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2010年6月 4日 (金)

小説木幡記:2010/06/04(金)いくつもの過去と未然の未来

 数日前に、卒業してずいぶんになる倶楽部御隠居が菓子折をもって、不意に訪ねてきてくれた。年に4回送付する機関誌をよく読んでくれているようだ。在学中は比較的クールに見えた人だったが、屯所の部屋の様子や、過去に制作した課題作品を写真に何枚も撮っていた。ホットなところもあったのだと、不思議な思いで眺めていた。改姓にともない京都を離れるとのことだった。

 最近、味わっているのだが、青少年時代に読んだ本や見た映画や人と出会ったことは、今になっても色あせない。そして五年、十年、二十年昔に出会った教え子たちも、色あせない。変化が激しいのはただただ自分自身だということに気付いた。

 昭和の話を見たり聞いたり読んだりしていると、昭和20年前後が、戦争前と戦争後ということで、なにか「区切り」が明確だった。他方、自分自身の区切りというと、昭和とか平成の世間の流れが直接影響した痕跡が見えない。だから、一応の目安として記憶を再現するときは、少年時代、浪人・学生時代、就職初期、就職後期、葛野時代、21世紀時代、という風に分けておる。最後の葛野時代と、21世紀時代とは、前者が研究優先時代、後者が葛野図書倶楽部2001を含んだ教育優先時代となる。

 こうして時間が過ぎていく。各時代には佳さも悪さも同居しておった。思い出すのは佳いことばかりだ。過去は取り戻すこともできないし、繰り返すこともない。過去の佳さを取り戻せない代わりに、過去の辛さを繰り返し再現することもない。

 過去は一応確定事項だが、未来は未然。未来はあるのかどうかも分からない。佳いとも悪いともよくわからない。これまでの過去・経過を延長させた先に未来があるなら、予測はたつのだが。「延長」させる気持ちを保つのか棄てるのかも分からない。一層複雑なのは、確定したと思われた過去すらが、解釈や事実の並べ替えによっては別の過去を生み出し、その別の過去から別の解釈による現在、そして未来への道筋が変わっていく。

 昨日、朝の授業が終わって、昼食を授業懇親会の名目で、同僚や非常勤の先生達とご一緒したあとに、研究室にもどり件のご隠居が持ってきてくれた菓子の最後を煎茶とともに口にした。「先生、これは日持ちが悪くて、金曜日までですよ。倶楽部の人たちと一緒に食べてください」という台詞を思い出していた。

 一昨日の水曜日朝から、倶楽部員全員がグループ授業に参加してくれた。受講生は新入生が多いので、授業支援の倶楽部員達がやけに「おとな」に見えた(笑)。この倶楽部もやがて過去になっていく。いくつもの未来がぽっかりと宙に浮かんだ。

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