« 小説木幡記:2010/04/10(土)楽しみは夜空の星のごとく | トップページ | NHK龍馬伝(15)ふたりの京:京は人を変えるのか »

2010年4月11日 (日)

小説木幡記:2010/04/11(日)禁煙記

 40年間にわたりニコチンの海に脳と心身をさらし続ける悪癖があった。それを止めたのは、2010年3月29(月)の午後だった。だから、指折り数えてみるとまだ2週間しか経っていない。

 どんな風にこの2週間を過ごせたのか、つまり強烈無比なニコチン禁断症状の生理反応から逃れたかは、余の場合は特殊なことなので、他の禁煙を志す人たちの役にはたたない。
 しかし若干の説明はしておく。

禁煙の原因:入院
 様々な事情で3月末の午後、余は葛野の研究室で一人青ざめておった。この日は早朝から葛野図書倶楽部2001と月例会を開催し、昼食を一緒にとった。
 夕方には失神しそうになったので、倶楽部学生を通して事務、保健室、警備室の救護体制で救急車に乗った。京都市立病院(西大路五条東)に搬送された。
 小康をえて家族達も帰った後の深夜に、吐血した。
 数日前に伏見の京都医療センターで冠動脈に留置した血管拡張蛇腹のようなものに血流がとどまらぬように、大量の血液・非凝固剤というか「血のさらさら化」薬剤を投与していたのが、裏目に出て、ストレス(つまりそういう治療がストレス)によって生じた胃潰瘍から大出血したようだ。

 人体、心身は複雑精緻なバランスによって成り立っているから、どこかが悪いと言って治したら、それで終わりではないことも多い。それと、余の昔からの様態は「薬がききすぎる」ところもあって、マニュアル通りには行かないことも多い。

さて禁煙:ニコチン依存症を忘れていた
 そういう中で、ニコチン依存症を忘れてしまっていたという事実がある。29日の夕方に入院して、4月1日の昼ごろに、「ああ、禁煙しているなぁ」と意識した。その夕方に、葛野事務関係者二名と、どうしても打ち合わせをする必要があり、面会があったので、明確に覚えている。数えてみると29日の午後から、30、31、4月1日の昼頃まで、「ニコチンという概念」を忘れていたわけだ。
 あとで調べてみると、生理的にはこの数日間が、もっとも禁断症状が激しい時期らしい。その時期を、吐血や輸血や点滴で、白昼夢のまま過ごしたせいか、禁断症状自体を「忘れていた」ようだ(笑)。
 だから、多くのニコチン依存者の役に立たない事例なのだ。普通は禁断症状を忘れることはできぬ。

心理的依存症:チューインガム(ノンシュガー・キシリトール)
 アルコール中毒や麻薬中毒に比べて、ニコチン中毒の依存性は、今となっては「軽い」と考えている。だから世界中の喫煙者は、今からすぐに禁煙できる可能性がある。
 擬似的にでも瀕死の状態に置くのは危険性があるから、せいぜい三日三晩檻にいれるか、睡眠薬で眠らせるか、人界隔離すれば生理的なニコチン依存症からは免れそうだ。

 問題はその後も数ヶ月は残る心理的な依存だが、余の場合大量のチューインガムを用意した。おきている間中、ガム中毒みたいにかみ続けているこの数日間、まるっきり「たばこを欲しくならない」。もう二度と、血管が細くなるとか、吐血するとかで、入院なんかしたくないので、ニコチンへの「憎悪」は激しい。その憎悪は、心理的な雰囲気・精神的依存を吹き飛ばしてしまう。たとえば喫茶店で紫煙、食後の一服、そういう雰囲気自体が、屍体の上で休憩してなごんでいるようなばかばかしさに直結して、ニコチンに対して「よくも、余の上等な脳を40年間も欺したなぁ!」という憤怒がこみ上げてくる。

今後のこと
 今後もMuBlogで、ときどき禁煙記を記す。
 医療についてはこの一ヶ月間、いろいろ想いがあったが、それは後日に書こう。今はまだ書きたくない。
 健康とは、要するに。
 美味いものをたべて、良く散歩して、禁煙を保ち、よく眠って、ストレスの諸原因には冷淡に距離を置いて、そして丁寧にこれまでの習慣のよい部分を磨き上げていく。

 研究も教育も読書もblogも日曜作家も工作も、丁寧に丁寧に慌てずに取り組んでいく。し残しを嘆かない。完成時期を早めようとしない、継続・持続を愉しむことに目的を持つ。全ては死とともに終わる、だからこそ生きているうちが花なのさ。ニコチンやアルコールに頼らなくても、脳内を幸で一杯にする方法など、いくらでもある。
 おそらく、瞑想もその一つなんだろう。

|

« 小説木幡記:2010/04/10(土)楽しみは夜空の星のごとく | トップページ | NHK龍馬伝(15)ふたりの京:京は人を変えるのか »

小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

 落ち着かれたようでほっとしております。
 4月5日の夕刻、御在所のすぐ前を通りかかり、ああ、今年の桜は一人で見るかと思っていたところでした。あの時はまだ入院なさっていたんですね。
 私も以前、一時ワーファリンを飲んでおりました。バイクに乗りながら、「これでこけたら死ぬなあ」と思っていました。お互い、生きながらえて何よりですね。
 Mu様のような哲人にはなれませんが、私も少し見習わせていただこうと思います。

投稿: windcalmskc | 2010年4月11日 (日) 19時41分

Wind……さん、こんにちは
 そちらもいろいろありそうですね。最近新聞にもご近所で事件があったよし、知りました。

 さて、薬漬け話ですが、今はあんまり話する気力がわかないです。こんな事なら医師になって、最良の施療と全人格的・人体システム対応医療を開発したかったですね。

 工作や技術(ソフトウェアも含む)の観点からみると、現代医療は人体をモジュール化しすぎる弊害があります。たとえば人体は、脳が悪いからと言って、脳を取り替えてすむほど単純なシステムじゃないですからね。
 各モジュール・部品がぼろぼろでも、全体の整合性で順調に動いている場合と、一カ所を触ると全部壊れるという、そういう相反する現象への考究は、まだまだのようです。
 つまり、現代医療は未熟すぎます。

 でも、また今度にします。疲れる(笑)

投稿: Mu→windcalmskc | 2010年4月11日 (日) 21時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/48053974

この記事へのトラックバック一覧です: 小説木幡記:2010/04/11(日)禁煙記:

« 小説木幡記:2010/04/10(土)楽しみは夜空の星のごとく | トップページ | NHK龍馬伝(15)ふたりの京:京は人を変えるのか »