの、20代に経験した「引き裂かれた凹み」の再現は気楽なものではなく、まさしく鬱鬱とした二ヶ月だった。それが少し楽になってきた。日薬なのだろう。

 ゲゲゲの女房を、このごろよく眺めるようになった。ドラマにすっと入れるようになったのだ。
 龍馬伝が、なんとなくおもしろくなってきた。
 今日は別室で「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」を倶楽部の幹部達に見せて、今後の予定を語っていた。
 図書館列車のPC制御がますますおもしろくなってきた。
 倶楽部のことをご隠居や現役や、余自身の中で、きっちりと整理することができるようになった。
 『後鳥羽院』を、これまで以上に理解できるようになっていた。
 ~

 どれもこれも単純なことだが、気持ちが佳くなると世界が少し明るくなる(笑)。数ヶ月暗黒だったわけではないが、黄昏だったのが、ようやく朝日が部屋を明るくしだした気分だな。
 今夜もよく眠れそうだ。

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