小説木幡記:2010/05/19(水)多面
気づいたら水曜日になっていた。
月曜日の午前中、授業二つは「祝祭日」のような<着手発表会>だった。つまり、班毎に選んだテーマの概要を発表する旗日。発表内容について、相互の班、そして余や助勤が札入れすることになり、全班の優勢班がはっきりしてくる。来週は後半の班が発表する。
昨日火曜日は倶楽部の月例会と昼食会とが昼にあった。余はそれへの参加と、いささか堆積した校務のことで終日葛野におった。禁煙鬱は相変わらずで、鬱特有のぐるぐるめぐり「なぜ、この仕事をするのか?」と熟考しながらも手だけを動かし、ときどき横臥しておった。現象面では従来と変わらぬが、内実は鬱が鬱鬱しい。予定ではあと一月ほどで寛解するであろう。
今日は授業「生涯学習」だ。これはようやく映画鑑賞の時期に至った。ここに来ると内奥の充実感が深まる。まだまだ1/3の旅程だが、最初のつかみ所ない学生や教授内容がそれなりに軽く熟成して、味がわいてくる。午後は、学科会議となるが、今日は某委員という責務からひとしきり発表やまとめを必要とする。
ということで、また週半ばにいたってしまった。こうして日々が過ぎていく。人生を味わうこのごろである。
ふむ。
言い添えると。
無為、そして意義・意味。生きる上での両面である。両面スクナ、という古来の神が飛騨にはいましたようだが、その神がどうでいらしたかは知らぬが、多面、両面、これはよく味わうことが大切だ。
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